幽霊屋敷 3
「グルルル」
突然、獣の唸り声が聞こえ、同時に強烈な気配を感じた。
そちらのほうを見ると、巨大なモンスターがそこにいた。三つの頭を持った犬がわたしたちを見ていた。
「け、ケルベロス?」
間違いなくそうだった。ゲームやアニメでもお馴染みのケルベロスがわたしを威嚇している。牙を剥き出しにした状態で、荒い息を吐き出している。
「ど、どうして?」
恐怖よりも不可解さのほうが強かった。
さっきまでそこにはなにもなかったはずなのにどうして突然現れたのだろう。ケルベロスの大きさはわたしの知るライオンの倍以上はあった。見落とす可能性はほとんどなかったはずなのに。
「アリサ様、危険ですので離れていてください」
ベアトリスが戦闘態勢をとるけれど、ケルベロスはそこから動かない。
「襲っては来ない、みたいだね」
「しつけられているのかもしれません。しかし、油断は禁物です。これを召喚した何者かが近くにいる可能性もありますから」
「召喚って、ケルベロスはこの世界にいるモンスターではないの?」
「モンスターの分布について正確なことはわかりませんが、野生のモンスターを手懐けるのは容易ではありません。召喚した生物なら主の言うことを聞きますので、その可能性が一番高いかと思われます」
「でもさ、召喚士って結界なんて力は使えないはずだよね。まさか、魔法使いと召喚士がここに同居してるってこと?」
「そう言えば、ここには以前、召喚士の人が住んでいたんだよね。このケルベロスはその人が喚んだのかもしれないね」
「でも、その人はもういないんでしょ。召喚生物だけを置いて逃げるかな?」
ララがそんな疑問を口にしたとき、
「あ、ダメだよ、襲っちゃ」
ケルベロスとにらみあうような形でいるわたしたちのほうに、建物からこちらに向かって誰かが駆けて来た。
白いローブを見にまとった女の子だった。わたしと同じように杖を持っている。
「あなたは?」
「わわわ、あなた誰ですか!」
その女の子はいまわたしの存在に気づいたような声を上げたけれど、わたしのことを心配して駆けつけたんじゃなかったのかな?
「わたしはアリサというんだけど」
「ここには結界が張られていたはずです。まさか壊したんですか!」
「ご、ごめんなさい。調査のためにやむをえなくて」
「どうしてくれるんてすか!あれだけ大きな結界を張るのはかなり苦労するんですよ!」
そう言った直後、女の子はふいに視線を下げると、パッと表情を明るくした。
「あ、その白い物体はモフモフではないですか!」
その女の子は興奮した様子でモフモフを抱き上げ、頬をスリスリした。
「以前からずっと会いたいと思っていたんです。とてもかわいいです。このフワフワ感、他では味わえない感触です」
そんな女の子を見て、今度はそちらに向かって唸り声を上げるケルベロス。嫉妬をしているのかもしれないけど、女の子のほうはモフモフを抱いたまま、気にとめる様子もなかった。
「それにしても、どうしてここにモフモフがいるんでしょうか。迷子ですか?」
「わたしが喚んだんだけど」
「あなたが?ということはあなたは、モフモフ召喚士の人ですか?」
「うん、そうなんだけど」
「もしかして、師匠のお知り合いですか?それでわたしに用とかですか?師匠は人付き合いは苦手なタイプですけど、召喚士同士ならわかりあえる部分もあるのかもしれないです」
「その師匠って誰のこと?」
「ハーミット師匠のことです。ご存知ありませんか?」
わたしは首を振った。まったく聞いたことのない名前ではあったけれど、召喚士という立場からどんな人なのかは想像がつく。
「もしかしてそのハーミットさん、以前ここに住んでた人のこと?」
「はい、そうです。わたしは師匠の弟子で、その行方を追ってここに来たんです」
ハーミットさんはこのお屋敷を呪いまみれにして、そのまま逃げた人だけれど、その事実はこの女の子は知らないみたい。
これ言ってもいいのかな?ショックを受けるかもしれないから、まずは基本的な情報を確認したほうがいいのかもしれない。
「えっと、まずはあなたの名前を聞いてもいいかな?」
「わたしはプリシラです」
「プリシラちゃんね」
「呼び捨てで結構です」
「そ、そう。じゃあプリシラ。そのハーミットさんの関係について教えてくれる?弟子ということだけれども、具体的にどんな関係なの?」
「師匠はわたしを救ってくれた偉い先生です」
「救ってくれた?」
「はい」
プリシラはもともと捨て子だったらしい。身寄りのない子供たちのための施設でしばらく暮らしていたのだけれど、実はその施設、子供の人身売買を斡旋する悪い業者が運営していた。
プリシラたち子供もその怪しさに気づいて、あるときにみんなで脱走することを考えた。
そして、大人たちの隙を見つけて逃げ出したのだけれど、すぐに追っ手がやってきて強引に引き戻されることとなった。
そこに現れたのがハーミットさんだという。
「師匠は現れるやいなや、悪い大人たちをバッタバッタと倒したんです。召喚士でありながら、その肉体だけであっという間に制圧し、わたしたちを解放してくれたんです」
「どうしてハーミットさんは助けてくれたの?」
「正義のため、と言ってました。師匠は悪人を倒すために頑張ってるんです」
ハーミットさんって、もしかしたらそんなに悪い人じゃないのかな。なんかさっきまでの無責任なイメージとは正反対だけれど。
「それでプリシラはハーミットさんのところでお世話になるようになったんだ」
「はい。わたしには魔法の才能があったので、師匠が指導してくれることになったんです」
「じゃあ、やっぱりプリシラは魔法使いなんだね。ここの結界をつくったのもプリシラ?」
「そうです」
魔法使いというジョブは一般的でありながらも、その能力は人によって様々。攻撃魔法から補助魔法まで幅が広くて、どの程度使えるのかは個人によるらしい。
ひとつの魔法に特化することがあれば、あらゆる魔法を平均的に使えるオールラウンダーまでいる。
プリシラは後者のオールラウンダーで、このような結界だけじゃなく、攻撃魔法も複数操ることができるらしい。
「結界の外からはこのケルベロスの姿とかは見えなかったんだけれど、結界には姿を消すような作用もあるの?」
「普通の結界にはないですけど、二重でかけると見えにくくなる仕組みです」
プリシラはこのお屋敷の周囲に結界を張り、さらには自分とケルベロスの姿も結界で覆った。結界が二つ重なるとその中にあるものは見えにくくなるのだという。
「だから突然、このケルベロスが現れたように見えたんだね」
1つ目の結界が破られたことで、重なった状態は解消された、ということだね。
「でも、わざわざ結界を張る必要はあったのかな。このケルベロスはみんなが怖がるからわかるけれども、プリシラは別に隠れなくても良かったんじゃない?」
「わたしは師匠を訪ねて来たのですが、師匠はいなかったのでしばらくここで待つつもりだったんです。でもわたしは人付き合いが苦手なので、誰にも見つからないように結界を張っていたんです」
プリシラはしばらく施設で暮らしていて、そこに関わっている大人たちは悪者だった。だからプリシラには見知らぬ人への警戒する気持ちが生まれたのかもしれない。
「ここにはなんか近づきがたい感じがしたんだけれど、それも結界の影響なの?」
「それはたぶん、ケルちゃんのおかげです。結界を大きくするために壁の厚みを犠牲にしてしまったので、ケルちゃんの禍々しい雰囲気が外に漏れてしまったのだと思います」
禍々しい雰囲気って、よくそんな生き物と一緒でプリシラは平気だったよね。たぶんこのケルベロスはハーミットさんが召喚したものなんだろうけど、もしかしたらずっと一緒に生活していたのかな?
それにしてもケルベルスのケルちゃんって、なんて安直な名前……。
「それで、みなさんはどうしてここに?」
プリシラは一連の騒動は知らないみたい。もうここには師匠のハーミットさんはいないってこと、やっぱり教えてあげたほうがいいのかな。
「実はハーミットさん、もうここにはいないんだよ」
「どうしてですか?」
「実は」
とわたしは召喚に失敗して逃げ出したことをプリシラに教えて上げた。
「そうなのですか。師匠らしいと言えば師匠らしいです」
意外にもプリシラはショックを受けた様子はなかった。
「いまどこにいるのかはわからないみたいなんだよね。だからここで待っていても無駄かもしれないよ」
「そんなことないと思います。師匠はきっとここに戻ってくるはずです」
「どうしてそう思うの?」
「師匠はモフモフ召喚士が目的で、ここに引っ越してきたからです」
「わたしに会いに来たの?」
それなら向こうから接触があってもおかしくはないはずだけど、そんな人とは一切会ってはいない。
「というより、モフモフ召喚士がいるところには必然的に悪い人も集まるから、という理由みたいです。師匠は悪人を倒すことが仕事ですから、ここにくれば悪い組織の人を見つけられると言っていました」
もしかしたらハーミットさん、ダーナ教団なんかも敵視しているのかな。
それならわたしの味方とも言えるのだけれど、このお屋敷を呪いまみれにしたまま逃げたというのは、どうしても引っ掛かってしまうんだよね。
「その、ハーミットさんは普段から悪魔とかを呼んだりしてたの?」
「はい。このケルちゃんも悪魔ですから」
そう言われてみると、たしかに。悪魔はフィオナの敵だったというけれども、そもそも悪魔の定義はなんなんだろう。
「悪魔は邪悪な存在であることは間違いないです。人に対しても好戦的で、主の能力が足りないと暴走する危険もあります。天使は基本的にはそういうことはないです。主が頼りなければ途中で帰還するか、そもそも喚ぶことすらできないです」
要するに悪魔は喚びやすいけれと、暴走しやすいってことかな?このケルちゃんのように主の能力が高ければ従ってくれるけれど、そうでない場合は大変なことになる。
「師匠の召喚士としての能力はとても高いです。でも悪魔はワガママなので、すべてのものを召喚するのは容易ではないです。なので師匠はここで悪魔研究を始めたのではないかと思われます」
「悪魔研究?」
「はい。師匠が悪魔を呼んだのは、決して短絡的な好奇心とかではないです。きっと悪魔を調査するためだったはずです。直接使役することで、敵の本質を探ろうとしたんです。悪魔は喚びやすいので、悪者が使役することはよくあります。それに対抗するには、自分も悪魔のことをよく知らないといけないです」
そういうことだったの?悪魔を知るためにの召喚だったってこと?
まあでも、だったらもっと他の場所でやってもらいたかっていうのが本音でもあるんだけれど。例えば森の中とかあるよね。
「このケルちゃんは師匠が呼んで手なずけた子なんです。わたし一人だと心配なので、用心棒として残してくれました」
ケルベロスを従わせることができるのなら、他のものも大抵平気そうな感じもするけれど、違うのかな?そう言えばケルベロスって地獄の門番とかだよね。門番ってことはちゃんと言いつけを守りやすい性質とかあるのかもしれない。
「わたしはそのケルちゃんの声がうるさいって苦情があって、それを調べに来たんだけど」
「そうだったのですか。それは申し訳ないことをしました」
「結界では音を防ぐことはできないのかな?」
「いえ、できますよ。ただ、それには結界に厚みが必要なんです。このお屋敷はとても広いので、その分結界も大きくなってしまいます。透明な壁を薄くせざるを得なくて、それで音が漏れてしまったんだと思います」
「ふーん、なるほど」
「夜なんかはケルちゃんの結界も解いてあるので、より声が漏れやすかったかもしれません」
これでクエストは成功ってことかな。
いやでも、音の問題は解決していないか。壁を作っても薄いま。結局プリシラとケルちゃんがここにいては、同じような苦情はずっと続くわけで。
「このケルちゃんは元の世界には還せるの?」
「師匠がいれば可能ですが、わたしには無理ですね」
「じゃあしばらくケルちゃんを街の外に置くことはできないかな」
「それも無理ですね。ケルちゃんはわたしを守るように言われているので、わたしから離れることはないです」
どうしよう。プリシラを追い出すわけにはいかないし。プリシラはハーミットさんがいずれ帰ってくると言っているから、それを待てばいいのかな。
でも、本当に帰ってくるかどうかはわからないんだよね。ずっとケルちゃんの鳴き声が続くと誰かがそれに我慢できなくなって、プリシラの身も危険にさらされるかもしれない。
「このケルちゃん、そもそもどうして鳴くの?何か理由があるんじゃない?」
「それはわたしも悩んでるんです。ケルちゃんは師匠にしつけられていたので、前に住んでいたところではずっと静かにしていたんです。でもこっちに来てからはよく唸るようになってしまって」
「なにかきっかけみたいなものは思いつかない?」
プリシラは首を振った。
「わたしにはよくわからないです。こっちに来てからは元気もないみたいなので、とても心配しています」
そういってプリシラはケルちゃんの一番近くにある頭を撫でた。
環境の違いに戸惑っているのかもしれない。元いた街に戻れば、すべて解決するような気もするけど。
「少しの間だけ、前の街に戻ることはできないかな。ハーミットさんが戻ってきたら、わたしが連絡して上げるから」
「……もうお家は売ってしまったので、帰るところはないんです」
「そうなんだ」
困った。プリシラだけならともかく、ケルベロスをかくまえるようなところはない。しつけられているとは言っても、機嫌が悪くて唸ることがあるなら、この結界から出してしまうことも不安。
「ケルちゃんはもしかして、病気とかにかかってる可能性はないかな?」
「わたしにはわからないです。もしそうなら、いますぐお医者にみせたいですけど」
ケルちゃんが不機嫌になっている理由を取り除かないと、このクエストをクリアすることは難しいのかも。
もしかしたら単なる環境の違い、以上のなにかがあるのかもしれないから、それをまず調べようかな。