14 殿下よけハーブ(仮)
翌日。
久しぶりに、先生から呼び出された。
「俺もあれからいろいろ考えてみたんだが」
最近のおかしな言動などまるでなかったことのように、何食わぬ顔でソファの向かい側に座る先生。
あれは何だったの、とツッコもうとして、やめた。せっかく元の優しい先生に戻ったのに、薮蛇になってはたまらない。
それに、先生が何かに悩んでいて、でも私は何の役にも立たなかったんだと思うとなんだか無性に苦しくなる。自分の無力さを痛感してしまうから、正直あまり考えたくない。
「『魔物よけハーブ』の材料って覚えてるか?」
そんな私の葛藤なんか知りもしない先生は、けろりと無心な表情を見せる。
「……もちろん、覚えてますけど」
「この前見た通り、『魔物よけハーブ』は火をつけて燃やすことで魔物の嫌がる匂いを発生させる。『煙菊』もそうだし、『イエローグラス』とか『リンネラ』とかのハーブも燃やすと魔物にとっての刺激臭が出るらしい」
「『焼却処分した魔物の灰』っていうのもそうなんですか?」
「ああ。『魔物よけハーブ』が考案される前は、焼却処分した魔物の灰を森とか山とかに直接撒いていたそうだ。まあ、民間伝承的な知識なんだろうな。でも直接撒くより、灰を燃やした匂いのほうが撃退効果があるとわかったことが画期的だったらしい」
「じゃあ、『ホーリーネスタの葉』は?」
待ち構えていたかのように、ずっと聞きたかったことを口に出す。
「ああ、あれな。あれを入れることを考えついたやつはほんと天才だよな」
「ご先祖様なんでしょ?」
「ご先祖っていうか、アルフリーダだけどな」
しれっと重大発言をする先生に、私は思わず立ち上がる。
「は? 何それ! この前はそんなことひと言も……」
「まあ、言おうかなとも思ったんだけどさ、言ったら言ったでこれもアルフリーダなのかよってツッコまれそうだし」
「そんなツッコミしませんよ」
「お前の先祖はアルフリーダしかいないのかよ、とか思われそうだし」
「そんなこと思いません」
「それにほら、これもアルフリーダだってなったらお前はアルフリーダのことを教祖か何かみたいに崇拝しかねないだろ?」
「アルフリーダのことなら、とっくに崇拝してますよ。私の愛読書知ってます?」
「なんだよ?」
「『魔法薬素材にまつわる文学的視点』です」
「は? お前あれ読んだの? 魔法薬学業界的には全然ウケなかったのに? しかも売れなさすぎてすぐ絶版になったんだぞ」
「え、そうなの?」
「あの本はアルフリーダがお遊びで出したって言われてるくらいなんだよ。大体、魔法薬学は繊細さと芸術性が求められる神聖な科学、と言われてる。科学と文学は、いわば相反するものだろ?」
「それは、そうですけど……」
先生の言葉になんとなく納得がいかない。でも、反論もできない。なんか悔しい。
「まあ、『魔物よけハーブ』に『ホーリーネスタの葉』を使うなんて、『異端の天才』と呼ばれたアルフリーダでなきゃ考えつかなかっただろうけどな」
「どういう効果があるんですか?」
「『ホーリーネスタの葉』を燃やしたときに出る煙が、魔物の攻撃性とか闘争本能を弱める効果があるんだよ。そもそも『ホーリーネスタ』自体、破魔とか破邪の力が宿るとされてるだろ?」
「ああ、そうですね」
「でも人間の身体機能の回復に効果があるとされる『ホーリーネスタ』が魔物よけに転用できるなんて、不思議なもんだよな」
そういう、思いもよらない発想をするところがアルフリーダを天才たらしめてるわけよ。と烏滸がましくも思った。けど言わなかった。なんかまた馬鹿にされそうだし。
ちなみに、『ホーリーネスタ』の木はかつてこの世界を創造した神が最初に芽吹かせた植物だという逸話がある。破魔とか破邪の象徴とされているのは、そういう由来があるからこそ。
「この前も言った通り、『魔物よけハーブ』を参考にするっていう着眼点はいいと思うが、できたものを燃やすことはできない。でも、匂いってのは有効な手段じゃないかと思うんだよな」
ダサい眼鏡のブリッジを人差し指でくいっと上げて、先生がしたり顔をする。
「匂いですか?」
「ああ。殿下やマリーナ・ノルマンだけが近づけなくなるような匂いを発生させる魔法薬、ってのがあったらいいと思わないか?」
「……『魔物よけハーブ』みたいに、ほかの人にとっては無害だけどその二人にとっては尋常じゃない異臭を発生させるとかそういう感じ……?」
「まあ、そうだな」
「でもそれって、可能なんですか?」
「知らん」
がくっと肩を落とすと、先生は無遠慮に高笑いする。
「できるかどうかはわからんが、やってみる価値はあるだろ? 面白そうだしな」
「先生、なんか異常にポジティブじゃない?」
「俺は生まれ変わったんだよ」
「は?」
なんだそれ。急に何を。と思ったけど、妙に吹っ切れた顔をする先生を見たら、まあいいかと思えた。
それから私たちは、改めて『殿下よけハーブ(仮)』の開発に挑み始める。
「匂いを発生させるってことは、お香とか香水とかそういう方向性で考えればいいのかな?」
「お、なかなかいい発想だな」
そんなわけで、私は引き続き図書館に通ってはお香や香水に関する本を片っ端から広げるようになり、先生は先生でラウリエ伯爵家の秘密の書庫に潜ってはご先祖様たちの秘伝の調合法を調べてくるという日々が続いた。
トビアスは図書館で顔を合わせるとレポートの進捗状況を逐一報告してくれたけど、会うたびに目の下のクマがひどくなっていった。提出期限まであと一か月を切ったし、そろそろ大詰めといったところだろう。
そんな中、驚いたことに一時は鳴りを潜めていたハルラス殿下の襲撃が再燃する。
といっても、以前のような突発的で一方的な猛攻ではない。廊下やカフェテリアで見かけるとごくごく自然に近寄ってきて、
「やあ、ルーシェル嬢。元気かい?」
なんて、非の打ち所がない紳士的な態度で挨拶される。だから、返事をしないわけにはいかなくなる。
そもそも近づくなって言われてるんじゃなかったっけ? とは思うものの、大して害があるわけではないから抗議するのもなんだか気が引ける。
ただ、しつこい。
たまにならいい。時々だったら、我慢もできる。でも一日に何度も声をかけられたら、さすがに鬱陶しい。
しかも私が鉄壁の愛想笑いで殿下に対峙していると、どこからかその様子を聞きつけたマリーナ様が殿下めがけて突進してくるのだ。殿下はすでにマリーナ様への気持ちが冷めているのか(それもそれでどうかと思うけど)、かなり他人行儀な態度で接している。それが不満なマリーナ様は「ハル様、お会いしたかったです!」なんてハルラス殿下に媚びを売ったかと思えば、「ルーシェル様は、最近トビアス・ブレグダン伯爵令息と仲がよろしいのですね!」なんていちいち余計な情報をぶち込んでくるからやっぱり鬱陶しい。
ほんとにもう、放っておいてくれないかな。放置でいいのに。
「殿下は一体、どういうつもりなんですかね?」
結局、またこうやって先生の研究室に隠れる羽目になっている。
「まあ、心を入れ替えて、正攻法で行くことにしたんだろ」
秘密の書庫から持ち出したたくさんの調合法リストに目を通しながら、先生は表情も変えずに答える。
「正攻法ってなんですか?」
「ハルラス殿下は陛下から、いい加減新たな婚約者を決めるよう急かされてるんだよ。でも自分にはやっぱりルーシェルしかいないって突っぱねて、お前の気持ちを取り戻そうと躍起になってるらしい」
「は? どこ情報ですかそれは」
「姉上だよ。陛下に謁見したときに、愚痴られたそうだ」
「なんですかそれ。しつこいしキモい」
「キモいって、好きだったんじゃないのか?」
先生のラベンダー色の瞳が、どういうわけか一瞬翳りを帯びたように見える。
「好き……でしたね、多分」
「多分?」
「今になってみると、私は殿下のことを何もわかってなかったような気がしてるんです。優しくて穏やかな人だと思ってたけど、マリーナ様にうつつを抜かして私を傷つけておきながら、それでも許してくれると思ってたってどういう神経なのかなって。まるで、私には何をしてもいいと思ってるみたいじゃないですか? そんな傲慢な人は、『優しい』とは言えないんじゃないかと」
「そうだな」
「ああいう人は、同じことを二度三度と繰り返すと思うんですよ。妻がいながら浮気を繰り返して、そのたびにごめん、許して、本当に好きなのは君だけだから、とか言って。そういうの、ほんとに勘弁してほしいんで」
「そりゃそうだ」
「とにかく正攻法でもなんでも、私の気持ちは変わりようがないので諦めてほしいです。じゃないとマリーナ様まで毎回出てきて、もう面倒くさい」
大きくため息をつくと、先生は可笑しそうにふふっと笑う。
「じゃあ、『殿下よけハーブ(仮)』を早く完成させないとな」
「ですよね」
なんて愛想よく相槌を打ちながら、こうやって先生とあーでもないこーでもないと他愛のない話をする時間が永遠に続けばいいのにと、心の片隅で思っていた。




