話し合い
「そうか。かつてこの街でそんな事件が起きていたとは知らなかった」
わたしたちは家の中に移動し、リビングでハーミットさんと向かい合っていた。ザイードで起きた事件について詳しく教えてくれるらしい。
そのなかで、わたしたちはリディアさんの過去を伝える機会があった。ミランダさんとの話を、ハーミットさんは興味深く聞いていた。
リディアさんのプライバシーに関わることではあったからためらいもあったのだけれど、こればかりはあとでリディアさんに謝るしかない。子どもたちを救うための情報なら、リディアさんも納得してくれるはずだと思ったから。
「召喚治療については、あまり知られてはいない技術だ。どう説明しようかとも悩んでもいたが、すでに知識としてあるなら話は早い」
「ザイードの子供たちはやはり、悪魔をその体に降ろされた、ということですか?」
ハーミットさんはうなずいた。
「ああ。そういうことだ」
「でも、悪魔化するのは難しいと聞きました。人間の体が結局は耐えられなくなると。ルシアちゃんたちもいずれ、そう遠くないうちに亡くなってしまうということですか?」
これがダーナ教団の仕業とすると、そこは腑に落ちない点でもある。
すぐに亡くなってしまう子供たちを味方にしても、なんの意味もないことだから。戦力にはならないし、逮捕される危険だけが増すことになる。
「いや、彼らが行ったのは、単なる悪魔降ろしではない。それを進化させたものだ」
「進化させたもの?というと?」
「ザイードで悪魔化した子供はみんな五歳だったということは、きみたちも知っているだろう。そここそがもっとも重要な点なんだ」
「わたしたちが調べた限りでは、それ以上はなんの共通点もなかったんですけど」
「子供本人に自覚がないのは当然だろう。その頃は生まれてもいなかったわけだからな。親としても違和感のある行為ではなかったから、今回の件とすぐには結び付けられなかったのだろう」
「生まれていない?どういうことですか?」
「この黒幕には当然、ダーナ教団がいる。やつらは自分たちの勢力を広げるべく、人間の悪魔化計画を思い付いた。それが可能ならば、召喚士ひとりで大量の仲間を作り出すことができる。しかし、そのほとんどが失敗に終わり、軌道修正を余儀なくされた。そのなかで偶然生まれたのが胎児召喚だった」
「胎児、召喚」
その瞬間、わたしの頭にはルシアちゃんのお母さんの言葉が浮かんだ。ルシアちゃんを妊娠しているときに体調不良に襲われ、素性の分からない医師に救われたというもの。
「これは母親の妊娠中に、その赤子に幼い悪魔を召喚、移植する行為だ。召喚された幼い悪魔は力が弱く、その時点では相手に害を加えない。しかし無力というわけではなく、赤ん坊の成長とともに悪魔も力を得ていき、やがて人間と同化するのだ」
それならゆっくりと融合するので拒絶反応のようなものは生まれることなく、悪魔人間が無事に産み出されるらしい。それを魔族と呼ぶこともあるのだと、ハーミットさんは言った。
恐ろしい計画だと思った。倫理的に許されない行為とはいえ、そんなことを平気で行えるダーナ教団の強さを知った気がした。
「もちろん、これは大変な作業だ。その体に悪魔が馴染むまでは数年を要すると言われている。幼いとはいえ、ずっとそれを召喚し続けるのはよほどの才能がないと難しい。他のことを犠牲にする覚悟がないといけないだろう」
「でも、実際にそれをやったわけですね」
「そうだな。わたしは個人でザイードを調査したが、五年前もあの街では異変が起こっていた。謎の病によって体調不良を訴える人が続出した」
「はい。それは、わたしも聞きました」
「おそらく、そのときに治療と称して召喚を行ったのだろう。妊婦に赤の他人が近づくのは容易ではないから、特別な事情を作り出したのだと思う」
「作り出した?謎の病のほうも偶然ではなく、作戦のひとつだったということですか?」
わたしはてっきり、ダーナ教団は妊婦が病気になるのを待っていたとばかり思っていたのだけれど。
「きみたちもセイレーンの姿を目撃しただろう。おそらく、あれを使ったのではないかとわたしは考えている」
「セイレーンを?」
セイレーンはその歌によって相手を惑わしたり、害を与えたりすることができる。
そのときに使ったと思われるのが、セイレーンによる聞こえるか聞こえないかくらいの低音ボイス。
吟遊詩人のウィスパーのように、誰にも悟られずに脳に直接届き、密かに体調不良を引き起こすことができるという。
「被害者が女性に偏っていたのも、当然のことだろう。女性はもともと繊細なつくりをしているし、妊婦ならなおさらのことだろう。非常に敏感になっている時期で、わずかな異変も無視することはできない。セイレーンの歌によって必然的にザイードでは妊婦の体調不良が増加した。そこに現れたのが医者を名乗る召喚士だ。治療と称して妊婦の腹部に召喚を行い、悪魔を植え付けたんだ」
一通りの召喚を終えると、召喚士はセイレーンの歌声をやめさせる。そうすると妊婦の体調は元に戻り、いかにも謎の医者によって回復したと理解するのだという。
「まさか、それをやったのがあの、アドニスという少年なんですか?」
「おそらく、そうだろう。アドニスがダーナ教団に協力をしているのはわたしも知っていた。今回ザイードで子供たちを目覚めさせたのも、本人が召喚した悪魔だからこそ、すんなりと上手くいったのだろう」
でも、待って。それはおかしくない?アドニスの見た目はわたしたちとそう変わらない。
五年前だったらおそらく10歳になるかならないくらいの年齢のはずだよね。
ジョブとしての目覚めは迎えてるかもだけど、能力を使いこなすにはそれなりの時間が必要のはず。複数の召喚を同時に行い、それを維持するのはとても無理なような気がする。
そのことについて聞いてみると、ハーミットさんはしばらく沈黙して、それから悩ましげな表情を浮かべてこう言った。
「そうだな。アドニス本人かどうかはわからない。とにかく、ダーナ教団の関係者が行ったのは間違いがないんだ」
どことなく奥歯にものが挟まったような言い方ではあったけれど、ハーミットさんもその現場を目撃していないのなら、断言できないのも当然かもしれない。
「あのアドニスという少年はハーミットさんの弟子だったんですよね。それがどうしてダーナ教団の協力者になったんですか?」
「……なかなか言いづらいところだが、わたしへの復讐を果たすためだと思われる」
「復讐?ハーミットさんがアドニスになにかをしたんですか?」
「わたしの口からはこれ以上、なにも言えない。いずれ話すときが来るかもしれない。そのときを待っていてほしい」
どうやら、ハーミットさんはこの話題については触れてほしくないらしい。あのときのやり取りを思い出すと、相当アドニスは恨んでいたようだけれど、いったい何があったんだろう?
「とにかく、いま重要なのはあの悪魔化した子どもたちを救うことだ」
「そんな方法があるんですか?」
「あるかもしれない、という段階でしかない。かつて悪魔化した子どもを救った召喚士がどこかにいるという噂を、わたしは聞いたことがあるんだ」
「どのようにしてですか?」
「そこはハッキリとはしていない。本人に直接会って話を聞くしかなさそうだ。その人物は流浪の旅人として各地を転々としているらしいから、追跡するにはこれだけに絞って本腰を入れないと難しいだろう」
「その人を連れてくるつもりなんですね」
「出来るかどうかはわからないがね。聞いた話では、かなり気難しい人間らしい。事情を話しても引き受けてくれるかどうかはわからないが、他に方法もなさそうだ。その間、プリシラのことはみんなにお任せしても良いかな」
「任せてください。」
まあ、そもそもプリシラを山小屋みたいなところに放置していったのはハーミットさんなわけだけれど、そこをあれこれ言っても仕方がないかな。
もしかしたら子どもたちをすくうために、その放浪の召喚士を探していたのかもしれないし。
「知っていると思うが、プリシラはしばらく施設にいて、普通の友人関係というものを味わったことすらない。父親代わりのわたしとしては、それが心配でね。是非きみたちには彼女の初めての友達になって欲しいとお願いするつもりもあって、今日はここを訪れたんだ」
「師匠」
「施設と山で多くを過ごしたプリシラは世間知らずなところもある。街で暮らすには誰かの手助けが必要だ。きみたちが何かと身の回りのことを手伝ってくれれば、わたしとしても安心して旅立てるのだが」
「そうですか。でもお願いされるまでもありませんよ。プリシラはもう、わたしたちの友達ですから」
わたしのその言葉を聞いて、ハーミットさんは穏やかな笑みを浮かべた。
「そうか。その答えを聞いて安心した。みなに信頼されるモフモフ召喚士がプリシラの初めての友達というのも幸運だったと思う。これはもしかすると何かの縁かもしれない」
「師匠はいつ帰ってくるんですか?」
プリシラの声には不安が入り交じっていた。せっかく会えたのに、また別れなければならない。しかも次に再会できるのはいつになるのかもわからない。
「いつとは言えないが、必ず戻ってくる。まあ、気長に待っていてくれ」
ハーミットさんがとなりに座るプリシラの頭をポンポンとたたく。
「ところで、アリサくん、出かける前にもうひとつ頼みがあるのだが」