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ナルシスト・優しい嘘のムチ・未来・思考

この小説を書いてもなお、私は人間というものが何なのかわかりません。

〈ナルシスト〉

 自己肯定感がとても高い人のことだ。一般的にうざい。確かに自己肯定感が高いのは構わない。だが、それを他人にアピールし「すごくない?」や「自分天才!」というのはいかにも滑稽でまるで神の真似事のようだ。

 私が特に嫌いなのは、実力がないくせに謎の自信を多く持つナルシストだ。正直、うざい。しかし、多様性ありきのこの世界、こんなことを言ってばかりでは生きられない。そこで私はこの人々を「道化の神」と呼んだ。あたかも自身に満ち溢れているかのように「自分自身」を演じ非難されることすらもいとわない、とても強い人間なのだと。

 そして、その一人に私はなりたかった。


〈優しい嘘のムチ〉

 大人は子供に対し嘘をつく。例えば、「食べたあとすぐ寝ると牛になる」や「悪いことをしているとおばけがくる」など。(おばけに関しては何とも言えないが)

 子供というのはとても素直だ。私の認識では幼稚園児やそれ以下ではイヤイヤ期以外では基本的になんでも親の言うことを聞くイメージがある。前にも述べたように素直で可愛らしい反面、面倒くさい。それも年を重ねてくにつれてその面倒くささは増してゆく。そこで有効なのが嘘なのだ。

 しかし大人は子供に対し、「嘘をつくな」と叱る。そんな大人がなぜ子供に嘘をつくのか。それはつく嘘がただの嘘ではないのだ。この話の題名でもある「優しい嘘」なのだ。面倒くさい子供を、決して辛い現実を突きつけることなく丸め込める。なんて優しいのだろうか。

 だが、時にそれはムチになる。もし、子供が年を重ね現実を見れるようになってもなお、優しい嘘を信じ続けていたらどうするべきなのだろうか。指摘するべきか。はたまたそのまま放っておくべきなのか。

 もし、その嘘が信じた子供の未来を打つムチになっていたら。

 私はどうするべきかわからない。だが、幼少期から現実を見させるのもまた可哀想だ。きっと大人のつく優しい嘘は人間の二つ目の汚点、というより欠点だろう。その嘘が一体何をもたらすのかも知らず、「その場しのぎ」で嘘をついていく。なんと悲しい世界であろうか。


〈未来〉

 最近増えている若者の自殺。その背景には色々な理由があるが、私はそのどれにも当てはまらないだろう。決していじめなどに遭ってはいないし、家庭内でのトラブルもない。しかし、過度な期待やこの世界の矛盾に対して不信感を抱き、単純に生きるのが辛くなってしまった。

 ある寒い日の夕方、死のうとしていた。夜の帳が降り始め、南半球へ朝を届けに行く太陽の光は虚しく私の心を照らしていた。しかし、その時見た夕日は永遠に目を閉じてしまうのがもったいないほど赤々と燃え、まるでここから私がやろうとしていることを止めようとしているようだった。

 結果、死ねなかった。

 今思えば死ななくてよかったと安堵している。だが、直後の私の心は完全に死んでいた。そんな私の頭の中にあったのはあの時みた夕日だけだった。

 灰色の私と世界。真っ黒な未来。まるで無観客の独り芝居だった。そこで私は初めて、観察すべきは「私自身」なのだと確信した。


〈人間観察日記〉

 自らを観察対象とするのは予想以上に大変だった。まず、客観的に自分を見つめなおさなくてはならないのだ。そこで私は日記をつけ始めた。一日四文程度の簡単なものだったが、今日の出来事集めは思った以上に楽しく私の生活を豊かにした。そう、今までにない幸福感を得たのだった。文字が綴られていくページの数や日記帳の冊数が増えていくにつれ私の幸福感はより一層深まった。

 しかし、私は気づいてしまった。「私はなぜ生きているのだろう」と。

 人間を自分の思うがままに支配するためか。違う。

このまま両親に愛され続けるためか。違う。

素直でいるためか。違う。

家族という縄で縛られ、時に盾となって護ってもらうためか。

道化の神になるためか。

優しい嘘をついてもらうためか

すべて違う。

 「人間は皆、宿命をもって生きています。」と教祖様は私たちに教えを説くが、一向に理解できそうにない。


〈思考〉

 ここまでで述べた二つの汚点をそのまま汚点と読むか、人間という生物の素晴らしさと読むか。それは人それぞれだ。しかし、自分を観察してもやはり私の中にも前述した汚点というものがあった。失望した。

 しかし、失望するばかりではない。この人間という神のような生物がいかに素晴らしく、醜く、気色の悪い、けれどもどこか美しいものだと考える。私が人間らしく思考し、あれこれ考え小説にしているのも、人間だからに違いない。

 死ぬのはやめた。だがもう少し人間を観察しようと思う。

 またここまででの私の人間への持論はこうだ。

「不憫な神様」

だが、人間は所詮、神の真似事をしているにすぎない。人間が本当に神になったとき、私はまた失望するだろう。

不憫〈ふびん〉は可哀想な、哀れなという意味です。人間はもうこれ以上進化しないといわれていますが私はその通りだと思います。このまま進化してしまったら一体この世界はどうなってしまうのでしょうか。

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