15 老若男女変身薬
しばらくは『殿下よけハーブ(仮)』の開発も順調に進み、香水タイプの魔法薬を考案することになって『殿下よけフレグランス(仮)』と呼び名も変えてみた。
先生と話し合った結果、今現在材料の候補として挙がっているのは
・『千年滝の水』
・『ティンフラワーの花』
・『相手の毛髪(の一部)』
・『ホーリーネスタの葉』
の四つ。『千年滝』はアエガスの山の中腹にあり、その水は香りとの相性がいいため魔法薬の材料としてよく用いられる素材である。『ティンフラワーの花』は白い花弁の小さな花で、フルーティフローラルの香りに人気があるためこれまたよく使われる。
『相手の毛髪』というのは、実はアルフリーダの開発した『老若男女変身薬』、通称『メタモル薬』にヒントを得ている。
『メタモル薬』は、ひとたび飲めばまったくの別人に姿かたちを変えられるという奇跡の魔法薬。その材料に、変身したい相手の毛髪の一部を用いることで、見た目の完璧な再現が可能になると言われている。
魔法薬の効果に関して、対象を限定したいときには『相手の毛髪』を使うのが最も有効なのは周知の事実。今回もハルラス殿下とマリーナ様だけが異臭と感じるような匂いの魔法薬を作りたいわけだから、二人の毛髪を使うのはある意味必須条件になる。
そして、『ホーリーネスタの葉』である。先生からは「別に要らないような気もするが」と言われたのだけど、なんとなく自分の感覚的には必要な気がして候補に入れている。
だってほら、『ホーリーネスタの葉』には破邪とか破魔の力が宿るとされているわけだから。私にとって殿下とマリーナ様はすでに『邪』とか『魔』に近い存在だし、是非とも『ホーリーネスタの葉』の秘めたる力にあやかりたいのだ。
「ただな、これだけだと不十分なのはお前もわかるだろ?」
腕を組んで眉根を寄せている先生は、なんとも言えない険しい顔をしている。
「このままだと多分、殿下とマリーナ・ノルマンだけに魅了みたいな効果を発揮する香水になっちまう」
「ちょっとそれ、控えめに言って最悪なんですけど」
「『殿下よけフレグランス』というよりは、『殿下ホイホイフレグランス』になるよな」
「うわ、ネーミングセンスも最悪」
「うるせえな」
軽い調子で笑いながら、それでも先生は困ったようにボサボサの頭を掻いている。
「とにかく決め手に欠けるんだよ。最後に一つ、これ、っていう素材がないと『化けない』だろうな」
『化ける』とは、魔法薬学業界でよく使われる用語らしい。材料をすべて調合したとき、劇的な化学変化が起こって唯一無二の魔法薬が完成することを言うんだとか。
「最後の決め手」になる素材を求めて、私はありとあらゆる文献を手当たり次第に探しまくった。先生の研究室に並ぶ本はもちろん、図書館に置いてある魔法薬素材に関する本も読み散らかし、レポート作成でヘロヘロになっているトビアスにも強引に助言を求め、あれこれ手を尽くしたけれど一向に見つからない。
ピン、と来るものが、ない。
その日も万策尽きて家に戻ってきた私は、自室のソファにだらりともたれかかってため息をついた。
今まさに、『産みの苦しみ』を味わっている。そういう気分である。
ぱぱっと簡単にできるなんてもちろん思っていなかったけど、これほどの難産になるとも思っていなかった。こんな偉業を軽々とこなしてきたアルフリーダやラウリエ伯爵家のご先祖様たちは、やっぱり天才ぞろいだったのだなという気がしてくる。
また一つため息をついて、ふと目の前のテーブルに目を向けた。
テーブルの上に置きっぱなしにしてあった本を手に取って、なんの気なしにパラパラとめくってみる。それは先生に酷評された私の愛読書、アルフリーダの『魔法薬素材にまつわる文学的視点』である。
この本、実は魔法薬関連の書籍でありながら魔法薬そのものや調合法のことなんかはほぼ書かれていない。書かれているのは、数々の魔法薬素材が古今東西の歴史書やおとぎ話、わらべうたではどう記され、歌われ、そして現代に語り継がれているのか。その詳細が一つひとつ物語のように綴られているのである。
だからまあ、業界的にウケなかったというのは、なんとなく頷ける。調合とはなんの関係もない、伝承の数々を書き記してるだけだもの。
でも単純に読み物としてみれば、なかなかに興味深い。
例えば『ホーリーネスタ』。
創造主たる神が最初に芽吹かせたと言われる『ホーリーネスタ』は、かつてこの世界全体を覆うほどの大木だったという。その葉からは清々しく清涼感溢れる香りが漂い、人の心を落ち着かせ気分を爽快にする効果があった。そのため人々は長く大木の下で平和に暮らしていたが、『ホーリーネスタ』の恩恵に慣れ過ぎた人間は次第に木の存在を軽視し始め、あるとき傲慢にも切り倒してしまう。『ホーリーネスタ』の癒しの力を失った人間は心の余裕を失くして争いが絶えなくなり、仲違いをしたままやがて世界各地に散ってバラバラに暮らすようになった、という伝承。
この話だけを読んでも、『ホーリーネスタの葉』には癒しの効果があるとされる所以がよくわかる。
大陸の北のほうでは『ホーリーネスタ』の枝を松明にして魔物を追い払った幼い兄弟が出てくるおとぎ話が残っているそうだし、東の島国には不老不死の薬を求めて旅をしていた僧侶が『ホーリーネスタ』と思しき大木を見つけてその葉を国に持ち帰り、高名な薬師になったという昔話があるらしい。
こんなふうに、さまざまな素材にまつわる逸話や伝説が載っているのが面白くて、ついつい何度も読み返していたのだ。
ただ『殿下よけフレグランス(仮)』の考案に着手してからは、この本の存在をすっかり忘れていた。ほかに考えることがありすぎて、呑気に読書に興じている暇がなかったというのもあるけど。
そうしてパラパラとページをめくる私の目に、とある素材の名前が飛び込んできたのは偶然だったのかもしれない。
それは希少な素材ではあるもののそこそこ有名で、でもその効能の多くは謎に包まれている素材――『七色サンゴ』だった。
『七色サンゴ』は、大陸の南端に広がるガエアール海で採取される魔法薬素材である。
『七色サンゴ』が有名になったのは、なんといっても『老若男女変身薬』、通称『メタモル薬』の材料としてアルフリーダに見出されたから。それまでは鮮やかな南国の海を彩る観光スポットの目玉として、人々の歓心を集めていたに過ぎない。
ちなみに『七色サンゴ』が出てくるおとぎ話として誰もが知っているのが、『海の女王エアと不思議な秘宝』の物語である。
――――昔々、海の底には女王エアの住む王城があり、金銀財宝が眠っていると信じられていた。海賊やならず者たちはあの手この手でその財宝を手に入れようとするのだけど、エアはさまざまな秘宝の力を使って次々に海賊たちを撃退していく。そのうちの一つが『七色サンゴ』であり、陽の光を浴びて輝く『七色サンゴ』の力を使ってサメの幻影を見せ、海賊たちを追い払ったと伝えられている。
もちろん、実際の『七色サンゴ』に幻影を見せるような力はない。サンゴはただのサンゴである。言い伝えは、子どもが喜ぶおとぎ話でしかない。
でもアルフリーダはそこに何かを見出して『七色サンゴ』を使うことを思いつき、その結果『老若男女変身薬』という奇跡の魔法薬の開発に成功している。アルフリーダの天才的な直感にはぐうの音も出ないし、そんなアルフリーダが書き残したこの本になんの意味も価値もない、と切り捨ててしまうのはなんだかもったいない気がするんだけどな、と思ったときだった。
はたと、ひらめく。
『七色サンゴ』を材料にする『老若男女変身薬』は、見た目をまったくの別人に変える薬である。
そして海の女王エアの秘宝『七色サンゴ』は、幻影、つまり幻を見せる力を持っていた。
自分ではない誰かに見た目を変えられるという薬の効果は、いわば実際のものではない幻を見せていることにはならないだろうか。
だとしたら、『七色サンゴ』の本当の力とは――――?




