エリオット事件 3
「ん?」
ティムくんが何かを見つけてしゃがみこみ、エリオットさんの太もも辺りに目をやった。
「ズボンに白い粉末が落ちている。これはフケのようには見えない。粉末状の薬か?」
「旦那様は薬を服用しておりませんでした。医者の先生からはすすめられておりましたが、腎臓のほうを痛めておりましたので、副作用のほうが強く出ることを恐れていたのです」
ティムくんはその白い粉を指につけ、親指と人差し指で擦り付けるようにした。
「刺すような痛みを感じる。これはおそらく毒だな」
「毒?」
「……デスク上にそれらしきものはない。引き出しを調べてみよう」
ティムくんはそうしてサイドの引き出しを開けていったけど、目的のものは見つからなかったようだった。
「残りは体の正面にある引き出しのみだが、この状態では開けそうもないな」
デスクの一番大きくて細長い引き出しは、エリオットさんのちょうどお腹辺りにある。そこはデスクに倒れるようになっているエリオットさんの体で完全に塞がれる格好となっていた。
ティムくんはエリオットさんの体に触れた。
「死後硬直は始まったばかりか。今のうちに横たわらせておいたほうがいいかもしれない。執事さん、体をどかすのを手伝ってもらえるか」
「了解しました」
エリオットさんの体は大きく、ひとりでは動かすのも容易ではなかった。ティムくんとマーカスさんは協力してエリオットさんを椅子から下ろし、その体を床に横たえた。
「では、確認してみよう」
ティムくんは引き出しを開けて、中を覗き込んだ。何かを見つけたらしく、奥のほうへと手を伸ばすティムくん。
「どうやら、これのようだね」
ティムくんが取り出したのは、ハンカチのような布だった。四隅が上部で絞られるような形となっていて、そこを紐で閉じられていた。
「見てくれ、中に白い粉が入っている」
布を開いてみると、そこには白い粉末状のものがおさまっていた。ティムくんが軽く触れてみると、さきほどと同じように刺激を感じたらしく、毒物であることは間違いがなさそうだった。
ティムくんはさらに引き出しに手を入れ、今度は小さめのスプーンを取り出した。
「毒物のすぐとなりに置かれていた。これで粉を掬ったようだね」
「ということは、自殺ということでしょうか」
「いや、そう判断をするのはまだ早い。ひとつ気になるところがある」
「気になるところ、ですか?」
「この毒物がデスクのこの引き出しに入っていたことがだ」
ティムくんは人差し指でデスクをコンコンと叩いた。
「それが不可解なことですか?毒物とはいえ、即死とは限りませんし、他のだれかが誤って薬に触れないよう、それを服用したあとに引き出しにしまった、という旦那様の気遣いも十分に理解できるものかと思いますが」
「たしかにそのような発想は理解できる。問題はどうして引き出しに入れることが出来たのか、と言う点なんだ」
ティムくんはそう言って引き出しに手をかけた。
「この毒物は引き出しの奥にしまわれていた。しかしそれを入れるにはある程度の隙間がないと難しい。領主の体は大きく、椅子に座った状態ではわずかにしか開かないことは、ぼくがすでに確認をしている。出っ張ったお腹が隙間を塞ぐ形となっている。ではどのようにしてこれを奥に入れたのか」
「とくに難しいことでもないことかと。一度椅子を後ろにずらせば、充分な空間が生まれるはずです」
「はたしてそうかな」
ティムくんはエリオットさんが座っていたひじ掛け椅子を引いてみた。
「領主さんの体重を支えるため、この椅子は頑丈に作られているようだ。だからこそ、重量もそれなりにある。車輪などもついていないし、領主さんひとりでは動かすのも苦労するように思う。椅子に座ったり立ち上がったりするときは、常にあなたの介助が必要だった。違うかな?」
「それはたしかに、おっしゃるとおりです。とくに身体を悪くされてからは、わたくしの手助けは必須でした」
ティムくんはうなずいてみせた。
「それに、わざわざ正面の引き出しに隠す必要もないはずだ。サイドにも引き出しはある。誰にも触れてほしくないのなら、そちらを利用すれば良かっただけのこと」
「では、そのスプーンを使って奥のほうにやったのでは?もしくは指で弾くようにすれば、わずかな隙間でも奥にやることが可能かと」
「毒物の入った布だけならそう言えるかもしれない。しかしこのスプーンはどうだろう。これは布の左となりにまっすぐに置かれていた。弾いた結果とは思えない」
「では、どのようにしてそれは置かれたというのですか?」
「とても単純な話だよ。領主さんではなく、別の誰かがこれを入れたんだ。立った状態なら、わずかな隙間からでも、手を滑り込ませるようにして、奥に突っ込むことが可能だ。何者かが領主さんを殺したあと、自殺に見せかけるために中央の引き出しにこれをいれた。そう考えるのが筋というものじゃないかな」
ティムくんは引き出しに手を入れてみた。たしかに立った状態なら指を奥まで伸ばすことができるみたいだった。
「旦那さまが立った状態で自ら引き出しを開けた、ということもあるのではないでしょうか。ワインにそれを事前に入れておけば、すべてのことが説明できるのではないですか?」
「領主さんの太ももには毒物の粉が落ちていた。これは立った状態では決してつかない痕跡だ。領主さんの服は毎日洗濯されているだろう。この白い粉は今日この日に落ちたと考えるのが自然だ。違うかな?」
「……」
「おそらく、信頼のできる何者かがあなたにでも飲める薬だよとすすめ、それを飲んだ領主さんが亡くなったあと、これを持ったままではまずいと引き出しにしまったに違いない。その際、スプーンにでも残っていた粉が太ももに落ちたのだろう」
「にわかには信じがたい話ですが」
「ワインが開けられたばかりのものなら、今日この部屋を訪れたものの仕業に違いない。怪しげな人物はいなかったとのことだが、内部のものなら犯行も容易だろう」
「わたくしやメイドを疑っているのですか?」
「この館に外部の人間が誰も出入りしていないというのなら、その可能性が一番高くなるのだけれど」
マーカスさんは一度メイドさんたちのの方を見やった。
「……実を言いますと、わたくしは今日はこの家を留守にしておりましたので、正確には出入りについては存じ上げないのです。面識のないものはわたくしの留守中には入れないように伝えてあるので、不審人物が中に入ることは不可能かと思っただけなのですが」
「なるほど。では顔見知りが領主さんと合った可能性はあるわけだ。それに、この屋敷は広い。あなたが不在の時に何者かがこっそり侵入した、という可能性も否定すべきではないと思う」
「しかし」
マーカスさんはそれでも、毒殺の可能性は否定したいようだった。領主の立場とはいえ、やっぱり主人が誰かの恨みを買っていたという事実は認めたくない気持ちは良くわかる。
「だったら、あなたのシャーマン能力で調べたら良いのではないですか?」
ベアトリスがそう指摘をする。ティムくんの能力、シャーマンの憑依を使えば、真実はすぐに明らかになるはずだ。
「ぼくは出来れば探偵のように論理的な思考による解決を望んでいた。しかし、きみの言うことももっともだ。グズグスしていると衛兵らが来て、無関係のぼくたちは追い出されてしまうかもしれない。ここは事件解決を優先しよう」
「あなたがシャーマン探偵でしたか。噂には聞いております」
「執事さん、シャーマンについての知識は?」
「ございます」
「では、ぼくが領主さんを降ろしたら、あなたに真相を聞いてもらいたい。見た目も変化するので驚くかもしれないが、そこは耐えて欲しい」
「かしこまりました」
「憑依は本来、ある程度時間を置いたほうが良いんだ。亡くなった直後だと長時間の維持は難しい。出来れば率直な質問をお願いしたい」
マーカスさんがうなずくと、ティムくんは両手を胸の前で組み、目を閉じた。
「おお」
マーカスさんを初めとした館のみんな驚きの声を挙げる。
少年の姿が霧をまとったようになり、そこからだんだんとふくよかな初老の男性へと変化をしていく。
「まさに、旦那さまそのものです」
すぐに近くにエリオットさんは倒れているので、これが能力の産物であるとみんな受け止めてはいるけれど、そうでなかったらエリオットさんが生き返ったと誤解しても不思議ではないくらいだった。
「おっと、こうしている場合では」
マーカスさんはわざとらしく咳をした。
「ではさっそく、旦那さまへとお伺いします。あなたは誰かに毒物を盛られたのですか?」
エリオットさんの姿をしたティムくんがうなずいた。
マーカスさんは驚愕の表情を浮かべた。
「なんと……では、その人物について教えていただけますでしょうか」
エリオットさんを憑依をしたティムくんが腕を上げ、あるところを指差した。
「ん?」
その指先はわたしへと向けられていた。
もちろん、わたしは犯人じゃない。
さっきまで寝ていたわけだし。
ということはメイドさんの中に?わたしの背後にはメイドさんたちが整列しているので、その中の誰からしい。
それそれで衝撃的な事実ではあるのだけれど、犯人を見つけるためには仕方がない。内部の人の犯行かもしれないともさっき言ってたし。
「ちょっと避けますね」
わたしは部屋の隅のほうへと移動した。後ろに誰もいないところに立った。
しかし、その指先はわたしのほうに向いたままだった。後ろを見ると、そこには壁しかない。この向こうに誰かがいるってこと?
「えっと、誰か隣の部屋か廊下を確認してもらってもいいですか?犯人はこの部屋の外にいるみたいなんですよ」
けれども、誰もわたしの言葉には反応しない。そう言えばこの屋敷の人は全員ここに集合している。
つまり……どういうこと?
「残念だよ、アリサくん。まさか世界を救うべききみが殺人に手を染めるとは」
ティムくんが元に戻ってそう言った。
「わ、わわわわわわわわわわわ、わたしが犯人ですか!?」




