傀儡の王の国と傍若無人な若き王の国
翌朝、朝食の用意がされた食堂の長テーブルに、アンドリューの姿はなかった。
デルフィナは空席になっている、夫アンドリューの席を悲しげに見つめる。
オブザイアとして接した、昨夜のアンドリューの姿が脳裏に浮かぶ。
あのようなアンドリューの姿を見たのは初めてで、オブザイアだった自分はどうして良いか分からなかった。
だからと言って、デルフィナになったとしても何を言って、何をしてあげたら良いか分からない。
「簡単じゃないのよ、本当の夫婦になれば良いだけじゃないの。」
少女のような姿でありながら、朝からワイングラスを手にした王太后であるマリアンナがサラリと言う。
「はっ…!母上!?本当の夫婦にって…!どういう…!」
考えていた事を見抜かれたデルフィナは焦ってしまい、裏返った声を張る。
「抱かれてあげたらって言ってんのよ。……いや、そんな受け身じゃ駄目ね、夫婦になるのだもの。抱き合って、二人、一つになったら?」
デルフィナの言葉を遮るように答えたマリアンナは、空になったワイングラスをテーブルに置いてデルフィナに真剣な眼差しを向ける。
いつもは無邪気な少女のように、フワフワとした雰囲気を醸し出しているマリアンナが珍しく母親の顔を見せる。
「いつまで逃げているの?オブザイアに恋をして、命を失う覚悟でこの国に来たアンドリューを受け入れたのはあなた達でしょう?命を賭けた彼の想いを、いつまでもないがしろにしていてはいけないわ。」
「それは…分かってるけれど…でも………。」
デルフィナは顔を赤らめ、俯いてしまう。
アンドリューが城に来たばかりの頃は、自ら抱かれたいと常に思っていた。
この国の女王として、早く世継ぎを作らねば!と思っていた。
アンドリューを、夫という名の役割を与えた者としてではなく一人の男だと、自分を好いてくれている夫だと知った時から、自分もアンドリューを好きなのだと改めて気付いてしまった。
気付いてしまった時から、アンドリューの顔を見ているだけで心臓が早鐘を打つようで…傍に居るのが辛くなる。
胸が苦しくて…倒れそうになる。
「デルフィナ、あの王の国の名前を知っているかい?最近は、傍若無人な王の国と呼ばれていたっけ。昔はね、傀儡の王の国と呼ばれてたんだよ。」
同じテーブルについて朝食を取っていたシルヴィアンが、ナプキンで口元を拭いながら言った。
「傀儡の…王の国?」
「あの国の王族はね、代々御輿なんだよ。国の頂点に座らせられ、回りから欲しくもない物を延々貢がれて、王だ何だと祭り上げられて…で、戦を起こしては敵国に殺されたり、負けた責任を取らされて処刑されたり、で、新しい誰かがまた王の座につく。あの国の王は、いくらでも替えのきくお人形なのさ。」
デルフィナは、アンドリューが名前も顔も知らない兄弟が居ると言っていたのを思い出した。
アンドリューの次の王は、この彼の国に先王のアンドリューを殺した仇討ちだと言って攻め入って来た。
オブザイアでサクッと殺してやったが。
その後に、アンドリューの国はアンドリューが生きていた事を知り、我らが王よ、お戻り下さい!と書簡を送って来ていた。
その時点では、玉座にパッとしない男が王として座らせられていたらしい。
もし、アンドリューが書簡に従って国に帰っていたら、その玉座に座らせられていた男は王の名を語った偽の王として、処刑されていたであろうと。
シルヴィアンは言った。
「あの国の王は色んな物を与えられ続け、自分が何をしたいか何が欲しいのかすら考える事が出来なくなる。考える力を衰えさせられる。……考える事を禁じられている奴隷と同じさ。」
シルヴィアンは元は奴隷であった隣のロータスに目を向ける。
シルヴィアンの夫であるロータスは、目が合ったシルヴィアンに甘えるように寄り掛かる。
「ロータス、食事中は行儀良くしな。……アンドリューは、そんな国の王に祀り上げられながらも、常に自分を見失わないよう考えてきたのだと思うよ。回りの言いなりになって無意味に与えられるより、自分で欲しい、奪いたいのだと流されない自我をアピールして。……そんな、あの国の王が自ら本気で欲しい物を、見付けたって…それがオブザイアだって?ふふふ、凄いじゃないか。」
デルフィナは以前、アンドリューが言っていた言葉を思い出していた。
『欲しい物は、どんな手を使ってでも手に入れる…とか?欲しい物なんて無かったからな。クズかごの中でクズを掴んで投げ捨てての繰り返しだ。』
自国に居た頃は、欲しい物なんて無かったと言っていた。
傍若無人な王と呼ばれ、貪欲にあれもこれもと手を出し欲しがって見えたのは、全てポーズだったのだと。
そんなアンドリューが初めて…………
「………アンドリューに、会って来ます。私は…あやつに向き合ってなかった………。」
そう、アンドリューは殺される覚悟をして、オブザイアの元に来た。
そのアンドリューを受け入れる事を決めたのは自分なのに…アンドリューの想いに応える覚悟をしていなかった。
デルフィナは席を立ち、食堂を出て行く。
デルフィナが居なくなった食堂で、ロータスにべったり甘えられているシルヴィアンがマリアンナに声を掛ける。
「言われた通り、煽ってみたけど…本当に良かったのかい?あの二人を本物の夫婦にしちまって。彼の国の女王の夫が、傀儡の国の王だなんてさ。しなくて良い苦労をするよ?あの国は王が飾りだけど、そんな王を作った国自体が貪欲だからね。もっと楽な相手を見付けた方が良かったんじゃないのかい?」
マリアンナは空になったグラスにワインが注がれると、グラスを揺らしてほくそ笑む。
「いいんですのよ、シルヴィアン伯母様。アンドリューは、デルフィナもオブザイアも愛してますもの。ロータスさんもそうですけど、どちらも愛せるって…凄い事ですわよ?」
「伯母上もロータス君が初めてなんじゃないのですか?彼の国の白百合と例えられ数多の求婚をされた伯母上が、狂戦士に変化した姿も受け入れて貰えたのは。」
甥であり先代国王のダイオスの言葉に、古い記憶を呼び起こしたシルヴィアンは嘲笑する。
「ああ、ろくな男が居なかったねぇ。どいつもこいつもダルゼリアの姿を見た途端に怯えてさぁ。だからあたしはバァさんになるまで結婚しなかったんだけど……ロータス、あんただけだよ。あたしもダルゼリアも愛してると言ってくれんのは。」
「シルヴィアンさん…」
ロータスがシルヴィアンに抱き付く。
祖母と孫と言っておかしくない程の年の差だが、二人は確かに男女として愛し合っている。
「彼の国は、アンドリューを女王の夫として迎え入れるわ。アンドリューがデルフィナともオブザイアとも結ばれたら、そう公言するつもりよ。………傍若無人な若き王が治めていた国と戦になってもね。……この国から何かを奪おうとする者には、破滅をくれてやるわよ。」
獅子の国の出身である女傑マリアンナは無邪気な少女のように笑った。




