18 殿下よけフレグランス(仮)
当然のことながら、『七色サンゴ』なんて一般市場には流通していない。
魔法薬素材として活用される頻度自体が少なく、学園の授業での出番もほぼないため先生も調合室にストックしていなかった。ラウリエ魔法薬開発研究所に問い合わせてみたけど在庫が少ないということで、結局取り寄せるのに少し時間がかかってしまった。
ようやく調合の準備が整ったその日。
学園は休日で、すれ違う生徒はほとんどいない。トビアスのように進学のためのレポートを仕上げようと登校している人もいるけど、そんな人たちはみんな図書館に籠っているから校舎の中はひっそりとしている。
「さて」
すべての材料を、研究室の奥の調合室へと持ち込んだ。
調合室の中は、薄暗いけど意外に広い。壁に沿うように据えられた棚にはさまざまな魔法薬の材料が所狭しと並べられていて、その脇には希少な素材のための鍵のついた保管庫が置かれている。部屋の真ん中には大きな作業台が三つあって、そのうちの一つには調合をするための大小三つの鍋が配置されている。
「まずは『千年滝の水』以外の材料をそのすり鉢を使ってすりつぶし、ペースト状にすること。それを沸騰させた『千年滝の水』に加えていく」
「はい」
「『千年滝の水』は、こっちの鍋に入れて火にかけておくからな」
「お願いします」
「しかしまあ、よくあの二人の髪の毛を手に入れられたもんだよ」
「殿下のほうはわりと簡単だったんですよ。声をかけられたときに、肩の辺りを毎回チェックしてたんで」
「マリーナ・ノルマンのほうは?」
「それは、弟に協力してもらいました」
マリーナ様と弟のアルヴァーは同い年である。クラスが違うから難しいかとは思いつつ相談してみたら、
「絶対にゲットしてみせるから。任せて」
そう言った二日後、宣言通りまんまと入手してきたときには弟の有能さに驚いてしまった。と同時に、そこはかとない狡猾さも垣間見てしまった気がしたけど。どうやって入手したのかは、なんとなく怖くて詳しく聞いていない。
材料が並べられた作業台の上で、まずは先生に指示された通り『ホーリーネスタの葉』をすり鉢の中ですりつぶす。それから取り寄せた『七色サンゴ』を砕いて入れて、またすりつぶす。
ちなみに、『七色サンゴ』は採取して乾燥させたあとも陽の光を受けるとキラキラと七色に輝いて、ため息が漏れるほどきれいだった。砕いてすりつぶして粉末になってもキラキラしていて、なんだかテンションが上がる。
それから、二人の毛髪の一部を加えてさらにすりつぶす。最後に『ティンフラワーの花』の花弁を入れてすりつぶし、ペースト状になったら火にかけていた『千年滝の水』(もう沸騰してお湯になってはいるのだけど)に加えて、ゆっくりとかき混ぜる。
ティンフラワーの甘い香りが調合室に漂って、ちょっと幸せな気分になる。
それでなくても先生と二人で新たな魔法薬を試作するなんて、楽しい以外の何物でもない。どうしたってウキウキと跳ねる気持ちを抑えきれない。
ひとまず今は、『殿下よけフレグランス(仮)』の完成を最優先にしてあの肖像画の女性のことは考えないと心に決めていた。あの人のことを考えると、先生の前で平常心を保てなくなるから。
そもそも私たちは学園の教師と生徒で、先生は私のことをただの生徒としか見ていない。いろいろあって私に手を貸してくれることになった先生だけど、それだって魔法薬学に関してちょっと素質がある生徒を放っておけなかっただけにすぎない。
それなのに予想外に優しくされて、身の程知らずにも好きになってしまったなんて先生には絶対に知られたくない。気持ちがバレて、決定的なことを言われてしまうのが怖い。
だからとにかく、今は『殿下よけフレグランス(仮)』のことだけに専念しようとしている。
「うまくいけば、だんだん色が変わってくるからな」
鍋をかき混ぜる私の手つきを確認しながら、先生は何やら冊子に目を通している。ちらっと覗き見たら、アルフリーダの『パイバイン薬』の調合法が書かれた冊子だった。
「せっかく『七色サンゴ』を入手したんですから、その『パイバイン薬』も作ってみたらどうですかね?」
想像してふふ、と笑みを浮かべると、先生が「は?」と呆気に取られている。
「『七色サンゴ』以外の材料の入手はそんなに難しくなさそうですし、試しに作ってみても」
「いや、お前、こんなの作ってどうすんだよ? 誰が使うんだ?」
「ほしいって言う人は結構いると思いますけど」
「効果は一時的なものなのに?」
「それでもここぞというときに使いたい人はいると思いますよ? アルフリーダだって、需要があるから開発したんでしょうし」
「いくら需要があるからって、こういう薬をほんとに作るところがアルフリーダだよな……」
「天才ですよね」
「天才っつーか、なんつーか……」
先生はなぜか微妙な顔をしている。いろいろ言いたいことがあるみたいだけど、結局は何も言わなかった。コンプライアンス的に自重したのかもと思ったら、可笑しくてまた笑みがこぼれる。
先生と話すのは、楽しい。取るに足らないどうでもいい話題でも、先生と一緒だったら楽しくて楽しくて仕方がない。時間がたつのも忘れてしまう。
どんどん「好き」が加速していく。
でも戻れなくなりそうで、怖い。このままでいいのだろうかという疑問が、頭をかすめる。
「おい、見てみろ」
唐突な声に、慌てて鍋の中へと視線を戻す。
「あれ? なんか色が……」
「……どうやら『化けた』みたいだな」
気がつくと、透明だったはずの液体が少しずつ華やかな色を纏っていく。
ゆらゆらと変化する色彩に見惚れていると、先生も一緒になって鍋の中を覗き込む。いきなり真横に並んだ顔が近すぎて、どきりとしてしまう。
「これは期待できそうだ」
少しはしゃいだような先生の声が耳の近くで響いて、ドキドキが止まらない。やばい。集中できない。
深呼吸で無理やり気持ちを整え、鍋を火から下ろして冷めるのを待つ間もティンフラワーの甘い香りは一層強くなっていく。
そうして出来上がった液体は、淡いピンクゴールドの中に星のような輝きがチラチラと踊っていた。
「……うまくいったんですかね?」
冷ました液体を透明なガラス瓶に流し込み、蓋をする。
「今んとこ、俺たちにとってはただの香水って感じだけどな。殿下とマリーナ・ノルマンにだけ異臭を放つかどうかは、試してみないとわからないが」
「じゃあ明日、早速使ってみてもいいですか?」
「気が早いな」
「だって早く試したくて」
「それはまあ、そうだ」
笑いながら先生は「ちょっと待ってろ」と言って、研究室のほうへ行ったかと思うとすぐに戻ってくる。
「時間割を確認したら、明日は最後の授業が魔法薬学だからそのタイミングで使ってみたらどうだ? すぐに帰らないでうろうろしてれば、向こうから網に引っかかってきそうだし」
「名案ですね」
「俺も直接効果のほどを確認したいしな」
ちょっと悪そうに微笑む先生は、楽しそう。先生が楽しそうだと、私もうれしくなる。
「うまくいったら、論文にして学会に発表すればいい。そうすりゃ、お前がこれからどこで何をするにしても箔がつくだろ」
「いいんですか?」
「いいも何も、お前が考えたんだから。そのときのためにちゃんとした名前は考えとけよ」
「この香水のですか?」
「ああ。さすがに『殿下よけフレグランス』はまずいからな」
余った材料を元の位置に戻しながら、先生はくつくつとずるそうに笑う。
……そんなことまで考えてくれてたなんて、ますます好きになっちゃうじゃない。
先生の用意周到な優しさがうれしい反面、なんだかもう、戻れない気がしていた。




