モフモフ召喚
エルトリアから馬で北に向かうと、まもなく途中で街道がわかれ、そのうちの一本が山道へと続いている。
ララはそちらへと馬を向けると、しばらく斜面をのぼった。なだらかな坂道で、道幅も広く取られている。
おそらくモフモフ教の人たちも通うところだから、安全を考えて整備されているみたい。ところどころに看板も設置されてあるし、道にデコボコなんかもないので馬が脚を取られるようなこともなかった。
木々の間隔もまばらで、見通しもよいところだった。ララは周辺にはモンスターが出るなんて言ってたけれど、何かに襲われるような気配はなかった。
無事にお墓までたどり着いたとき、わたしは意外にも高いところまでやってきたんだなと思った。
それまでの緩やかな坂がふいに途切れ、その向こうには広々とした空間が開けている。
周囲を林で囲まれた台形のような広場で、その下線部に当たる部分は急峻な崖となっている。
崖の手前には横に長い石碑がある。誰かが最近来たのか、その手前にはみずみずしい黄色い花が置かれていた。
「これがフィオナのお墓?」
「と、一応は言われてるね」
周囲には建物なんかなく、石碑はポツンと置かれ、野ざらしの状態となっている。国を作ったと言われる人のお墓にしては粗末な感じがした。
「なんか、もっと壮大というか、霊廟みたいな大きいものを勝手に想像していたんだけれど」
「派手なら良いってわけでもないんじゃない?わたしはむしろこういうほうが本物っぽく見えるけどね」
近くで見てみると、そこまで古びたものには感じられなかった。長い間風雨にさらされたわりには、しっかりと原型を保っているようだった。
フィオナが活躍したのはもう千年以上も前のことらしいけど、石碑はついこの前建てられたみたいにつるつるの表面をしていて、角なんかも欠けているところはなかった。
わたしは石碑の前でしゃがみこんだ。
「これってかなりきれいだけれど、定期的に新しいものに変えられているのかな?」
さすがに千年もこのままということはないと思ったけれど、ララは首を振った。
「いや、昔からこれらしいよ」
「へぇ。なにか特別な石で作られているのかな?全然欠けているようなところとかないけど」
「死んだあともフィオナの魔力は周囲を漂っていて、それがここを守っているからとか聞いたことはあるけど」
「なら、ここにいるだけで健康になれたりするのかな?」
わたしの言葉に、ララが声を上げて笑った。
「アリサは面白い発想をするね。そんなこと考えたこともなかったよ」
「そ、そうかな?」
わたし、なんか恥ずかしいこと言ったかな?
「よし、じゃあ、さっそくはじめようか」
ララは馬にくくりつけていたミステルの杖を外し、わたしに渡してきた。
ミステルの杖は基本的に持ち出しは厳禁だけれど、今回は特別に許された。モフモフを呼び出すことが出来れば、わたしの自由にすることもできるらしい。
わたしはフィオナのお墓の前に立ち、杖を両手で持った。
「ここで、名前を呼べばいいんだよね?」
「まあ、それくらいしかすることないよね」
「じゃ、じゃあ、モフモフ、来て!」
わたしの声に応えるように一陣の風が吹き、しかし、何も起こらなかった。
「モフモフ!」
やっぱり、何も起こらない。
「モフモフ!」
それから何度繰り返し叫んだのか、わたしは覚えていない。
とにかく、わたしはがむしゃらにモフモフという言葉を繰り返した。体力の限界が来てミステルの杖が自然と両手から離れたとき、わたしはその場に座り込んだ。
「だめ、全然出る気配ないよ」
「うーん、そう都合よくはいかないか。まあ、諦めずに頑張ろうよ」
ララが息を切らせているわたしの肩をポンポンと叩く。
「ここってフィオナのお墓なんだよね。モフモフを呼ぶのなら、モフモフのお墓のほうがいいんじゃない?」
「モフモフのお墓?そんなのは聞いたことはないね。そもそも、モフモフって不死身とかって噂を聞いたことあるけど」
「ふ、不死身?」
ララはうなずいた。
「うん。永遠の命を持っていると言われているはずだよ。だから、いまもどこかで生きているかもしれないんだよね」
ララによると、この世界のどこかにはモフモフの里と呼ばれる場所があるそう。モフモフだけの楽園で、そこには古代の財宝なんかが眠っているとか。
でも、いまだに見つけた人はいない。そこに到達できるのはあくまでもモフモフ召喚士のみと言われているらしい。
「モフモフの里の財宝を見つけたものは大陸の覇者にもなれると言われてるから、国のほうも必死で探しているとか言うね。まあ、これも噂にすぎないけれどもね」
「財宝ってどんなものなのかな?」
「さあ。単なる伝説の話かもしれないから、真剣に考える必要もないとは思うけれど」
そう言った直後、ララは突然、周囲を警戒するそぶりを見せた。緊迫感のある表情で周囲を見回し、剣を素早く抜いた。
「どうかしたの?」
「なにかいるっ」
「え?」
なにかって、なに?モンスターはいないって言ってたよね。
じゃあまさか、盗賊とか?わたしは周囲を見回したけれど、敵らしい姿を見つけることはできなかった。
「アリサ、とりあえず馬を連れて下がってて」
「う、うん」
わたしは馬の手綱を取り、ララが向いた方向とは逆へと向かった。
やがて、ララの正面に、黒くて巨大な何かが現れた。それはわたしのいた世界で言う熊みたいなものだった。ひとつ違うのは、頭に2本の婉曲した角が生えていたこと。
「どうしてここにモンスターが?」
そんな疑問を考えられていたのも束の間だった。
その熊は思いの外身軽で、ララにジャンプするようにして襲いかかった。
ララはさっと横転して身をかわした。すぐに立ち上がると、慌てて反撃することはせず、間合いを計るような動きをしている。剣を構えたままじりじりと距離を取りーー
次に気づいたときは、熊の背後にいた。わたしの目がとらえられないほどのスピードで、しかし、熊のほうは違ったようだった。
ララの動きを読んだかのように、すぐにそちらへと向き直った。その反応はララにとっても予想外だったのか、彼女の動きが一瞬止まった。
熊の腕が振り上げられたとき、ララはようやく逃げようとしてらしい。
けれど、一歩遅かったようだった。
爪のついた腕がララの体を直撃した。その体はまるで小石でも投げ飛ばすみたいに軽く吹き飛んでいった。ララの体は地面でぐるぐると何度も回転し、一本の木に当たって止まった。
「ララ!」
わたしの声にも、ララは反応しない。ぐったりと木の根本で横たわっている。
いや、そもそも、わたしにはララの状態を心配している余裕なんてなかった。
熊の目はすでにこちらを向いている。まだ距離はあるけれど、さっきの身のこなしを見れば、もはやゼロにも等しい。
どうしよう。馬に飛び乗って逃げる?
でも、ララを置いていくわけにはいかない。
かといってわたしには、戦う力なんてない。
迷っている間に、熊はのそのそとこちらに歩いてくる。わたしのことは警戒に値しないと本能が理解しているのか、慌てて近づこうとはしない。
よく腰を抜かした、なんて表現があるけれど、いまのわたしがまさにそんな感じだった。地面に座ったまま、身動きは一切できなかった。足に力が入らず、恐怖に体を震わせるだけだった。
もうこのまま死ぬのかな、とわたしの頭が諦めの気持ちに支配されたとき。
「え?」
馬がわたしの顔を覗き込むようにした。馬に怯えている様子はなくて、ベロリとその長い舌を出し、わたしの頬をなめた。
わたしを勇気づけてくれようとしているのかな。自分だって危ないのに。そう思うと少しだけ立ち向かう勇気が沸いて来た。
わたしはミステルの杖を両手で握りしめ、どうにか体を起こそうとした。ガクガクと震える脚で立ち、熊と向き合った。
わたしの近くまで来ると、熊は2本脚で立った。
雲にも届きそうな巨体を、わたしは見上げる形になった。
わたしに出来るのはもはや、ひとつしかない。手に持ったミステルの杖を熊にぶつけるだけだ。
恐怖で涙が自然とこぼれ落ちた。それによって熊の姿がぼやけて、気持ちが少しだけ楽になった。
「わーー!」
と大きな声を上げながら杖を振り下ろした。
不思議なことに、何かに当たったような感触はなかった。
いや、当たったのは確か。でも、それは地面にミステルの杖の先端が当たっただけだ。
避けられた?あのスピードなら、それも当然かもしれない。
「……あれ?」
それにしては、熊が襲って来る気配がない。予想された痛みだって全然感じないどころか、大きな生物が目の前にいるような圧がそもそもない。
わたしはミステルの杖から手を離し、手で涙を拭った。
目の前に何かがあった。地面に軽くめり込んだ先に、白くて丸い物体が落ちていた。
それが生き物であることはすぐにわかった。なぜなら、目が合ったから。
「……モフモフ?」
そうとしか考えられなかった。ふわふわの体毛をした丸い生き物。手足どころか耳もないみたいで、でも後ろのほうではしっぽがふるふる振られている。
大きさはサッカーボールよりちょっと小さいくらいで、そのなかにつぶらな瞳が二つある。ポンポンと跳び跳ねるような仕草をしていて、キューという鳴き声を上げている。
召喚したの?
わたしが?
さっき、ミステルの杖を振り下ろしたときに?
「……まさか、あなたが、モフモフなの?」
「キュー」
モフモフらしき生物がそんな声を上げた。
返事をした?わたしの言葉を理解しているのかな。初めて見る生き物とは言っても、さっきの熊と比べたら怖さなんてものは全くない。
とりあえず、抱っこでもしてみようかな。
わたしがそのモフモフらしき生き物に手で触れようとしたら、
「おおおおおおお!これがあのモフモフ様!」
どこから現れたのか、気づいたらブラッドさんとリディアさんが近くにいて、わたしを押し退けるようにしてモフモフの前で膝をついた。
「なんと神々しいお姿!これぞまさに救世主の威光、見ているだけで、わたしの目が焼き尽くされそうだ!」
「う、美しい。この完璧な愛らしいフォルムを目の当たりにすれば、どのような狼藉者もたちまちひれ伏してしまうことでしょう!」
「え、どうして二人がここに?」
呆然としているわたしに、また別の誰かがちかづいてきた。
そちらに顔を向けると、さっきまで木の根本に倒れていたはずのララが平然とした様子で立っていた。
「へぇ、これがあのモフモフなんだ。たしかにどこか、不思議な雰囲気が漂ってるよね」
わたしはララの全身を眺めた。どこにも怪我をした様子がない。服は破れていないし、出血のあともまったくない。
「ララ、平気だったの?」
「うん。転んだときに軽い擦り傷が出来た程度かな」
「で、でも、熊に襲われたんだよね」
そう言えば、あの大きな熊の姿はどこにもない。キョロキョロするわたしに、ララが安心させるように言った。
「熊なんて最初からいなかったんだよ。さっきのは、全部芝居だったからね」
「芝居?」
「そう。アリサの才能を目覚めさせるためのね」
ララによると、ジョブという才能があっても、魔法やスキルを上手に使えない人は結構いるという。
そういう場合、ショック療法が効果的な場合があるという。
その力を使わないといけない状態、もしくは精神的に追い込まれるような状況を作り出すことで、その人が持っている本能が刺激され、魔法などの力を自由に操ることができるようになるという。
わたしもそうだったらしい。ララは念のために教会にここを訪れる許可を取りに行ったとき、二人からそのような提案がされたとか。
そして、ブラッドさんとリディアさんの二人と結託し、この状況を作り出したみたいだった。
「じゃあ、あの熊は?」
「リディアが作ったものだよ。彼女は幻想使いなんだ」
「幻想使い?」
幻想使いというのは、以前に見たものを幻として再現できるジョブのことらしい。あの熊も幻で、ララはその動きに合わせた演技をしていたに過ぎないという。
「それにしては、かなりリアルだったけど」
「初めて見た人には本物かどうかの区別なんてつかないよね。あたしも本当にこれが幻想かと疑ったくらいだし」
それにしても、とララはモフモフを見ながら続けた。
「まさか、ここまでうまくいくとはね。一発でモフモフが出てくるとは、さすがにわたしも思わなかったけど」
「あれって本当にモフモフなの?」
「じゃないの?他に説明がつかないでしょ」
まあ、そうなんだろうけど。なんか、感慨みたいなものは全くないんだよね。
「実際に神秘的な姿をしているし、やっぱり神の遣いは違うんだなと感じるよ」
「神秘的……」
わたしは改めてモフモフを見やった。
どう見ても白いぬいぐるみ程度にしか見えないんだけれど、この世界に住む人にとっては違う何かを感じ取っているのかもしれない。
「とりあえず、触ってみたら?それで感じるなにかがあるのかもしれないよ」
「う、うん」
わたしは教会の二人に断りをいれ、モフモフに手を伸ばした。
すると、ポンッという音を残して、モフモフがその場からいなくなった。
「あれ、どうして?」
わたしに触れられるのが嫌だったのかな。だとしたらショックなんだけど。
「もしかしたら、マジックポイントがなくなったのかもね。ステータスを確認してみたら?」
ララにそう提案され、わたしは「ステータス、オープン」と声を出し、ステータスを手の上に出現させた。
「あ、ほんどだ、ゼロになってる」
ステータスのマジックポイントの項目には0の数字が刻まれていた。
「きっと、モフモフ召喚士っていうのは、モフモフを呼んでいる間にマジックポイントを消費するんだよ。だから突然消えたんじゃないかな。召喚士なんかだと呼ぶときだけだって聞いたけれど、モフモフ召喚士は継続消費するのかもしれない」
「マジックポイントって、どうやって回復するの?」
「時間経過で回復するよ。でも、時間がかかるね。すぐにモフモフを呼び出すことは難しいかもしれない」
ゲームだとマジックポイントって自動回復しないことも珍しくはないけど、ここでは違うみたいだね。基本精神力のはずだから、落ち着けば落ち着くほど早く回復するのかな。
「まあ、なんにせよ、おめでとう、アリサ。あんたもこれで冒険者として、そして何よりも救世主としての一歩を正式に踏み出したわけだ」
最弱の冒険者だけどね、とわたしは自嘲的に呟いた。