エリオット事件 8
ゴードンは冒険者が嫌いだった。彼も冒険者だったが、だからこそ、その中での立場というものを嫌でも思い知らされることがあったからだ。
ゴードンは盗賊だった。ジョブという才能を持って生まれたのは誇るべきことだったが、冒険者としての地位は必ずしも高くはなかった。
盗賊はその名の通り盗みに長け、こっそりと移動し、難解な鍵でも開けられたが、その才能を求める冒険者というのはそれほど多くはなかった。なくてはならない能力ではなかったし、他のジョブでも代用できる。
パーティーに盗賊を入れるのは恥ずかしいという風潮もあった。他人のものを盗んで自分の手柄だと主張する、そんな思い込みすらあったからだ。
実際にそのような人物もいるにはいたが、冒険者はすべてが清廉というわけではない。盗賊の犯罪のみがピックアップされる傾向が強かったにすぎない。
ゴードンは孤独だった。戦う力があればまだ需要はあったのかもしれない。しかし盗賊はむしろ逃げるのが得意で、戦闘向けのステータスは上がる気配がない。
バカにされているのはわかっていた。
それでもゴードンは冒険者を諦めることはなく、ひとりで地道にレベル上げを行っていた。戦闘のクエストは難しいので、採取クエストがメインだった。経験値は少なかったが、気楽に行えることがなによりも重要だった。
そんな彼がある日、運命の出会いを果たす。森の奥に薬草を取りに行ったとき、そこでひとりの女性を見かけたのだ。
最初は無視しようとしたゴードンだったが、様子がおかしいことに気づいて立ち止まった。そこにいたのは華奢な女性で、周囲に仲間らしい姿はない。戦闘系のジョブには見えず、ひとりでこのような場所にいることは不可解だった。
近づいてみると、彼女は血まみれだった。周囲には死体などはなかったので、どこかで戦闘が発生し、ここまで逃げてきた可能性が高いように思えた。
彼女は木の根もとに座り、激しく体を揺らしていた。恐怖で錯乱しているのか、近づいてきたゴードンにも気づかない。ゴードンがその体に触れると、彼女は悲鳴を上げた。そしてそのまま気絶してしまった。
こんなところに放置するわけにもいかない。ゴードンは彼女を背負って森を出た。彼女の自宅などわからないので、とりあえず自分のベッドに寝かせるしかなかった。
翌日に目覚めた彼女は記憶を失っていた。自分の名前や過去を知らず、あのとき何が起こったのかも覚えてはいなかった。
ゴードンはそれも当然だと受け止めた。恐怖で記憶を失うことはよくある。家族にでも会えば元通りになるだろうと思い、ギルドへと連れていくことにした。
しかし、妙なことに彼女を知るものはいなかった。調べてみると、彼女はジョブ持ちですらないことがわかった。冒険者でもない人間がモンスターのいる森に入ることはおかしい。
親類を頼ることすらできない彼女を、ゴードンはしばらく面倒をみることとなった。ギルドに押し付けられた感じもないことはなかったが、ゴードンはさほど悪い気はしなかった。彼女はゴードンをバカにはしなかったからだ。
ゴードンは見た目でも引け目を感じていた。大人になっても身長が伸びず、周囲からは小人とからかわれることがあった。
隠れ進む盗賊としてはメリットもあったが、ひとりの男性としては屈辱の日々を送っていた。そんな自分を普通の人間として認めて頼ってくれる彼女を、ゴードンは好ましいと思うようになった。
ゴードンはそれまで以上に働いた。誰かのためにという思いがあると、疲れも感じにくくなった。家で誰かが待ってくれている、そんな想像をするだけでクエストははかどった。
彼女の名前はあえてつけなかった。別の名前をつけると、本来の記憶が呼び起こされなくなるのではないかと危惧したからだ。それでも不便はあまり感じなかった。名前がなくとも、意思の疎通に困ることはなく、彼女もそれを求めなかった。
彼女はゴードンの仕事に興味を抱いていた。とくに薬草に関しては強い関心があった。ゴードンの引き受けた採取クエストの目的が薬草だと、それがどんな効能があるのか知りたがった。
ゴードンはあまり記憶力の良いほうではなく、クエストの内容もメモを取ることが多かった。どんなものが必要とされるのか、どこへと行けばいいのか。薬草の知識ももともとはなく、メモにはびっしりとその姿や名前、効能が記されていた。
彼女はそれを読むと、自分も手伝いたいと言い出した。ただでお世話になるのは窮屈で、何か役に立つようなことがしたいと。
ただ遠いだけで安全なクエストもあるにはあるが、一般人を連れていくわけにはいかない。そんなのはピクニックでしかなく、冒険者としては恥ずべき行為でもある。
彼女も無理な願いだと自覚していたのか、無理には頼もうとはしなかった。ただ、初めて何かに執着する姿をみて、それが彼女の過去と何らかの関わりがあるのではないかとゴードンは思った。
穏やかな日々が続いた。ゴードンと彼女は恋人や夫婦とは言えなかったが、それでも家族と呼べるようなほどの親密さはあった。
このままの生活がずっと続くのかもしれない、とゴードンは思った。それで充分だった。ゴードンはこのとき初めて生きている実感というものを感じていた。
しかし、その幸せは長くは続かなかった。
あるとき、ゴードンがクエストを終えて自宅に帰ると、彼女が何者かに襲われていた。ゴードンはその不審人物をなんとか追い払ったが、彼女は刃物で切付けられたあとだった。
幸い重傷ではなかったものの、彼女はショックを受けていた。事情を聞いてみると、どうして襲われたのかはわからないらしい。ゴードンは危険を回避するために自宅の場所を移すことにした。
余計なものにお金は使わなかったため、ゴードンはかなり裕福だった。自分が留守の間の彼女の安全を考慮して、地下室のある豪邸を購入した。ここに隠れていれば、何者かが侵入しても逃げきることができる。
ゴードンはそれまで以上に働いた。自宅の購入で資金がつきかけたからだ。他の冒険者がやりたがらないクエストも積極的に受けた。危険は増したが、彼女の安全を思えば苦にはならなかった。
遠出をするときは、なるべく地下室に隠れるように彼女には言っていた。地下室は広く、個人の部屋としても利用できる設備が揃っていた。
クエストをクリアして自宅に戻ると、ゴードンはまず地下室へと向かう。
地面に設置されたドアには複雑な鍵がかかっており、何も知らない人間には簡単には開けられない仕組みとなっている。
ただ、内部からなら容易く開き、彼女には自分だとわかったときだけ開くように言ってあった。
ノックを素早く二回、それから少しの間を置いて一回、これがゴードンの帰宅した合図だった。
ドアをわずかに開いてゴードンの姿を確認すると、彼女はホッとしたように微笑んだ。その笑顔を見るために仕事をしているのかもしれない、とゴードンは思うことがあった。
ある日、いつものようにドアをノックをすると、いつまで待っても向こうから開かなかった。声をかけてみても、静かなまま。眠っているのだろうか。
しかし、何か嫌な予感がする。ゴードンは不安にかられたまま、隠していた鍵で地下室のドアを開いて中に入った。
彼女は地下室で倒れていた。うつ伏せの状態で、冷たい床に顔を押し付ける形となっていた。
まさか再び襲われたのか。しかし抱き上げてみると、どこにも傷はない。まだ息はあったが、それもか細いものだった。
ゴードンは家を出て、医者を呼びに行った。
しかし、もう遅い時間でもあり、ほとんどの人が対応はしてくれなかった。
唯一ちゃんと話を聞いてくれたのが薬草店の店主で、店はもう閉まる時間だったのに、ゴードンの自宅まで行き、彼女の状態を調べてくれた。
これは毒だな、と薬草店の店主は言った。もう体の髄まで侵食されており、助かる見込みはないとも。ゴードンは信じられなかった。毒など扱ったことはないし、彼女が勝手に家を出ることもなかった。
では過去か。自分の知らない彼女の過去に、毒にまつわる何かがあった。
翌日に目覚めた彼女は、自分の死期が近いことを悟っていた。記憶が戻ったらしく、その原因についても心当たりがあるらしかった。
自分の過去を、彼女はゴードンに語った。
彼女の名前はテレサ。この街の貴族につかえるメイドだったという。その中でもテレサの立場は弱かった。もともと奴隷上がりだったためだ。
テレサにはひとつ、特別な役割りが与えられた。それは貴族の毒味役だった。そこの主人が食事をする前に、テレサはわずかな量を口に含まなければならなかった。
貴族が突然倒れ、その原因が毒であると知らされたとき、テレサは驚いた。自分にはなんの害もなかったからだ。
そのため、最初に疑われたのがテレサだった。毒味をするときに、何らかの方法で毒を混ぜたのではないかと疑われた。
しかし、その疑いはまもなく晴れた。本格的な調査のなかで、別のメイドの仕業だと判明したからだ。
首謀者は別にいた。主人の妻とその愛人の男性だった。
貴族の妻は老いた夫に愛想を尽かし、別の男性と浮気をしていた。そして家を乗っ取るために二人で毒殺計画を立てて、金でメイドの一人を取り込んだのだ。
毒はバレないレベルで調整されていた。健康な人間が飲んでも明確な反応は出ないが、高齢で持病を有している主人には確実にダメージが蓄積されていたのだ。
貴族の主人はこの醜聞を表に出すことを嫌がった。なかむつまじいおしどり夫婦として知られていたからだ。
そのため、公権力による処刑は望まなかった。妻は自宅に軟禁することにし、浮気相手とメイドを人知れず森で処分をすることにした。
そのひとりがテレサだった。結果的にではあるものの、毒味役の役割りを果たさなかったという理由で、ともに殺されることになってしまった。
その後に起こったことを、テレサは完全には把握していない。
森の中に入り、主人に雇われた兵士が剣を引き抜き、一人目のメイドを殺した。そして自分の番になったとき、そこにまた別の兵士らしき人物が現れた。
その正体はもしかすると主人の妻にこっそりと雇われた誰かだったのかもしれないが、テレサは逃げることに必死だった。
剣のつばぜり合いを背にテレサは走りだした。それがどこに向かっているのか、森の奥なのか出口なのかもわからなかった。
ふいに体が軽くなったと思ったら、次の瞬間には斜面を転がり落ちていた。平らな地面でその回転が止まったとき、すでにテレサの意識はなくなっていた。
しばらくして気づいたときには記憶も失っており、テレサは混乱したままフラフラと森のなかを歩いた。そして体力がなくなって休んでいるときに、ゴードンと出会ったのだ。
ゴードンに匿われたあとにテレサを襲ったのは、おそらくその貴族が放った刺客だと思われた。テレサが生きていることをどこからか聞き付け、事件の真相が明るみになるのを防ぐ目的だった。
テレサは重症だった。助かる見込みもなかった。
テレサの体もまた毒で犯されており、刺客の刃にも毒が塗られていたのかもしれない。徐々に体を蝕んでいった毒はテレサの命を確実に削り、あと一歩のところまで追い込んでいた。
ゴードンは後悔した。軽傷だと侮らずにちゃんと医者に見せれば良かった。そうすれば助かっていたかもしれない。
数日後、テレサは亡くなった。ゴードンは再び孤独となった。生き甲斐と愛する人を失った。何もする気はなくなり、一時期は自殺まで考えるほどだった。
ゴードンは仕事に復帰することにした。これは生活のためだけめはなかった。テレサの復讐のためでもあった。
テレサを死に追いやった貴族を、ゴードンは殺すことにした。そのための毒草を得たかった。テレサと同じ苦しみかつての主人にも味わわせてやりたかった。
テレサの復讐を果たしたあとも、ゴードンは毒の採取をやめはしなかった。同じような悪人を倒したい、そんな衝動にかられた。毒は弱者にとっての武器になる。それを困っている人たちに分け与えよう。
それがいつしか商売へと変わっていった。
愛する人を失い、もはやゴードンをこちら側にとどめるものはなかった。
ゴードンは闇商人としてさらなる犯罪に手を染め、後ろを振り返ることもなく、怒りと絶望に身を任せたまま、まっすぐにただ進んだ。