エルトリアへ
ララの後について森を出ると、一頭の馬が出迎えてくれた。ララの愛馬らしい。
かなり利口らしく、ロープなんかで縛られておらず自由に歩ける状態なのに、主人をずっと待っていたみたいだった。
「どうして縛らないの?ここで逃げられたら歩いて帰らないといけなくなるよね」
「縛り付けておいた状態でモンスターが出たら、逃げられないからね。何も出来ずに死ぬのはかわいそうでしょ。それに少しくらい遠くに行っても、口笛でも吹けばすぐに戻ってくるんだよ」
「名前はあるの?」
「いや、あえてつけてないんだ。感情移入が過ぎると、この子が亡くなったときに立ち直れなくなりそうだから」
わたしも幼い頃には猫を飼っていた。まだお母さんが宗教にのめり込んでいないときで、家族みんなで世話をしていた。
その猫が死んだのは、わたしのせいだった。
外で遊んであげようと思って公園まで連れていったら、道路のほうに走っていって、そのまま車にひかれてしまった。
それでも、お母さんもお父さんもわたしを責めることはしなかった。二人とも大事にしていたのにわたしのことを慰めてくれて、みんなでお墓をつくり、その猫を供養した。
あのときは幸せだったな。自然と涙が出てきて、わたしはそれを袖で拭った。
「どうしたの?泣いてる?」
「ううん、なんでもない」
「じゃあ、行くよ」
ララは軽やかに跳躍して馬にまたがると、わたしのほうへと手を伸ばした。
「さあ、乗って。近くの村まで連れていくから」
わたしはその手を借りて馬に乗り、彼女の体に腕を巻き付けた。
やっぱり、ここは日本ではないみたいだった。馬に乗りながら感じた風は、日本では感じたことのない濃密なものだった。
周囲には建物らしいものはなく、緑の草原が果てまで広がっている。せわしない足音や車の騒音は一切なくて、一定の感覚で響く蹄の音が心地よく耳に届いている。
「ねぇ、ララ、ここってどこなの?」
「どこ?」
「その、国の名前とか」
「ここはガリア王国だよ。いま向かってるのはその東にある村だね」
ガリア王国。日本にいたときに、その名前を聞いたことはなかった。
「そこにララの家があるの?」
「拠点のひとつかな。わたしが生まれたのは違う街だから」
やがて進行方向に人工物が見えてきた。
ちょうどわたしたちは丘の上にいた。
見下ろすような形だったので、その村の姿を一望することができた。
ララは村とは言ったけれど、わたしの印象では城塞都市という感じだった。
広大な敷地の周囲を高い壁に囲まれ、一定の感覚で配置された尖塔が見張り台の役目を果たしているようだった。
敷地内では建物と何かの畑と思われる緑のエリアが混在していた。一部では建物が密集しているエリアもあったけれど、自給自足を目的としているからか畑のエリアも大きくとられていた。
「あれがはじまりの村、エルトリアだよ」
「はじまりの村?」
「そろそろ日が落ちそうだね。まずは村に急ごうか」
そう言われてみると、確かに空は赤みがかっていた。雲がところどころに浮かび、太陽もひとつだけで、地球と何も変わらないことを改めて知った。
村の門を抜けると、一際大きな建物の前でララは馬をとめた。ここは宿屋らしく、ララの常宿でもあるらしい。
馬をとめて中に入ると、ララはわたしのことを宿屋の主人に紹介した。
ふくよかな体をした女主人で、名前はマリー。見た目通りおおらかな性格をしていて、わたしが森で倒れて記憶がないという情報を聞いても笑って受け入れてくれた。
「そうかい、そいつは大変だったね。あの森も昔からいろいろと言われてるからね、何が起こっても不思議じゃないよ。いまはご飯を食べて元気を取り戻すんだね」
宿屋には食堂が併設されていて、わたしたちはそこで食事を取ることになった。料金に関しては気にすることはないとララが言った。
やがて、わたしたちの座ったテーブルに料理が運ばれてくる。何かの丸焼きのお肉、熱々のシチュー、ちょっと固そうなパン。他にも映画やアニメでしか見たことのないようなものがずらりとテーブルに並んでいた。
味はまあまあ、というか、ちょっと濃すぎる気がした。ここは冒険者をよく受け入れている施設なのか、それらしい人たちが他にも食事をしている。たくさん動く人に向けて味を調整しているのかもしれない。
「ララは冒険者をしているって言ってたけど、それって具体的にどんなことをするの?」
食事を一通り終えたところで、わたしはそう聞いた。
冒険者という職業はなんとなく想像はできるけれど、細かい部分ではよくわからないところもあるから。
「冒険者はギルドからの依頼を受けて仕事を達成する仕事だね。依頼にはいろいろあって、魔物の討伐から要人の護衛、ダンジョンの謎を解き明かしてお宝を回収とかがメインかな。それ以外にも何かを運ぶ手伝いとかもあるし、貴族の話し相手に、なんてものまであるね。ちなみに、わたしがあの森に行ったのは、薬草集めのためだったんだ」
「成功すると、お金がもらえるの?」
「うん、後は経験値だね」
「経験値?」
「そう。冒険者にはレベルとジョブっていう要素があるんだよ。これはわかる?」
「なんとなく」
「冒険者は依頼をこなすたびに経験値を得て、レベルが上がるんだ。そうするとステータスも強化されて、スキルなんかも増えたりするんだよ」
ゲームをやったりアニメなんかはよく見る方だったので、知識としてはすんなり理解はできたけれど、受け入れることは必ずしも簡単ではなかった。
ここでいうジョブっていうのは、サラリーマンとかじゃなく、魔法使いとか錬金術師のことだよね。そして、それに応じたステータスが存在する。本当かな?
「要するに、体力とか力が可視化されているっていうこと?」
「そう。一般の人にはない要素だね。冒険者に登録するとわかるようになるんだよ。もちろん、冒険者はジョブ持ちにしかなれないんだ」
ここはゲームの世界、なのかな。そういうアニメを見たことがあるけど。
「ララのジョブはなんなの?」
「わたしは魔法剣士だね。剣の技量や魔法の扱い方が平均的に上昇するジョブだよ」
「魔法、使えるんだ」
「まあね」
ララは人差し指を上の方に向けた。わたしがその指先を見つめると、蝋燭くらいの炎がポッと生まれた。手品、のようには見えなかった。
「魔法使いほどじゃないけどね。まあ、攻撃目的というよりは、モンスターや敵を撹乱させるためのものかな」
「わたしも使えたりするのかな」
「才能があればね」
この世界では、誰もが冒険者になれるわけではないという。
冒険者はあくまでもギルドでの登録制で、その資格を得るためには事前の審査が必要になる。多くの人は一般人で、才能はもたない。冒険者は選ばれ人たちのもの、ということ。
わたしはなんの力もない女子高生。軽い気持ちで言いはしたけれど、魔法なんて使えるわけがないよね。
「明日、ギルドにでも行ってみる?もしかしたら、すでに冒険者として登録済みかもよ」
「それは、ないと思うけど」
ララは身を乗り出すようにして、わたしの手を取った。
「たしかにきれいな手をしているね。これだと冒険者としての経験はなさそうだね」
「ララもきれいな肌をしているけど」
これはお世辞じゃなく、本音。顔を間近で見ても、傷ひとつ見当たらなかったから。
「あたしはまだ新人に近いからね。これからどんどん傷も増えていくと思うよ」
「その割にはゴブリンを簡単に倒してたよね」
「ゴブリンなんて武器さえ持ってたら素人だって倒せるよ。そんなに知能も高くないから、動きをよめば子供でも平気かもね」
子供ーーそう言えば、ララっていくつなんだろう。そこまで大人って感じもしないけど。
「ララって何歳なの?」
「わたしは16才だね」
「え、それじゃあ」
わたしと大して変わらないじゃない、と言いかけて慌てて口を閉ざした。記憶がないということが嘘だとばれてしまうところだった。
「……それじゃあ、冒険者になったのは最近のことかな?」
「だから、そう言ってるでしょ。ちょうど一年くらい前だね。アリサはどうかな。わたしよりもだいぶ年下に見えるけれど」
わたしは苦笑いを浮かべるしかなかった。同じくらいだよ、とつい口走りそうになった。
「まあ、とにかく、調べるだけ調べてみようよ。才能をチェックしてもらったら、意外にもすごいジョブだったりするかもよ」
「ジョブも生まれつきのものなの?」
「そうだね。完全な才能だから、後でつけることはできないね」
「ジョブチェンジとかは出来るの?」
ゲームではおなじみのシステムだけれど、ララは不可解そうな顔をした。
「ジョブを変えるってこと?そんなの無理だよ。だって、ジョブはその人にだけ備わった才能なんだから」
そこはゲームのように都合良くできてないんだね。まあ、簡単にジョブチェンジなんかできたら、みんなすごい魔法使いとかになっちゃうんだろうし。
とりあえず、ララの言うようにジョブの確認はしておこうかな。
きっと何もないんだろうけど、お金を取られるわけじゃなさそうだしね。記憶がないという手前、なにもしないというわけにもいかないし。
「ギルドはいろんな情報源でもあるからね。もしかしたら、アリサのことを知っている人がいるかもしれないよね」
そんなわけない、とまたつい口にしてしまいそうになった。記憶喪失のキャラクターを演じるのも簡単じゃないかも。いっそ全部本当のことをさらけ出した方が楽なのかもしれない。
「もし冒険者として登録できたなら、あたしとパーティーでも組もうか。一人でやった方が効率はいいんだけれど、それだとクリアしにくいやつもあるんだよね」
わたしがモンスターと戦う?そんなの無理。学校のマラソンだっていつもビリだったのに。あの森だってララがいてくれたから抜けられたんだし。
「ジョブがなにもなかった場合、わたしはどうしたらいいのかな?」
「うーん、まずは教会に相談かな。親を失った子供の施設とか運営してるし、なんとかしてくれるかも」
教会、か。なんかお母さんの宗教と繋がるから、ちょっと抵抗あるけど、わがままを言える立場でもないんだよね。
「なんかさ、アリサって不思議な雰囲気があるんだよね。だから何かしらのジョブは持ってるような気がするんだよ」
「そうかな」
「うん。きっとそうだよ。年齢的にはまだかもしれないけど、いつかは冒険者になれるような気がする」
この世界ではある意味、女子高生は特別な立場であることはたしかだよね。まあ、それで冒険者になれるとはとても思えないけど。