12 ケルベロスの牙
それからしばらく、ハルラス殿下の突撃を受けることはなかった。先生の言葉でちょっとは反省したのだろう。
そうなると『殿下よけハーブ』の必要性はなくなったかと思いきや、今度はマリーナ様の襲撃が増え始める。狙ったように私を見つけ出しては、「ハル様を返してください!」とか「私たちは真実の愛で結ばれてるんです!」とかわけのわからないことを叫んで騒ぎ出す。殿下に輪をかけて話が通じないから、まったくもって手に負えない。
というわけで、これはやっぱり『殿下よけハーブ』(『マリーナ様よけハーブ』ではいまいち語呂が悪いので、便宜上『殿下よけハーブ』と呼んでいる)の開発が急務なのでは、と思い至った私は世界でもトップクラスの蔵書を誇る学園の図書館に通うようになった。
まずは発想の大元になった『魔物よけハーブ』と魔物そのものについて、もう少し知識を得たほうがいいのでは、と言われたからである。
「魔物に関してなら、図書館に行ってみたほうが早いと思うぞ」
先生に勧められ、現在私は魔物に関する蔵書を片っ端から広げている。
魔物が北方の山岳地帯に生息していることは知っていたけど、その種類や詳しい生態、魔法薬の材料として用いられるようになった経緯なんかは知らないことばかり。でも知れば知るほどどんどん好奇心を刺激され、果ては魔法薬とはほとんど関係のない、魔物にまつわる神話の本にまで興味が湧いてくる。
ここ何日かで魔物博士にでもなったような尊大な気分になり、借りていた本を本棚に返そうとしていたときだった。
「あの、それ……!」
声をかけられて振り返ると、見たことのあるようなないような、背の高い令息が私の持っていた本を指差している。
「返すなら、僕に貸してほしいんだけど……!」
「え? あ、どうぞどうぞ」
どうやらこの本をずっと探していたらしい。何やらひしひしと、切羽詰まったものを感じてしまう。
本を手渡された令息は、「よかったー……」と言いながら早速目次を開き、そのままの勢いで目を通し始める。時折「あ、書いてない」とか「いや、それじゃないんだよ」とか、ぶつくさ言っている。
ちなみに、手渡したのは『魔物系素材の歴史と発展』という専門書である。タイトル通り、いわゆる魔物系素材が魔法薬の材料としてどんなふうに用いられるようになったかが書かれているのだけど。
目当てのものが見つからなかったらしい令息は、少し乱暴に本を閉じて「あー……」と嘆いた。
「何を探してたんですか?」
つい、尋ねてしまう。
だって、本のタイトルからして明らかに魔法薬に関する何かを探してるんだもの。同志として、興味を持たずにはいられない。
「え? ああ……」
話しかけられて一瞬面食らった令息は、それでも冷静に真面目な顔で答える。
「実は今、進学のためのレポートを書いていて」
「レポート?」
「ウイアル公国の学園に進学したいと思ってるんだけど、そのためにはレポートの提出が義務づけられてるんです」
言われて、思い出す。先生もそんなようなこと言ってたっけ。確か、『魔法薬の材料となる素材を一つ選び、その応用的実践について論じること』なんていう結構ハイレベルな課題内容だったはず。
「もしかして、君も進学を考えてるの?」
同志を見つけたと気づいたのか、令息の目が突然期待に溢れ出す。
「そういうわけじゃないんだけど、ちょっと魔物系素材のことを知りたくて」
「魔物系素材!? どんな!?」
「これ、というのがあるわけじゃなくて、魔物系素材に関する全体的な知識がほしいというか……」
「そっかー。僕はレポートの主要テーマとして、『ケルベロスの牙』を選んだんだけど」
そこから、なぜか令息の講釈を存分に聞かされる羽目になった。見ず知らずの令息は、『ケルベロスの牙』に関する基本情報から素材としてのポテンシャルまでかなりの前傾姿勢で説明し続ける。
そしてひとしきり話し終えてから、いきなり何かに気づいて慌てふためいた。
「あ、なんか、一方的にすみません! 僕はブレグダン伯爵家が次男、トビアス・ブレグダンと言います」
恥ずかしそうに頭をかきながら、目の前の令息は人のよさそうな笑みを見せる。
「私はフォルシウス侯爵家が長女、ルーシェル・フォルシウスです」
「もちろん存じ上げてますよ」
「え?」
「才色兼備な稀代の才女、ルーシェル・フォルシウス嬢を知らない者などこの学園にはいませんよ。しかも君って、魔法薬学の成績はいつもトップじゃないですか。僕がどんだけがんばっても勝てた試しがない」
おどけたように言いながら、令息は「僕のことはトビアスと呼んでください」と屈託なく笑う。
面と向かって褒められて、どうにも身の置き所がない。悪い気はしないけど、だいぶ照れる。
それから私たちは、お互いの興味関心についてしばらく意見を交わすことになった。私が『魔物よけハーブ』と魔物について調べていると話すと、トビアスは自分の借りていた本の中で役に立ちそうなものを貸してくれた。
トビアスは『身体強化薬』に興味があって、『ケルベロスの牙』を使った『身体強化薬』を開発できないかという壮大な研究テーマを掲げているらしい。数ある『魔物系素材』の中でも『ケルベロスの牙』を選んだ理由を延々と聞かされ、やっと解放された私は帰る前に先生の研究室に立ち寄った。
「成果はあったのか?」
「今日のところはあんまり……。あ、でも役に立ちそうな本をトビアスが貸してくれました」
「トビアス……?」
先生の顔色が、さっと曇る。見たこともないほど暗い影が差した気がして、でも次の瞬間には元に戻った。
「……トビアス・ブレグダン伯爵令息か?」
「そうですそうです」
「知り合いなのか?」
「さっき知り合ったんですよ。ウイアル公国の学園に進学するためのレポートを書いてるらしくて、それでちょっと話をしたんですけど」
「ああ、そうだったな」
先生はいつもの通りあのまずい紅茶を淹れてから、残り少なくなってきた『なんでも美味エッセンス』を一滴たらす。
「そういえば少し前に、何回か進学の相談に来てたよ。レポートの研究テーマのことも相談されて、幾つかアドバイスしたが」
「そのレポートのことはもちろん、やたら食いぎみで魔物系素材についてあれこれ説明されたんですよ。まあ、面白かったですけどね」
「あいつも魔法薬学の成績はいいからな。一つのことにのめり込んで追究しようとする気質だから、研究職に向いてんじゃねえか?」
「ですよね。先生もウイアル公国の学園に進学したんだったら、レポートを書いたってことですよね? どういう内容だったんですか?」
なんの気なしに聞いてみると、途端に先生はバツの悪そうな顔をする。
「え、それ、言わないとダメ?」
「言いたくないんですか?」
「そういうわけじゃないが……」
珍しく歯切れが悪い。そんな反応、あまりお目にかかれないもんだから悪戯心がむくむくと騒いでしまう。
「言いたくないわけじゃないなら、教えてくださいよ」
「えー……?」
先生は何かを誤魔化すように、視線を彷徨わせる。
そして数秒後、諦めたようにゆっくりと口を開く。
「……レポートのタイトルは、『ホーリーネスタの葉と完全万能薬の可能性』だ」
「え……? 完全万能薬?」
「ちなみに研究科の卒業論文のタイトルは、『完全万能薬の可能性と生成過程に関する一考察』だ」
「……先生も、完全万能薬に興味があったの……?」
驚いて目を見開く私を、先生はちょっと恥ずかしそうな、それでいて何か面白いものでも見るかのような表情で眺めている。
完全万能薬とは。
身体的な怪我や病気も精神的な不調も、一気に同時に治癒・回復させてしまう夢のような魔法薬である。
もちろんそんなもの、現実には存在しない。その希少性は、不老不死の薬や生き返りの薬なんかと同等だと評価されている。だからこそ、それ一つで心身両方の万全な健康を手に入れることができる完全万能薬は人々にとって究極の願いの一つである。
私が去年の学年末のレポートでテーマにしたのも『完全万能薬』。最初にここに来た日に先生がそのレポートを絶賛してくれたけど、まさか先生にとっても『完全万能薬』が主要な研究テーマだったとは。
なんだかじわじわと、言葉にできないうれしさがこみ上げてくる。
「先生」
私は思わず、口角を上げた。
「私たち、気が合いますね」
「どうだかな」
言いながら視線を逸らした先生の横顔が、ほんのりと色づいたように見えたのは夕日のせいだろうか。




