アリサ祭り 2
ひとりポツンと、取り残されるわたし。あんなふうに言われた以上、勝手に家に戻ることはできない。
わたしにはこれまで、完全にひとりのときはあったのかな。いつもララかベアトリスがそばにいたような気がする。
実際にこうして一人になると、一気に孤独感が湧き上がってくる。ああ、わたしっていま異世界にいるんだなって改めて思う。
「まあ、大丈夫だよね」
今日くらいはひとりの人間として、のんびり過ごすのも悪くないのかもしれない。
こっちには慣れてはいるから、少し経つとひとりでも平気なような気もしてきた。
街を歩いていると、たしかにいつもに比べるとかなり気楽だった。誰もこちらを気にしていない。
しばらくしても、わたしだと気づく人はいなかった。人の視線というのは思った以上にストレスになっているのかもしれない。
普段だと頻繁に声もかけられるものだけれど、わたしは完全に一般人として街に溶け込んでいた。フードをかぶっていたので、あくまでも祭りの参加者のひとりとして認識されていた。
広場のほうでは、わたしのそっくりさんコンテストがおこなわれていた。壇上に何人かの黒服の女の子が並んでいて、一人ずつモフモフと叫んでいた。どんな基準で優勝者が決まるのかはわからないけど、なかなかシュールな光景だなと思った。
あるところでは、フィオナとわたしの真似をした誰かが喧嘩をしていた。近づいて内容を聞いてみると、どうやらどちらが女神として優秀なのかで口論になっているらしい。
いや、そんなの言うまでもなくフィオナのほうなんだろうけど、わたしが名乗り出るわけにもいかない。それにしても、わたしなんかにファンがいるなんて。それを知っただけでもなんか嬉しかった。
しばらく歩いていると、お腹が空いたので食事をしようと思ったのだけれど、よくよく考えたらお金を持っていなかった。普段からお金の管理はベアトリスがやっているので、わたしの所持金はゼロだった。
「うぅ、お腹空いたよ」
歩く体力がなくなり、わたしは手近なベンチに座ることにした。
わたしがモフモフ召喚士と伝えたら、ただでご飯を食べさせてくれるところあるかな、なんて情けないことも考えてしまう。
「どうしよう。こんなすぐに自宅に帰るわけにもいかないし、教会にでも行って食べさせてもらおうかな」
「どうかしたの?」
そんなわたしにかけられた声があった。女性の声だった。顔を上げてみると、そこにはわたしがいた。
「お腹を抑えてるけど、もしかして腹痛とか?」
「……え?」
わたしは絶句した。そこにいたのは本当にわたしだった。ただのそっくりさんじゃない。顔や背格好がまったくと言っていいほど同じ女性だった。
まさに鏡でも見ているかのような感じで、わたしはあまりの空腹に幻覚でも見てしまったのかと思った。
「あれ?もしかしてあなたはモフモフ召喚士のアリサさんじゃない?」
「そ、そうだけれど」
「やっぱりそうだ。同じ格好の人ばかりだからすぐには気づかなかったよ」
やっぱり似ている。じっくり見てもそう感じる。髪型はオデコの自己主張が強いオールバックではあったのだけれど、その他はわたしそのもの。黒髪に黒目で、肌のいろも同じ。
「あ、あなたは?」
「あ、もしかして驚いた?わたしと顔似てるよね」
「う、うん」
「わたしの名前はフローラ。あなたとそっくりだとある旅人に言われて、よその街からこのお祭りに参加を決めたの。半信半疑ではあったけれど、本当に似ていてビックリしたよ」
このフローラというこの人はエルトリアの住人ではないみたい。
そりゃそうだよね。ここまで似ている人がいたら、誰かからすでに教えてもらっているはずだし。
「もしかして、血の繋がった姉妹とかだったりして。噂だと、アリサさんは記憶がないんだよね」
「そ、そうだね」
「わたしの両親のどちらかが浮気して出来た子どもだったりするかもしれないよ。実は双子で、アリサさんだけが捨てられたとか?ありえないかな?」
「それはないと思うよ」
わたしがこの世界で生まれたのなら、その可能性もあったのかもしれないけれど。
そのとき、ぐうぅとわたしのお腹が鳴った。
「あれ、もしかしてアリサさん、腹痛じゃなくて、空腹だったとか?」
「ご、ごめんなさい」
となぜか謝ってしまうわたし。
「じゃあ、ちょっと待ってて」
フローラはそう言ってわたしの前から離れた。
しばらくして戻ってきたとき、その手には一枚のお皿があった。
「これを食べてよ。そこの屋台で売ってたから」
お皿の上に乗っていたのは、パンケーキのような丸いものと、四角く切り分けられたグラタンのようなもの。
「これは?」
「食べたことない?ひとつはじゃがいもで作ったパンケーキのボクスティで、もうひとつがじゃがいものミートパイのシェパーズパイだよ」
そう言われてみると、どちらもたしかにじゃがいもの色合いを残した料理。
「どっちもじゃがいもなんだ。ここの名産なのかな」
「どこでも食べられるものだよ。庶民だと一般的な食べ物だしね。じゃがいもは色んなところで取れるし、安くもあるから、庶民はパンよりもじゃがいものほうをよく食べるんだよ」
わたしはパンがメインだったけれど、それってモフモフ召喚士だから優遇されていたってことかな。
「フィオナもじゃがいも料理が好きだったみたいだよ。戦時中は小麦よりも栽培のしやすいじゃがいもの料理がメインだったようだから、それで好きになったのかもしれない。当時のことなんかを思い浮かべながら食べるのもひとつの楽しみだよね」
「フローラはフィオナのことについて詳しいんだね」
「ま、まあね。わたしの地元もここから近いし、なんと言っても世界を救った女神だもの。みんな関心を持つのが普通だよ」
なんか、そう言われると恥ずかしさが込み上げてくる。わたしは女神とも呼ばれているのに、この街のことを知らなすぎる。
「とにかく、それを食べてよ」
「もらってもいいの?」
「うん。安いものだから遠慮なんてしなくていいよ。わたしはもう食べたし」
「ありがとう」
お皿にはフォークが付属していたので、わたしはそれを使って食事を始めた。
おいしい。じゃがいもの甘さが際立っていている。パンケーキとミートパイはどちらも素朴な味わいではあるけれど、だからこその安心感みたいなものも感じる。
地球にいたとき、わたしはじゃがいも美味しいと感じたことはなかったように思う。
ポテトチップスとか完全に加工されたものならともかく、コロッケやサラダなどのじゃがいもそのものの味を感じられるものは、むしろ苦手だったのだけれど。
「それで、アリサさんは何をしていたの?この街に住んでいるなら、迷子とかじゃないよね」
わたしが食事を終えると、フローラがそう聞いてきた。
「ちょっと、散歩みたいな感じかな。」
「あ、もしかして、お忍びとか?有名人だとわーわー騒がれるから、この機会にひっそりと街歩きで気晴らしをしたいとか?」
「まあ、正解かな」
「モフモフ召喚士もたいへんだね。わたしが代って上げられたらいいのに」
きっとわたしたちが入れ替わっても、誰も気づかない。フローラがずっとこの街にいるなら、そういうイタズラをするのも面白いのかもしれない。
「フローラはいつ地元に帰るの?」
「お祭りが終わったらすぐかな。そのためにこっちまで来たわけだから」
じゃあ、無理なお願いはできないかな。ララたちが驚く顔を見たかったのだけれど。
「ねぇ、アリサ、ひとつお願いがあるんだけど、いいかな?」
「何?」
「それ、持ってみたいんだけど」
フローラが指し示したのはベンチに立て掛けていたミステルの杖。
「別にいいけど」
以前だったら、そう簡単にはこのミステルの杖を他人には触れさせることはなかった。わたし以外の人が持つと呪われてしまうとブラッドさんが言っていたから。
でも、実際にはそんなことは起こらなかった。わたしが街でモフモフを見せたりしているとき、子どもたちが勝手に杖に触れたりもしたのだけれど、それでだれかの具合が悪くなるようなこともなかった。
「じゃあ、ちょっとだけ借りるね」
フローラは立ち上がると、ミステルの杖を持った。
「一度、これを使ってモフモフ召喚の真似をしてみたかったんだ。アリサさんと顔が似ているからもしかしたら、とも思うんだよね」
フローラは杖を高く掲げて、「モフモフ、召喚!」と叫んだ。
何も起こらない。当たり前だけれどモフモフは出ないし、フローラの様子にも変化はなかった。
「やっぱり無理だよね。似ているとはいっても、本物じゃないんだから」
フローラは心底がっかりした様子で、ミステルの杖を元の場所に戻した。
「そんなにモフモフが好きなら、わたしが呼んでみようか?」
「そこまでしてもらわなくても良いよ。だってそんなことをしたら本物のアリサさんだって、みんなにバレちゃうから」
そう言いながら、フローラはベンチに再び腰を下ろした。
それもそっか。観光客の多いいまの時期にモフモフなんかを出したりしたら、一気に人が押し寄せてくるよね。それだとわたしが一人でいる意味もなくなってしまう。
「フローラの両親はいまどこにいるの?宿屋に泊まってる?」
フローラはしばらくの沈黙のあと、首を横に振った。
「両親はこっちには来ていない」
「え?じゃあ、ひとりでエルトリアまで移動してきたの?」
「うん、乗り合い馬車を使って。実はさわたし、家出をしてきたんだよ」
「家出?」
「両親とちょっと喧嘩をしちゃって。それで勢いでそのままに、家を飛び出してこっちまで来ちゃったんだよね」
「喧嘩って、どうして?」
「しつけが厳しかったから。うちは実は貴族で、いろんなことを覚えなくちゃいけなかった。親はどちらも教育熱心で、わたしは友達と遊ぶことも簡単にはできなかった。それでどんどん不満が溜まっていって……」
フローラは貴族。だから馬車に乗れるお金も持っていたんだね。
「教育って、具体的にはどんなことなの?」
「勉強はもちろん、剣術や格闘術なんかも学んだりするんだ」
「女の子なのに?」
「別に不思議なことじゃないよ。この国を救った女神であるフィオナに習ってのことだから」
こっちはフィオナという女性が最高神。女性が戦うというのも全然あり得ることなんだよね。冒険者にも女性は多いし。
「わたしは運動は全般的に苦手で、何度も根をあげたけど、両親は簡単には許してはくれなかった。勉強もそう。難しい計算や本を何冊も読まされたんだ」
「両親はフローラのことを思ってそうしていたんだよね」
貴族というものがどんなものなのかはよくわからないけれど、幼い頃からきっと社交場なんかに出て、そこでの教養なんかも問われるものだと思う。
親としてはあくまでもフローラのためにしたことだろうけれど、まだそれを完全に理解できる年齢ではないのかもしれない。
「それはわかっている。わかってはいるけど、どうしても耐えられなかったの」
そのときのことを思い出したのか、フローラの目には涙が浮かんでいた。わたしの想像以上のスパルタだったのかもしれない。わたしは彼女にハンカチを渡した。
フローラはわたしのハンカチで涙を拭った。そんな姿を見ていると、わたしとはあまり似ていないのかなとも思った。
「歴史にもあまり興味はなかったんだけど、フィオナの物語にはいつしか没頭するようになっていた。その活躍に胸を躍らせ、わたしもこんなふうに強くなりたいとやがて思うようになっていったの」
「そうなんだ」
フローラはこちらを見て、ほほえんだ。
「こうしてアリサさんとお話が出来て良かった。同年代の友達もわたしにはいなかったから、誰にもこういう気持ちを打ち明けることができなかったの」
「なら、しばらくこっちにいたら?フローラの実家にはわたしから誰かにお願いして連絡してもらえば良いし」
わたしと同じように、フローラにも一人になる時間がもっと必要かもしれないと思った。モフモフ召喚士であるわたしがお願いすれば、きっと両親も受け入れてくれるはずだって。
けれども、フローラはすぐに首を振った。
「その気持ちは嬉しいけど、遠慮しておく。いつまでも逃げ続けるわけにもいかないから」
そう言ってフローラは、こちらのほうに体を傾けてきた。
「ねぇ、アリサさん、ひとつお願いがあるんだけど、いいかな?」
「なに?」
「わたしのこと、抱き締めてほしいの。そうすれば勇気をもらえる気がするから」
「うん、いいよ」
わたしはベンチに座ったまま、フローラの体を両腕で包んだ。ありがとう、とフローラは言った。