学校
この世界における正式な学校というものは義務教育ではなく、基本的に貴族の子供たちが通うものだという。
一般の人たちへの教育は教会などが担っていて、とくに決まった校舎というものはなく、間借りした教室でシスターなど親切な大人たちに教えてもらうことが多いようだった。
実は一般の人も学校に通うことはできるみたいだけれど、それには難しいテストを乗り越える必要があって、実質的には難しいと言う。それに小さいときから働きに出る人も少なくはないので、真剣に入学を目指そうとする人はほとんどいないのだとか。
わたしは言うまでもなく、貴族じゃないし、本来は保護者などの保証も必要なようだけれど、今回は特別に認めてくれると王様は言った。
学校、という響きは魅力的な部分もあった。ここでもう一度学生としてやり直せたら、楽しい学園生活が遅れそうな気がした。
わたしはモフモフ召喚士。世界を救う女神と言われている。同級生の誰もわたしのことなんてバカにはしないし、もしかしたら恋だってできるのかもしれない。
マンガなんかだけでしか体験できなかった青春が、手に入るかもしれない。
それでも、わたしは王様のあの申し出は断った。ようやくエルトリアの環境にも慣れてきたし、知り合いも段々と増えてきた。冒険者としてはいまも新米で、まだまだ知り合いからの助言もお願いしたい。
わたしの決断を王様は尊重してくれた。
ただ、しばらくはこの王都に滞在して欲しいともお願いされた。街の人々に本当にモフモフ召喚士が生まれたことを知らせるために、モフモフをみんなに見せて回ってほしいと。これは予想していたことなので、わたしはすぐに受け入れた。
その一環として、わたしはまず学校に訪問することになった。
これからの国を担う若者にこそ、モフモフの偉大さをまずは知ってもらいたいというのが王様の願いだった。
この訪問をきっかけにしてわたしを通わせるという意図は、たぶんないと思う。
王立学院の校舎はわたしの知る日本のものとはだいぶ違う。一言で言うと、宮殿のような感じ。石造りの壮麗な外観で、形はコの字をしている。玄関入り口はもちろん開いたほうで、立派な前庭が整備されている。
わたしはそこに立っていた。通学の時間帯は過ぎたところで、学生の姿はまったく見当たらない。
「ねぇ、せっかくだから二人とも中までついてきてくれない?」
わたしは校舎を正面に眺めながら、ベアトリスとララにそう声をかけた。
ここは貴族しか入れないところなので、訪問するときは必ずひとりでと事前に言われていた。不審人物への対処、というところもあるのかもしれない。
ララとベアトリスには途中までで良いからと言ってついてきてもらったのだけれど、なかなか勇気がわかなくて、ずっとここに立っている。
「残念ながら、それは難しいかと思います。さすがのわたしも王様の命令を無視するわけにはいきません。校舎内は安全だと思いますので、護衛の必要もないかと思いますし」
「気楽に行ったらいいよ。王様を相手にしても、そつなくこなしてたんでしょ?同じくらいの学生のほうがよっぽど気楽じゃないかな?」
「それはそうなんだけれど」
学校という概念に緊張しているのかもしれない。お城とかのほうがわたしにとっては漠然としたイメージで、好奇心のほうが勝っている部分があるのかもしれない。
その点、学校のことはよく知っている。この間まで通っていたところだから、リアルすぎて抵抗があるのかもしれない。わたしにとってはいじめやからかいの象徴みたいなところでもあるし。
「いつまでもここに突っ立っているわけにもいかないでしょ。入ればすぐに馴染むから、さっさと行った方がいいよ」
そう言ってララがわたしの背中を軽く押したときのことだった。
「あれ、お前、ララじゃないか?」
背後から声がした。振り向いてみると、こちらに向かってひとりの金色の短髪の男性が駆け寄ってきた。日本でもお馴染みのブレザータイプの制服を着ているので、ここの学生のようだった。
「ノエル、あんたどうしてここに?」
ララがそう言った、どうやら、ララの知り合いらしい。
「どうしても何も、おれはここに通ってるんだよ。お前も知ってるだろう」
「そうじゃなくて、授業はもう始まってるんじゃないの?」
わたしたちはあえて遅れてここへとやってきていた。若い人たちばかりなので、モフモフ召喚士がいると知ったら混乱するかもしれない。校舎内なら教師の監視が効くけれど、外だともみくちゃにされるかもしれないから。
「ディアドラが遅れたんだよ」
ノエルくんが親指で示した先に、もうひとりの生徒がいた。
一瞬、その女性がわたしには日本人のように思えた。肩で切り揃えられた髪が黒かったから。こちらにも黒髪の人はいるけれど、艶やかな真っ黒というケースは珍しい。でも、瞳のほうは青みがかったグレー。肌は陶磁器のようにな白さで、その辺りはわたしの知る日本人とはだいぶちがったのだけれど。
「ノエル、この人たちは?」
「まあ、知り合い、かな」
「あれ?もしかしてあなた、モフモフ使いじゃないの?」
ディアドラと呼ばれた女性は、わたしを見てそう言った。
「そうですけど」
「やっぱりそうだ。黒髪黒目で黒いマントを羽織っている。噂で聞いた見た目通りだったから、すぐにわかった。はじめまして。わたしはディアドラだよ」
「アリサ、です」
わたしは求められたままに握手をした。
「ずいぶん小さいよね。モフモフ召喚士っていうとフィオナを想像するけど、まだ子供なんだ」
「まあ、よく言われます」
「それで、今日はどうしたの?まさか、ここに通うとか?」
「いえ、そうじゃなくて」
わたしはここに来た事情を二人に説明した。
「へぇ、わざわざモフモフを見せに来たんだ。え、じゃあ、ここでやってもらうのはどうかな?簡単に出せるものなの?」
「おい、ディアドラ、やめろよ。失礼だろ」
ノエルくんがディアドラさんの肩をおさえる。
そして、申し訳なさそうな顔でわたしを見る。
「ごめん。こいつ、もともとモフモフが好きなんで興奮しているみたいなんだ」
「それはいいですけど、ララの知り合いなんですか」
わたしはさっきからそれが気になっていた。ノエルくんというこの人も、おそらく貴族の子供。にも関わらずララとは顔見知りらしい。冒険者と貴族、二人の間に接点があるようには思えなかった。
「えっと」
と言いながら、ノエルくんはララの表情を確認する。
「ララはまあ、おれの姉さんだよ」
「へ?姉さん?」
わたしはララのほうを見た。ノエルくんの言葉を否定するようなことはしない。
「ど、どういうことなの、ララ?」
「なにが?」
「なにがって、ララは貴族だったのかと聞いてるんだけど」
そんな話は初耳で、わたしはかなり驚いていた。
「そんなのどうでもよくない?わたしはいま冒険者をやっている。それが全てだよ。それともアリサは貴族に対する何かしらの偏見でも持ってるわけ?」
「そういうわけじゃないけど」
「なら、気にしないことだね。わたしの過去でいまの関係を決めるというなら、アリサともこれまでかもしれない」
ララの口調には苛立ちのようなものが感じられた。あまり聞いてほしくないことなのかもしれない。
ノエルくんが何かを言おうとすると、それを遮るようにララが「もう遅刻なんだから早く行きなよ」と二人を急かした。
二人は顔を見合わせると、
「それじゃあ、また」
そう言って駆け足で校舎で向かった。