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10 魔物よけハーブ①

 私とハルラス殿下の婚約が解消になって、数週間がたった。



 残念ながら、学園生活に平和が戻ってきたのは最初の一週間だけ。その後、実は二つの問題に直面している。



 まず一つ目。



 殿下との婚約が解消になったことで、当然と言えば当然なのだけど私の将来がまったくの白紙状態になってしまった。



 当初の予定通りなら、卒業後恐らく立太子したであろうハルラス殿下と婚姻し、王太子妃として公務に励んでいただろう。でもそんな日はもう一生来ない。来るわけがない。



 とは言え、学園の最終学年に在籍する私がこれから新たな婚約者を探すというのは、いささか難儀なことである。すでに婚約が決まっている令息も多いし、自分の気持ちとしても、はい次の人、とはなかなかならない。



 そんなわけで、今私は自分の今後の進路というものに頭を悩ませている。



「そこまで悩む必要あるか? 殿下との婚約が解消になった途端、すごい数の釣り書きが来てるって聞いたぞ」



 揶揄うような先生の声に、なぜか苛立ちを覚えてしまう今日この頃。



「見てないのでわかりません」

「現宰相家の令嬢にして当代きっての才女が第一王子との婚約を解消したとなれば、そりゃあ引く手数多だろ。わざわざ元々の婚約を解消してまで釣り書きを送ろうとした令息もいたらしいし」

「興味ありません」

「興味ないってなんだよ? 婚約は大事なことだろ?」

「婚約そのものにもう興味がないんです。父も好きにしていいって言ってますし、今のところ新たに誰かと婚約したいとか思わないので」



 書類の整理をしながら、わざとぶっきら棒に答える。



 殿下との婚約が解消になった直後から、幾つかの釣り書きが届き始めたのはもちろん聞いている。でもお父様は、



「釣り書きを見るも見ないも、婚約をするもしないもお前に任せる。今まで無駄に我慢を強いてきたんだ、これからは自由にしていい」



 得意の仏頂面で言われたけど、不思議と今までみたいに臆することはなかった。



 あとで聞いた話だけど、お父様が婚約解消を申し入れたとき陛下は最初だいぶごねたらしい。あれやこれやと言い逃れを繰り返し、なんとか引き留めようとする陛下に向かって、



「ご了承いただけないのであれば、私は宰相の職を辞します」



 平然と言ってのけ、陛下も渋々折れるしかなかったそうである。



 お母様も弟のアルヴァーも殿下の醜態に関してはかなり以前から不満を爆発させていて、それでも私が何も言わないからどうすることもできずにいた、という話はあとになって聞かされた。



 何も言えずにいたのは、勝手にいろいろ勘違いして拗らせていたせいでもある。それがわかってからは、できるだけ家族とのコミュニケーションをはかることにしている。心なしか、家での会話は増えたような気がするけど。



「婚約したいと思わないって、だったらどうすんだよ?」

「だからそれを悩んでるんですよ」



 結局、『恋心粉砕薬』の調合は保留になったにもかかわらず私の研究室通いは続いていて、部屋の掃除や片づけなんかの雑用もそのまま私の仕事になっている。最近では次の授業の準備とかちょっとした調合の手伝いなんかもしてるから、実質助手と言っても過言ではない(と勝手に思っている)。



「婚約とか結婚とかは一旦置いといて、私はこれからも魔法薬に携わっていきたいと思ってるんです。そのためにどうすべきかを悩んでるんですよ」



 そう。



 殿下とのしがらみがなくなってから私はますます魔法薬の虜になり、どんどん神秘の世界にのめり込んでいる。今私の頭の中は、魔法薬のことしかない。これを生業にするにはどうしたらいいのかとあれこれ調べた結果、現状選択肢は幾つかある。



 一つ目は、『ラウリエ魔法薬開発研究所』に入ること。



 『ラウリエ魔法薬開発研究所』とはラウリエ家当主ロヴィーサ様が所長を務め、さまざまな魔法薬を開発・精製して世に広めている研究機関である。魔法薬に関しては第一人者であるラウリエ家が直接経営しているため社会的な信頼度も高く、魔法薬学を志す若者にとっては憧れの就職先の一つでもある。



 二つ目は、隣国ウイアル公国の学園に進学すること。



 この選択肢は、実はラウリエ先生に教えてもらったものである。先生は我が国の学園を卒業したあと、ウイアル公国の学園に進学したらしい。公国の学園には魔法薬学専門の研究科があり、そこで更なる学びを深めることができるという。



 ちなみに、先生は公国学園の研究科を修了し帰国するタイミングで、うちの学園の教員として働かないかと誘われたんだとか。



 そして、三つ目。



「先生が研究室(ここ)で私を助手として雇ってくれたら、全部解決するんですけどね」

「は?」

「それが一番手っ取り早いかなって」

「なんだそれ」



 あわよくば、卒業後もここで先生の助手兼秘書兼雑用係(掃除係とも言う)として残れたら、なんて考えているのだけど、当の先生には相手にされていない。けんもほろろ、取り付く島もない。



「馬鹿なこと言ってないで、真剣に考えろ」

「百パーセント真剣なんですけど」

「真剣なやつはそんなニヤニヤしねえだろ」



 卒業まで、あと数か月。



 その頃には、ここでこうやって先生と冗談を言い合うこともなくなってるんだろうか。



 ほんの少し前まで、ここは私にとって未知の領域、縁もゆかりもないただの研究室だったのに。今ではこの場所こそが、自分の居場所だとすら思える。ここにいて、目の前にむさ苦しくも優しい先生がいる日常こそが、私の求める現実だとさえ思えてしまう。



「んで、次の授業には行かないのか?」

「あー……」

「なんだよ。サボりたいのか?」

「違いますよ。廊下に出たくないんです」

「……あいつら、まだ突撃してくるのか?」

「してきますよ。こっちはコソコソ隠れてるのに、どうしてだか目敏く見つけてエンカウントしてくるんです」



 そして二つ目の大きな問題。それは、今回の騒動の元凶でもあるハルラス殿下とマリーナ様である。



 婚約が解消になったあと、ハルラス殿下は一週間ほど学園に姿を見せなかった。お父様の話によると、私との婚約が解消されるという異常事態に陛下が激昂し、ハルラス殿下に謹慎を命じたらしい。



 漏れ聞くところによれば、殿下もまさか婚約が解消になるとは予想していなかったそうである。いや、逆に、なんで? と思ったのは私だけじゃないはず。あなた、マリーナ様を溺愛していたでしょう? 私のことなんか放置してたでしょう? とツッコみたくなる。



 でも婚約はあっさり解消され、殿下の立太子の話もなくなった。ハルラス殿下と六歳年下のギルロス殿下、どちらが王太子として相応しいのか、最終的な判断はまだなされていない。



 そうこうしているうちに謹慎が解け、学園に復帰したハルラス殿下。あろうことか、廊下で私を見つけるとここぞとばかりに突進してきたのだ。



「ルーシェル! 僕が悪かった! 婚約解消は取り消してほしい!」



 土下座でもしそうな勢いで迫ってくる殿下、マジで怖かった。



 婚約者でなくなったとはいえ、相手は一国の第一王子。話しかけられて無視することもできず、私は仕方なくため息をついた。



「ハルラス殿下。私たちの婚約はすでに解消されたのですから、呼び捨てにするのはおやめください」

「そんな! ルーシェル! 僕が間違ってた! マリーナにかまけて、君を蔑ろにしていたことは謝るから!」



 謝られたところで、もう一ミリも気持ちは動かないんですけど。



 この突撃を受け、すぐさまお父様に相談すると間髪を入れず王家に対して正式に抗議してくれた。これでひと安心、となるかと思いきや。



 抗議を受けても殿下は怯むことなく無意味な突撃を繰り返し、接触を試みようとする。陛下からも厳重注意を受け、私に近づいてはならないと言われているはずなのに。



 そしてそんな殿下を、まわりの生徒たちも呆れ返って眺めている。最近では、「ルーシェル様、あちらに殿下がいらっしゃるので避けたほうがよろしいかと」なんて教えてくれる人もいる。



 しかも、厄介なのは殿下だけではない。私を追いかけ回す殿下に捨て置かれることになったマリーナ様からも、因縁をつけられているのである。マリーナ様とは学年が違うから殿下ほどではないけど、それでも私を見つけると突撃してくる。「ルーシェル様、いい加減ハル様を解放してください!」とか「私たちに嫉妬して、ハル様の気を引こうとするのはやめてください!」とか。もう言ってる意味がわからないし、彼女とは話が通じないからカオスでしかない。



 そんなことが続いているものだから、私は隙あらばここに潜むしかないのである。そしてチャイムが鳴ってからさささっと移動する。東国にいると言われる忍びの者みたいにコソコソと。



 本当にもう、鬱陶しいことこの上ない。



「どうにかならないものでしょうか……?」

「『魔物よけハーブ』みたいに、あいつらだけが寄ってこれなくなるような薬があればいいのにな」



 …………ん?



 



 






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