エルフの里 5
「姉さんの気配が近づいている。どうやら動きをとめているようだな」
ヴァネッサが馬のスピードを緩めて、そう言った。
「クライヴさんを見つけたってこと?」
「そうかもしれない」
ヴァネッサはゆっくりと馬を走らせながら周囲に視線をやった。
「まだ穏やかだな。戦闘は始まってはいないようだ」
「いつ戦いが始まってもおかしくはない、ということでもあるよね」
「そうだな。兄さんが抵抗すれば、の話ではあるが」
「抵抗しない可能性もあるの?」
「呪いを受ければ、エルフとしての能力も低下する。姉さん相手に勝てるとは思えない。もっとも」
「もっとも?」
ヴァネッサは軽く頭をふるようにした。
「……いや、なんでもない。とにかく、兄さんの死が免れないことは確実だろう」
「もう諦めたの?」
「動物を殺すことは重大な罪にもなる。エルフとして許されないことだ。わたしの知っている兄さんはもういないのかもしれない」
ヴァネッサの声には寂しさが入り交じっていた。
「動物を殺すことも掟に反することなの?」
「ああ。もちろんそうだ。」
エルフの掟ってどんな基準で設定されているのだろう、誰がそれを決めているのだろう、とわたしは疑問に思う。
昔のエルフがこの暮らしを守るため、なのかな。でもそうなると、その掟を破ったから死を、というのはなんだか過激すぎる気がする。古い教えはいずれ廃れていくものだし、いまも忠実に守ろうとするのはなんだか違和感。
そもそも、クライヴさんはどんな掟を破ったのだろう。ヴァネッサは教えてくれそうもないけれど、クライヴさんの人となりを聞けばヒントになるのかもしれない。
「クライヴさんって、どんな人だったの?」
「優しい人だったよ。子供の頃は弓の使い方を教えてくれたし、一緒に森で遊んでくれたりもした」
「暴れるような気性の荒い人ではなかったんだね」
「当たり前だ。エルフはみな穏やかな暮らしを志向するものだ。兄さんの場合はその中でも優しい方だと思う。弓を射るときも、動物が近くにいないか常に気を使っていた」
そこでひとつの疑問。エルフが弓使いとしてレベルが高いのはわかったけれど、それってなんのためなんだろう?
基本的に弓っていうのは攻撃の手段として使うもののはず。エルフは狩りをしなければ、人間やモンスターとも戦わない。弓矢を使う機会なんてあるのかな?
そのことを聞いてみると、
「わたしも以前に疑問に思って聞いたことがある。そのときは自衛のためと教えられた。普段は外界とはなるべく接しないようにはしているが、人間が勝手に悪さをすることもあるからな」
「エルフは魔法は使えるの?」
「いまは使えないな」
「いまは?」
「その才能はあると言われてはいるんだ。かつては魔法を自由に操ることが出来たとも言われているが、今はそうではない。長年ここで穏やかな暮らしを続けていた影響で、使い方を忘れてしまったようだ」
基本的には戦いも狩りもないから、魔法を必要とする機会がなくて退化したってことかな。
やがて進む方向に一頭の馬とひとりの女性が立っているのが見えた。ニーナさんだった。
「姉さん、待っていたのか」
ヴァネッサは馬を降りて言った。
「ええ。あなたもあれを見たでしょ」
あれ、というのは鹿の死体のことだった。
「この先にクライヴが潜んでいるわ。身動きせずに完全に気配を消しているから正確な位置はわからないけど、わたしたちを攻撃してくるつもりでしょう。彼にはもう理性というものがなくなっている。確実に仕留めるには、あなたの助力も必要だと思ったの」
「でも、どうしてあんなことを」
「わからない。もしかしたら、と考えていることはあるのだけれど」
「それは何?」
「いまその話はやめましょう。本人に聞けば良いことだわ」
そう言ってニーナさんはわたしの方に顔を向けた。
「アリサ、あなたはここで待っていると良いわ。これはわたしたちエルフの問題。あなたを巻き込むわけには行かないから」
そうしたほうが良いのかな。わたしには戦う力はない。足手まといになるくらいなら、ここで待っていた方が良いのかもしれない。
「伏せてっ」
ヴァネッサが鋭い声を発すると同時に、わたしの近くの木に何かが刺さった。それは1本の矢だった。
「これは、クライヴの警告のようね。おそらく人間がいることを把握し、これ以上追ってきたらアリサに危害を加えると脅しているのよ」
ニーナさんがその矢を抜き取りそう言った。
「再び動き出したわ。今度は人間界の方に向かっているようね。ここからにげるつもりかしら」
「でも、ダークエルフはエルフの領域からは逃げられないんじゃ」
「そう言われてはいるけれど、確認したことはない。もしかするとダークエルフになったものを、ここから出さないための方便かもしれない。すくなくとも、クライヴは逃亡中にそう考えるようになって、人間界の方へと馬を走らせているのかもしれない」
なんのために?エルフの姿は人間の暮らす街では目立ちすぎる。ダークエルフならなおさらだと思う。
「……まさか、兄さんは」
ヴァネッサが何かに気づいたような声を上げた。
「そういうこと、なのか。だから兄さんはあの鹿も殺した」
「ヴァネッサ?」
「でも、それは無理だ。そんなこと、あり得るわけがない」
「何かに気づいたの?」
「これ以上おくれるわけには行かない。わたしは行くわ」
ニーナさんは馬に飛び乗り、手綱を握った。馬を走らせると、あっという間にその姿は遠ざかった。
「やっぱり、本人に確認するしかないわけか。わたしも行くよ」
ヴァネッサも馬に乗り、すぐに出発しようとする。
「待って。わたしも連れてって」
「アリサ?」
「お願い。どうしても行きたいの」
ヴァネッサは少し考える間を置いたあと、
「わかった。乗れ」
わたしのほうに向かって手を差し出した。