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審判の日

作者: 土屋正裕

西暦2045年、第三次世界大戦で東京は核攻撃を受ける。放射能汚染から逃れるため、中学生の沢木涼介は決死の東京脱出を図る!

審判の日


令和27年(2045年)8月11日(金曜日)。


大日本帝国の敗北によりもたらされた第二次世界大戦の終結から100周年となるこの年、国際情勢は風雲急を告げていた。

アメリカ合衆国とロシア連邦の対立が激化し、近いうちに核戦争が始まるのではないかとの噂がしきりに飛び交っていた。

沢木涼介(さわきりょうすけ)(15歳)は自宅地下のシェルターで目を覚ますと、日課のニュースをチェックする作業のためパソコンの電源を入れた。

シェルターは核攻撃にも耐えられる構造で、家族4人が中で長期間生活できるように設計されていた。

トイレ、冷蔵庫、電子レンジ、空調システムが完備され、インターネットも使用可能。非常用電源も用意されている。

2ヵ月分の水と食料も備蓄してある。ここに籠もって核爆発をやり過ごせば、あとは残留放射能が減るのを待てばいい。

「放射能と言っても大したことはないんだ。放射性ヨウ素の半減期(放射能が半分に減る時間)は8日だ。つまり、1週間もたてば放射性ヨウ素はほとんど消えてなくなる。問題は寿命の長い核種だが、セシウム137は30年。ストロンチウム90は29年。プルトニウム239は2万4千年もある。セシウムは血液に溶けて心臓発作を引き起こし、ストロンチウムはカルシウムに似ていて骨に入り癌や白血病を引き起こす。プルトニウムは吸い込むと肺がんになる。しかし、セシウムやストロンチウムはデトックスできる。ベントナイト(土の一種)とクロレラを飲んで体内を浄化すればいい。プルトニウムは重くて遠くまで飛ばないから、それほど心配する必要はない。海藻を食べてヨードを摂取すれば放射性ヨウ素で甲状腺をやられることもない。だから、放射能を必要以上に怖がることはないんだ」

涼介の父親・耕太(こうた)(50歳)は祖父の代から続く開業医で、涼介は父から放射能に関する知識を叩き込まれた。

耕太は40代から書き始めた恋愛小説が公募新人賞を獲得し、中年男女の不倫を描いた『禁断の果実』が大ヒット。映像化もされた。

莫大な印税で耕太は東京の渋谷に500坪の豪邸を建て、地下に核シェルターを築いた。

「近いうちに戦争が始まる。日本人はどうしようもないほど平和ボケしているが、今に間違いなくとんでもないことが起きる」

というのが耕太の口癖であった。


この夏、核戦争の危機が迫っていると直感した耕太は仕事を辞め、家族をひそかにシェルターに避難させた。

涼介は中学生だったが、自宅にシェルターがあることは誰にも言わなかった。

「うちにそんなものがあるなんて知られてみろ。いざとなったら、みんな押し寄せて何もかも奪われてしまうぞ」

耕太が厳しく口止めをしていた。

「うちだけ助かってもいいのかよ。みんなはどうなるんだよ。それでも医者かよ」

と反発する涼介に、

「いいか、涼介。人間というのは皆、自分勝手な生き物なんだ。困ったときに助け合うのは世の中が平和な時だけだ。いざとなればみんな、自分のことしか考えなくなる。戦争や災害で焼け出されて、それでもみんなが助け合うなんてのは幻想だ。うちに水や食料やお金があるのを知れば、それを奪おうとしてみんなが襲ってくる。普段は仲良くしていても、人間は非常時に信じられないほど残酷になる。人間ほど恐ろしいものはないんだよ」

さらに耕太はこう付け加えた。

「何があっても人は誰も助けてくれない。涼介、お前の味方はお前だけだ」


涼介がシェルターの自分の部屋でパソコンに向かっていると、机の上に置いてあるスマートフォンがぶるぶると震え出した。

「Jアラートだ!」

涼介は得体の知れない恐怖を覚えた。

全国瞬時警報システム(通称J-ALERT)は、大規模な災害や日本が武力攻撃を受けた場合、国民保護のため必要な情報を通信衛星を利用したネットワークで知らせるシステムである。


「午前8時45分ごろ、日本列島に向けて何らかの飛翔体が発射されました。国民の皆様はただちに命を守る行動をとってください」

スマホの画面に流れる文字列を読み取りながら、

「お父さん!核戦争が始まったよ!」

と涼介が叫んだ。

「みんな、ベッドに入れ!頭から毛布をかぶってじっとしているんだ!」

怯えている母親の浪江(なみえ)(45歳)と妹の瑞穂(みずほ)(10歳)を涼介はベッドの中に押し込んだ。

「着弾まで3分しかないぞ!衝撃に備えるんだ!」

耕太が叫んで部屋のドアを叩きつけるように閉めた。


ロシアの首都モスクワから東に約1800キロメートル離れたウラル地方コスビンスキー山。

山の地下深くに建設された核ミサイル発射基地から一発のロケットが打ち上げられた。

このロケットから発せられる電波信号に応じて、ロシア各地の核ミサイル基地から300発もの大陸間弾道ミサイル(ICBM)が発射された。

同じ頃、北海道北東沖約500キロのオホーツク海。

水深450メートルの深海に潜むロシア海軍のボレイ級原子力潜水艦にも核ミサイルの発射命令が出された。

この原潜には16基の核ミサイルが搭載されている。

ロシアの大型ICBM「サルマト」はMIRVという多弾頭システムを採用しており、1発に16個の核弾頭を搭載している。

1発が800キロトン(広島市に投下された原子爆弾の53倍)もの破壊力を持つ水素爆弾(核融合爆弾)であり、広島と長崎に投下された原子爆弾(核分裂爆弾)を起爆剤とする。

核弾頭はいったん地球の外に出た後、大気圏に突入し、音速の20倍もの猛スピードで飛来する。

複数の核弾頭が日本の各都市めがけて別々に飛んでくる。発射を探知できても着弾まで残された時間はわずか数分しかない。

日本の自衛隊が保有するイージス艦や陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」を用いても、極超音速ミサイルを迎撃するのは不可能である。


さて、その時、東京にいる人々はどうなるのであろうか。

午前8時45分、朝からうだるような猛暑の中、都民はいつもと変わらない日常生活を始めていた。

通勤ラッシュがようやく終わり、会社員は冷房の効いたオフィスでホッと一息入れ、ハンカチで額や首筋の汗を拭っていたところだった。

Jアラートが鳴り始め、人々は異変に気付き始める。

だが、この時は何も起きない。どうせ、誤報だろう……。そんな淡い期待が人々の脳裏を占める。

しかし、破滅は静かに着実に迫っていた。

大気圏に突入した核弾頭は断熱圧縮で白く輝き、美しい流れ星のように東京の青い空に一筋の光の線を残した。

人々がそれを目にした次の瞬間、東京の上空600メートルで核弾頭は炸裂した。

弾頭の前部にある原子爆弾が爆発し、放出された中性子と高熱が弾頭後部の水素爆弾を起爆させたのだ。この間、わずか100万分の1秒の出来事だ。

それは都心に人工の太陽が出現したのと同じだ。

大火球の表面温度は30万℃にも達し、爆発からわずか1秒足らずで半径900メートルの大きさに膨らむ。

爆心地にいた人々や建物はすべて瞬時に蒸発する。跡形も残らない。

爆心地には深さ100メートル、直径400メートルのクレーターが残る。周辺の温度は数万℃に達し、周りの空気が音速を超えるスピードで押し出され、強烈な衝撃波が発生する。

火球は3秒ほどで消滅する。が、爆心から放たれる猛烈な赤外線がすべてを焼き尽くす。

爆心地から半径3キロ圏内の人々は影だけ残して消滅する。爆心地から半径11キロ圏内にいる人々は3度の重い火傷を負うことになる。

皮膚は炭化してはがれ落ち、ボロボロになった皮膚が垂れ下がり、血も体液もダダ漏れとなった人々が幽鬼のように水を求めてさ迷い歩くのだ。

熱線の次に襲うのが激烈な衝撃波だ。

熱線には耐えた鉄筋コンクリートの建物も衝撃波には耐え切れず、模型のようになぎ倒される。

歩行者や自動車は紙のように空高く舞い上がり、粉砕されたガラスや破片が凶器となって襲いかかる。

ここまで爆発から10秒もたっていない。

爆心地で加熱された超高温の空気は凄まじい上昇気流を引き起こし、高度30キロに達するキノコ雲を形成する。

と同時に、衝撃波で吹き飛ばされた空気が一気に吹き戻るため、都内各所で同時多発的に大規模火災が発生する。木も紙も布も自然発火し、傷ついた人々を容赦なく焼き殺すのだ。

しかも、これは1発の核弾頭がもたらす災禍に過ぎない。

1発のサルマトに搭載される16個の核弾頭が東京の各所を襲い、それぞれが爆発して恐ろしい光景を生み出すのだ。

ある意味、爆心地にいて瞬時に消滅した人はこの上なく幸せだったかもしれない。

その後にやってくる悲惨な現実を直視せずに済むのだから……。


核爆発の瞬間、沢木一家は東京・渋谷の自宅地下シェルターで難を逃れた。

Jアラートの通報から着弾までわずか3分しかなかったが、分厚い強化コンクリートの壁に囲まれたシェルターの中は安全であった。

涼介はベッドの上で毛布にくるまって震えていた。

爆発までの時間が永遠のように長く感じられたが、やがて鈍い轟音と地震のような衝撃が立て続けに襲ってきた。

その後は長い静寂。

不気味なほど静まり返ったシェルターの中で一家は息を殺して恐怖と不安に耐えていた。


核攻撃からは生き延びたものの、インフラは徹底的に破壊されてしまい、スマホもネットも使えない。

情報が遮断されたため、どの程度の被害が出たのか、あとどのくらいシェルターの中にいればいいのか分からない。

「おそらく、首都圏は壊滅状態だろう。敵は反撃手段を完全に奪うために、自衛隊と在日米軍の基地を徹底的に叩いたはずだ。市ヶ谷、小平、習志野、朝霞、木更津、横浜の自衛隊駐屯地や、航空自衛隊の府中基地。アメリカ海軍の空母や原潜が寄港する横須賀や、座間、横田基地もやられたはずだ。東京、埼玉、神奈川、千葉は完全に焦土と化しただろう……」

耕太が沈んだ声で言った。


「これは核戦争が起きた場合のシミュレーションだが、ロシアとNATO(北大西洋条約機構)がそれぞれ300発、180発の核ミサイルを撃ち合う。たった3時間の攻撃で死傷者は260万人に達すると予測されている。その後、アメリカが600発の核でロシアに報復し、ロシアも反撃して、45分で死傷者340万人。さらにロシアとNATOは戦後も立ち直れないようにお互いの都市を核攻撃する。45分で死傷者は8530万人。トータルの犠牲者は9150万人。そのうち死者は3610万人と予想される」

耕太が手元の資料を読み上げた。

「敵が狙うのは東京だけじゃない。大阪、名古屋、福岡、仙台、札幌などの大都市も間違いなくやられるはずだ。沖縄の嘉手納飛行場や辺野古基地、長崎の佐世保基地、青森の三沢基地、山口の岩国基地も狙われる。日本全土で核弾頭が炸裂すれば、死傷者は数千万人に達するだろう」

浪江が両手で顔を覆った。

「私たち、これからどうなるの……?」

「とりあえず、我々は生き残ったんだ。ここにいる限り、放射能の心配はない。水も食料も当分は困らない。残留放射能は2週間もすればだいぶ薄まるだろうから、それまでの辛抱だ」

耕太は拳で自分の胸板を叩いて言った。


核攻撃から2週間後。

耕太と涼介は核シェルターから初めて外に出た。

シェルターの出入り口は銀行の金庫の扉のような重く頑丈な金属製のハッチで外界と完全に隔絶されている。

ハッチを出ると長い梯子をよじ登ってマンホールの蓋のようになっている外界への出口に至る。

そこは自宅の庭であり、普段は植え込みに隠れていて、外からはまったく見えない。

シェルターから地上に伸びたシュノーケルには特殊フィルターが設置されており、放射性物質や化学兵器などの毒物をほぼ100%除去できるようになっていた。

耕太が苦心して作った自慢のシェルターであった。

耕太と涼介はガスマスクを装着し、耕太はガイガーカウンターを所持していた。

重たい出口の蓋を開けて2週間ぶりに外に出ると、赤茶けた大地と鉛色にくすんだ空が見えた。

「これはひどい……」

2人とも絶句した。

見慣れた自宅周辺の景色は一変していた。

木造家屋はすべて焼失し、倒壊を免れた鉄筋コンクリート造りの建物も骨組みだけ残して崩れ落ち、焼け焦げた無残な姿をさらしていた。

見渡す限りの廃墟と焦土。

人影はまったくない。犬猫やカラスなどの動物もいない。

樹木もすべて焼けるか根こそぎなぎ倒されている。

かつてそこに存在した生活の匂いは澱んだ空気と死臭に取って代わられていた。

太陽は夏のものとは思えぬ弱々しさで暗い空に浮かび、放射能の塵を含んだ強い風が吹き荒れていた。

耕太がガイガーカウンターの電源を入れると、途端に針が狂ったように振り切れた。

「すごいな……こんな数値、見たことない……」

マスクの中で耕太が呻くように言った。

「残留放射能は大したことないと思っていたが、どうやら考えが甘かったようだ。ロシアのサルマトは1発のミサイルの中に16発の核弾頭が入っている。1発の核弾頭の出力は800キロトン。広島原爆の53倍だ。ロシアの戦略核兵器は水爆だから、核分裂による放射能をあまり出さない“きれいな核”だと思っていたんだが、東京だけで少なくとも16発は落ちたことを考えれば、そんな悠長なことは言ってられないんだな……」

涼介はマスク越しに、

「学校で習ったよ。昔、アメリカがビキニ環礁で水爆実験をやったんだって。15メガトンだから広島の1000倍だよ。放射能を含んだ死の灰が広範囲に降って、住民は避難を余儀なくされた。その後、アメリカが徹底的にクリーニングして、『もう戻っても大丈夫』って太鼓判を押したんだけど、帰還した住民が次々に病気に倒れて、驚いて調べたら放射能は全然減ってなくて、元に戻るには100年かかるらしいよ」

と耕太に言った。

「よく勉強してるな。あまり大きな声じゃ言えないんだが、父さんみたいな医療関係者は検査や治療に放射線を使う。だから、放射線の害については過小評価しすぎているところがあるんだ。でも、そんなことを言ったら商売にならない。放射線は害もあるが、有益でもある。しかし、我々医療従事者はもっと真剣に原子力がもたらす不利益について考えるべきだったんだな……」

耕太の表情が曇った。

「もしかしたら、この核攻撃で日本中の原子力発電所が破壊されてしまったのかもしれない。日本全国に54基の原子炉がある。東京周辺だけでも茨城県の東海第二原発、静岡県の浜岡原発、新潟県の柏崎刈羽原発。青森県の六ケ所村には核燃料の再処理工場もある。西日本の原発群が破壊されれば、放射能は偏西風に乗って東日本は壊滅的に汚染される。この異常な数値はそれが原因かもしれない……」

生存者はいないかと捜してみるが、一面の焼け野原と化した街に人の気配は絶えていた。

誰かいたら助けを呼び、放射能に汚染された土地から一刻も早く脱出しようと思ったが、人っ子一人いない。

道路には焼けただれた車両の残骸が散乱し、白骨化した死体が虚空を睨みつけていた。

「ひどいな、これは……本当にみんな死んでしまったらしい」

耕太と涼介は目に見えない放射線の恐怖と闘いながら自宅周辺を捜索したが、何の収穫もなかった。東京は、いや、日本は死んでしまったのだ。

「これ以上は危ない。戻ろう」

耕太と涼介はシェルターに戻り、体や衣服に付着した埃をはたいてから中に入った。


核攻撃から1ヵ月が過ぎた。

豊富にあった水と食料も残り少なくなり、発電機の燃料も底をついた。

「一体、私たちはどうすればいいのよ!」

浪江はヒステリーを起こし、耕太と激しく言い争うようになった。

まだ幼い妹の瑞穂は、それまで喧嘩をしたこともなかった両親の攻撃的な姿を見て、すっかり怯えてしまっている。

「いつまでここにいればいいの?あなた、2週間もすれば放射能は問題ないって言ってたじゃない。みんな死んじゃって、あたしたちだけここにいて、これからどうするつもりなのよ!」

「ここにいれば、そのうち助けが来る。放射能まみれの外にいるよりは安全だ」

「そのうち、そのうちって、いっつもそればっかりね!一体、いつになったら助けが来るのよ?」

「俺にどうしろって言うんだ?お前たちを連れて、放射能の中、あてもなく逃げろって言うのか?」

「放射能は大したことないって言ったのはあなたなのよ!」

優しかった母親がこれまで見たこともないくらい狂暴にわめくのを見ていると、涼介も辛かった。

「父さんも母さんもいい加減にしてくれよ!今は家族が争ってる場合かよ!みんなで生き延びることを考えなくちゃ……」

「生き延びてどうするの?みんな放射能で死んじゃったのよ。あたしたちもみんな放射能にやられて死んでいくんだわ!」

「よさないか、浪江!瑞穂がすっかり怯えてるぞ」

「どうせ、みんな死ぬのよ!お父さんが言ってることはただの気休め!こんなシェルターなんか作るんじゃなかった!どうせ死ぬなら、いっそのことみんなで死にましょうよ!」

人が変わったように荒れ狂う母親。

自分の無力を痛切に感じながら何もできない父親。

家族がバラバラになろうとしている今、中学生の自分には何ができるのだろうか……?


その夜、浪江は自分の部屋で丹念に頭髪をブラッシングしていた。

入浴もできないシェルター暮らしでストレスはたまる一方である。

こんな時でも、せめて女の命である髪の毛だけは清潔に保ちたかったのだ。

だが、ブラシにごっそりと絡みついた毛髪の塊を見て、浪江が金切り声を上げた。

「どうした?!」

耕太が駆け込むと、浪江はショックで床にへたり込んでいる。

「死ぬのよ、あたし!もう死んじゃうの……」

「一体、どうしたんだ?」

「髪の毛が、こんなに抜けて……ねえ、原爆で死んだ人も髪の毛がごっそり抜け落ちたって言うでしょ?きっと、放射能のせいよ。あたし、放射能で死ぬんだわ」

「気のせいだよ」

「嘘!みんな放射能で死ぬの!遅かれ早かれみんな死んじゃうんだわ!」

「浪江、落ち着け」

ヒステリーの発作を起こした浪江を眠らせるために耕太は強い鎮静剤を投与するしかなかった。


次の日の朝早く、涼介は耕太に叩き起こされた。

「涼介、起きろ」

眠い目をこすりながら涼介がベッドから起き上がり、

「今、何時?」

「もうすぐ5時だ」

「もうちょっと眠らせてよ」

「涼介、これから父さんが言うことを落ち着いて聞くんだ」

「なに……?」

耕太の目は真剣そのものだった。

「涼介、瑞穂が死んだ」

「えっ?」

「自殺だ。遺書はない。部屋のドアノブに首を吊って死んだ」

「死んだ……?」

「そうだ。もう瑞穂は帰ってこない」

「嘘だろ……」

あまりにも急な話なので、まるで実感が湧かない。明るく快活だった妹が何故、自殺したのか。

「涼介、今日でお別れだ。お前はこれからひとりで生きるんだ」

「えっ……?」

「父さんも母さんも今日限りで親子の縁を切る」

「え?な、なんだよ、それ……」

「涼介、母さんはもう帰ってこない」

「ど、どういうことだよ?」

「母さんは眠った。もう二度と起きない」

「母さん、寝てるだけじゃないのかよ?」

「父さんが強い薬を打ったんだ。今頃は瑞穂と天国にいる」

「な、なんで、そんなことを……」

「ここにいても、いずれ死ぬだけだ。父さんもお前も放射能にやられて死ぬ」

「だから、母さんを殺したの……?」

涼介は息を呑んだ。

「心配するな。父さんも逝く。母さんと瑞穂の面倒は俺が見る。だから、お前はここから逃げて、どこまでも生き抜くんだ」

「ちょ、ちょっと待ってくれよ……」

「涼介、もう時間がないんだ。日本という国は亡びる。いや、もう亡びたんだ。今後は生き残った若い日本人が国を立て直すんだ」

耕太は痛いくらい涼介の両手を強く握りしめた。

「涼介、親として本当に申し訳なく思う。こんな時代に生まれていなければ、お前も瑞穂も幸せな人生を送れたかもしれない。だから、恨むなら父さんを恨め。俺は地獄に落ちたって構わない」

「…………」

「だがな、涼介。これだけは忘れるな。人間、この世に生まれてきた以上は死ぬまで生きなければならん。最期の瞬間まで人は自分の力で生きていかなければならないんだ。人生は苦しい。決して楽しいものではない。それでも人間は死ぬまで生きていかなくちゃいけないんだよ」

「なんだよ、それ。親の勝手に生んでおいて、そんなことってありかよ!」

涼介は目に涙を浮かべて耕太を罵った。

「父さんはそれでいいかもしれないけど、俺はどうなるんだよ!こんな世界で、たったひとりで生きていけって……あまりにも無責任じゃないかよ!」

「そうだ。無責任だ」

「ふざけるなよ!あんた、それでも親かよ!」

涼介は号泣した。

「親として、人間として、俺は最低だ。でも、涼介。お前は生きなきゃいけない」

「…………」

「お前には、やらなきゃいけない仕事がある。ここで起きたことを後世に伝えるんだ。そして、できることならば、母さんや瑞穂をこんな目に遭わせた連中に仕返ししてほしい。それができるのは、お前みたいな若者だけなんだ」

「…………」

「涼介。お前、体の具合はどうだ?」

「……別に……何ともないけど」

「そうか。父さんは、どうも具合が悪い。放射能の中を何時間も歩いていたからな」

「元気出せよ」

涼介は力なく言った。

「お前、チェルノブイリの事故を知ってるか?」

「チェルノブイリ……?」

「そうだ。お前が生まれる前だが、ひどい事故だった。放射能にやられて沢山死んだ。でも、放射能に強い個体は生き延び、今やチェルノブイリ周辺の森は野生動物の宝庫なんだ」

「それが、どうしたの?」

「涼介。お前は放射能に強い個体かもしれない。お前なら核戦争後の世界でも生き延びれるかもしれない」

耕太は奥の部屋から小さな木箱を持ってきた。

蓋を開けると、まばゆい金色を放つコインが入っている。

「カナダのメイプルリーフ金貨だ。金に困ったらこれを金に換えろ。それだけの価値はある。俺がお前に遺してやれるのはこれくらいだ」


涼介は涙に濡れた顔をこすって、飲料水と保存食の入ったリュックサックを背負った。

ガスマスクを着け、ガイガーカウンターを手にシェルターから出た。

耕太が見送った。

「放射能汚染の少ないところを行け。あんまり無理はするな。なるべく生きろよ」

涼介は何度も振り返りつつ自宅を離れた。

何度目かに振り向いた時、すでに耕太の姿はなかった。

(生きるのか、おれひとりで……)

涼介は乾いた土を踏みしめながら黄色い空を見上げた。

日本の夏の風物詩だった蝉の鳴き声はまったく聞こえなかった。

これを書くとき、“日本人”の大半はもう四半世紀近く前の出来事など覚えていないかもしれない。


グレートウォー(最終戦争)までのいきさつを簡単にまとめておこう。


・台湾有事


米中貿易摩擦や尖閣諸島問題で中国が強硬になり日米中の対立が激化。米が日本をけしかけ中国は共産党一党独裁体制維持のため対外強硬策で国内引き締めを図る。中国軍の台湾侵攻で台湾有事勃発。日米両軍が共同で台湾出兵。紛争は2週間で終結。中国側の死者40,000人、台湾側13,000人、米軍10,000人、自衛隊2500人戦死。紛争中シーレーン封鎖で輸入が途絶え日本は深刻なモノ不足。日本の軍国化と核武装。


・ロシアのイスラム化


ロシアのムスリム(イスラム教徒)は今世紀半ば総人口の3分の1を占める。プーチン後のロシアは内戦状態に突入しプーチン側近のラムザン・カディロフ将軍が実権掌握。内戦で大量の兵器が周辺諸国に流出し各地の宗教対立や民族紛争が激化。カディロフ政権は急速にイスラム化しロシアはイスラム原理主義者の聖地と化す。イスラエルと激しく対立するイランに核供与。イスラエルは核保有を狙うイランを先制攻撃。欧米諸国はロシアを「テロ支援国家」認定し経済制裁。ロシアはイラン、パキスタンなどイスラム諸国を支援。インドとパキスタンの対立激化。


・アメリカの帝国主義


「アメリカン・ファースト」を掲げるドナルド・トランプ大統領が保守派の圧倒的な支持で憲法改正し連続再選可能となり“トランプ皇帝のアメリカ帝国”化する。世界最強の軍事力を背景に他国の主権侵害も辞さない全体主義の独裁侵略国家となる。米国中西部のオガララ帯水層(世界最大級の地下水層)は地下水の過剰利用で近い将来枯渇する。米国の豊かな穀倉地帯は不毛の大地と化し米国は食糧輸出国から輸入国に転落。米国はカナダの広大な土地と資源を確保し、メキシコの不法移民対策を口実にカナダとメキシコに軍事侵攻し併合。米国の暴挙に全世界が憤激するが国連は無力化し国際秩序は崩壊。世界は弱肉強食の“やったもん勝ち”“なんでもあり”無法時代に突入する。


・地球温暖化と紛争激化


2020年代、世界は発展途上国の急激な人口爆発と驚異的な経済成長で温室効果ガスは激増し地球温暖化は一層加速する。一方、2030年代から太陽活動は低下。太陽磁場が弱くなり宇宙空間から飛来する銀河放射線は増加。宇宙線の増大で雲が増えアルベド(太陽光の反射率)は上がり温暖化が進む(スベンスマルク効果)。シベリアの永久凍土が氷解し土中の膨大なメタンガス(二酸化炭素の約70倍の温室効果)が大気中に放出され温暖化がさらに促進。赤道付近に熱が滞留し海流停止。低緯度地帯の開発途上諸国は農耕と人間の定住が困難に。後進諸国は暴動と内戦で無政府状態に陥る。大量の難民が祖国を捨て豊かな欧米諸国を目指す。米欧は人道主義を捨て難民の流入を防ぐため徹底的な空爆と虐殺。米国は武装難民軍の北上を阻止すべくメキシコ侵攻。低緯度地帯の無人化と欧州は難民暴動で無政府状態に。


・中国とロシア、インドの対立


中国は砂漠化が進み水資源が枯渇。インドに次いで世界第2位の人口14億人を養うのが困難に。温暖化したシベリアに中国人が大量入植。中露国境で軍事衝突。インドは高温と渇水で大飢饉。飢餓に苦しむ難民が中国に殺到。難民流入を阻止する中国軍と国境開放を求めるインド軍が武力衝突。米国もシベリアの広大な土地と資源を狙う。アラスカで軍事的緊張高まる。


・最終戦争と恒久平和


2040年代、地球温暖化は極限まで進み人類は危機的状況を迎える。人類の生き残りをかけたグレートウォー(最終戦争)が始まる。ロシアの米中日欧に対する先制核攻撃で相互確証破壊システム(MAD)が発動。数千発の核ミサイルが飛び交い世界は焦土と化し人類は5億人に激減。生き残った人類は飢餓と放射能汚染から逃れ、温暖化した高緯度地帯に移住する。人々は風力・水力・地熱・太陽光・原子力発電でエネルギー源を確保しつつ、イスラエルのキブツをモデルにした社会主義的共同体を営む。コミュニティの構成員は各自の能力に応じた仕事を割り当てられ、すべての資源と食糧は平等に分配される。コミュニティの規律と秩序を乱す構成員は放逐される。国家という概念はなくなり、通貨は価値を失い、貧富の格差はなく、人々は小規模のコミュニティに分散し、相互の交流は限定的であり、紛争もない。人類は長年の悲願である恒久平和の時代を迎える。もはや人類に大規模な戦闘能力はなく、その意思もない。今後数世紀は平和な時代が続くであろう。奇しくも『資本論』を書いたカール・マルクスが約200年前に予言した「共産主義は歴史の必然である」は曲がりなりにも的中した。グレートウォーから四半世紀近くを経た2069年現在、人類は滅亡していない。核戦争でも人類は滅びなかったし、国が滅びても人は生きていくのである。“進化論”を唱えたチャールズ・ダーウィンも言っている。「強いものが生き残り、弱いものが滅びるのではない。環境の変化に適応できたものだけが生き延びることを許されるのだ」。


西暦2069年(令和51年)1月1日、北極圏のコミュニティにて 土屋正裕

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