自宅
わたしの新しい自宅は郊外にあるお屋敷だった。
周囲を緑に囲まれたのどかな場所で、建物は石造りの二階建て。古びた印象はあるものの、豪邸と呼べるようの外観にわたしの心は踊った。
中に入ると、広めのエントランスがあって、正面には二階へと続く階段が見える。
しばらく放置されていたのか、空気はちょっと淀んでいたけれど、建物自体が大きいからなのかすぐに気にはならなくなった。
わたしの部屋は二階にあった。黒光りするテーブルの置いてある書斎があって、その奥にドアを隔てて寝室があった。
「部屋もかなり広いんだね。家のなかだけで散歩ができそうなくらいだけど」
「すぐに慣れると思います。軽い運動だと思って割り切ってください」
「ベアトリスもここに住むの?」
「はい。わたしは警護の役割も担っていますから」
わたしは内心、ホッとした。身の回りのことだけじゃなく、こんな大きな家で一人暮らしというのは、幽霊が出そうであまりにも怖すぎるから。
それに、盗賊なんかが家に侵入したとき、悲鳴を上げてもここじゃ誰も気づいてはくれない。
でも、ひとつ気になる点がある。ベアトリスはまだ14歳。こちらの成人がどの程度なのかは知らないけれど、親が恋しい年齢であることは間違いがない。
「その、ベアトリスは大丈夫なの?」
「なにが、でしょうか」
「家族と離れて暮らしても平気なのかなって。わたしの護衛だと、親も心配するんじゃない?」
「気にしないでください。わたしに親や兄弟はいませんので」
「あ、ごめんなさい」
わたしは頭を下げて謝った。聞いてはいけないことだった。
「いえ、平気ですから。正直なところ、親の記憶は一切ないので、とくにショックを受けることもないので」
「そ、そうなんだ」
「それに、それはアリサ様にも言えることです。アリサ様は記憶を失っていると聞いています。どのような感覚なのかわたしにわかりかねますが、周囲に誰も知り合いがいないというのは、とても不安なものだと察します」
そう言われてみると、たしかにそうなのかも。どちらかというと、わたしのほうが同情される立場なのかもしれない。記憶喪失は嘘ではあるけれど、異世界からやってきたというのは、他とは比べ物にならないくらいのレアケースだし。
まあ、それでもベアトリスの過去は気になるかな。出会ったばかりだから、細かいあれこれを聞くわけにもいかないのだけれど。
「ところで、アリサ様。何か欲しいものはありますか?」
「欲しいもの?」
「はい。お金ことは問題ないので、なんでもおっしゃってください。新しい家も決まりましたので、家具を新調することもできますし、暇な時間を満たすための娯楽に使うことも可能です」
「娯楽」
こっちで言う娯楽というのは、ボードゲームみたいなものかな。あとは読書とか?でもいまのわたしにはそれよりも、気になることがある。
「……その前に、ひとついいかな」
「なんでしょう」
「その、アリサ様って呼び方、どうにかならない?」
目上の人ならともかく、わたしよりも年齢が低いベアトリスに様付けで呼ばれるのはなんだかむず痒いというか、違和感があるというか。
「ほら、わたしたちって同じくらいでしょ。呼び捨てでいいし、敬語もなしにしない?」
けれど、ベアトリスは首を振った。
「それはできかねます。わたしとアリサ様は主従とも言える関係。普段のやり取りからそれを意識しなければ、もしもの時にも対応が遅れてしまうかもしれません。例えばアリサ様が何者かに襲われたとき、対等の立場であれば身を挺して守るようなことはしない可能性もあります。あくまでもわたしはアリサ様あっての存在。それを忘れないためにも、馴れ馴れしい言葉遣いは避けなければなりません」
「そ、そう」
これは無理っぽい。それがベアトリスの仕事だというのなら、無理に替える必要もないのかもしれない。
「それで、何か欲しいものがあれば、遠慮なくおっしゃってください」
「なんでもいいの?」
「はい。いまからでも買いに出掛けられますが」
と言っても、ここで欲しいものなんてあるのかな。向こうの世界だったら、いくらでも思い付くんだけど。
「いまはまだいいかな。まずはこの街のことを知るのが先だと思うし」
「わかりました。明日にでも街のほうを案内しましょう」
「ベアトリスのほうも、何か不満とかお願いがあったら言ってね。わたしも記憶がないままだから、いろいろ面倒かけると思うし、お世話をしてくれるお礼とかもしたいから」
「……」
ベアトリスは黙ったまま、なんだかモジモジしている。
「どうかした?」
「あの、差し出がましいとは思うのですが、さっそくひとつ、お願いがあるのですが」
「何?わたしに出来ることなら、構わないけど」
「実はわたし、まだモフモフを直接見ていないのです。できれば、ここで召喚していただけると嬉しいのですが」
「なんだ、そんなこと。全然オッケーだよ」
わたしはそのお願いを聞いて、なんだか嬉しくなった。言葉使いは堅苦しくても、ベアトリスもひとりの女の子なんだなというのがわかったから。
ミステルの杖はいまではもう自由に持ち歩くことが許されているので、いつでもモフモフを召喚することはできる。街の人たち向けにも繰り返し召喚しているから、もう慣れたものだった。
「モフモフ!」
わたしがモフモフを召喚すると、ベアトリスはしばらくそれを凝視していた。
わなわなと体が震えていたので、興奮しているのは伝わったけど、そこから動こうとはしない。わたしの前で醜態をさらしたくないからなのかもしれない。
「触ってもいいけど」
「いいのですか?」
「構わないよ。とくにモフモフが嫌がるようなことはないはずだから」
「で、では」
恐る恐るといった感じでベアトリスは手を伸ばし、モフモフの体を人差し指でつつく。
「キュ」
「おっ」
声を上げたのが恥ずかしかったのか、ベアトリスはすぐに真顔に戻った。
本当は思いきり抱き締めたいんだろうなぁ、とわたしは思った。出来るなら、そうさせてあげたいとも。
「抱っことかしたいなら、早めにしたほうがいいよ。すぐに消えちゃうから」
「え?」
ベアトリスがこちらを見ている間、モフモフはポンと軽い音を立ててそこからいなくなった。
「モフモフを召喚するのはたいしたことないんだけど、召喚している間はずっとマジックポイントを消費するんだよ。わたしはまだレベル1だから、そんなに長く持たないんだよね」
マジックポイントの消費だから、肉体的な負担というものはあまりない。元になるのは精神力ではあるけれど、頭が疲れるような感覚もなかった。
「そうですか。アリサ様、無理をさせてしまい申し訳ありません」
そんなことを言いつつも、ベアトリスの表情からはがっかりした様子が伝わってくる。
「回復したらまた呼ぼうか?」
「いえ、結構です。獣人の祖先とも言われるモフモフを直接この目で見られただけでもわたしは満足ですから」
「え?モフモフが獣人の祖先なの?」
「そのように言い伝えられています」
なんていうか、しっくりこない。見た目はずいぶん違う気がするし。
それにモフモフって一匹だけじゃないのかな。匹という呼び方が正しいのかわからないけど。
「悪魔を討伐して大陸を平定したあと、フィオナが真っ先に取り組んだのが拠点となる街の再建でした。しかし、その時点で多くの仲間がなくなり、人手は足りなかった。そこでフィオナは複数のモフモフを召喚し、人に変身させたと言われています」
「それが獣人?」
「普通の人とはあえて違った姿にしたと言います。どのような姿だったのかはさまざまな記述があるので正確なところはわかりませんが」
じゃあ、わたしが召喚しているモフモフも変身できるってこと?
「まあ、あくまでも言い伝えですので、正確かどうかはわかりかねますが、わたしはそのように信じています」
「そういえば、モフモフの末裔はいまもどこかに生きていて、モフモフの里に隠れているって聞いたけど、それって獣人のことなのかな?」
「いえ。わたしたち獣人の元となったと言われるモフモフは、本物のモフモフから分裂した分身みたいなものと言われています。モフモフの欠片を使い、フィオナが魔力で人に変えた、という感じだったようです」
なんか混乱してきたけど、本来のモフモフは人間には変身出来ないってことかな。
「ですから、わたしにとってのアリサ様は母親のような存在でもあるんです」
「は、母親?」
「アリサ様もレベルが上がれば、モフモフから人を作り出せるようになるのかもしれませんね」
そういうスキルがあるのかな。あんまりよさそうなものには思えないんだけれど。
「あー、でも、わたし、レベル上げは無理っぽいんだよね。経験値があまりたまらないようなタイプみたいだから」
わたしはあのスキルについてベアトリスに説明した。
「取得経験値-90%、ですか。それは大変ですね」
「うん。だからレベル上げは半分、諦めてるんだよね。経験値が一気にもらえるような危険なクエストに挑むわけにもいかないし」
ララはモフモフがいればどんな相手でも平気かもしれないと言ってたけれど、いまのわたしにそんな勇気はなかった。
ベアトリスは少し考えるような間を置くと、
「では、おつかいクエストを試してみてはいかがでしょうか。おつかいクエストにも掘り出し物はありますので」
「おつかいクエスト?」
おつかいクエストは、基本的に街の中で完結するものを指すそう。モンスターと戦うようなものじゃなく、住人の生活のお手伝いがメインになる。その内容は様々だけれど、危険なものはないそう。
「たしかに討伐クエストのほうが経験値は稼げますが、おつかいクエストは複数のものを同時にこなせるというメリットがあります。なにより、ひとりでこなせるわけですから、戦闘能力のないアリサ様にとっては最良かと思います」
「でも、いいクエストがあっても、誰かに取られそうだけど」
簡単に経験値を稼げるなら、きっと頻繁にギルドに通っている熟練の冒険者が有利に決まっているから。
「いえ、意外に残っている場合があります。なぜかというと、冒険者はおつかいクエストを忌避することが多いからです。まあ、恥ずかしいんですね。基本的に冒険者は強さを売りにしていますから、戦いから逃げているというイメージはマイナスにしかならないんです」
「へぇ、じゃあ、おつかいクエストだけでも最高レベルまでいけるとか?」
それまで無表情を取り繕っていたベアトリスが苦笑した。
「さすがにそれは無理ですね。おつかいクエストは危険性がないぶん、獲得できる経験値は低めです。ある程度のレベルまで行くと、おつかいクエストではさすがにどうしようもなくなりますし、アリサ様のスキルを考慮すると、その限界は早めに来るのかと思います」
やっぱり、そんな都合のいいことってないんだよね。
でも、最初の段階ならアリだよね。とりあえず、おつかいクエストから始めるというのが、いまのわたしには合っていそう。のんびりと街の人たちのお悩みを解決していく過程で、この世界に馴染んでいければ良いかな。
いまのわたしはすごく弱いけれど、もしかしたらモフモフ召喚士は成長率が物凄いのかもしれないしね。一つレベルが上がるだけでも一気にステータスが上昇して、レベル10とかになったらもう最強になってたりして。
「そうだね。わかった。じゃあ、今度チャレンジしてみるよ」