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11 魔物よけハーブ②

 その後授業に行っても、先生の言葉が頭から離れなかった。



 『魔物よけハーブ』とはその名の通り、魔物が寄ってこないようにするための魔法薬の一種である。



 大陸の北のほうの山岳地帯には、今でも魔物が生息しているという。魔物は時折山から下りてきて人々の生活を脅かすことがあり、それを防ぐために使われるのが『魔物よけハーブ』である。



 ちなみに、『恋心粉砕薬』の材料である『ガーゴイルの角』もその山岳地帯で採取される。というか、魔物由来の魔法薬の材料である『魔物系素材』はすべて、この山岳地帯で行われる定期的な魔物討伐の際に採取される。『ガーゴイルの角』もそうだし、『ケルベロスの牙』とか『ワイバーンの爪』とか『ロック鳥の羽』とかもそう。



 そんな『魔物よけハーブ』を応用して、特定の人物(要は殿下やマリーナ様なんだけど)だけが寄ってこれなくなるような魔法薬を作れたら。



 そうしたらもう、こんな煩わしい思いをしなくて済むのでは?



 思いついたらもう止まらない。放課後になった瞬間、私はまたしても先生の研究室に駆け込んでいた。



「お前、一日に何回来るんだよ」



 なんてちょっと呆れ顔だけど、先生はどこか楽しそうでもある。



「先生がさっき言ってた『魔物よけハーブ』を応用して、『殿下よけハーブ』を作れたらなと思って」

「『殿下よけハーブ』? すごいネーミングだな」

「もちろん、殿下だけじゃなくてマリーナ様よけでもあるんですけど」

「要するに、あいつらだけを遠ざけることのできる魔法薬ってことか」

「はい」



 先生は私の荒唐無稽な相談を馬鹿にする様子もなく、無精髭をいじりながら思案顔をする。



「俺もあのあと、同じようなことを考えてはいたんだが」



 そう言って、机の上に置いてあった本を手に取り栞の挟まれた箇所を開いた。



「そもそもお前、『魔物よけハーブ』とはどんなもので、どんなふうに使うのか知ってるか?」

「うーん、あんまり」

「ここ見てみろ」



 先生が指差したページには、『魔物よけハーブ』の材料と使い方の概要がこう書かれていた。



 〈材料〉

 ・『煙菊(けむりぎく)

 ・『焼却処分した魔物の灰』

 ・『ホーリーネスタの葉』

 ・『イエローグラス』

 ・『リンネラ』

 ・『ガラニウム』


 〈作り方と使い方〉

 ・『魔物の灰』以外の材料を乾燥させて砕き、粉末状にする。

 ・すべての材料を麻袋に入れ、魔物が出没する場所に設置する。

 ・袋ごと火をつけると魔物が嫌う匂いを発生させるため、魔物を遠ざけ撃退することが可能。



 ざっと目を通して、思わずつぶやく。



「……『魔物よけハーブ』って、火を使って燃やす必要があるんですか?」

「そうなんだ。燃やすことで、人間には無害だが魔物にとっては相当な刺激臭が発生するらしい。特殊な調合をするわけじゃないから厳密な意味では魔法薬とは呼べないが、発案者がラウリエ家の人間だったということもあって一応魔法薬ということになっている」

「さすがはラウリエ家。天才の宝庫ですね」

「俺もその一人だが」

「残念ながら先生はカウントされてません」



 軽口をたたき合いながらも、お互いの渋い顔は否定できない。



「ということは、もしうまくできたとしても学園の中で使うのは無理そうですね」

「まあ、火事になっても困るしな」

「えー、いい案が浮かんだと思ったのにー」



 落胆も露わに大声で叫ぶと、先生はからからと笑う。



「でも発想自体は面白いと思うし、もうちょっと現実的な方向で考えてみたらどうだ? 俺もできるだけ協力するから」

「いいんですか?」

「乗りかかった船だろ」



 そういえばはじめの頃にも同じようなことを言われたなと思いつつ。



 面倒くさがりなくせに、意外なほど面倒見がいいのよね、とも思う。



「わかりました。私も少し調べてみます」

「おう」

「つきましては、先生。正門の辺りまで送ってほしいんですけど」

「は? なんで?」

「だって、殿下やマリーナ様がまだうろついてるかもしれないし」

「あー……」



 盛大に眉をしかめて、ため息をつく先生。ボザボサの頭をかきながら「しょーがねえなあ」なんてつぶやく先生に、ついニンマリとしてしまう。



 そうして研究室を出て、ちょっとびくびくしながら廊下を歩く。「俺がいるんだから大丈夫だろ」なんて笑われながら、最初に先生とぶつかった廊下の角を曲がった瞬間だった。



「ルーシェル!」



 なんと、嫌な予感が見事に的中する。



 悲壮感の漂う声に身構えると、警戒していた通りハルラス殿下がどこからか滑り込んでくる。



「ルーシェル、頼む! 話を聞いてくれないか?」



 近づいてはならないと言われてるはずなのに、平然と距離を詰めてくる殿下。



 美しい金髪もペリドットの目も、今となってはなんだか色あせ、見る影もない。隣に立つダサくて野暮ったいラウリエ先生のほうが、まだマシに見えるほど。



 それにしても、今更ながらこの人の頭の中はどうなってるのだろう。



「ルーシェル!」

「ハルラス殿下」



 近づく殿下から私を守るように立ちはだかった先生は、だるそうな声で言う。



「恐れながら、ルーシェル・フォルシウスには今後一切近づいてはならないとの王命が――」

「ラウリエ先生には関係のないことでしょう!」

「いやいや、学園生の安心安全を守るのは我々教職員の務めですよ?」

「僕はただ、ルーシェルときちんと話をしたいだけです! 安心安全を脅かすつもりなどない!」

「もう充分脅かしてると思いますけど」



 先生がわかりやすく小馬鹿にしたように苦笑すると、ハルラス殿下はますます感情を昂らせる。



「ラウリエ先生、余計な口出しはやめていただきたい! 僕は自分の婚約者と話がしたいだけで、そのように茶々を入れられては不愉快極まりない!」

「は? ルーシェル・フォルシウスとの婚約は解消になったはずでは?」

「僕は了承していない!」



 え?



 了承してないって……。え?



 私と先生は黙って顔を見合わせる。 



「婚約解消は陛下と宰相が勝手に決めたことだ! 僕は了承していないし、ルーシェルと一度も話すことなく解消が決まってしまうなんておかしいじゃないですか!」



 自分の言葉が正論だと信じて疑わない殿下の様子に、私も先生も唖然としてしまう。



 まあ確かに、一般的にはそうなんだけど。でも今回の場合、別の令嬢に懸想した挙句長いこと私を放置していた自分勝手な所業がこの事態を招いたのは明白なんだし、そこに話し合いの必要なんてあるのだろうかと思う。自業自得じゃないの。



 不快な気分だけがどんどん膨れ上がっていくのを感じていると、先生が面倒くさそうに言い返す。



「あのですね、殿下」



 その声は、明らかに冷たい棘を含んでいた。



「そんなもっともらしいことをおっしゃいますけどね。ほんとはルーシェルに直接謝って許してもらって、また婚約を結び直せれば立太子が叶うとでも思ってるんでしょ?」



 ズバリと切り込まれ、「あ、いや……」とわかりやすく目を泳がせる殿下。



 私はと言えば、また先生に「ルーシェル」と名前呼びされたことで突然熱を持った頬に慌てていた。それどころじゃないってのに。でもなんだか妙に、心臓が落ち着かなくなってしまう。



「殿下の魂胆なんて、みんな気づいてますよ。本来なら、卒業後の立太子は確実視されてたんですから。それを台無しにしたのはご自分でしょう?」

「ち、違うんだ!」

「え? 違うんですか? じゃあ立太子は別にしなくてもいいんだ?」

「いや、それは、その……」

「どっちなんですか」



 相手は第一王子だというのに、先生ってば容赦がない。というか、多分先生は途中から(いや、最初から?)ただ面白がってるだけのような気がしないでもない。



「り、立太子のこともあるが、それだけじゃない! 僕ははじめから、ルーシェルとの婚約を解消する気なんてなかったんだ……!」

「え、じゃあどういうつもりでマリーナ・ノルマンといちゃこらしてたんですか?」

「そ、それは……その……。天真爛漫なマリーナがまぶしくて、どんどん惹かれてしまって……。ほかのことが目に入らなくなるくらい夢中になって……」

「ほう」

「で、でも、マリーナは可愛らしいし一緒にいるのは楽しいが、結婚するのはルーシェルだと心に決めていた。これまでずっと、二人でがんばってきたんだ。その努力を無駄にすることなどできないし、妻として相応しいのはルーシェルだ。ルーシェルなら、僕のそんな想いをわかってくれているものと……」

「へえ」



 心なしか、先生の声が鋭くなった。声だけじゃなく、目つきもそこはかなく危うさを帯びている。



「つまり殿下は、どうせ将来結婚するんだから学生時代の浮気くらい目をつぶってほしいし、ルーシェルなら黙って許してくれるだろうと高を括っていたわけですね」

「そ、そういうことでは――」

「そういうことでしょう?」

 


 ぴしゃりと言い切った先生の声が、真っすぐに殿下に突き刺さる。



「将来を共に歩む気だったのなら、なおさら蔑ろにしてはいけなかったのですよ。あとで大事にするから今だけ我慢してほしいなんて、そんな身勝手な理屈が通用するわけないでしょう?」



 言葉の刃に貫かれ、殿下は「う……」と呻いたまま何も言えなくなる。



 立ち尽くす殿下を前に、先生の手が優しく私の背中に触れる。「行くぞ」と促され、私たちは殿下を置き去りにしたままその場をあとにする。



 「甘えてんじゃねえよ」とつぶやいた苛立ちを抑えきれない声は、気のせいだったのかもしれない。



 













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