37 忍び寄る者
これはいったい、どういうことか?
唐突に現れたアーマスに、不気味な建物。全く理解できない状況に、ユズフェルトはアーマスの胸ぐらをつかんで、問いただす。
「お前、これはいったいどういうことだ?異世界の宿屋でも取ってきたのか。」
「あー、ユズフェルト・・・やっぱり気づいちゃった?まぁ、安心しなよ危険な場所ではないからさ。」
「当たり前だ。危険な場所だったなら、シーナを宿屋に入れた時点で、お前を木っ端みじんにしている。」
「こわっ!?え、ユズフェルト・・・嘘だよね?流石にそれは、嘘ですよね?」
まさかここまで怒るとは、思っていなかったのだろう。いいや、ユズフェルトにこの宿屋が普通ではないことに気づかれるわけがないと、たかをくくっていたのだろうか?
どちらにせよ、この男だけは怒らせたくないと、常日頃からアーマスが思っていた唯一の相手ユズフェルトは、完全に怒っていた。
今にも殺されそうだと、本能が警鐘を鳴らすが、どうにもできない。
「せ、説明するから!せめて説明を聞いてくれ!」
「ならさっさと話せ。わかっていると思うが、お前の説明がさらに俺を怒らせるものだった場合・・・明日から馬車馬のようにこき使ってやるからな。」
「いや、それはいつものことだろう・・・」
アーマスを罵倒したことで多少落ち着いたユズフェルトは、殺気を緩めた。流石に、自分の身を守るために雇った者を殺すのは、悪手だ。しかし、不満は伝えなければならないと思い、明日からの待遇を変えると脅したが、どうやらすでに馬車馬のごとく使われていると思っていたようで、あまり効果はなかった。
ちなみに、ユズフェルトにはその自覚がなく、アーマスはそのことを知って引きつった笑いを浮かべる。十分馬車馬のごとくであるのに、これ以上何をさせるつもりなのだろうかと。
「とりあえず、中に入ろう。お前も、シーナちゃんのこと心配だろ?」
「そうだな。」
まだ全く話を聞いていないので、この宿屋がどういうものなのかは全くわからなかったが、アーマスを信じることにして敷地に足を踏み入れた。
一歩踏み出せば、がらりと変わる空気。頬をなでる風は生暖かく湿っぽい。カビの匂いまでして眉をしかめる。
「本当にここは安全なのか?すでに病気になりそうな空気なのだが?」
「・・・それは、確かに。」
「お前な。」
「だ、だけどね、聞いてよ。ここは、さっき見た通り外から隔絶されていて、特定の人物しか見ることも入ることもできないんだよ。好都合な建物があったら、そっちに行くだろう?」
「全く意味が分からないな。隠れる必要がある、例えば指名手配されているなどの理由があれば、特定の人物しか入れないこの建物は、魅力的であろうが・・・俺たちは違うだろう。」
「コリンナがいたんだよ。」
「・・・は?」
コリンナ。龍の宿木の元メンバーで、王都に置いてきたこの国の第三王女だ。確かに、彼女と出くわすと面倒なので、このような場所があることはありがたかった。
それにしても、なぜコリンナが・・・
ユズフェルトは、アーマスにコリンナについての情報を問おうとしたとき、女性の悲鳴が響き渡った。
シーナ。
頭に名前が浮かんだと同時に、ユズフェルトは駆けだしていた。
きしむ扉をけ飛ばす様に開けて、ミシミシと今にも踏みあけてしまいそうな床を大股で飛ぶように先へと進む。曲がり角を曲がればすぐ目の前にシーナが大きな口を開けて、床に尻もちをついていた。
「シーナ!」
「ゆ、ユズフェルト!は、早くこっちに!何かいるの!」
「わかった。」
状況は全くわからなかったが、シーナの望みを聞き入れてシーナの目の前に膝をつく。
「大丈夫か?」
「だ、誰かいるから!警戒して、ユズフェルト!」
「・・・」
厳しいまなざしで周囲を探るが、人影はない。
ただ、シーナが持っていたのだろうか、お盆と中身がこぼれたお茶が床に転がっている。茶器は、幸い割れていないようで、シーナに怪我がなかったことに安堵する。
「大丈夫だ、シーナ。周囲に人の気配はない。とりあえず部屋に戻ろう。」
「・・・ひ、人じゃない。」
「え・・・?」
「そ、そのお盆・・・浮いてたの。」
「浮いていた?お盆が?」
「あぁーーー!!何やってんの2人共!?も、申し訳ありません、ほんとうにごめんなさーーーーーい!」
怯えるシーナに、状況把握が全くできないユズフェルト。さらに、唐突に叫んで頭を下げながらこちらに走ってくるアーマス。
ユズフェルトは必死に状況を整理した。
シーナはお盆が浮いていたと言った。誰かいるとも。おそらくお盆を持った誰かがいた。床に落ちたお盆を持った誰かが。
アーマスは、何もない空間に向かってぺこぺこと頭を下げている。まるで、誰かがそこに座り込んでいるように。
「・・・誰か、いるのか?」
「ごめんなさい、本当に、ごめんなさい!ユズフェルト、とにかくシーナちゃんを部屋へ。俺も後で行くから!」
「・・・わかった。シーナ、立てるか?いや、俺が連れて行くとしよう。」
「立てる!大丈夫、立てるから!」
慌てて立ち上がったシーナ。おそらくお姫様抱っこが恥ずかしいのだろうが、それでもこの宿屋の空気と見えない誰かが怖いのだろう。ぴったりとへばりつくように、ユズフェルトの腕にしがみついた。
恥ずかしいが、怖さには代えられない。
「シーナ、やはり運ぼう。体が震えているし、またいつ腰を抜かすかわからないから、危険だ。」
「だ、大丈夫。すぐ、そう、すぐそこだから!」
きっぱりとシーナに断られたユズフェルトとは、無理強いはせずにシーナの歩調に合わせて、用意された部屋へと向かった。
「本当に、申し訳なかった・・・まさか、少し外に出ていた内にこんなことになるとは・・・それも一人で・・・なぜこのようなことに・・・あぁ、もうこのようなことにならないように努めますので、どうかこのまま泊ることを許していただけますか?」
ユズフェルトたちが去った後も、アーマスは一人何もない空間に向かって謝り続けた。もしもナガミにこの光景を見られたら、一生馬鹿にされるだろうなと、アーマスは頭の片隅で思って笑う。
「ありがとうございます。では、朝までよろしくお願いします。」
最後に丁寧に礼をした後、アーマスは部屋へと戻っていった。
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