教会へ
教会は村、というか完全に街の中心部にあった。
教会を中心にして各所に道路が伸びている。
教会の前は広場として整備されていて、その円に沿うようにして建物が建っていた。
教会はそれらを圧倒するような高さを誇っていて、向こうにいたときに見た大聖堂のような外観だった。ゴシック建築っていうのかな。頂上部が尖った部分を組み合わせたような見た目だった。
中に入ると、まっすぐに廊下が伸びていて、両側には整然と白い柱が並んでいた。壁に沿ってなにかの像が設置されている。とても静かで厳かな空間で、わたしたちの足音がやけに響くような感じがした。
奥のほうに行くと、長椅子がズラリと並んでいて、その向こうには一段高くなった祭壇のようなものがあった。祭壇の後ろには女性の石像があって、ステンドグラスから落ちる光を浴びていた。
「もしかして、アリサ・サギノミヤ様ですか?」
ふいに声をかけられ、わたしは振り向いた。
そこにはひとりの女性が立っていた。青と白を組み合わせた長いローブを着ていた。この教会のシスターかもしれないけど、どうしてわたしの名前を知っているんだろう。
「驚かせて申し訳ありません。さきほど、ギルドのほうから連絡がありまして、黒髪の少女がこちらに向かっているので手助けしてほしいと頼まれたのです」
「あ、それ、わたしです」
小さく手を上げてわたしは言った。
その女性はわたしに近づいてくると、顔を間近に寄せてわたしのほうをじっと見つめた。
「な、なんですか?」
「聡明そうな顔をされていますね。さすが」
そこまで言って、シスターの女性は体を離し、コホンとわざとらしく咳払いをした。
「では、まずは自己紹介を。わたくし、この教会のシスターをしております、リディアと言います」
リディアさんは丁寧に頭を下げた。
「わたしはアリサ・サギノミヤです」
相手がすでにわたしの名前を知っていることを思いだし、わざわざ言う必要もなかったかなと思うとなんだか恥ずかしくなった。
「アリサ様は記憶喪失とうかがいましたが、それは事実でしょうか」
「はい、名前以外は覚えていなくて」
わたしは当時の状況を説明した。
「そうですか。なにかヒントになるようなものはなかったのですか?」
これはララへ向けられた質問だった。
「いや、何も。しいて言えば、服装が妙な感じだったことくらいかな」
「服装」
「うん、こっちでは見たことのないものだったから」
名前も確認しないところを見ると、どうやら二人は知り合いらしい。年齢はリディアさんのほうが上に見えるから、実は姉妹とか?
でも、ララは地元はここじゃないと言ってたっけ。まあ、それはリディアさんにも言えることかもしれないけれど。
「では、生まれ育ちも不明であるということですね」
「みたいだね。ここに来ればなにか情報があるかとも思ったんだけど」
「この辺りでは冒険者を含め、黒目黒髪の人はあまり、というか、ほとんど見かけません。肌の色合いもちょっと違うように感じます。ということはアリサ様は普通の人間ではないのかもしれない」
「え?」
ドキン、と心臓が跳び跳ねるようだった。も、もしかして、異世界から来たってことがばれてる?まさか、ね。
「気分を悪くされましたか。もしそうなら、謝ります。ただ、わたくしは決してアリサ様を差別するような意図はなかったのです」
「別に怒ってないですけど」
驚いただけで。
「そうですか。それは安心しました。さすがは女神の生まれ変わりと言ったところでしょうか」
「……いま、なんて?」
メガミ、とか聞こえた気がするけど。女神のこと?それともこの世界の名詞かな。
「あれをご覧ください」
そう言ってリディアさんが手で示したのは、祭壇の奥の壁。そこには一体の女性の石像が置かれている。
「あの石像のモデルは、かつて神の使いとしてこの地に降臨したフィオナとされています」
「はあ」
「この世界に住むものなら誰もが知ってはいますが、アリサ様は記憶喪失とのこと。いまからわたくしの話す内容をよくお聞きください」
リディアさんは落ち着いた口調で神話を語った。
かつてこの地は混沌によって支配されていた。堕落した人々によって神までもが侵食され、さらには異世界から召喚されたあくまによってこの世界は徐々に終焉へと近づいていた。
そこに現れたのが別世界の神、フィオナだった。
その時点でまだ正気を保っていた人たちがわずかに残っており、その切なる願いをフィオナが感じ取ったというのだ。
フィオナは残された人たちと共に悪魔に立ち向かった。フィオナには清浄な力が宿っていたけど、相手もまたかつて神であり悪魔だった。様々な困難が彼女の前に立ちはだかった。
それでも、フィオナは負けなかった。彼女を後押したのは人々の祈る気持ちだった。フィオナは悪魔に堕ちた人や神に対してもその優しさでトゲを抜き去り、徐々に仲間を増やしていったのだ。
フィオナはやがてすべての大地を浄化し、世界を救った。彼女の存在はこの大陸最大の宗教、フィオナ教の始祖ともなったという。
「彼女が最初に降臨したのが、このエルトリアと言われています。ですから、ここは聖地などとも呼ばれたりしますね」
「なるほど、だからはじまりの村とも言うんですね」
いまの規模ではなくて、かつての伝説を現在も語り継いでいるということだね。ララが村と呼んだのもそういう影響があるみたいだった。
「それにしても、ひとりですべてを浄化したというのはすごいですね。神様とは言っても、相手も似たような存在だったんですよね」
「フィオナはひとりではありませんでした。石像の手の部分をよくご覧ください」
フィオナ像は横向きで、両腕を空に掲げたような姿勢をしていた。その手の平の上に、何かが乗っている。丸い物体で、手からこぼれ落ちそうな大きさだった。
「あれは……石ですか?」
石像だからそうなんだけれど、何かの個性みたいなものはなかったからそれ以外に思い付かなかった。
強いて言えばお正月にテレビで見た鏡餅みたいな感じだったけれど、そんな表現がこの地で通じるかわからなかったかし、きっと違うだろうから、何も言わないでおいた。
「あれはフィオナとともに降臨した神の御使いです」
「へぇ、名前はなんていうんですか?」
「モフモフです」
「え?」
「モフモフです」
リディアさんがそう繰り返す。間違いなくモフモフと言ってるけど……。
でも、モフモフ?
「モフモフは伝説の生き物でもあります。フィオナは当然、すでに亡くなっていますが、モフモフは子孫を残し、いまもどこかで生きていると言われています。わたしたちはそのモフモフを探すのがひとつの仕事でもあるのです」
「貴重な生物、なんですか?」
「はい。モフモフを間近で見た人はほとんどいません」
日本で言うカッパとかツチノコみたいなやつ?もっと格は上のような気はするけれど。ユニコーンやドラゴンと言ったほうが正しいのかな。それにしてもモフモフって……。
「モフモフというのは、その、固有名詞なんですか?それともモフモフっぽいものをそう呼んでるんですか?」
「モフモフはモフモフという生き物です。それ以上でもそれ以下でもありません」
どうやら、こちらではモフモフという概念は犬や猫みたいに、ひとつの種類として認識されているようだった。
「記憶のないアリサ様にはわからないと思いますが、この世界の安定は再び破られようとしています。かつての混沌を良しとする勢力が密かに拡大しているのです。わたしたちとしてはその野望を阻止するために、モフモフを必要としているのです」
モフモフが世界を救う?名前からしてそんな重要な存在には思えないのだけれども。
「でも、伝説の生き物なんですよね」
「繰り返し国や教会が総力を結集してモフモフ探しを行っていますが、発見には至ったことは一度もありませんでした。やはり、普通の方法ではモフモフは見つけることはできないのだという結論に達している次第です」
「そうなんですか。では、諦めるしかないんですね。モフモフそのものが存在していないのかもしれませんし」
「いえ、モフモフは確実に存在します。自力で探すのが無理だというだけで、他に方法はあるのです」
リディアさんが力強くそう言う。
「どんな方法ですか?」
「それは」
そのとき、カツカツカツという足音が聞こえた。そちらのほうを見ると、ひとりの男性がこっちに近づいてくるところだった。
「リディア、なにをしているのですか。そろそろ、施設を見回る時間ですよ」
一瞬、わたしにはその男性がかなりの高齢のように見えた。というのも、白っぽい髪の毛にまず目がいったから。
でも、実際には光輝くような銀髪だった。腰まである長髪をユラユラ揺らしていた。よく見てみると、まだ三十代くらいであることがわかった。
銀髪の男性も教会の関係者らしく、立襟の白い服を着ていて、肩に長いマフラーみたいなものをかけている。
「あ、ブラッドさん」
そうリディアさんから呼ばれた男性は、わたしたちのほうに目を向けた。
「見慣れない人物がいるようですが、彼女は?」
どうやらこの人もララのことは知っているようで、わたしのほうに視線が集中していた。
「実は彼女は」
そこまで言って、リディアさんはブラッドさんに耳打ちするようにした。
「……なに?それは事実ですか?」
リディアさんの話を聞くと、ブラッドさんは目を見開いた。
「確認はしていないのですが、ギルドからはそのような連絡がありました。本人にはその自覚はないようなのですが」
「なるほど、ではさっそく、確認してみましょう」
ブラッドさんはわたしの正面に立つと、
「キュウ」
と小動物が鳴くような声を上げた。
わたしはしばらく固まってしまった。ブラッドさんは相手を凍りつかせるような鋭い目付きのイケメンで、とても冗談を言うような人には見えなかった。
わたしから何の反応もないことに落胆した様子で、でもすぐに真剣な表情に戻ると、ブラッドさんは頭を下げた。
「失礼。わたしはここで司教をつとめているブラッドと申します。あなたはアリサ・サギノミヤ様ですね」
「は、はい」
ブラッドさんは妙な威圧感があって、なんだか声が小さくなってしまった。
「少々お待ちください」
ブラッドさんは石像のほうに近づくと、フィオナの腰辺りに手を伸ばした。
よく見てみると、そこには輪っかのようなわずかな空白が生まれていて、一本の杖が挟まれているのがわかった。
それを抜き出すと、ブラッドさんはこちらへと戻ってきた。
「これを、お持ちください」
「えっと、どうしてですか」
嫌な予感しかしなかった。杖はどことなく不気味な印象を受けた。ゴツゴツとした表面で、先端のほうが半円を描くようにして曲がっている。かなり古いものなのか、色合いもすでにくすんでいる。
「これはフィオナが実際に使っていたとされる、ミステルの杖です」
「本物、なんですか?」
「はい。間違いなく」
「そんな大事なもの、こんなところに置いていて大丈夫なんですか」
誰でも入れるところに放置していたら、悪い人が盗んでお金に変えそうな気もするんだけれど。
「問題ありません。ミステルの杖は人を選びます。邪な心を持ったものが触れれば、たちまちその体は破裂するのです」
「は、破裂!」
どうしてそんなものをわたしに?死ねってこと?
「ご安心を。あなたには、この杖を持つ権利があるのです。何も起こりはしませんよ」
「け、権利?」
「はい。とりあえずこれを」
ぐい、と押し付けられるようにして、わたしにはもう、選択肢は残されていなかった。
わたしは杖を受け取った。
何も、起きなかった。
杖は冷たく、ずっしりとした重さを感じた。わたしの背丈くらいの長さがあって、両手で持たないとこっちが倒れてしまいそうだった。
「何も、起こりませんね」
わたしが確認するように言うと、ブラッドさんが興奮した様子で、わたしの肩を掴んできた。
「やはり、あなたはフィオナの生まれ変わりのようだ!」
「へ?」
「教会の洗礼を受けていないものがこの杖を持てば呪われてしまうのですが、あなたにはその兆候は見られない」
「爆発するんじゃ」
「嘘です。そもそも、ここで爆発などされたら、われわれも被害を受けてしまいますから」
どういう感覚なんだろう。呪いよりも爆発のほうが心理的なハードルが低いと思ったってことかな?それにしても聖職者がこんな簡単に嘘をつくなんて、なんかショック。
だいたい、そんな危険なものをこんなところに置いておくなんて、まずいんじゃないのかな。もし無邪気な子供が触ったら、どうするつもりなんだろう。
「あなたには洗礼を受けた形跡はない。よって答えはひとつ。あなたはフィオナの生まれ変わりであり、そして、モフモフ召喚士でもあると!」
「……え?」
何?いまなんて言ったの?早口でよく聞き取れなかったけど。
「ピンと来ていないようですね。では、繰り返し言いましょう。あなたはモフモフ召喚士なのです!」
ずばり、と人差し指を突きつけられたけど、わたしは混乱して頭に入ってこなかった。
フィオナの生まれ変わり?
そして、モフモフ召喚士?
わたしの頭には?マークばかりが浮かんでいた。