フィオナの地下迷宮
「……何か、とても不気味な感じがしますけど」
その扉の前に立ったとき、わたしは何か得体の知れない恐怖のようなものを感じた。なんの変哲もない石の扉だけれど、その奥から不気味で淀んだ風がこちらに流れ込んでくるような錯覚を覚えたから。
わたしはブラッドさんとリディアさんに頼まれ、教会の奥のほうへと進んでいた。
そこには厳重な鍵によって守られた小部屋があって、中に入ると、地下へと続く階段が伸びていた。階段が終わるとまっすぐに通路が続いていて、しばらく歩いたら石の扉がわたしたちの行く手を塞いでいた。
「えっと、それで、これはいったいなんなんですか?」
わたしは二人からなんの説明も受けてはいなかった。教会に顔を出したらとりあえずついてきて欲しい、とお願いされてここまでやってきたんだけど。
「この扉の奥には、ダンジョンが隠されていると言われているのです」
松明を持ったブラッドさんが厳かな口調で言った。
「ダンジョン、ですか」
「はい。フィオナの地下迷宮と呼ばれているものです」
「フィオナの地下迷宮」
「複雑な経路と、深く続く階層。下に行けば行くほど強いモンスターが現れ、生半可な気持ちでは到底生きて最下層にまではたどり着くことができない迷宮。そんな話が教会には受け継がれているのです」
「受け継がれている……ということは、実際に見たことはないんですか?」
リディアさんがわたしに向かってうなずいた。
「ええ。この扉はどのような方法を使って開けることはできないんですね。唯一の方法はモフモフ召喚士がモフモフを呼ぶことのみ、と言われています」
「モフモフが?」
扉をよく見てみると、中央には丸い物体が描かれている。モフモフのようだった。真ん中に縦線が走っていて、ちょうど体を分断するような形になっている。
「これはモフモフの召喚士の試練と言われています。モフモフの召喚士はこのダンジョンをクリアすることで覚醒し、本当の大きな力を得ることができるのだと伝えられています」
本当の大きな力?
「それってなんなんですか?」
「わたしたちにもわかりません。この地下迷宮をクリアしたもののみが得られるものと言われています」
つまり、いまのわたしはまだ不完全で、このフィオナの地下迷宮の先に封印された力があるということ?だから、わたしのステータスが低いってこと?
それってどんな力なんだろう?
教会の2人ですら知らないみたいだけれど、わざわざこんなふうにして試練を設けるということは、とんでもない力なのかもしれない。それこそ、一瞬で国を滅ぼせるような魔法とかなのかな。
「アリサ様、すでに理解しているとは思いますが、あなたにはこのフィオナの地下迷宮へと挑んでもらいます。ここに隠された力がどのようなものかはわかりませんが、おそらく、それがなければこの世界を救うことはできないでしょう」
「いま、ですか?」
「レベル1の状態ではさすがに無理かと思います。ただ、早いことにこしたことはありません」
「これはモフモフ召喚士だけで挑まないといけないんですか?仲間と一緒だとダメなんですか?」
「仲間の帯同は認められているはずです。ただ、自分の力を示すことが重要ですから、アリサ様の戦闘も避けられないものかと思います」
戦闘なんていまのわたしには無理な話。こんな大袈裟な感じのする封印があるということは、どう考えたってその辺のモンスターよりも強い敵が隠されている。
しかもここに本当の力が隠されているということは、レベルをただ上げてもわたしのステータスはそこまで上がらないのかもしれない。ということは、戦闘能力の高い仲間を見つけるしかないってことだとも思う。
「ちなみに、この情報は迂闊に外には漏らさぬようにお願いします。教会ーー国にとっての機密情報ですから」
リディアさんがわたしの後ろにいる2人ーーララとベアトリスにも確認する。
「わかりました」
「最初から言うつもりはないけどね」
最初はわたしひとりだけが呼ばれたのだけれど、なにか悪い予感がしたので2人にはここまでついてきてもらっていた。ララとベアトリスならこのフィオナの地下迷宮の攻略には付き合ってもらえそうだけれど、まだ仲間は足りないようにも思う。
「それではアリサ様、さっそくモフモフを召喚していただけますか?」
「え、いまですか?まだ挑まなくてもいいんじゃないんですか?」
「とりあえず、この扉が本当に開くのかどうなだけでも確認しておきたいのです」
この展開だから、そんな要求をされるのは覚悟はしていたけど、実際にやるとなると躊躇いを感じてしまう。
扉の前に立つだけで嫌な雰囲気が漂っている。これを開けてしまったら、いったいどうなってしまうのだろう?
「この向こうにはモンスターが、いるんですよね」
「おそらく、そうでしょう」
「じゃあ、無理です。扉を開けたとたんに襲われたらどうするんですか!」
「アリサ様にはお仲間がいるではありませんか」
確かにララとベアトリスはいるけれど、ここのモンスターがどの程度のレベルかもわからない状態では、迂闊に踏み込むわけにもいかないような気がする。
「わたしとリディアもそれなりに戦えますし、入り口付近に強力なモンスターがいるとも思えない。そこまで警戒する必要もないのではないかと思う。アリサ様、ここはわたしたちを信じて覚悟を決めてもらいたい」
ブラッドさんがなかば命令するような感じでそう言ったけれど。
「で、でも」
わたしレベル1なんだけど。もう少し待ってからでもいいんじゃないの?まだ気持ちの整理はついていない。
「というか、疑問があります。このフィオナの地下迷宮、なんのためにあるんですか。どうしてフィオナはモフモフの力をこんなところに隠したんですか?」
「モフモフの力があまりにも強大だったから、と伝え聞いています。未熟なものが一気にモフモフ召喚士の力を手に入れてしまうと、暴走して世界を崩壊させかねない。そのためにフィオナはこの試練を設けたのだと」
そ、そこまでなの?そう聞くとなんか、怖くてかえって近づきたくなくなるんだけど。
「とりあえず開けてみたら?何か襲いかかってきたらあたしが対処するからさ」
ララが腰の剣を抜いて、わたしにそう促した。
「ご安心ください。モンスターがいきなり襲ってきた場合でも、わたしが盾になりますので」
ベアトリスもその気だ。二人とも、怯えている様子がない。むしろ、楽しんでいる雰囲気すら伝わってくる。
仕方がない。この門を開けないと、教会の二人も納得しなさそうだし。開けるだけならたぶん、大丈夫だよね。わたしは一応、扉に近づいて、耳を澄ませてみた。うん、変な音とかは聞こえてない。
「で、では、いきます」
「お願いします」
「モフモフ!」
わたしはミステルの杖を掲げてモフモフを召喚した。
すると、石の扉に描かれたモフモフが発光し、ゴゴゴと地鳴りのような音が鳴って扉が開き始めた。
「おお、ついにフィオナの地下迷宮の扉が開いたか!」
ブラッドさんが感慨深げに言って、前に進んだ。
扉の向こうには、なんの変哲もない通路が伸びているだけだった。
ひとつだけ前にいたエリアと違うのは、通路の脇にかがり火がたかれていたこと。松明がなくても遠くを見通すことが出来た。
「どうやら、近くにモンスターはいなさそうだね」
周囲をうかがっていたララが剣を納めて言った。
「ほんとうに?どこかにモンスターが隠れてたりするんじゃない?」
「それはありません。何かの気配があればこの耳が聞き逃すことはありませんから」
ベアトリスがヒクヒクと耳を動かしている。
わたしはホッと胸を撫で下ろした。この二人が言うなら信頼できそうだった。
「これなら、少しくらい奥に進んでも大丈夫そうだね。ちょっと見学でもしていこうか」
「あ、危ないよ、ここはもっと慎重になるべきだよ」
わたしは先に向かおうとするララの腕を引いた。
「アリサ様の言うとおりです。ここにはトラップが設置されているかもしれないので、ここはひとまず、引き換えしたほうが得策かと思われます」
ベアトリスが落ち着いた声で言う。
トラップ。大きな鉄球が転がってきたり、床が突然ぽっかり開いたりするやつだよね。でもそれだと、レベルをいくら上げても対処できない気がする。
「トラップはどうやって回避するの?」
「やっぱりスキルだよね。罠を探知するものがあるから、それを使いながら進むべきだよ」
「ララは持ってるの?」
「いや、魔法剣士には習得できないスキルなんだ。盗賊やアサシンなら可能だね」
盗賊にアサシン……なんか、どっちも良いイメージないけど、そういう人を仲間にしないといけないってことかな。
「まあ、もしかしたら、モフモフ召喚士にもあるかもしれないよね。モフモフ召喚士にはどんなスキルがあるのか誰にもわからないわけだから」
モフモフが罠を探知するとか?あえりなくもなさそうだけれど、レベルが上がらないんじゃ調べようがないんだよね。
「フィオナの地下迷宮の扉が開いた、というだけでも十分な成果です。ここはひとまず退散しましょうか」
「そうだな。今日はこれで充分だろう」
リディアさんとブラッドさんがそう言って、わたしちはフィオナの地下迷宮を後にした。