はじめてのクエスト3
店内は不思議なにおいで包まれていた。甘いような、ツンとするような、さまざまなものが混ざった複雑なにおい。
壁に設置された棚にはいくつもの瓶があって、そこに詰め込まれた薬草から漂っているようだった。
「客か、珍しい」
棚の前のカウンターにはひとりの男性が立っていて、手元で薬の粉末らしきものを小皿にわけているところだった。
「なにか不調があってきたのだろう。症状を言いたまえ」
メガネをかけたどこか神経質そうな男性で、言葉使いもぶっきらぼうな感じがした。
こういう態度を見ると、経営状態が悪いというクローネさんの指摘もちょっとは理解できた。
「あの、わたしは客ではないんです。ギルドの依頼を見て来た冒険者です」
「冒険者?」
男性ーーおそらくマークさんがわたしのことをジロジロと見つめる。
「はい。アリサと言います。依頼をくれたマークさんですよね。新人ですけど、精一杯頑張りたいと思います」
わたしは頭を下げる。
「想像していたよりもずっと若いな。きみは薬について詳しいのか?」
「いえ、素人ですけど。やっぱり薬の知識がないとだめですか?」
もしもそうであるのなら、この依頼は受けることはできない。
わたしは薬について詳しいわけじゃない。とくにこっちの世界がどの程度の医療レベルにあるのかなんて全然把握はできていない。
「いや、必ずしもそういうわけではないのだが、その方が話が理解しやすいのはたしかだからな」
とはいえ、簡単に引き下がるのも嫌だった。ここですぐに逃げたら、他のクエストも無理な気がするから。
「とりあえず、わたしの話だけでも聞かせてはくれませんか?素人だからこその視点、というものもこの世にはあります。プロのマークさんには気づけないことも、わたしならわかるかもしれません」
アイディアは必ずしも知識が全てではない。実際に専門家のマークさんが困っているわけだから、知識があればいいというわけじゃないことは明確だと思う。
「なるほど、きみの言い分にも一理ある。なら、そこに座ってくれ」
部屋の片隅に小さなテーブルとそれを挟むようにして椅子が置かれていた。相談用に使うものかもしれない。
わたしはマークさんと向かい合うような形で腰を下ろした。
「最初に言っておきたいことがある。この薬局はいま、経営的に苦しい状態にあるんだ」
「はい、知っています」
わたしがそう答えたとたん、マークさんは怪訝そうな顔をした。
「どうしてそのことを?きみとは初対面のはずだが。ギルドででも聞いたのか?」
「あ、すいません、さっき店の前で色っぽい女性に会って、その人からこの店のことを教えられたんです」
「色っぽい女性?もしかして、クローネのことか?」
「はい。そのクローネさんです。彼女は幼なじみだと言ってましたけど、本当ですか?」
「ああ、何かと腐れ縁なんだ。以前は腹を割って話せるような間柄だったが、いまは何かと衝突することが多くなってしまった。まあ、向こうがぼくの商売を邪魔しているからではあるんだが」
「邪魔? どういうことですか?」
「営業妨害、というやつだな」
マークさんによると、クローネさんはもともと冒険者をやっていたらしい。それがある日突然、このお店の近くに診療所を作ったという。
「それでこのお店の売り上げが減ってしまった、ということですか?」
「ああ。おそらく、ぼくの商売を邪魔するために、わざとやったんだ」
「わざとって、マークさんがなにか恨まれているってことですか?」
わざわざ冒険者を止めてまで幼なじみの仕事を邪魔するなんて、よほどのことだよね。ほんと、嫌がらせみたいなものだし。
マークさんがなにか怒らせるようなことをしないと、そんな面倒なこともわざわざしないと思う。
マークさんは何かを言いかけ、すぐに口をとじた。
「……まあ、それはいいだろう。この依頼には直接は関係のないことだから」
気にはなるけど、言いにくいことなら無理に聞き出すことは難しいかな。相手の気分を損ねるのは良くないし。
「はい。でも、ひとつだけ基本的なことを教えてください。この薬局の売り上げが落ちたのは、本当にクローネさんのせいなんですか?」
例えば、マークさんが何か失敗して、みんなからの信頼を失ったとかもありえるんじゃないかと思った。
薬草の調合なんて難しそうだから、別の薬を混ぜてしまって誰かの病気を悪化させてしまったとか。
そうじゃないと近くに診療所が出来ただけで一気に売り上げが落ちることもないと思うのだけれど。
「いや、ここの経営難は間違いなくクローネが原因なんだ。なぜなら、彼女はヒーラーだからな」
「ヒーラー……魔法で傷を治せるジョブですね」
それくらいは日本にいたときの知識だけですぐに理解ができた。
「ああ。しかも、かなりの高レベルに達している。その力は外傷だけではなく、内臓の不調から来る異変にも対応できるほどだ」
「なるほど、たしかにそれならお客さんが向こうに流れるのは納得です」
ヒーラーとお薬、どちらがいいのかは明白だというのはわたしにだってわかる。
薬は苦くて、おいしくはない。副作用だってある。傷に塗り込む外用薬は痛いし、治るのにも時間が必要。
その点、ヒーラーにはほとんどデメリットというものがない。
魔力が直接患部まで届くから。痛みも苦しみもなく、その場で回復が可能。薬草を取るような手間がない上に、短期で済むから、費用も安くて済む。
それなら、薬草を扱うお店が敬遠されるのも仕方がないかなと思う。仮にわたしがマークさんの友達であったとしても、怪我をしたときはヒーラーに頼もうとするはずだから。
ただ、ここでひとつの疑問が浮かび上がる。
「それなら、そもそも薬局は成り立たないものではないんですか?」
ヒーラーという存在がいるのなら、それ以前に薬草なんかに頼る必要はないんじゃないかな、と思った。
薬草の効能をいちいち調べるのは面倒で危険だから、全部ヒーラーに任せればいいはず。その流れが定着すれば、薬局という文化自体が生まれないんじゃないかなとわたしは思った。
「そう簡単な話ではないんだ。ヒーラーは数が多いほうではないし、冒険者としての需要は極めて高い。パーティーにヒーラーがいるだけで生存率が高まるから、多額の報酬で誘われることは珍しくない」
「つまり、普通のヒーラーは診療所なんてやってる暇はないということですか?」
「ああ。そもそも薬草には携帯できるという便利な要素もある。ヒーラーがいつでもそばにいるとは限らないし、個人で活動する冒険者も多い。そういう意味においては、今後も薬局という文化がなくなることはないだろう」
そこまで言ったマークさんが、ふと怪訝そうな顔になる。
「それにしてもきみは、冒険者なのにこんな基本的なことも知らないのか?」
「新人なもので」
マークさんもわたしがモフモフ召喚士であることには気づいていない様子だった。この感じだとモフモフそのものに興味がないのかもしれないけれど。
「それなら、クローネさんもいつかは冒険者に戻るかもしれませんね。ずっと街でお医者さんをやっていても、ひっきりなしに仲間になってほしいと誘われるはずですから」
「それを待てというのか?」
「無理、ですかね?」
なんなら、わたしがクローネさんを説得とかしてもいいかなと思う。
クローネさんにはそこまでお医者さんにこだわりはなさそうだから、素直に聞いてくれるかもしれない。
冒険者で活躍をすればレベルも上がるし、選ばれた立場としてはそちらのほうが有意義のはず。
そうすればここはまた通常の状態に戻って、クエストは解決となるはず。
「おそらく、クローネはそう簡単に診療所を閉めることはしないだろう。わたしが根を上げるまで待つつもりだ」
「そこまでマークさんが嫌われてるんですか?それなら、クローネさんに謝るというのが一番の方法かもしれませんよ」
「わたしはなにも悪いことはしていない。とにかく、クローネを説得するという方法はなしにしてくれ。どうしてもそれにこだわるのなら、今回の依頼はなかったことにしたい」
マークさんは明らかに不機嫌そうな顔をしている。このままだと本当に追い出されてしまうかもしれない。
それは困る。わたしとしてはどうしても最初のクエストは達成したい。
ここは自分のことをある程度伝えて理解してもらうほうがいいのかも。
「すいません。わたし、記憶をなくしているので、どうしてもいろいろと詮索するクセがあるんでふ」
「記憶をなくしている?」
わたしはモフモフの召喚士であることも含め、こちらに来てからの出来事を語った。
「そうか。きみがあのモフモフの女神というわけか」
他の人に比べて、マークさんの反応はだいぶ薄かった。大抵の人はアイドルと会ったみたいな反応をしていたのに落ち着いている。もしかしたら、偽物と疑われているのかもしれない。
「モフモフ、召喚してみましょうか」
「いや、結構だ。わたしはあまりモフモフには興味がないんだ」
こういう人もいるんだ。まあ、それも当然かな。モフモフ自体にはいまのところなんの力もないから、現実的な薬草を取り扱うマークさんには、神秘的な要素を感じられないんだろうね。
「しかし、きみも大変だな。記憶をなくしたあげくに女神に祭り上げられるとは、同情を禁じ得ない」
「案外、平気ですよ。記憶をなくしているぶん、みんな優しくしてくれますから」
記憶をなくしている、この言葉を連呼しているとなんかちょっと胸が痛い。
いつまでこんな嘘をつき続ければいいんだろう?記憶喪失であることを理由に同情を買おうとしているみたいで、情けなさもある。
かといって、異世界から来ました、なんてことは言えないんだよね。