リディアの過去 5
「その後のことは、彼女は何も話しませんでした。成功したのか失敗したのか、どちらにしても、息子さんは亡くなったのでしょう」
ミランダさんはそのことをきっかけとして、シスターの道に進むことを選んだらしい。
「お互いの告白がきっかけとなり、わたくしたちの信頼はさらに強く結び付いたような気がしました。このままミランダとは家族のような関係が築けていけると、そのときのわたくしは信じていました」
街に異変が起こったのは、それからまもなくのことだった。街の人たちが突然、体の不調を訴えて倒れ出したのだ。それは街全体へと瞬く間に広がったという。
すぐに原因の究明が行われ、これは一種の伝染病ではないかという結論に達した。その原因として上げられたのが、テイマーが放置していったモンスターだった。
腕をなくしたテイマーは街から姿を消した。その際、モンスターも放棄していったのだ。
さすがに暴れるとまずいと思ったのか、テイマーはモンスターの命を奪い、その死体を人目につかないようなところに隠していった。
それをたまたま見つけ、触れてしまった誰かから病原体が広まったのではないか、その可能性が指摘されていた。
伝染病は猛威をふるったものの、やがて鎮火していった。亡くなった人はたくさんいたけれど、初期のうちにヒーラーで回復すれば命を落とすことがないとわかった。すぐに患者を隔離し、人の動きを止めたことで最悪の事態は免れていた。
それでも、すでに病が進行してしまっている人までは救えなかった。治療に効果はなく、あとは苦しんだままほとんどひとりで最後を迎えるしかなかった。
その日、ミランダさんとリディアさんは街外れにある建物を訪れていた。そこはいわゆる隔離病棟で、まもなく最後を迎える人たちが収容されていた。
奥にある一室に男の子がひとりベッドで寝ていた。その子は二人もよく知る子供だった。教会が管理する施設にいた子で、両親もまた病気で亡くなっていた。
二人は顔にマスク代わりとなる布を顔につけて、その男の子に近づいた。手袋もしていたけれど、触れるのは禁止されていたので、ベッドの横で苦しむ男の子を見下ろしていた。
ーーこの子の人生とは、いったいなんだったのでしょう。生まれながらの障がいをかかえ、幼い頃に親を失い、施設にきてもうまく他の子に溶け込むことはできなかった。そして、この伝染病。これが神が与えた試練なら、救いはいったいどこにあるのでしょうか。
その男の子は耳があまりよくなかったらしい。いわゆる難聴で、完全に聞こえないわけではないけれど、遠くから呼び掛けてもなかなか反応は出来なかったという。そのため、他の子供たちとはどことなく距離があったらしい。
ーーミランダ、この子の前で悲しむのはやめましょう。いまはわたしたちが親代わりとして、この子の最期を見届けるのよ。
ーーわたしはこの子の笑顔に救われた気がします。初めて声をかけたとき、はっきりとわたしの声が聞き取れて、嬉しそうに笑っていました。お母さんの声みたいだ、とこの子は言ってました。馴染みのある声に似ているから、わたしの声はすぐに聞き取れると。
ーーあなたを見付けると、この子の表情がパッと明るくなったものよね。
ミランダさんはベッドのほうに顔を近づけた。
ーーでも、いまはもうわたしの声にも反応しない。
ーー自由に体を動かすことがもう出来ないのでしょうね。でも、きっと届いてはいるはずよ、あなたの声は。
ミランダさんはじっとその男の子を見つめ、ふいにその体に手を伸ばした。
ーーミランダ?
頭の辺りに手を置き、そのままの体勢を維持している。
ーーまさかあなた、召喚治療をするつもりですか。
ーー他に、この子を救う方法はないのよ。
ーーそんなの無理よ!忘れたわけじゃないでしょ、あなたの息子だって。
ーー今度は失敗しない。この子をわたしが救って見せる。
ーーそれが救うと言えるの?悪魔になることがこの子の幸せだとでも?ミランダ、それはあなたの自己満足じゃない!
ーーわたしがあんなことをしなければ、この子はこうして苦しむこともなかった。わたしのせいで子の人生は閉ざされようとしている。
ーーミランダ……やはりあれはあなたの仕業だったのですね。
ーーせめて、一度でいいから、呼んでほしかった。わたしのことをお母さんと。
ーーミランダ、その子はあなたの息子じゃないのよ!お願い、やめてちょうだい!
しかし、ミランダさんに中断する意思はなかった。近づこうとするリディアさんを突き飛ばし、召喚治療を続けた。
男の子の口から突然、悲鳴のような、獣の雄叫びのような、人の声とは思えない叫びが発せられた。
ミランダさんがベッドから離れると、ほとんど寝たきりになっていたはずの男の子がのっそりと立ち上がった。
男の子には徐々に変化が起きていた。筋肉が急速に発達したかのように体が大きくなり、手の爪や歯が鋭く尖ってきた。
その男の子はリディアさんのほうに向き直った。主であるミランダさんは敵ではないと判断していて、本能的にリディアさんを襲おうとした。
リディアさんは慌てて逃げようとした。しかし、ドアの前のところで転倒してしまい、身を守るようにとっさに左手をあげた。
いつまで経っても、痛みは襲ってこなかった。恐る恐る目を開けると、目の前にはミランダさんの背中があった。長く伸びた刃物のような爪が、ミランダさんの胴体を貫いていた。
ミランダさんは悲鳴を上げなかった。男の子をそのまま抱き締めた。腕の中で激しく暴れる男の子。それでもミランダさんは男の子を離さず、やがて静寂が訪れた。
ーーミランダ?
二人は抱き合ったまま、床に倒れた。どちらも受け身をとらなかった。リディアさんは二人に近づいた。
ーーミランダ!