出会い
「……ここは?」
気がついたとき、わたしはどこかに倒れていた。起き上がって周囲を確認してみると、そこは森だった。
背の高い木々が周囲を覆っていた。わたしが倒れていたのは土がむき出しの地面、両脇を茂みで満たされた道で、人工物らしきものはなにもない。
「え、どうしてわたし、こんなところにいるんだろう?」
そう呟いた直後、あのときの出来事が頭をよぎった。
「そうだ、わたし、トラックにはねられたんだ」
白い物体を追いかけて、道路に飛び出してしまった。トラックが間近に迫っていてそして……そこからの記憶はないけれど、そのままトラックにはねられ、その勢いで森の方まで飛ばされたってことかな?
「まさか、ね」
うん、そんなことありえないよね。マンガやアニメじゃないんだから。そもそも、街の近くには森なんて存在しないはずだし。
じゃあ、他の可能性は?
例えば、トラックの運転手がわたしが死んだと勘違いをして、人目につかないところにこっそりと運んだとか。
さすがにそれもないかな。トラックに死体を詰め込む暇があったら、すぐに逃げてるよね。あそこは結構人通りも多かったし、そんな余裕はなかったはずだよ。
「そういえば、どこも痛くないけど」
わたしは体のあちこちを手で触れてみた。まったく怪我はしていない。制服のどこも破れてもいないし、出血した様子もない。
何が起こったんだろう?わたしはますます混乱した。
「もしかして、わたし、死んだとか?」
それが一番可能性が高いように思えた。
つまり、ここは天国かもしれない。
木に挟まれた道が真っ直ぐに伸びているので、この先に天使の住むような宮殿があるとか?少なくとも、地獄のような雰囲気はないけれど。
「とりあえず、進むしかなさそうだね」
わたしが歩き出そうとしたとき、何者かの気配を感じた。上の方からだった。
見上げてみると、木の枝に何かがあった。
それは猿のような生き物だった。
長い手足で木にぶら下がるようにしていたからそう思ったのだけれど、よく見てみると、猿のような体毛は生えてない。
小柄な人、のほうが正確かもしれない。緑がかった肌を露出していて、目は大きく、顔の半分ほどもあるかもしれない。
「……ゴブリン?」
わたしは映画やゲームが好きだから、その姿は何度も見たことがある。もちろん、架空の存在としてだけれども。
そのゴブリンは突然ゆらゆらと体を揺らし、その反動を使ってわたしめがけて飛びかかってきた。
わたしはとっさにしゃがんだ。ゴブリンは頭のあったところを通過して、わたしの背後に着地したのがわかった。
「ど、どうして、ここは天国なんじゃないの!」
襲われる理由なんて思い付かないけど、モンスターとはそういうものなのかもしれない。殺気が、近くから伝わってくる。
天国か地獄かなんてことはこの際、どうでもいい。あれこれ考えている暇なんてなくて、わたしはダッシュでその場を離れた。
とはいえ、わたしは脚が速いほうじゃない。運動は全然ダメで、体力だってない。
そもそも、借金のせいで満足にご飯は食べられていなかった。ゴブリンに追い付かれるのは時間の問題。
地面のへこみに足をとられて転倒したとき、わたしは死を覚悟した。倒れた状態で後ろを振り向くと、ゴブリンはすでに空中へと飛び上がっていた。
ゴブリンの指には鋭い爪が備わっていた。それによってわたしの肌を削り取るに違いない。もはやどうすることもできず、わたしは目を閉じた。
「たあっ!」
鋭い人の声が耳に届いたのは、その直後のことだった。
続いて、獣の鳴き声のような音が聞こえた。
顔を上げてみると、わたしのすぐそばに、細身の女性が立っていた。軽装の鎧を身にまとい、片手には剣が握られている。
「大丈夫だった?」
その剣士と思われる女性はわたしのほうに手を伸ばしてきた。反射的につかもうとしたわたしの目は、彼女の足元へと注がれていた。先程のゴブリンが血を流して倒れている。
「うっ」
わたしは伸ばした手で咄嗟に口を覆った。首をバッサリと切られて、ピクリともしない。
「ん?ああ、これ」
女剣士はゴブリンを軽く持ち上げると、茂みのほうにその体を放り投げた。
「この程度のことで気分が悪くなるなんて、冒険者ではなさそうだよね。服装もなんかおかしいし、もしかして迷子かな?」
「あなたは、誰なの?」
天使、のようには見えなかった。頭の上にわっかはないし、背中に羽が生えているようにも見えなかった。
女剣士は明らかに普通の人間だった。赤い髪の毛を短くまとめていて、年齢はきっとわたしと同じくらい。ここはやっぱり、天国でも地獄でもなさそう。
「あたしはラファエラ・ライリー。ララってみんなからは呼ばれるけどね。あんたは?」
外国人、なのかな。肌は白いし、瞳の色も透明に近い青。
でも、しゃべっているのは日本語。しかもかなり流暢で、一切違和感なんて感じられない。
「わたしは、アリサ・サギノミヤ」
実際は鷺ノ宮有沙だけれど、一応、相手に合わせる形で名前から言ってみた。
「アリサね。で、ここには何しに来たの?」
「えっと」
なんて答えたらいいんだろう。
トラックに跳ねられたらここに……って相手を混乱させるだけかな。まずは何も知らないふりをして、ここの情報を収集したほうがいいのかもしれない。
「ごめんなさい、実は記憶がなくて。名前だけはどうにか思い出せたんだけれど」
どんな反応されるのかと思っていたけれど、意外にも彼女、ララは平然としていた。
「そっか。じゃあ、何かの事件に巻き込まれたのかもね。記憶を消す魔法もあるっていうから」
魔法?いま、ララは確かにそう言ったけれど。
「魔法っていうのは?」
「え、そんな常識まで忘れちゃってるの?」
常識……少なくとも、わたしの住んでいた日本という国には、そんな概念はなかった。
じゃあ、ここってもしかして、異世界?
そう言えば、そういうアニメを見たことがある。何かで死んだあと、違う世界に飛ばされたり、生まれ変わったりして、別の人生を歩むっていうやつ。
わたしはトラックに飛ばされ、そのまま異世界に来たってこと?
誰かに騙されてる、とかじゃないよね。わたしは普通の一般人だし、こんな大がかりな仕掛けをする必要もない。
夢とかじゃないよね。本当のわたしはいま、病院のベッドで寝ているとか。一応顔を軽くたたいてみたけど、痛みは確かに感じる。
「どうしたの、突然」
「……記憶が戻るかなって思ったんだけれど」
「魔法の影響なら簡単には戻らないよ。そもそも、正確な状態はわかってないんでしょ。なら、まずは医者に診てもらったほうがいいと思うけど」
そう言って、ララは周囲を見回した。
「まあ、とりあえずはここを出たほうがいいよね。またモンスターが襲ってくるかもしれないし。もう立てるでしょ」
「あ、うん」
わたしはララの手を借りて立ち上がった。
「アリサは武器とかは持ってるの?」
「武器?」
わたしは改めて体をチェックしたけれど、ポケットにも何も入ってはいなかった。スマホやお財布はないし、学校の鞄も持ってはいなかった。
「ないなら、これを貸してあげるよ」
ララがわたしに寄越したのは小柄なナイフだった。
「いつ、どこからモンスターが現れるかわからないからね。自分の身は自分で守らなきゃダメだよ」
「……わたしに戦えってこと?」
「うん。モンスターに食べられるのが趣味じゃなきゃね」
ゴブリンに食べられる自分の姿を想像して、わたしは頭を振った。
「ごめん、怖がらせるつもりはなかったんだけど」
わたしは周囲を見た。見える範囲には、モンスターらしき姿は確認できなかった。
「でも、そんなに心配する必要はないよ。ここはそんなに深くないから、強いモンスターとかは出てこないからね。まあ、わたしの後にぴったりとついていれば、そんな危険はないと思うよ」
「わ、わかった」
わたしはララの背中に引っ付くようにして、前に進んだ。