リディアの過去 3
リディアさんがそんな自分の過去を伝えたのは、教会の偉い人以外ではミランダさんが初めてだった。
時間が経ったとはいえ、リディアさんにとっては悲劇的な過去で、いつまで経っても悲しみは消えてはいなかった。誰かに打ち明けることはできず、なるべく過去から目をそらして生きるようにしていた。
いったい何年ぶりに涙を流したのだろう。それまで奥の方にしまっていた悲しみが一気に吹き出したような気がした。
ミランダさんはそんなリディアさんに優しく触れ、あなたの気持ちはよくわかるわ、と言った。わたしも大切なものを失ったことがあるから。
それはなに?とリディアさんは聞いた。両親?それともなにかのもの?
けれども、ミランダさんは答えなかった。どこか遠くを見るような目をしただけだった。そこには深い悲しみの色が浮かんでいて、リディアさんも聞くことはできなかった。
それからしばらくして、エルトリアにサーカスがやってきた。
ミランダさんはリディアさんをそこへと連れていくことにした。
サーカスに辛い記憶はあるものの、それでもリディアさんにとっては大事な思い出の場所でもある。過去に向き合うことがリディアさんのためになると考えたらしい。リディアさんもその想いを受け入れることにした。
リディアさんはしかし、そこで大きな衝撃を受けることになる。そのサーカスにはなんと、あのテイマーの女性が所属していたのだ。
女性テイマーはモンスターの暴走の責任によって、衛兵に逮捕されたはずなのに。その後のことはたしかにリディアさんはよく知らなかった。そこに居続けるのが辛かったから、裁判にかけられると聞いてすぐに王都は後にしていたからだ。
それでも、モンスターの暴走によって十人以上の人が亡くなっていた。これはかなりの重罪だ。本人の悪意があるかどうかに関わらず、数年で簡単に釈放されるわけもなかった。
直接本人に尋ねる勇気はなかったので、リディアさんはギルドや新聞社を訪ねて、あの事件のその後を調査した。すると、あの事件では別の人物が逮捕されていることがわかった。
その犯人は吟遊詩人の男性だという。その歌声があの事件の引き金になったらしい。
吟遊詩人は歌声でさまざまな現象を引き起こすタイプのジョブだ。
そのジョブにはウイスパー、というスキルが含まれていて、これははっきりとした歌声ではなく、隣の人にも聞こえないようなささやき声によって空間を振動させる力だという。対象者の脳へとたどり着くと、たちまち精神が乱れるという特徴を持っているらしい。
「……歌声」
セイレーンもそうだった。直接の関係はないとはいえ、なんとなく不気味だとわたしは思った。
「吟遊詩人によるウイスパー攻撃によってモンスターの精神が乱れて、それがテイマーがかけた呪縛を解き放つきっかけになった、というのが結論だったようです。その吟遊詩人は自ら罪を告白し、その後に自殺をはかったといいます」
「自殺、ですか」
「ええ。それで捜査は終結したようです。ですが、わたくしは簡単には受け入れられなかった。それは本来わたくへと向けられた攻撃ではないかと思ったからです」
「その人がリディアさんに対して恨みを持っていた、ということですか?」
「いえ、そうではありません。わたくしとはその吟遊詩人は一切面識はありませんでした。ただ、わたくしが本番で幻想を失敗するのは、ウイスパーの影響だったのではないのかと疑いました。そしてそれが事実であるのなら、彼はテイマーの協力者ではなかったのかと」
明確な犯人が捕まったことで、テイマーはむしろ被害者でもあるという認識が広がり、その罪はかなり軽減されることになったという。
しかし、動機は謎のままだった。吟遊詩人はどうしてそんなことをしたのか。とりあえずイタズラ目的という結論は出ていたようだけれど、場合によっては自分も殺されるという危険を犯してまですることだったのだろうか?
納得できないリディアさんはすぐさまにテイマーのところへと向かい、彼女を問いただした。
テイマーはあっさりと、リディアさんの主張が事実であると認めた。お金に困っている吟遊詩人と偶然に知り合い、この計画を思い付いたのだという。
ウイスパーによってリディアさんから実質的に能力を奪い、サーカスの主役の座を確実なものとしたかったからだと平然と述べた。
ただ、あのような事件を起こすことは彼女の目的ではなかったという。モンスターの暴走は想定外なものだったと言った。
あくまでもテイマーの目的はリディアさんを不調にすることでしかなかった。大規模な事件になってしまったのは、吟遊詩人が調子に乗りすぎたせいで、力の加減を誤ってしまったからだという。
吟遊詩人には病に苦しむ子供がいた。テイマーは事前にもしもなにかが起こったときには、自分がその子供を救う代わりに、自らがすべての罪を被るようにと吟遊詩人に伝えていたのだ。
そうして吟遊詩人は自首し、隠し持っていた薬で自殺を図ったという。
テイマーには反省の色はまったくなかった。
むしろ、すべての責任はリディアさんにあると責め立てた。
リディアさんのなかには親や仲間を失ったことに対する怒りや悲しみがいまさらながらに沸き上がってきたけれど、聖職者として踏み出した以上はそれを表に出すことはできなかった。
それから数日後、リディアさんはある噂を耳にした。あのテイマーがなにかに襲われたというのだ。
突然どこからか現れたモンスターに右腕を噛まれ、そのまま腕を引きちぎられたという。
命はどうにか取り留めたらしいけれど、テイマーとして活動することは難しくなったという。テイマーは自分の動作に合わせる形でモンスターを操ることが多いので、片腕だけでもなくなったという事実は重いらしい。
その話を聞いて、リディアさんはその事件がミランダさんの仕業だったのではないのかと疑った。召喚したモンスターで、テイマーを襲わせたのではないかと思った。
彼女はリディアさんとともに行動をしていたので、全ての事情を知っていた。感情を表に出すことはなかったけれど、ミランダさんも怒りを抱えていることはリディアさんにも伝わってきていた。
ミランダ、あなたはわたしの復讐のために召喚を行ったの?そして、あのテイマーを襲ったの?
しかし、それを聞くことはどうしてもできなかった。もしそうだと認められた場合、リディアさんと彼女の関係には確実にヒビが入ってしまう。
自分の復讐のためにとはいえ、聖職者が一般人を襲うことなどあってはならないことだった。ミランダさんは逮捕されるかもしれない。それなら最初から何も知らなければ良い。
「ミランダはその事件の後も、とても落ち着いていました。とても誰かを襲ったようには感じられなかった。その様子を見ていると、自分の勘違いかもしれないとわたしも思うようになりました。でも、わたしの判断は間違っていたのです。そのときにすぐ、ハッキリとミランダに聞いておけばよかった。そうすればその後に起こる悲劇を防げたのかもしれません」
どうしてミランダさんは聖職者の道を選んだのか、その動機をリディアさんは改めて知りたいと思うようになった。すでに自分の過去は伝えて以前よりも関係が深まっているので、いまなら教えてくれるかもしれないとも思った。
事件の真相ではなく、まずはもっとミランダさんと距離を詰めなければきっと、その真実も知ることはできないのだと、当時のリディアさんは思ったのだ。
ーーミランダ、あなたがどうしてシスターを目指すことになったのか、教えてもらえますか?
すると、ミランダさんはある場所へとリディアさんを誘った。そこはお花屋さんだった。ミランダさんはそこで花を買った。黄色い花びらが横に広がったようなもの。それはマリーゴールドだった。
ミランダさんはマリーゴールドを持ったまま、街のなかにある高台へと向かった。高級住宅地の外れにある公園で、そこからは壁に遮られずに街の外を見渡すことができる。
しばらくの沈黙が続いた。リディアさんは待った。ミランダさんが口を開くのを。
ーーわたしには一人息子がいたの。
どこか遠くを見ながら、ミランダさんは言った。