休憩
わたしの王都への滞在は延長されることになってしまった。お祭りでの騒動があったからだった。
警備態勢を見直したり、ダーナ教団の信徒を探すことに、まずは力を入れるという。そのため、わたしをエルトリアまで送る兵力は割けない状態で、しばらくは宿屋で休むように言われていた。
わたしは一度、ダーナ教団の仕業と思われる罠にかかっている。再びあのようなことが起こらないようなチェックもしているという。
長距離の移動のなかで裏切り者が出ると大変な混乱に陥るから、事前にしっかりとした調査もするらしい。
わたしもある程度の自由が制限をされていて、宿屋の周辺から自由に出歩くことはできなかった。
メルクリオ教皇に会ったとき以外はほとんど外出をしていなかった。もうすぐ警戒体制は解除されるらしいから、あと数日の我慢ではあるのだけれど。
「……自殺、か」
わたしは宿屋のベッドに寝たまま、そう呟いた。
どうしてもメルクリオ教皇から聞いた話が忘れられない。どうして前のモフモフ召喚士はそんな選択肢を選んだのだろう。何か特別な理由がないとおかしい。
プレッシャーに押し潰されたとか?その人も地球から来たのなら突然の異世界に困惑したはず。世界を救う女神という立場に耐えられなくなって、それで自ら命を絶ったとか。
それは十分にあり得そうな動機ではあるのだけれど、だったら教皇は素直にそう言うんじゃないかなとも思う。あえて動機を隠すということは、やっぱり簡単には言えないようなものだからじゃないのかな?
「アリサ、なんか不穏な言葉を呟いてるけど、大丈夫なの?」
ベッドに寝そべるわたしの顔を覗き込むようにして、ララが言った。
「ご、ごめん、ちょっも悪い夢を見てたみたいで」
わたしは慌てて体を起こしてそう言った。
「ずっと目が開いてた気がするけど」
「そういうタイプなの。ストレスがたまると目を開けて寝る、そういう人って結構いるでしょ」
「ふーん、教皇からなにかきついことを言われたとかじゃないの?」
「まさか」
「でも、それからだよね。様子がおかしくなったのは」
ずっと部屋に閉じこもっているから、ララもわたしの異変にも気づきやすいのかもしれない。
でも、言えないよね、こんなこと。前のモフモフ召喚士が自殺したのはどうしてか、だなんて。ララが答えを知っているわけもないし。
「じゃあ、教皇とはどんな話をしたの?」
「まあ、モフモフ召喚士としての心がけみたいなものかな」
「それだけ?」
「あとは宝物館でタペストリーを視たよ。悪魔との大戦のときのやつ。悪魔のボスみたいなものも描かれていた」
「あー、そんなのもいたね。魔王なんたらシンとか言うやつでしょう」
「アーシンだよ」
「アーシン。それってどんなやつなの?あたしは話でしか聞いたことないんだけど」
「はっきりとした形ではなかったよ。黒いもやみたいな感じで」
「ふーん。直接見た人が少なかったってことかな?」
そうなのかな?あれを作ったのは誰かは知らないけれど、必ずしも戦いに参加した人とは限らないよね。他人の話を元に制作したのなら、曖昧な姿になるのも仕方がないのかもしれない。
「そう言えば、アーシンとの最終決戦はフィオナとその恋人だけで戦ったらしいね。もしかすると二人しかその姿、目撃しなかったのかもよ」
「まさか」
「まあ、アリサが無事に成長すれば、いずれそのアーシンと戦うことになる可能性もあるわけだからね。直接見たらいい話かな」
魔王と戦うなんて全然想像ができない。
まあ、わたしがそこまで生きていたら、という話ではあるけれども。
わたしはため息をついた。このまま悩んでいるのは体に悪い気がする。狭い部屋にずっといるからなのかもしれない。少し気分転換がしたいかな。
「その辺を歩いてこようかな。近所なら問題なさそうだし」
宿屋の周りに兵士が立っているわけではないから、外出自体は十分に可能だった。もちろん、遠出は難しいけれど、軽く外の空気を吸ってくるくらいなら問題ないよね。
「アリサ様、どこへ行かれるのですか?」
部屋を出ていこうとするわたしに、ベアトリスが声をかけてくる。
「ちょっと、外で気分転換でもしてこようかなって思ったんだけど」
「いまは部屋で待機しておくべきだと、国の方からも言われていますが」
ベアトリスがささっとドアの前に立つ。
「少しだけだよ。その辺を歩いてくるだけ。それなら問題ないよね」
「なりません。あと少しの我慢なので、いまは外出は避けてください」
ベアトリスはわたしのことを気遣ってくれているのだろうけれど、部屋に閉じ籠ったままなのもよくはないんだよね。答えの出ない問いかけばかりで気分が塞ぐし、それによって体調も悪化してしまう。
「もう限界なの。胸が苦しくて、このままだと出発する前に病気になっちゃうかも」
「ですが」
ベアトリスが困ったような顔になる。もしかしたら、わたしの顔色は実際に悪いのかもしれない。全然体を動かしていないから食欲もあまりないし、王都中でのモフモフ披露の疲れも貯まっていたのかもしれない。そこにメルクリオ教皇の話が追い討ちをかけた。
「いいじゃん、行かせたら?こんなに兵士なんかが警戒しているさなかに襲ってくるほど、ダーナ教団もバカじゃないだろうし」
ララはそう言ってベッドに寝転がり、あくびをして目を閉じた。
「あたしは寝ておくよ。食事の時間になったら起こしてよ」
「失礼しまーす」
そのとき、ドアがノックされた。わたしが返事をすると、紙袋を持ったディアドラが姿を見せた。
「いまいいかな。アリサにちょっと話があるんだけど」
「うん、構わないよ」
「ところで、二人で向かい合ってどうしたの?喧嘩でもしていたとか?」
「そうじゃないんだけど」
わたしは外出しようとして、ベアトリスに止められていることを説明した。
「そうなんだ。アリサの気持ちはよくわかるよ。ちょっとくらいいよね。こんな狭い部屋にずっといると体調も悪くなるし」
しかし、ベアトリスは首を振った。
「兵士や騎士が絶えず街を見回りしていますし、すぐにこの宿屋へと連れ戻されるのがおちです。ダーナ教団の脅威もやはり、否定することはできませんし」
「でも、それってエルトリアに戻ってからも同じだよね。ダーナ教団は大きな勢力だし、むしろ警備が手薄なところで狙ってくるんじゃない?」
「それはそうですが、指示を無視するわけにもいきません。アリサ様はモフモフ召喚士。いたずらに混乱を生むことは望ましくありません」
「なら、気づかれなければいいんじゃない?」
そう言ってディアドラは紙袋を床に下ろした。そのなかに手を入れて取り出したもの、それはディアドラが着ているのと同じ制服だった。
「これを着て変装するのは、どうかな?」
ディアドラは制服を広げて、わたしの体に重ねるようにした。
「これで学生に紛れるってこと?」
「そう。きっとこれなら、ばれることはまずないよ。どうせ、エルトリアに戻ったらまた冒険者としての毎日が待ってるんでしょ。自由に楽しめるのはいまだけだよ」
ディアドラはわたしの服を剥ぎ取るようにすると、強引にわたしに制服を着させた。不思議なくらいにサイズはピッタリだった。
「うん。これもかぶれば完璧な変装になるよ」
最後にディアドラはわたしに帽子を被せてきた。ふわふわした大きめのベレー帽だった。
「アリサの特徴は黒髪と黒いマント。この2つがなくなれば、人通りの多いところを歩いても、誰も気づかないと思うよ」
ディアドラは距離を取って、わたしの全身を眺めるようにすると、うなずいた。
「うん。どこからどう見ても普通の学生だね。これなら兵士も気づかないよ」
「そ、そう?」
「自分でも見てみなよ」
部屋の片隅には全身を写せるほどの姿見があって、わたしはその前へと立った。
たしかに簡単には、わたしだとはわからない。わたしはもともと小柄だから、帽子をかぶっていると大人の男性なら覗きでもしない限り、顔を確認するのは難しそうだった。
「よし、じゃあ、さっそく行こうか」
「行くって、どこに?」
「パーティーだよ。アリサを歓迎するために準備してたの。みんなが待ってるから早くしないと」
そう言ってわたしの腕を引っ張るディアドラ。強引に部屋からわたしを連れ出そうとするけれど、その前にベアトリスがやはり、立ちはだかる。
「いけません。いまは部屋で待機することが仕事ですので」
「でも、次に自由になるのは出発する日だよ。そうなったらもう、ここで遊ぶことはできない。ベアトリス、あなたは護衛とは言ってもアリサの一番側にいる人でしょ。もっとアリサの幸せのこと、考えたほうがいいんじゃないの?」
「そ、それは」
「アリサもそうでしょ。いまのうちにもっと友達を作っておきたいとか思わないの?」
エルトリアに戻れば、また冒険者としての日々が始まる。フィオナ迷宮をクリアするため、レベルを上げることを目的に生きなければならない。友達と遊ぶどころか、それを作る余裕すらもなくなってしまう。
「ベアトリス、ごめん、行かせて欲しいの」
「アリサ様」
「今日だけでいいの。エルトリアに戻ったら、ちゃんとモフモフ召喚士として振る舞っていくから。いまだけは普通の女の子として生きてみたいの」
「……」
わたしの思いが通じたのか、ベアトリスは渋々といった感じで体をどかした。
ありがとう、とわたしは言って宿屋を出た。