歓迎会
街中にわたしの存在が知れ渡り、それはエルトリアの領主にも伝わることになり、わたしとモフモフの歓迎パーティーが領主の自宅で開かれることとなった。
領主はモフモフを意識しているのかというくらいにたっぷりな白い髭を生やしたお年寄りだった。
名前はエリオットさん。領主にしては堅苦しいところがなく、朗らかなおじいちゃんという印象を受けた。
「それでは、モフモフとその女神に感謝を込めて」
乾杯、というエリオットさんの声に合わせて複数のグラスが掲げられた。
わたしとララは大きなテーブルに座っていた。教会の関係者や街の有力者が集まり、歓迎会の一環である食事会が始まったところだった。
こちらの世界の食事には特殊なものはなく、わたしの好みにも充分合ってはいたけれど、どうしてもお米が恋しくなるときがあった。
テーブルに並んでいる主食はパンばかりで、味は美味しくても物足りなさを感じてしまうことがあった。
「おや、どうされました?お口には合いませんか?」
「いえ、そんなことは」
「アリサ様は記憶をなくしておられるのですよね。もしかすると、故郷の味とは違うのかもしれませんね」
この世界にお米ってあるのかな?そんなことを聞きたくなったけれど、記憶喪失という設定がばれてしまうから難しいかな。そもそも、お米という単語が理解できるかどうかも怪しいし。
「もし、体調が悪いのであれば、医者を呼びますが?」
「いえ、大丈夫です」
「そうですか。お一人だけの体ではありませんから、充分にお気をつけください」
「はい」
そう言ってわたしはグラスを手に取った。とりあえずのどが渇いていたからジュースをの飲もうとしたんだけれど。
「うっ」
ブドウジュースだと思ったものが実はワインで、わたしは激しくむせてしまった。
「おや、どうされました?ワインは苦手ですか?」
周囲を見ると、おそらくみんなワインなんだろうけど、わたしのようにむせてる人はいなかった。中にはわたしよりも小さい子供もいたんだけれど、平然としている。
「ちょっと、わたしにはまだ無理みたいです。そもそもこの世界って、アルコールの年齢制限はないんですか?」
「この世界?」
「あ、えっと、ちょっと混乱してて。わたし、記憶をなくしてるので」
危ない危ない。こんな大勢いるところで口を滑らせたら、大変なことになる。
「そうですか。伝説では、フィオナもお酒は飲めなかったという話もあります。アリサ様もその体質を引き継いでいるのかもしれませんな」
「ははは」
かわいた笑いで誤魔化して、わたしは食事に集中した。食事はおいしかった。宿屋で出されるものよりも味が薄く、バリエーションも豊富だった。
ただ、いまだに日本にいたころの癖は抜けなくて、ナイフとフォークを使っているのに、小皿の料理を見るとつい器を持ち上げそうになってしまうこともあった。他にそんな人はいないかなと思って確認したら、リディアさんの様子がやけに気になった。
「リディアさんは少食ですね。シスターはお肉とか食べられないんですか?」
リディアさんはスープばかりで、他のものにはあまり手をつけてはいなかった。シスターは食べられないものがあるのかもしれないとわたしは思った。
「とくに規制されているわけではありません。わたしは元々、食欲のあるほうではありませんから」
リディアさんはかなり細いので、ダイエットというわけでもなさそう。というか、わたしの目には痩せすぎているくらいで、もっとたくさん食べた方がいいんじゃないかと思った。
「ところで、アリサ様はいまはどこにお住まいなのですか?」
食事も終盤に入ったところ、エリオットさんからそう聞かれた。
「わたしは宿屋に泊まってますけど」
「やはり、そうでしたか。しかし、女神ともあろうかたが出入りの自由な宿屋に滞在とは危険ではありませんか」
「とくにそういう感じはしませんけど」
頭を下げられることはあっても、誰かから危害を加えるようなことはなかった。みんな親切にしてくれる。
とはいえ、わたしがこの街でモフモフを召喚したのはたった2日前のこと。これからどうなるかなんてわからないのだけれど。
とくにダーナ教団がわたしの存在を知ったらと思うと、不安はあるのだけれど。
「ですが、アリサ様はこの街、いえ、この国にとってなくてはならない存在です。それに金銭的な負担も含め、いつまでも宿屋というわけにもいかないでしょう」
それは確かにそうかもしれない。
宿屋の料金を払っているのはララ。わたしの分を余計に払わせてしまっている。
いつまでも甘えるというわけにもいかないかも。
でも、自分でお金を稼ぐ手段を持っていないから、どうしようもないんだけれど。
「どうしでしょうか。アリサ様がよければ、こちらで家を用意したいのですが」
「え、いいんですか?」
「もちろんですとも。この街には巡礼者が数多く訪れます。そういった方々を受け入れるための空き家がいくつかありますから、そのうちのひとつをお使いください」
ありがたい申し出だった。ここは素直に受け入れておこう。
「あ、でも、ひとりではいろいろ難しいので、ララも一緒に住んでもいいですか?」
エリオットさんが応えるよりも早くに「遠慮しておくよ」とララが言った。
「あたしは冒険者だからね。楽な生活は避けたいんだ。ここにいつまでいるかもわからないし、いまのところは宿屋で平気だよ」
「でもわたし、何もできないんだけど」
家をもらったからといって、生活ができるわけじゃない。
掃除に洗濯に料理、自分でやらなくちゃならないことがたくさん出てくる。
こっちの世界の習慣もまだちゃんと把握は出来ていないから、そういった点をララに手伝ってもらいたかったんだけれど。
「ご安心ください。お付きのものを用意しております」
そう言ってエリオットさんはパンパンと手を打ちならした。
するとそれに応じてドアが開き、メイド姿の女性が部屋に入ってきた。
「記憶がない状態では何かと不便だと思い、事前に準備をさせておいたのです。あの娘を好きなようにお使いください。身の回りのことはすべてやってくれます」
「はじめまして、アリサ様。わたし、ベアトリスと申します」
ベアトリスは小柄な女の子だった。肌は浅黒く、髪の毛は明るめのブラウン。頭にはカチューシャが乗っていて、その手前には獣のような耳が乗っていた。
え、耳?
「ベアトリスは獣人ですから、格闘術に長けています。身辺警護としても活躍するでしょう」
獣人。ファンタジーとしての知識としはあるけど、まさか本物を間近で見られるなんて。視線を下に落とすと、スカートの向こう側には細い何かが揺れている。尻尾、らしい。
この世界では普通のことなのかな?それとも珍しい種族かな。わたしはとなりに座るララに小声で聞いてみることにした。
「ねえ、ララ」
「なに?」
「獣人って、普通にいるの?」
「いるよ。全然珍しくない。身体能力が元々高いから、冒険者にも多くいるね」
「そ、そうなんだ」
まだまだこっちのことは知らないけれど、ゲームとかだったら獣人は珍しくないし、わたしのいた世界でいう黒人や白人と言った感覚と同じなのかもしれない。
まあ、魔法使いがいるんだから、そんなに驚くことでもないんだよね。
「安心してください。わたしはむやみに人を襲うようなことはしませんので」
ベアトリスは耳もいいらしい。相当小声で話していたけれど、全部聞かれていたみたいだった。
「あ、ごめん。悪く言うつもりなんてなかったの。ただ、わたしは記憶をなくしていて、獣人という種族も初めて知ったようなものだから」
「謝罪は結構です。わたしはアリサ様に仕える身。遠慮の必要はございません」
なんか、見た目のわりにしっかりしてるなぁ。体はがっしりした感じではあるけれど、決して身長は高くないわけで。顔立ちだってまだ幼さは残ってるけど。
「ベアトリスは何歳なの?」
「わたしは14歳を過ぎたばかりです」
14!わたしよりも年下なの?
「へ、へぇ、年齢のわりに落ち着いてるね」
「わたしもいろいろと経験していますので」
経験?なんだろう、やっぱりこの世界だと戦いのことを指すのかな。この場で詳しくは聞けそうもなさそうだけれど。
「う、うん。じゃあ、ベアトリス、よろしくね。」
わたしが手を差し出すと、ベアトリスも握り返してきた。その手はとても柔らかくて、なめらかな肌触りだった