落下系ヒロインを受け止めるのは命懸けです
漫画やアニメのように魅力的なヒロインとの劇的な出会いなんてあるわけない。
殺人鬼に襲われているヒロインを助けるために戦うとか、不当な借金に押し潰されて下衆な野郎どもに食い物にされそうなヒロインのためにギャンブルで大稼ぎするとか、ある日突然目の前に訳ありヒロインが出てきてやがて世界の存亡をかけた闘争に突っ込んでいくとか、そんなこと現代日本で起こるわけがないんだから。
平凡な容姿の平均的な男子学生が胸踊る物語のヒーローになれるわけがないし、仮にヒーローが解決するような状況に遭遇しても完全無欠のハッピーエンドにまで持っていくことはできない。それくらいは高校に入学して一ヶ月程度の俺だって自覚している。
だから、そう、だから。
どうしてそんなありふれた俺の人生で今にも飛び降りそうな女の人なんてものが目に入るってんだ!?
帰る途中、忘れ物に気づいて取りに学校に戻ってきただけだった。ペラペラの学校指定の鞄を手にして、近くのグラウンドで高跳びしている人を見てすげえなあとか呑気に思いながら正面玄関から下駄箱に足を踏み入れる寸前、なんともなしに上を見ただけだった。
そこに。
校舎の屋上に制服姿の女が立っていた。
フェンスを乗り越えているってことは少し景色が見たいとかそんな話じゃなくて屋上ってことは四階分の高さでとにかくそんなところから飛び降りたら死ぬよな飛び降りの生存確率とか詳しくないけど下はコンクリだし普通に死ぬだろ!!
くそっ、今から屋上までいって間に合うか? もうフェンスを乗り越えているってのに!? だったらここから声をかけてって、四階分の高さがあるんだぞ声を張り上げて届くかわからないし大体なんて言えばいいんだよ下手なこと言って背中を押すことになったらどうするんだ!?
わからない。
こんなのどうすればいいかわかるわけがない。
物語のヒーローじゃないんだ。こういう突然の危機を華麗に解決できるわけがない。
だから、だけど、だからといって見捨てられるか。
何かできるかなんてわからないけど、実力なんて伴っていないけど、それでも目の前で同じ学校の人間が死ぬのを黙って見ていられるか。
だから。
だったら。
しばらくして、その女子生徒は落下した。
勢いよく地上に激突したんだ。
ーーー☆ーーー
ギリギリだった。
本当の本当にギリギリだったんだ。
コンクリに全身を叩きつけて潰れたトマトみたいになる前に俺は急いで『それ』を運んできた。
つまりは高跳びに使うマット。
それを奪って飛び降りる女の下にくるよう持ってきたんだ。……まあ俺一人じゃ間に合いそうもなかったから事情を説明してその場にいた陸上部員と一緒にだがな。俺は何でも一人で解決できるヒーローじゃないんだから素直に他の人に頼らないと。
うめき声が聞こえた。
完全に衝撃を殺せたわけじゃないにしても声を出せる程度で済んだ。死んではいないんだ。
「よかった……」
だから。
だから。
だから。
「な、にが……よかったんですか……?」
これまでの人生で聞いたことがないほどに暗く、憎悪に満ちた声に俺は思わず全身を震わせていた。
じっと。
闇をかき集めたような目に見据えられて、そこで悟ってしまった。
この人には自分から死ぬことを選ぶくらいの『何か』があったんだ。それを無視して、とりあえず命を助けた『だけ』では何も解決しない。
これから先もこの人は死ぬほうがマシと思えるような『何か』と向き合っていくことになる。他ならぬ俺が助けてしまったから。
何も言えなかった。
言ってあげられなかった。
物語のヒーローならここで気の利いた言葉をかけてあげて、この人を追い詰めた『何か』を華麗に解決して、何の文句もつけようがないハッピーエンドにまで導くこともできるかもしれないけど、いつもの現実とはかけ離れた状況に俺は何もできなかったんだ。
だから、何も解決なんてしていないんだから、ここで終わりになるわけがなかったんだ。
ーーー☆ーーー
飛び降りた女の人は学校指定のシューズの色から三年生らしい。
本当はもっと綺麗な人だと思うんだけど、ボサボサの髪や荒れた肌、そして何よりゾッとするほどに暗い瞳がまるで幽鬼のようにさえ感じさせる。
と、今更になって誰かが飛び降りただの何だの近くにいた生徒が騒いだところで女の人が立ち上がり、逃げたんだ。
「ちょっ、まっ」
手を伸ばすが、届かなかった。
そのまま走り去る背中を見送ってしまった。
このまま行かせたら、どうなる?
まだ何も解決していないのに放っておいたらまた飛び降りるんじゃないか?
「ふ、ざ……けるな」
こんなのは物語のヒーローかどうかとかそんな話じゃない。特別な力を持つヒーローみたいなご大層なものじゃなくても、それでも。
「ふざけるなよ、くそっ!!」
見殺しになんてできるか。
例え俺にあの人をあそこまで追い詰めた『何か』をどうこうする力がなくても、例えどんな騒動も最後には解決できる都合のいいヒーローじゃなくても、例えあの人が友達とか恋人とかそんな仲の相手じゃなくても、それでも放ってなんておけるか。
そう思えるくらいの理由なら、ある。
自己満足で、わがままな、あの女の人の気持ちすら無視したものだとしても。
と、走り出したまではいいが、普通に見失った。
こんなだから俺はヒーローじゃなくて単なる凡人なんだよな。
「こんなの俺一人でどうにかできるわけないだろっ」
そして俺は自分が特別じゃないことはこれまでの人生で散々思い知っている。一人じゃ何もできないことも。
だから頼った。
警察に通報するのはもちろん、昔からの友達に片っ端から電話をかけて名前さえも知らないあの人の特徴をできるだけ伝えて自殺するのを止めてくれって。
もしかしたら胸糞悪い結末になるかもしれない。
俺が声をかけたせいでそんなものを見せつけることになるかもしれない。
半端に関わってしまったせいでその死を引きずってしまうかもしれない。
それを承知で巻き込むんだから、ここまでくると悪党の所業かもな。
「ちく、しょう……ッ! 忘れ物さえしなかったらこんなことにはならなかったのに!!」
とにかく全力で走り回った。
あの人のことなんて何も知らないから行き先のアテがあるわけもなく、学校の近くをしらみつぶしに探すしかなかった。
そこで同じ高校に通う帰宅部の俺と違って漫画研究会で真面目に創作活動に勤しんでいる友達(もちろん野郎な、女友達とか何それファンタジーなのか!?)からこんな電話があった。
『その人、浅川悠香さんという三年生かもって先輩が言っているよ』
『ぜえ、はあ。あさかわ、ゆうか……ッ!?』
『先輩もクラスが違うし、そんな関わりがなかったから詳しくは知らないみたいだけど、色々と問題があったらしいんだ』
『問題って!?』
『あくまで噂程度だけど……奥さんの再婚した男がやばいらしいとか、その、他にも色々とあるみたい。同じ学校のガラの悪い人たちに絡まれているって噂もあるし』
『クソみてえな噂だなっ!! で、今どこにいるか予測するための情報は!?』
『それがわかっていれば最初に言っているよ。とりあえず今わかっていることだけでも共有しておいて損はないはず。飛び降りの現場に居合わせたとして、やめるよう説得するための会話の糸口になるかもだし』
『まあ俺は目についたヒロイン片っ端から救うヒーローでもなければ心理カウンセラーでもないから下手なこと言ってデリカシーないって怒られそうだがな!! 女心がわかればとっくに彼女ができているっつーの!!』
こうやって軽口言わないと潰れてしまいそうだった。
もう手遅れなんじゃないか? とっくにどこかで飛び降りていて、終わっていて、助けを求めることもできないくらい追い詰められた女の人が最後まで苦しんで死んでいるんじゃないか、とそんなことばかり考えてしまう。
だからそれを目にした時は一瞬安堵して、そして心臓が跳ね上がった。
夕暮れ時、取り壊し予定の廃ビルの屋上だった。
そこにあの女の人──浅川悠香さんが立っていたんだ。
「は、ははっ。間に合ったのか? くそっ、近くに都合のいいクッションとかないし、屋上にいくまでに飛び降りたらそれまでじゃないか!!」
廃ビルは五階か。
階段を駆け上がって間に合えばいいけど。
というかあんまり派手に駆け上がったら音で気づかれるんじゃないか? それで変に追い詰めて背中を押すことになったらどうする!?
足音を気にせず急ぐべきか。
時間をかけてでも足音がしないよう細心の注意を払うべきか。
俺は膨らんだ学校指定の鞄を握り直して、そして廃ビルに踏み込んだ。
ーーー☆ーーー
正直なところ正解なんてわかるわけがなかった。
物語のヒーローなら向こうの心情とかを読んでその場に適した最適な行動を選び抜けるんだろうけど、俺のような凡人にはそんなことできるわけがなかった。
それでも足りない脳みそを働かせて選ぶしかないんだ。
足踏みしていたって時間を無駄にして結果としてあの女の人を見殺しにするだけなんだから。
勢いよく階段を駆け抜ける。
足音を気にせずに、最後の瞬間に間に合わせるために。
俺の存在に気づかれて背中を押すも何もあるか。あの人はもうとっくに踏み出している。俺が何もしなくても高校の屋上から飛び降りたんだ。
だったら足音がしようがどうしようが、最後には飛び降りる。一線を超えてしまう。その前に辿り着かないと、間に合わないと、死んでしまうんだ。
浅川悠香さんを探すために全力で走り回っていたせいで足はパンパンで心臓はうるさいくらい暴れていて腹の底から突き刺すような痛みがあったが、そんなの無視して俺は屋上に向かった。
扉を開けて、そこに浅川悠香さんの背中を見つけた。
間に合った。いいやまだだ。まだ何も終わっていない。
「どうして……」
とっくに手すりを乗り超えている浅川悠香さんが振り返って、正面から俺と向き合って、闇が蠢くような目をしたまま言う。
「どうして貴方は私に構うんですか? 私がどうなろうが貴方には関係ないでしょう?」
「ふざけるな。目の前で死なれたら気分が良くないだろうが!」
「この世界ではいつも誰かが死んでいます。年間の自殺の件数はご存知ですか? その一つ一つに貴方はこうして首を突っ込むつもりですか?」
「そうじゃない。俺はこれまでニュースで誰かが死んだって報じられてもそういう悲しい事件を減らすために行動するなんてことはしてこなかった」
だけどそうじゃない。
そうじゃないんだ。
「だからといってこの目で見た誰かが死ぬよりは生きてくれていたほうがいい!! そういう結末のためなら行動できる!! こんなのは貴方のことさえも考えていない、単なる俺のわがままなんだ!!」
だから頑張れる。
ついさっき関わっただけの女の人のためじゃない。自分のためなら人間はどこまでも頑張れるんだよ!!
顔も名前も知らなくて会ったことさえもない全人類のために拳を握ってついには世界さえも救うような博愛主義に満ちたヒーローじゃなくても、そういう理由なら全力を出せるんだ。
だから。
そんな理由でしかなかったから。
「そうですか。ですけど、そんなものに私が付き合う必要はないですよね」
足が動く。
浅川悠香さんが俺と向き合ったまま、背中から倒れるように屋上から飛び降りる。
「く、そがあ!!」
俺も前に。
走って、手を伸ばして、だけど届かなくて。
だから俺は手すりを乗り越えて、鞄を投げ捨てて、そのまま屋上から飛び降りたんだ。
初めて、だ。
闇のようだった目を純粋な驚きに塗り潰して、その目を見開いて、彼女は感情のままにこう叫んでいたんだ。
「何をやっているんですか!?」
その声を聞いて俺は知った。
巻き込みたくないと思ってくれていると。死を望むくらい追い詰められているんだから世界を呪って誰彼構わず巻き込んでもいいとすら考えていたっておかしくないのに、この人はそこまで追い詰められても俺を巻き込むことを嫌だと思っているんだ。
優しいこの人を死なせてたまるな。
そんな結末は絶対に嫌だ!!
「おおァああああああッ!!」
例え浅川悠香さんがこんなことは望んでいないとしても、俺が死んでほしくないと強く望んでいるんだ。
このわがままは浅川悠香さんにだって止める権利はない。
だから。
だから!
だから!!
手が届く。浅川悠香さんを両手で抱きしめる。
そこで落下が止まったんだ。
「な、ん」
制服の下、胴体に巻きつけたロープ。ここに来るまでにできるだけ丈夫そうなロープを買っておいて、それを学校指定の鞄と俺の胴体とを繋ぐように巻きついておいたんだ。
後は鞄を手すりに引っ掛けるようにすればロープで支えることで落下を阻止できるというわけだ。……他にも引っ掛けるための重り代わりに色々と買ってペラペラだった鞄が膨らむくらいには詰め込んでおいたが、何はともあれ何とかなってよかった。
「言っただろ、うええ。これは俺のわがままだ。痛つつ。だから貴方がどう思おうが……うえっがぶがはっ。ぜ、絶対に死なせやしないからな」
ああくそ。
ロープが食い込んでクソ痛くて声が震えているし涙が浮かんでくるしとやっぱりヒーローのように格好良くはいかないな。
ーーー☆ーーー
浅川悠香さんを追い詰めていたのは『両方』だった。
三年の一部、そして父親。学校にも家にも浅川悠香さんの居場所はなく、俺なんかじゃ理解できる範疇を超えた悪意が蔓延っていた。
それは、どうにか廃ビルの割れた窓から室内に入って、床に転がって、生き残れたと実感してしばらくして浅川悠香さんが漏らしたことだった。
我慢できずに漏れたものだったんだろう。
横になった俺に馬乗りになって、胸ぐらを掴んで、これまでのことを吐き出して吐き出して吐き出して。
そして最後にこう言ったんだ。
「どうしろと言うんですか? これ以上生きていても辛いことしかないのに、それでも貴方は私に苦しめと言うんですか!? それともわがままだから私のその後なんて知らないと言うんですか!?」
「…………、」
浅川悠香さんの尊厳は徹底的に傷つけられていて、今話を聞いた俺でも吐き気がするほどに辛い経験だった。こんなことがあれば確かに自殺しようと思ってしまうのも無理はないと感じてしまうほどに。
俺一人にどうにかできるとは思えない。
連絡先に登録された友達に頼っても解決できるかはわからない。
というかその程度の問題ならここまで追い詰められていないんだ。
だから。
だけど。
「なあ、浅川悠香さん。こういう言い方は最低だとは自覚しているんだが」
「散々最低なことをされていますから、今更ですよ」
「だったら言うが、クソッタレどもを叩き潰すために見せ物になる覚悟はあるか?」
「…………え?」
「結局は数の暴力だ。浅川悠香さんを苦しめている連中が多数派だから好き勝手できているってんなら、こっちはそれ以上の数を使えばいいだけなんだよ」
ーーー☆ーーー
例の飛び降り事件はそれだけでも結構な騒ぎになると思う。一度目は他の生徒にも目撃されているしな。それこそ放っておいてもニュースで俺の通う高校の名前が出るくらいはあっただろう。
だったら、そこにより刺激的な要素をぶち込めば?
自殺しようとまで追い詰められた女子生徒は学校と家でクソ野郎どもに悪意に満ちたことをされていた。それを記者からネットからとにかく率先してばら撒いてやればいい。
実名上等。プライバシーだの学校への悪影響だの部外者が騒いで炎上、加害者連中だけでなく浅川悠香さんさえも誹謗中傷に晒されるのも構わずに、だ。
俺も取材とかされたからそれを使ってできるだけ協力したが、やっぱり一番は浅川悠香さんの頑張りが結果を左右したんだ。
死ぬ覚悟を殺す覚悟に変えてやれば反撃はできる。巻き込まれるほうはたまったもんじゃないだろうが。
何なら俺も普通に巻き込まれる側だし。
俺の通う学校の評価が入学して一ヶ月でズタボロなんだが、これって後々に悪影響出る感じだよな!?
「で、何か言い分があるなら言ってください」
「いや確かに焚きつけたのは俺だけどここまで大事になるとは思わなかったというかもう失うものがない人の爆発力を舐めていたというかだって仕方ないじゃん通報するだけじゃどうにもできないくらい浅川悠香さんを取り巻く環境は悪意に満ちていたし俺じゃ救えないなら他の人に頼るしかないしそれなら這い寄ってくる有象無象を利用して数の暴力で逆襲するしか考えつかなかったしそもそもここまですんなりいったのはクソ頭がいいあいつが俺の穴だらけの作戦を現実的に叶えられるよういい感じに調整してくれたからだしなんだかんだで浅川悠香さんが死なずに済んだから俺は今も熟睡できているしちょっと荒っぽいがこれはこれでハッピーエンドだとは思わないか?」
「普通にやり過ぎだよ!! 浅川先輩だけでなくお前も一部の生徒や教師には余計なことをしやがってって恨まれているし、何より加害者連中から逆恨みで命を狙われたらどうするの!?」
「ははは、そんな物語のヒーローじゃないんだから。殺し殺されのバイオレンス展開に巻き込まれるとかありえないって」
「物語のヒーローじゃなくたって殺し殺されのバイオレンス展開に放り込まれることはあると思うけど。やられ役として!!」
「大丈夫大丈夫。最悪そんな展開になったら警察に通報して助けてもらうし」
「別に警察は万能じゃないから命をかけないといけなかったってこと忘れてない?」
と、そんな感じに野郎の友達と話しているところに話題の浅川悠香さんが声をかけてきた。
「ねえ」
「おう、浅川悠香さん……いや、普通に先輩と呼ぶべきか? じゃなくて、ですか?」
「今更ですから楽なように話してください。それより、ありがとうございます。貴方のわがままのおかげで私は今も生きることができています」
「そんな感謝されるようなことはないって。俺にできたことなんて実際そんなにないし。もしも何か解決したってんならそれはクソ頭がいいあいつの作戦を完璧にこなした浅川悠香さんの頑張りのおかげだしな」
いや、マジで。
俺はとにかく死ぬなってわがまま言っていただけだし。
「それでも貴方は私にとって人生を変えてくれた人なんです。この感謝の気持ちだけは何が何でも受け取ってもらわなければ飛び降りてしまうかも?」
「凄まじく不謹慎なジョークだな、おい!? いやまあそんなジョークが言えるくらい立ち直れたなら何よりだが!!」
俺が素っ頓狂な声を上げたのがそんなに面白かったのか、浅川悠香さんは口元に手をやって軽やかな笑い声をあげていた。
その目にはもう闇が蠢くような暗い色はない。
年相応の女の子でしかなかった。
……これまでこの人を苦しめてきた連中が社会的に殺されたからこそそんな風に笑えるんだ。やっぱり加害者のその後を考える風潮とか論外だな。救われるのは被害者であるべきだろ。
「私を助けてくれてありがとうございます」
「おう」
ーーー☆ーーー
それから年数も経って俺も大学に進学、卒業していた。
あの事件は俺の人生の中でも最も強烈なもので、それ以外には物語のヒーローが遭遇するような騒動と直面することはなかった。
(なぜか名前で呼ばないと飛び降りると言われたので)悠香さんとはあの事件の後も仲良くさせてもらっている。女友達ってファンタジーじゃなかったんだな!! ある意味でこれが俺の人生でも二番目に強烈な出来事だと思う。
あの事件からしばらくは悠香さんに対して好悪構わず色々なものがぶつけられて、出歩くだけで騒がれるくらいだったが、人は忘れるもので今では騒いでいた連中も『次』に食いついてどこかにいっていた。
高校の何人かが退学になったり、学校のお偉いさんが謝罪会見を開いたり、悠香さんの父親が捕まったりとそんなことももう過去のことだ。
そう、今では悠香さんも全部過去のことだと流して今を幸せに生きている。飛び降りるとジョークを言うことはあっても本気で自殺しようとはしない。
そんな悠香さんを見ていると、わがままを貫いてよかったと思う。ぶっちゃけ今振り返ってみると若気の至りが半端ないからな! ロープで固定しているから飛び降りても大丈夫? 鞄がすっぽ抜けていたかもだし、悠香さんを抱き止めた衝撃で内臓が潰れていたかもだしな!! 本当生きているのが奇跡だって。
そう、奇跡的に生き残ることができたから俺は今日友達同士で集まって飲み会を開くことだってできているんだ。もうあんな物語のヒーローみたいな騒動に首を突っ込むのはごめんだな。命がいくらあっても足りないっての。
「それでは大学卒業を記念してえ! かんぱあーい!!」
男女問わずに人気者でイケメンで運動神経抜群でクソ頭がいいという何それお前は神に愛された人間かって言いたくなる友達の声に合わせてジョッキをぶつけ合う。
卒業記念の名目で集まった友達同士の飲み会が始まった。
そこには悠香さんの姿もあった。というか俺の隣に座っている。
「そういえば悠香さんって新聞社で働いていたっけ。ぶっちゃけ働くってどうなんだ?」
「楽しいですよ。今は本当に充実していますから。……なぜかVtuber業界に報道系Vtuberアイドルとして殴り込みをかけようとしていて、私に中の人をやってくれないか頼まれているのは少し困りますけど」
「へえ。確かに悠香さん綺麗な声しているし、Vtuberやったら人気者になりそうだもんな。俺も普通に見てみたいし」
「……あなたがそう言うなら、やってみてもいいですね」
「いやまあ俺はVtuberとかさっぱりだから人気者になれるかどうかはわからないからな? 俺が勧めたのに人気者になれなかったって責められても困るからな!?」
「私がVtuberやっているのを見たいというのは本当なんですよね? でしたら、ええ、何の問題もありませんよ」
「どういうことだ!? いつのまにVtuber関連の判断は俺に任せれば間違いない的な流れができていたんだ!? 漫画とかアニメとか雑食だから浅い理解しかないんだが!?」
本気で訳が分からなかったんだが、どうやら俺以外は納得しているようだった。どこか呆れ顔なのが気になるが。
「一つ聞きたいんだけど」
そこで高校では漫画研究会に入っていたくらいには漫画が好きで、気がついたらネットでバズって雑誌連載まで勝ち取っている男友達がこんなことを聞いてきたんだ。
「いつになったら付き合うの?」
「テメェそれはアシスタント兼彼女とかいう仕事から私生活までべったりな彼女がいる余裕か!? いつになったら付き合うかだと? 出会いがないのに付き合えるかクソッタレ!!」
「…………、」
ああそうだよ出会いがないんだよ物語のヒーローじゃないんだ一緒に世界の命運をかけた騒動を乗り越えてついでに可愛いヒロインをゲットするとかそんな展開はないんだよ野郎ばっかりの大学生活だったってえーの!!
「これはひどい」
「あァん独り身がそんなに悪いのかそうだよ俺はどうせ何の変哲もない男だもんな格好良くない俺が悪いんだよなちくしょう!!」
「そうじゃなくて」
そこでなぜかその目は俺の隣の悠香さんに向いていた。
仕事終わりということでスーツ姿の悠香さんは『あの時』あれだけホザボサだった髪も荒れていた肌も過去のもので、今やデキル女秘書みたいに綺麗だった。
思えばこんな綺麗な人と友達だなんて凄いことだよな。
休日は一緒に映画見たり食事したり買い物したりするのも普通だし、大学進学をきっかけに一人暮らしでコンビニ飯ばっかだった俺を見かねて夕食を作ってくれるくらい優しいしな。
いやあ本当こんな綺麗な悠香さんが未だ彼氏がいないだなんて世の野郎どもは何をやっているんだか。
俺が悠香さんから告白されたら普通にオッケーするからな!! まあ俺は単なる友達だし、万が一あの自殺騒動のことを気にして無理に頷くことがあってはならないから告白とかできないけど!! 別に俺はそんなことのために走り回ったんじゃなくて単なるわがままでしかなかったんだから。
悠香さん、今でもあの時のことを恩義を感じてくれているんだよな。もしかしてたまにご飯を作ってくれるのも恩返しのつもりなのか? だったら本当に気にしなくていいしさっさと忘れてくれていいんだが。
「これにわからせるのは本当に大変だけど、頑張って」
「もちろんです。わがままだとしても、絶対に諦めてあげませんから」
「?」
なんだ、会話が繋がってなくないか? 何か聞き逃したのか???
というかテメェ何悠香さんと意味深に視線を交わしてんだよあんなに可愛い彼女がいるってのにそれだけじゃ満足できないってか!?
「ハーレムルートとか物語のヒーローだから許されるんだからな。テメェは別にヒーローでも何でもないんだから今の彼女を大事にしろよな!!」
「またわけのわからないことを言って……。鈍感系とか使い古されているんだからさっさとくっつけばいいのに」
「何の話だよ!?」
「はぁ」
ーーー☆ーーー
ちなみにだが、俺の部屋には二段ベットがある。
懸賞で当たって無料なら使ってやらないとというわけで置いてみたが、無駄にデカくて邪魔なんだよな。
「うーおー……呑みすぎた……」
頭がズキズキする。飲み会の記憶が途中からなくなっている。まあ無事に帰れたようで何よりだ。
俺は一段目から這い出て、そして、
ドッシャア!!!! と。
俺の背中に何かが落ちた。
「ぐぶえ!?」
に、二段目から何か落ちてきた?
こんな重いのは置いてなかったはずだが。
「あ、ごめんなさいっ」
「ゆうか、さん……?」
この声は間違いなく悠香さんだけど、なんで?
どうして悠香さんが俺の部屋にいるんだ???
上から悠香さんがどけたから、俺もゆっくりと立ち上がる。部屋にあげるのは初めてじゃないが、やっぱり慣れないな。普通にドキドキする。
だってこんな綺麗な人が目の前にいるんだぞ!? 向こうは単なる友達のつもりでも意識するなってほうが無理だろっ。
男女の友情は成立するのかってのは古くから論じられてきたことだが、確かにこれは勘違いしてぶち壊す奴の気持ちもわからないでもない。向こうは友達のつもりで気兼ねなく接しているのに勝手に惚れられて色恋で友情を台無しにされたらたまったものじゃないとしてもだ!
「私、今日からここに住みますから」
…………。
…………。
…………。
「は? 何でそんな話になったんだ???」
「わがままです」
真っ直ぐに、もう闇の気配もない目で俺を見つめて。
悠香さんはそう宣言したんだ。
「たった一つの目的を果たすための私のわがままなんです」
そんなわけで最終的には一緒に暮らすことを認めてくれないなら飛び降りると騒ぐものだから仕方なく一つ屋根の下で暮らすことになった。それ言えば何でも押し通せると思ってないか? 図太くなりやがって。人生楽しそうで何よりだよちくしょう!!
っていうか、いくらなんでも俺の理性を信じすぎなんだよっ。いくら男女の友情っつったって限度があると思うんだが!?
「……いつまで経っても気づきもしないあなたが悪いんですからね」
「ん? それどういう意味だ?」
「っ!? どうして聞こえているんですかっ」
「ええっ!? 何で怒られているんだ!?」
ーーー☆ーーー
それからは早かった。
大きな事件や特別な出来事なんて必要ない。
今にして思えば相思相愛の男女が一緒に暮らせば付き合うのは時間の問題だったのだから。
そこから先も物語のヒーローとは無縁な、だけど好きな人と一緒なのだから幸せな日々が続くに決まっていた。