故郷 2
「これは、パスタですか」
そんなこと、聞くまでもなかった。テーブルの上に置かれたお皿には細い麺が盛られていて、赤いソースでからめられている。
「そうだよ。食べたことはないかい?」
わたしの座るテーブルの横に立つソフィーさんが言った。
「いえ、ありますけど、しばらく食べていなかったので」
こちらに来てからパスタを見るのははじめてだった。ラザニアみたいなものは食べたことがあるけれど、こうして細い麺で作られたものはしばらく食べていない。
「トマトはノールクリシアの名物だからね。パスタそのものの歴史も浅いから、他の街では取り扱っていないところも珍しくはないね」
「そうなんですか?」
言われてみるとたしかに、こちらでの普段の食事ではあまりトマトは見かけない気がする。
「トマトってこういう色合いだからね、何か危険なものでも入ってるんじゃないかと思う人も多いんだよね。まあ、味の方は保証するからさっそく食べてみなよ」
わたしはソフィーさんに促され、フォークを手にした。
パスタの味は想像とは違っていた。わたしの好みである甘さはあまりなくて、酸味の方が強い爽やかな味だった。麺は柔らかめで、油は多く使われている。
地球で食べたものと比べると雑な感じがするところは否めなかった。
それでも、久しぶりの麺類を味わえたことに、わたしは感動していた。
懐かしい味というのも変ではあるけれど、日本にいたときはラーメンも含めて麺類を食べることが多かったから、その当時のことをつい思い出しそうにもなる。
「それにしてもベアトリス、あんたがまさか女神の用心棒をしているとはね、ホントに驚いたよ」
わたしとベアトリスはノールクリシアにある食堂の中にいた。
店舗自体は数人が座れるくらいしかない小規模なお店で、ソフィーさんはここを一人で運営している料理人の女性だった。
ベアトリスと同じ獣人で、年齢はわたしたちよりも二回り上くらい。
ソフィーさんは何年も前からここに住んでいるので、ベアトリスの当時のことを知っているらしい。一方のベアトリスの方にはソフィーさんの記憶はないみたい。
ここノールクリシアは獣人が比較的多い街のようで、当時幼かったベアトリスにとっても知り合いは多くはなかったのかもしれない。
「申し訳ありませんが、どうしてもソフィーさんのことは思い出せないのですが」
「いいのよ、そんな気にしなくたって。近くに住んでいたわけじゃないし、あんたとは直接話したこともないしね」
そう聞くと、逆にソフィーさんはどうしてベアトリスのことを知っていたんだろうという疑問もわく。
やっぱりあれかな。エリオットさんに引き取られたからかな。
エルトリアは始まりの村として知名度があるから、その時のことをハッキリと覚えているのかもしれない。
「ところで、今日は二人で何をしに来たんだい?観光かい?」
「いえ、ベアトリスのお父さんのお墓参りです」
わたしがそう言うと、一瞬だけソフィーさんの表情が強ばったような気もした。
「そうかい。あれからもう5年も経つんだね」
あれから、という表現には何か特別な響きがあるような気もした。もしかしたら、ソフィーさんはベアトリスのお父さんとは親しい間柄だったのかもしれない。
「ベアトリス、あんたは昔のこと、良く覚えてるのかい?」
「昔のこと、ですか」
「例えば、父親が」
ソフィーさんが何か言いかけたそのとき、食堂に数人の子供が入ってきた。みんな獣人の子供で、その手には何かを持っていた。
「悪魔だぁ!」
「やっつけろ!」
「地下の亡霊の蘇りだ!」
「え、な、何?」
その子達はわたしの方に向かってきて、その手に持った何かをこちらへと投げつけてきた。あっという間の出来事で、わたしは椅子から立ち上がることすら出来なかった。
それはトマトだった。子供たちはわたしの黒いローブにトマトをぶつけると、すぐさまそこから立ち去った。
「ちょっと、あんたたち、祭りはまだ先だよ!」
ソフィーさんの怒りの声も届かなかった。子供たちの笑い声はすでに遠ざかっていた。
「悪いね、アリサさん。あの子たちも悪気があったわけじゃないんだよ。あとで改めて叱っておくから気を悪くしないでくれよ」
ソフィーさんはそう言って布巾を取ると、わたしのローブについたトマトの欠片を拭き取った。
「なんだったんですか、いまのは?」
イタズラにしては、ちょっと過激なような気もしたけど。
「ケモ耳祭りは知らないかい?」
「え、ケモ耳祭り?」
聞き間違いじゃないよね。ケモ耳ってたしかに言ったけど。
「そう。このノールクリシアでは3日後にケモ耳祭りが行われるんだよ」
ケモ耳祭りとは、獣人がノールクリシアを開いた日をお祝いするイベントのことだという。
ここにはかつて獣人だけが住んでいた。昔は大陸の中央や西の方に人口は集中していたらしいけれど、そこから逃れるようにして東の果てであるここまでやって来たらしい。
「大戦が起きるちょっと前だったかね。獣人はかつてはひどい差別を受けていたらしくしてね、それで人間の住む街を離れて、ここを開拓したらしいんだよね。その記念日が3日後というわけさ」
だからなんだね、この街に獣人が多いのは。わたしが街を歩いているときも、他のところよりも明らかに獣人に遭遇する確率は高かった。
「具体的にはどんなお祭りなんですか?」
「ケモ耳祭りは普通の人間も獣人に成りきってお祝いする祭りだよ」
そう言ってソフィーさんは奥の方へと姿を消すと、何かを手に持って戻ってきた。
「これをつければパッと見てもどっちなのかわからないだろ?」
ソフィーさんが持っていたのは、ふさふさの耳のついたカチューシャと、ベルトでとめられるようになっているシッポだった。もちろん、どちらも作り物。
「さっそくつけてみるかい?」
わたしの返事を待たずに、ソフィーさんはケモ耳カチューシャをわたしの頭に装着した。
「うん、これでアリサさんも獣人にしかみえないね」
異世界に来てこんなコスプレをするなんて……。
「あとはトマトだね。お祭りの日には余分に取れたトマトを投げつけて遊ぶんだよ」
「じゃあ、さっきの子供たちは」
「お祭りを待ちきれなかったんだろうね」
それにしてもトマト祭りって、向こうの世界にいたときも聞いたことあるけど、あれってなんのためだったのかは全然知らない。何かしらの目的があるはずだけど。
「どうしてトマトを投げつけるんですか?」
「トマトを初めて食べたのが獣人だったからだよ」
それまでのトマトと言うのは、あくまでも観賞用でしかなく、毒々しい見た目から食用としては一切考えられてはいなかったという。
それを食べ物として受け入れたのが獣人。
迫害されていた獣人は粗末な食べ物しか与えられず、その苦境の中でトマトを口にして、案外美味しいことに気づいていた。
集団でここに移ってきたときもトマトを栽培し、貴重な栄養源として活用したという。
「トマトはいわば獣人にとっての独立の証みたいなものなんだよ。人間の追っ手から逃げるときにトマトをぶつけて撃退したなんていう話もあってね、それでケモ耳祭りではトマトをぶつけ合う習慣ができたらしいね」
ノールクリシアにとってトマトは一番の名産で、それだけにたくさん余ってもいるらしい。
お祭りでは一般の人も獣人に成りきってトマトを投げつける。そのためにこの変装アイテムもあるようだった。
「それと、地下の亡霊というのは?」
「ん?ああ、あれは無人島のことだよ。知ってるかい、ここの東には大きな島があるんだよ」
「はい。さっき見てきました」
東の無人島ではある程度の地下空間は出来上がっているらしいのだけれど、その工事中に亡くなった人も結構いるらしい。
そういった人たちが幽霊となって大陸まで渡ってきて悪さをする、なんていう噂話がこの街では広がっているという。
「もちろん、大人はそんなこと間に受けたりしないよ。まあ、子供たちを怖がらせるための物語のひとつだね。まあ、事件の影響もあるかもしれないけど」
「え?」
事件?
「とにかく、せっかく来たんだから、二人とも祭りの日まで滞在すると良いよ。このタイミングでここを訪れたのも何かの縁だしさ」
お祭り、か。それにしてもフィオナの降誕祭だったり、アリサ祭りだったり、そしてこのケモ耳祭りだったり……短期間でお祭りが連続しているけど、こっちの人はお祭りが好きなのかな。
「ベアトリスはどう?ケモ耳祭りに参加してみたい?」
「わたしはどちらでも。アリサ様が望む方で構いません」
ベアトリスからとくに感情の揺れみたいなものは感じないけれど、地元のお祭りなら参加した方が良いのかな。
お父さんとの思い出もあるだろうし、その方がベアトリスにとって幸せなのかもしれない。