31 井の中の蛙
長椅子の上で、そっと瞼を閉じるナガミ。
アーマスがアイテム袋の話などするせいで、ナガミは数年前のユズフェルトと出会った頃のことを思い出した。
森深くにあるエルフの里。知識や魔力量が多く、寿命が長いエルフは、他種族を見下す傾向がある。他種族の知識のなさを、魔力量の少なさを、儚い命を・・・そして、容姿を彼らは見下す。
エルフは、20歳までは人間と同じように成長し、それから数百年その姿を保ち続ける。長く保たれる若さ、種族特有の美貌。
他種族を見下すなという方が無理のある、それほど完璧な種族がエルフだった。
そんなエルフの中で、さらに同種族、他のエルフを見下すエルフがいた。
僅か3歳で、里のあらゆる知識を吸収し、5歳で里長の魔力量を超え、20歳になって成長の止まった姿は、里の誰よりも美しい。
他人を見下すなという方が無理のある、それほど完璧なエルフだった。
「ナガミ、一昨日盗賊団のアジトを壊滅させたんだって?お前、すごいな。たった一人で、どうやって大人数の盗賊を倒したんだ?」
「別に。ただ、矢に魔力を込めてアジトに放っただけだ。あれくらい大きな的ならば、寝ぼけていたって当たる。」
どうでもいい、説明するほどのことでもなく、面倒だという空気を隠しもせず、ナガミは聞かれたことに答える。
盗賊団は、エルフの里に侵入して、村長宅にある結界石を盗み出した。
結界石とは、エルフの里を守護する魔道具で、この魔道具によって、エルフの里には悪意のある侵入者を拒む結界を常に張っている。なので、本来なら盗賊団が侵入することは不可能なはずだったのだが・・・
「それだけの魔力を矢に込められるのが、ものすごいぜ。それにしても、誰が結界石を休止状態にしたんだか。やっぱり、結界石を最後に磨いていた、ミーセラかな?あいつおっちょこちょいだからなー。」
「それは違うな。ミーセラがやったのだとしたら、もっと前から結界が無くなっていた。結界が無くなったと同時に、タイミングよく盗賊団が侵入してきたのだ。奴らと手を組んでいたものが里にいることは、明白だろう。」
「それって、里の中に裏切り者がいるってことか?」
「そういうことだ。」
里に盗賊団を引き入れた者は、ナガミに嫉妬を抱いていた小物だった。結界石が盗まれればナガミが取りに来る。そのように考えた小物の予想は当たっていたのだが、結果は無残なありさまだ。
小物の作戦では、結界石を餌にアジトへとナガミをおびき寄せ、アジトに仕掛けた罠でナガミを弱らせた後、自分の手でナガミを捕らえて盗賊団に売るつもりだった。
売った後のナガミは、奴隷にされるだろうとほくそ笑んでいたのだが。
「だが、安心しろ。裏切り者は盗賊団と一緒に、アジトの下敷きになって死んだ。」
あぁ、くだらない。
エルフという、優位な種族であるにもかかわらず、なぜこうお粗末な者たちが出来上がってしまうのか。
里・・・数百人程度のエルフしかいない場所では、日常生活を送るうちに周囲の底が知れてしまい、ナガミは飽き飽きとしていた。
自分と肩を並べるような・・・せめて、知識、魔力、美貌・・・その一つでもいい。競い合うような相手はいないのだろうか・・・いないのであろうな。
望んでは、すぐに答えを出して諦める。それがナガミの日常だった。
「他の種族なら・・・はっ。ありえないな。」
里を出て、自分と肩を並べる実力のものを探す。何度か浮かんだ発想も、すぐに結論を出して否定する。
エルフよりも優位な種族などいない。エルフが外に出ることは稀で、外に出るとしたら他種族との出会いしか見込めない。しかし、圧倒的に他種族の上をいくエルフ以外に、ナガミを超えるものはいないだろう。肩を並べる実力を持つ者ですら。
「・・・つまらない。」
5歳の時、本を読むのをやめた。真新しい知識がもう手に入らないことを悟ったからだ。
15歳の時、魔法の練習をすることをやめた。ナガミ以上に強い者はいないからだ。
ナガミの日常は、ただ考えて終わる。
里長から依頼を受ければ、暇なのでやるが、それ以外はただ考え事をして終わる。何度も答えが出た、自分と競い合う存在のことを考えて、終わる。
たった一人だけ、ナガミの知識を超えた存在がいた。
ナガミは、腰に下げている袋をそっとなでる。それは、里長から里を守る報酬としてもらった、太古のエルフが作った魔道具だった。
同じ魔道具でも、結界石はナガミにも作れたが、このアイテム袋だけは原理が全くわからず、その知識も後世に残っていないことを確信するほど、その原理を求めた。
この、太古のエルフだけは、越えられない。
ユズフェルトと出会う前のナガミは、本気でそう思っていた。
「大変だ!ナガミ!」
ナガミの肩を掴んだエルフは、先ほどまで話していた男だった。血相を変えた様子の彼に、ナガミは不審な目を向ける。
結界に問題はない。私が作った結界石は正常に作動し、里を守っている。
里に脅威などあるはずないのに、目の前の男が顔色を悪くしていることに意味が分からないナガミ。
「で、出たんだ!」
「はぁ?」
幽霊が出た。そんなことでも言い出すのかと、心の病にでもなったのかと眉を寄せたナガミの耳に、絶対的強者の咆哮が届く。
「なっ!?」
「あぁ・・・終わりだ。」
日を遮るなにかが、ナガミの真上を通る。顔を上げたナガミの目には、はっきりとドラゴンの姿が見えた。
「なぜだ・・・」
エルフの里は、魔物が現れるような地域にはない。なので、魔物が出ること自体が異常で、さらに希少なドラゴンが現れることが信じられなかった。