悪魔 6
「し、師匠!」
プリシラが首だけを振り向かせて言った。
師匠?
プリシラの視線はわたしたちを通りすぎて、その背後に向かっている。
わたしが振り向くと、そこには中年の男性が立っていた。無精髭を生やし、フケが目立つボサボサの長髪。服装もヨレヨレで、まさに小汚いおじさんという感じだった。
プリシラが師匠っていうことは、この人があのハーミットさん?いや、間違いがない。実際に小汚いおじさんだし。
「おお、プリシラじゃないか。こんなところでなにをしているんだ?」
「み、見ての通りです。攻撃を結界で防いでいます。助けてください、師匠」
「ふむ、ファイアーボールの連続か。たいした攻撃力ではなさそうだな。お前の力なら、まだしばらくは持ちそうだな」
「で、でも」
「自分を信じろ。わたしの弟子だろう」
ハーミットさんに焦りは見られない。落ち着いた目で状況を観察している。
「おや、あそこにいるのは弟子1号ではないか。久しぶりだな。プリシラ、先輩には挨拶をしたか?」
「そ、そんな状況では」
「そうか。相変わらず人付き合いが苦手なようだな」
そう言ってハーミットさんは青髪の少年のほうを見る。
「おい、アドニス、プリシラは引っ込み思案なところがあるんだ。おまえのほうから近づいてきたらどうなんだ?」
「気軽に名前を呼ぶのは止めてくれないか。あんたの声を聞くだけでイライラするんだよ」
ファイアーボールが結界にぶつかっているにも関わらず、アドニスと呼ばれた少年の不愉快そうな声が結界の中までハッキリと聞こえてくる。
「わかった、わかった。1号と呼べば納得してくれるわけだな。では1号、いまからそっちに行くから、まずはそこに浮かんでいる女の子を降ろしてはくれないか?」
「相変わらずベラベラと喋る男だな。少し黙ってなよ。こっちはあんたと話す気なんてないんだ。今すぐにでも殺してやりたい気分だよ」
「だが、それは無理だろう?弟子が師匠を超えるのは容易ではない。わたしはまだまだ現役だからな」
「ああ、わかってるよ。あんたの実力に関しては決して否定はしない。いまのぼくでは勝てないことも自覚をしているよ。でも、それはあくまでも直接的な勝負をした場合だろ」
「ふーむ。たしかにやっかいな要素はあるな」
ハーミットさんはルシアちゃんを見上げた。いまの発言はきっと、ルシアちゃんを人質として使う、という意味だと思う。
「ここであんたの命を奪うのも悪くはないね。その娘があんたの弟子だと聞いて、もしかしたら姿を現すかもしれないとは思ったよ。稀少な実験体をみすみす潰すわけがないはずだからね」
実験体?どういうことなの?
「なるほど、つまりはわたしはお前の計略に乗せられたというわけか。なかなか賢いな。さすがはわたしの弟子だ」
「弟子と呼ぶな!」
怒りに満ちた声がファイアーボールとともに飛んでくる。
「アドニスよ、よく聞け。過去は消せないものだ。いまのおまえの感情の多くは、わたしとともに過ごした時間で形成された。それを拒否するのは自分という存在を否定することと同じことだぞ」
「自分がなにをしたのか、覚えていないようだな。そこにいるプリシラという女の子に、いまここで教えてあげようか」
しかし、ハーミットさんはその言葉も完全に無視をして、プリシラのほうに顔を向けた。
「ところでプリシラ、いい加減、あのファイアーボールをどうにかしてくれないか?」
「どうにかと言われても、いったいどうすれば?」
「もちろん、魔法で動きを止めるんだ」
「こ、攻撃をしろということですか?」
プリシラは魔法使い。結界だけじゃなく、攻撃魔法も使える。しかも同時に2つまで展開できるらしい。
おそらく、プリシラも本気を出せばルシアちゃんを撃ち落とすことなんて簡単なはず。相手がモンスターであったなら、とっくにこのファイアーボールは止んでいたはずだ。
「だめですよ、それは。あの女の子はあくまでも一般人で、被害者でもあるんです。どうにかしてハーミットさんが助けてあげてください!」
わたしはハーミットさんに向かってそう言った。
ハーミットさんは召喚士。師匠と呼ばれるくらいなら、それなりの実力があるはず。わたしたちには思い付かない方法で、この場をおさめられるに違いない。
「おや、きみはモフモフ召喚士のアリサくんだな」
「え、わたしのことを知ってるんですか?」
「もちろんだとも。はじめまして、わたしはプリシラの師匠のハーミットだ」
ハーミットさんがこちらに向かって手を差し出してきたので、わたしはそれを握り返して、日本人らしく自然と頭を下げていた。
「ど、どうも……じゃないですよ!挨拶なんかしている場合ですか!」
「挨拶は全ての基本だよ、アリサくん。初対面で人の印象は決まるとも言われているからね」
「そわなことはどうでも良いです!いや、むしろハーミットさんの印象は最悪ですよ!」
「やれやれ、この状況を打開しないと落ち着いて話も出来ないようだ。では、アリサくん、きみならこの状況、どう打開するつもりだ?」
「どうって言われても」
なにも思い付かない。強いて言えばルシアちゃんが疲れるのを待つくらいだけれど、それはそれでルシアちゃんが限界を迎えそうで危険な気がする。
「なにも難しく考える必要はない。あの女の子の動きを止めればいいだけの話だ」
「どうやってですか?プリシラに攻撃をさせるのは無しですよ」
「わたしはそんな野蛮ではないよ。あくまでもあの女の子を救うためにやることだ」
そうしてハーミットさんはふたたびプリシラの方を向いた。
「ではプリシラ、とりあえずこの結界のバリアを解くんだ」
「え、でもそんなことをしたら、ファイアーボールが直撃してしまいますよ」
「あのファイアーボールも無限に続くわけではないだろう。収まった瞬間を狙って解除するんだ」
「わ、わかりました」
ちょうどファイアーボールが止んだタイミングで、プリシラは結界を解除した。
「よし、では次にあの女の子を結界で囲むんだ」
「結界?ルシアちゃんを箱の中に閉じ込めるわけですか?」
なるほど、わたしたち全体を守るよりも、ルシアちゃんを結界のなかに閉じ込めてその出口を閉じたほうがバリアも小さくてすみ、よっぽど効率的になる。
「でも、そんなことをしたら、あの炎はルシアちゃんに跳ね返るんじゃないですか?」
「え?」
そっか。周囲にバリアが張られたら、そのなかで炎が滞留してしまう。ルシアちゃんは反射した炎によってやけどで死んでしまうかもしれない。
もしかしたら、それが狙いなの?炎が自分に返ってくることを理解すれば、ルシアちゃんは自分の意思で炎を止めるかもしれない。
でも、それはかなりのリスクがある。ひとつ間違えればルシアちゃんは一度の炎で死んでしまうのかもしれないのだから
「問題ない。ぎちぎちに固めるんだ」
「で、でも」
「早くしろ。ファイアーボールの直撃をくらいたいのか」
「わ、わかりました」
プリシラが結界を張ると、ルシアちゃんの動きが止まった。それだけではない。炎を吐くこともやめた。四角いバリアのなかでルシアちゃんは、窮屈そうに体を動かしているだけだった
「と、止まったようです」
「でも、どうして?」
「予想通りだな。あの子は炎を吐くとき、羽を大きく広げ、勢いをつけるために体をのけぞらせるようにしていた。大きく息を吸い込まなければ、炎も生まれない仕組みだろう。その動きを止めれば、炎を出すことは難しくなると思ったんだ」
「そ、そういうことだったんですか」
わたしの勘違いだったみたいで良かった。ハーミットさんは見た目はアレだけれど、まともな感覚は持っているらしい。
「では、愛すべき弟子との久しぶりの対面といこうか」
ハーミットさんはそう言って、プリシラの前に進み出た。
「アドニスよ、おまえもわかっているのだろう。こんな悪趣味な真似は許されないということくらい。ダーナ教団の手先に成り下がったとしても、まだ人の心は残っているのではないのか?」
「人に説教できる立場なのか。悪趣味なのはあんたの生き方そのものだろ」
吐き捨てるようにアドニスが言う。
「あの女の子には何の罪もない。わたしへの恨みならわたしに直接ぶつけたらどうだ?」
「ああ、そうさせてもらうよ……と言いたいところだけど、その手には乗らない。あんたのやり口はわかっている。油断をさせてその隙を付く作戦だろう」
「どうやら、かなりの誤解が生まれているようだな。1から説明したいところだが」
「あんたの戯言なんか聞く気はない。ここは退散することにするよ。この悪魔たちがいれば、いつでもあんたくらい倒せるからね。いまはじっくりと育てる時なんだ」
「……たち?」
セイレーンが羽を羽ばたかせ、その口から歌声を放った。それは実際には歌というよりも超音波みたいな、体の芯を揺さぶるような振動だった。
「あれは?」
遠くの空に黒い点が見えた。それは段々と大きくなっていき、ルシアちゃんと同じ黒い翼の生えた子どもであることがわかった。
上空を観察してみると、黒い翼の生えた子どもはもっとたくさん集まっていた。みんなルシアちゃんと同じくらいで、おそらく同じ謎の病に犯された子どもたちだった。
「なかなか壮観だね。苦労したかいがあったというものだよ」
黒い翼の生えた子どもたちは、アドニスの周囲へと集まっていた。彼を守るようにしていたので、ハーミットさんも迂闊には動けなかったようだ。
「今日はこれでオサラバするよ。何かしらの召喚生物を喚んで追ってくるのは止めたほうがいい。この子どもたちを犠牲にするのは、さすがに嫌だろう」
そう言ってアドニスはセイレーンの背中に飛び乗った。
「プリシラ、あの娘の結界を解除するんだ」
「え、でも」
「もうそろそろ、お前のマジックポイントも限界だろう。結界のまま移動させることもできるし、無理をすることはない」
「わかりました」
プリシラがルシアちゃんにかかっていた結界を解除すると、アドニスを背中に乗せたセイレーンは空へと浮かんだ。
「それじゃあ、ぼくはこれで。また会える日を楽しみにしているよ」
そしてアドニスは、セイレーンに乗ったまま、子供たちを引き連れてどこか遠くへと姿を消した。