エリオット事件 9
そのノック音を聞いたとき、ゴードンは警戒を露にした。嫌な予感がした。ゴードンは勘が鋭く、これまでその感覚で間違えたことはなかった。
滅多に来客がない、ということもある。ゴードンには友人らしい友人はなく、冒険者仲間もいない。
再びノック音。
自宅にいる以上、逃げるわけにはいかない。丁寧なノック音なので、無視するのもかえって悪い結果を生みそうだ。ゴードンはドアを開けた。
目の前にいたのは、男性の二人組。どうやら警備隊らしい。やはりあのことか。
話を聞いてみると、領主の死に関して話を聞きたいとのことだった。毒薬の入手ルートを調べていて、それを手に入れるためには冒険者の関与がなければ難しいからだという。
ゴードンはもちろん、自分は無関係であると主張した。さらなる追求があるかと思ったが、その二人はあっさりと引き下がった。
ドアを閉めると、ゴードンは冷や汗をかいていることを自覚した。これは本能の警告かもしれない。自分は確実に疑われている。すぐに彼らが帰ったのは、こちらの反応をうかがうためかもしれない。
ここにいてはまずい。自分が領主の死に関わっていることは事実だ。
おそらく、そう遠くないうちに逮捕されるだろう。モフモフ使いが疑われているという噂も聞いたが、それが間違いだと気づいたようだった。
ゴードンは地下室に向かうことにした。そこはいまは倉庫代わりとなっていて、毒草や毒物を保管してある。大切な商売道具でもあるし、ここに放置したままでは言い逃れもできなくなる。
そのドアを開けるとき、いまだにノックをしてしまいそうになる。ゴードンは笑った。いまはもう、かつての自分とは違う。
革袋をひろげ、入るだけ入れておく。幸い、担げる程度の重さで済んだ。
そのまま、ゴードンは自宅を出た。しばらくこの街を離れるつもりだった。もしかすると、二度と戻ってはこないのかもしれない。いろいろと思い出のあるところではあるが、逮捕されればそんなものにも意味がなくなる。
隠とんスキルを使ったまま、門のところまで行った。そこを通りすぎても、門番の兵士からは呼び止められることもない。このまま街道沿いを歩き、別の街に向かう馬車にでも飛び乗れば安全に移動することが出来るだろう。
ドサッと背後で音がした。ゴードンが振り向くと、地面に何かが落ちていた。それはゴードンが革袋に詰め込んだはずの毒薬やその原料だった。
確認してみると、革袋が破れていた。妙だな、とゴードンは思った。出掛ける前に袋の状態はしっかりとチェックしていた。まだ新品に近く、激しく動かしてもいないのに壊れることなどあり得ないはずだった。
「おや、これはなんだ?」
声が聞こえた。革袋から散乱した毒薬のほうに視線を戻すと、そこに男性が立っていた。
「見慣れない植物が落ちている。それに怪しげな白い粉が入った瓶も。これは君の持ち物だろう。これがなんなのか、説明してもらえるか?」
隠とんスキルは相手にその存在が指摘されると、効果は一瞬でなくなってしまう。このメガネをかけた男は冒険者であり、自分よりもレベルが上なのだろう。
しかし、腑に落ちない点もある。この男がふいに現れたことだ。ゴードンは周囲を警戒していたので、誰もまわりにいないことは確認していた。
「ん?他にも何かあるな」
そう言ってメガネの男は地面から羽のようなものを取り上げた。
「これは羽ペンだな。これにぼくは見覚えがある。そう、領主の部屋にあったものだ。シロフクロウから作られた希少なもので、一般には流通していないそうだ。どうして君がこれを持っているのか、説明してもらえるかかな?」
はめられた、とゴードンはすぐに気付いた。その羽ペンは瓶の下に隠れるようにして置かれていた。つまり、最初からこの革袋に入っていたということだ。
ゴードンはそんなものに心当たりはない。おそらく、この男がこっそりと入れたのだ。
警備隊が来たとき、自分が話し込んでいる隙に中に入り、地下室にも密かに同行した。そして革袋にものを詰め込んでいるところに羽ペンを入れた。
自分が犯人である証拠をでっち上げたのだ。
「あんたも、隠とんスキルが使えるのか」
「……毒薬を所持し、領主の部屋にしかないであろう羽ペンを持っていた。これは言い逃れ出来るレベルではない。きみが領主殺害に関わっていることは、明白な事実だ。違うか?」
「あっしが領主を殺したと?」
「関与していることは事実ではないのか?」
「……」
ゴードンは門のほうを見やった。衛兵はまだそこにいる。おそらく、事前に打ち合わせは済んでいるのだろう。こちらの騒動を知っても駆け寄る雰囲気もない。
では、どうしてこの男は門から離れたところで、こんな茶番を演じようとしたのか。
例えば衛兵のいるところでわざとぶつかり、袋の中身をぶちまけるように仕向ければ良かったのではないか。
衛兵が直接確認したほうが、証拠能力は格段に高まるはずだ。こんな離れた場所では、いまここでこの男が混入したという理屈も成立してしまうのではないのか。
ーー考えても仕方がない。
ゴードンはその場に座り込んだ。もはや逃げる気はなかった。たとえ相手のやり方に問題があったとしても、領主の件を否定し続けることはかなり難しい。
心のどこかでは、こんな瞬間を待っていたのかもしれない。自分ではもはや立ち止まることは出来なくなっていた。誰かの手によって引導を渡されたかったのかもしれない。
「きみは、ゴードンだな」
「すでにあっしのことは調べてあるんでしょう。こちらから言うことは何もありませんよ」
「きみがこんな犯罪に手を染めるとは、あのときは思いもしなかったな」
ゴードンは怪訝そうな顔で男を見上げた。まるで自分のことを知っているような口振りだったが、彼の顔に見覚えはない。
「ぼくのことは覚えてはいないか。それも当然かもしれない。まともに話したのは、君の奥さんを診察したあのときだけだったからな」
「……あんたは、あのときの」
テレサが倒れたとき、ゴードンの自宅に来てくれた唯一の人物。そうだ、名前は忘れたが、たしかにこんな顔をしていた。
「ぼくのほうはハッキリと覚えている。あのとき、ぼくは薬局を開いたばかりだった。まだ周囲の信頼はなく、お客はひとりも来なかった。そろそろ店を閉めようとしたときに現れたのがきみだった。助けてほしい、ときみは言った。動けない病人がいるから、自宅まで来てほしいと。ぼくが了承すると、きみは涙ながらに感謝をした」
覚えている。そう、自分だって忘れてはいない。
「妻が助からないと聞いたとき、きみは一瞬取り乱したが、それでもぼくを責めることはしなかった。ありがとう、ときみは言った。それを聞いて、ぼくはきみが本当に彼女を愛してるのだと知った。大切に思っているからこそこの現実を受け止め、残されたわずかな時間を有意義に過ごそうとしているのだと」
「……」
「誰かを心の底から思いやれる人間は、誰かの苦しみも理解できるはずだ。きみは自分の作った毒薬で他人が死んだとき、心が痛まなかったのか?」
「心を痛めるに値しない人間も、この世にはいますがね」
ゴードンは知っている。力の強いもののよって虐げられている人間が何人もいることを。声を上げられず、社会の定めた暗黙のルールによって見捨てられていることを。
「正義をなすつもりで毒を売りさばいたと?」
「いまさら、言い訳はしませんよ。あっしが犯罪に手を染めたことは事実ですからね」
男はーーマークはゴードンをじっと見下ろした。
やはり彼は悪人に見えなかった。
これまでにおそらく、公になっていないものも含めてさまざまな事件に関わっていたのだろうが、どうしても憎むような感情はわいてはこなかった。
「……彼女を失ったことで自暴自棄になり、道を外れたのか?」
「……」
「であれば、ぼくはきみに謝罪しなければならないかもしれない」
「謝罪?」
「ぼくは彼女が亡くなる前に、少しだけ話をしたんだ。どうしても様子が気になってきみの自宅を訪れてみると、彼女はひとりで留守番をしていた。きみは買い物に出掛けていたようで、彼女は足を引きずるようにしてぼくの前に姿を現した。聞き覚えのあるぼくの声を聞いて、どうしても話をしたくなったらしい」
そんなこと、テレサは一言も言わなかった。
「彼女はぼくに相談したいことがあるといった。きみについた嘘について、言いたいことがあると言った」
「嘘?」
「彼女はーーテレサは倒れてから記憶が戻ったときみに伝えたらしいが、実際には輩に襲われた時点で思い出していたらしい。自分が何者であり、あの森にどうしていたのか、この体が毒に犯されており、刃物に塗られた毒によって寿命が大きく縮んだことも」
「……」
「その時点で医者に駆け込んでいれば、助かったかもしれないとテレサは言っていた。彼女がそうしなかったのは、きみを危険に晒したくはなかったからだと。無理に生きようとすれば、再びあの刺客達が現れ、きみの命すらも奪ってしまうかもそれないと恐れたからだと」
「……」
「テレサがぼくにそのことを告げたのは、自分が死んだあとにきみにそのことを言って欲しかったからだった。あくまでも自分は死の運命を受け入れたのであって、きみの過失ではないということを伝えてほしいということだった。
そして、ありがとうとも言ってほしいと。自分の口からは言えないと彼女は言った。わずかに残された時間を穏やかに過ごしたい、そんな希望を持っていたからだ。ありがとうなどと言った時点で、きみとの別れを認めるようで辛かったからだとも」
「……」
「しかしぼくは結局、きみにそのことを伝えなかった。彼女が亡くなったあと、きみがあまりにも憔悴していたので、その勇気が出てこなかった。もしぼくがしっかりと伝えていたのなら、きみはこのような道は選らばなかったのかもしれない」
「……同じですよ。これがあっしの本質なんです。ずっと孤独に生きてきましたから、誰かがいようがいなくなろうが何も変わりやしないんです」
「きみがいまも彼女のことを思っているのなら、きっとやり直すこともできるだろう。そうして誰かを想って涙を流せるのならば、まだ心は死んでいないはずだ」
ゴードンは自分の顔に手で触れた。頬を流れ落ちる涙を自覚したのはその時だった。
テレサとの日々がゴードンの頭のなかで、目まぐるしく頭の中で再生される。
出会ったあの日、久しぶりに誰かと取った食事、ひとりで寝るのは怖いと言うから握りしめた手、そして地下室のドアを開けたときのホッとした顔、あえて奥のほうにしまっていた思い出の数々がいま瞬時によみがえった。
「て、テレサ……」
ゴードンは気付いた。全てはテレサを失った悲しみから目をそらすためだったことに。
犯罪に加担することで自分の心を凍りつかせ、まともな感情がないように装うためだったことに。
普通ではいられなかった。本来の自分のままでは心が壊れてしまうことを知っていたから。だから正義の名を借りて、犯罪に加担をした。
「さあ、立つんだ」
マークはゴードンに手を差し伸べた。ゴードンはそれを握り返して立ち上がった。