シュウちゃん
八
大塚の祖父のお見舞いに時間をとられ、病院は昼食時になってしまった。さすがにこの時間にお見舞いに行くのは礼を失するだろうと、久保が言うので、僕らも病院の食堂で昼食にした。
「みんな、優しいね。ぜんぜん、知らなかった。大塚君や福田君のこと。」
「うん、そうね。ばってん、隣のクラスやろう?」
「だけど、やっぱり男子と口をきくのは、ちょっとね」
久保はそう言いながら、巻物の寿司セットを注文した。僕は、サンドイッチだ。
「よう知らんばってん、久保の友達って誰がおると?」
はっとしたように僕の目を見つめる久保。少し沈黙した後つぶやいた。
「いないの。友達って呼べる人が、私の周りに。」
「部活には、おらんとね」
「うん、表面上はうまくつきあっているけれど、お互いに心底を見せ合える人はいない。部活って、結局音大受験者が切磋琢磨する道場みたいで、私には、ちょっとついていけないところもあるの。」
「そうかぁ」
確かに、3年のソプラノではソロの奪い合いは常態化しているし、その前年の3年は指揮者、すなわち部長を選挙で選んだと聞く。そして誰もが音楽系大学を目指し、有名私立校を目指している。その合格のために、コンクールで勝ち残り、著名な審査員に自分、自分たちを印象づけなければならない。皆、それぞれが成功への駆け引きを今の時期から使い始めている。でも、なぜ久保のような普通の子に友達ができないのか。あの篠沢先生の家での夜、泣きじゃくって虚心への恐怖を漏らしたのはなぜなのか。篠沢先生は彼女にないものを僕が持っているというが、それはなんなのだろう。
「気のせいじゃなかか。友達がいないっていうの。どこかにおるさ、きっと。」
久保は小さな声で「うん」と頷いたが、巻き寿司の上に、ひとつ涙が落ちた。
「お、おい、泣くな」
僕は焦った。
「ごめん」
久保は、小さなバックからとりだした水色のハンカチを目にあてて涙を吸い取らせていく。女の涙は苦手だ。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
峰秀一ことシュウちゃんが、僕の通う小学校に転校してきたのは3年生の2学期はじめの時だった。
担任の先生が、
「みんな、今日からお友達ですから、なかよくしてあげてね。いろいろわからないことがあると思うからよろしくね。」
「みねしゅういちです、よろしくおねがいします。」
シュウちゃんは、小さなまだ1年生といってもいいほど小さくて、髪の毛も長く、すこし垢汚れた感じのする子だった。一番前にいた男子がシュウちゃんのランドセルが赤だったのをみて、「おんな、おんな」とはやし立てていたが、気にすることもなく、あいていた僕の隣の席にどすんと座った。
「よろしく、なかよくしようね」
僕は右手を彼に突き出した。シュウちゃんはそれを驚くような目をして、
「かまわんで」
と視線を黒板に戻してしまった。僕はつきだした右手をどうしたよいか迷いながら、手を上に突き上げて起立し、
「先生、おいが、峰君の友達になります。」
選手宣誓をしたのだった。そのとき、「おんな、おんな」とはしゃいでいた奴が、
「おんなの友達になっとか」
と再び「おんな、おんなのともだちもおんな」とエスカレートしていく。僕はその後どうなったか、いまだに思い出せないが、シュウちゃんの話だと、ふざけていた男子の腕をひねりあげ、泡を吹かせ、そのまわりで一緒になって騒いでいた男子には、あごに軽いフックを見回せたそうだ。僕が正気に戻ったときは保健室で、他の男の子達と一緒に手当を受けていた。爪のひっかき傷は消毒されガーゼで覆われていたが、眼球の傷が少し重たく、右目がぼんやりとしていた。相手の反撃で指が目に入ったらしい。
結局その晩、問題を起こした僕をはじめとした母親や父親が集まり、謝罪や今後の対応の話をしたらしい。しかし、あとで母親に言われたのは、
「あんたはまちごうたことばしとらんけん。胸ばはって学校に行けばよか。こんど峰君とやらもうちにつれてこんね。」
母親に言われるまでもなく僕は間違ったことはしていない。なんとなくシュウちゃんを守らなきゃと思い、それに忠実に行動しただけだ。
この後も、先生方の不安をよそに、僕はこのいじめっ子連中とぶつかり合う。しかし、僕があまりにもけがが多く、ピアノのレッスンを休むので、けんか禁止をピアノの先生、この頃は横井先生だ、に言い渡された。でも正直毎日のけんかはあきあきしていたので、いじめっ子連中の誘いにまったく乗らなくなった僕は、ふつうにつまらない奴に成り下がったが、反面ほっとしていたのは事実だ。
嵐が収まってしばらくたったある日、
「シュウちゃん、今日は早う学校もおわるけん、うちにあそびにこん?」
と誘ってみた。シュウちゃんは、かなり驚いていた。いままで友達、いや同じ学年の子供の家にいったことなんかないと、正直に話をしてくれた。じゃや、なおさら、おいでと誘うと、はにかみながら、
「おいがいってもよかとやろうか」
「よかに、きまっとろうもん。おいのかあちゃんも、今度峰君連れておいで、っていいよったと」
シュウちゃんは、顔を輝かせて、
「ありがと、いくよ」
と言ってくれた。僕は、シュウちゃんと本当の友達に近づけたような気がした。