3番目は夢を見ている
夢を見る。
夜毎眠ると、昼間ふと、朝方起きると、いつもいつも何やら妙な音がする。耳の奥から、指の先から、頭の中で、不思議と聴いていたくなる心地の良い音。
“かみさま、かみさま、たすけてください”
“かみさま、かみさま、あなたをしんじています”
“神様、神様、俺の話を聞いてください”
“神様、神様、俺に彼奴を殺せる力をください”
“どうか”
“何卒”
懇願にしては緩やかで、祈りを捧げるというには熱心でない俺の言葉に、誰かが決まって何かこたえる。それは不規則に小さな子供の声だったり、低い大人の声だったりする。
『アンタの願い、おれが叶えてやろうか?』
今回は自分の声にそっくり同じ、でもまったく違う声色の男が、俺を抱き込んでそう言った。眩しい金の髪が視界に映る。顔はいつも見えなかった。
✾❁✾
「…………っお、まえ……」
刺されたところに必死に力を入れて、これ以上刺さらないように筋肉を固めているのが分かった。その声に驚愕はないが、苦しげなのは此方の愉快を煽るようだった。じわりと滲んだ血液の赤は、それほど奴には似合わなかった。
「お前みたいな奴が1番、腹が立つんだ。いつもいつもお前ばかり期待される。皆誰だって一度も俺を見てくれない、お前もそうだ。お前も……俺のことを、どうせ興味がない癖に、弟だなんて呼ぶな!」
「ぁ……っば、かやろ」
ずる、とその身体がバルコニーの外に落ちるのを見届ける前に踵を返す。妙な高揚感で胸が締め付けられるようだ。やった、やった!やってやった!俺は遂に彼奴を出し抜いてやったんだ。
あまり今の状態で人と話していたくない。興奮するとボロが出そうで、苛つくと怒鳴りつけてしまいそうだった。話し掛けてくる有象無象を軽く遇らいながら、こっそり会場を抜けて廊下へと出た。
「はあ……俺は、やっと」
腹の奥から湧き上がるこの異様な興奮が、何を意味するのかわからなかった。声が聴こえる。声が聞こえる。よくやったと騒ぐ声が、お前は出来る奴だと褒め称える声が、蕩けそうな程に夢見心地な甘い声が、脳髄の奥から響くようにきこえてくるのだ。
『………………』
気づけば酷い目眩に襲われた。瞬間的な痛みに手を添えた場所は血塗れで、内側から裂けるように抉られていた。痛いと思うより先に、床を汚していけないと思った自分に嫌気が差した。
「はっ……あ、な、なん……だ?」
せめて倒れるような無様は晒すまいと手摺を手繰り寄せ、冷たい脂汗の滲む全身を支えた。誰か、いや誰も呼べない。誰にもこんな姿を見られたくない。母様には一番見せられない。こんな弱々しい姿、失望されるに決まってる。
『ウーン、まだ生きてンの? まだ何か入ってるからかなァ? ね、ダディ。おれのことわかる?」
息が苦しい、死んでしまいそうなほど血が出ている。霞んだ視界の隅で、喧しく笑う自分とそっくり同じ姿をした男が笑っていた。
意味がわからない、今すぐにこいつの胸倉を掴み上げてどういうことだと問い詰めたい。返してくれ、俺の姿は、なかなか母様のお気に入りなんだから。
「もしかして出てくるの早かった? まあ、早生まれってコトで。アレを本当に殺したら、もう一回おれを完全に生んで死んでね、ダディ」
その声を最後に、誰かが走ってくる足音が聞こえる。大きく、歩幅の広い歩き方。衣服に擦れた鉄の音。俺に対してそこまで思い入れのある奴なんてそうそう居ないもんだから、誰の音かはすぐにわかった。
喉から血が溢れて、いよいよ力が抜けてきた。これが人を害した罰だろうか。いいや、きっと違うだろう。これが報いであったなら、まだまだ生温いはずなのだから。
結局、勿論と言うべきなのか、俺は死ぬことはできずに、あれから3日が経った。
あの後駆けつけた男の手によって医者のところへ文字通り転がり込んだらしく、腹にはばっちりホチキスの跡が出来ている。雑過ぎて俺の隊員たちからは藪医者と散々罵られていた。
傷は見た目ほど酷くなく、寧ろ回復力が高かったお陰ですぐに治りそうだと医者からは言われている。正直に言うともうそんなことはどうでもいい。俺は死んでも悔いはない。それだけのことを出来たのだから。
「だぁーから暫くは鍛錬禁止って言ってるでしょう!なんでわかってくれないんですか!」
「腕が鈍る」
「それより先に傷口が開きます」
「もう治った」
「はい嘘! 最低でも1ヶ月は激しい運動禁止になってるんですから勘弁してくださいよ」
療養中の目付役にされた補佐官は、溜息を吐きながらベッドに沈む俺を見ている。仕方のない子だと言わんばかりのその視線に、流石に我侭を言う気も失せてしまった。
寝転がっていると色々考えてしまって、頭の中で焦燥が渦巻く。リディのこともそれとなく聞いてみたが、普段から部屋から出ないせいか特に何も情報はなかった。それならばそれで構わないけど。
「本当になお…………分かった、すまない」
「全くもういつもそうやっ…て……えっ」
「何だ」
「あいやーなんていうか妙に素直っつーか嫌味がねーっつうか……え? 本当にミシェル様ですよね?」
「はあ? そうに決まってるだろう」
「普段ならここでも皮肉を飛ばしてくるところなんですが」
「そうだったか」
「そうですよ」
そうだったかな……と記憶を探るがよく覚えていない。彼奴を刺す前の俺はそんな風だったような気がしなくもない。今もそう口は良くないと思うが、心持ちが変わったせいかもしれない。
首を傾げる奴を追い払ってから、何となしにひとりだと言うことに気づいた。母様は病床に伏せる俺などは見たくないだろうし、王も兄上もお忙しい。別にいつも通りなのだ。誰もいない部屋はいつもと何ら変わりがないのに、耳に届く音だけがやけに周囲の生活を拾ってくるものだから、昔からベッドで眠ることが嫌いだった、ということを今更ながら思い出した。
「ヘンリー、いるか」
ぽつんとひとり、誰もいない部屋の中で声を掛ける。開け放たれた窓から、暗い紫色の蝶が入ってきた。嫌がらせのように俺の腹に留まると、奴はそのまま人型になって上に伸し掛かって来た。
「おはよう、気分はどう?」
「相変わらず最悪だ」
「えェー!! 傷早く治るようにしたんだから、その分機嫌も直してよ」
心外と言わんばかりに表情を歪めるソレは、俺と同じ顔をしているが、俺よりも幾分歳上の見た目をしていた。20後半かそこらの年齢であろう身体に、髪は何もせずにばらけている。うっとおしいが、何かしてやるのも癪なので仕方なく黙る。
こいつは突然やって来て、俺の子供なのだと言う。何の冗談かとも思ったが、どうにも顔が似すぎているので下手に無視も出来なかった。話を聞くに、俺の中にいた俺の悪意が形を成したもの……らしい。
どういう原理でそうなっているのかも怪しいが、ここ最近妙に腑抜けになったと小言を言われるのはつまり、俺の普段から刺々しく他人を遠ざける悪癖が外に飛び出してしまったかららしかった。
「お前のせいで何かしら言われるのも疲れた」
「なんだよ、おれのせいなのォ?」
「お前以外いない」
「アハ、まあいいけどネ」
部屋に呼んでやると直ぐに入ってくるのだが、如何せん屑野郎なので俺が嫌がることばかりしてくる。傷に圧を掛けられて僅かに呻くと、満足げに笑うこの顔が、俺でなかったら殺していた。
非常に不本意だが、これが中にいる間だけは前の毒気を取り戻せるようで、最近はヘンリーを部屋にわざわざ呼びつけて普段通りを装っている。俺が呼ばないと入ってこないところに悪意を感じる。流石は自称悪意の擬人化だ。
「ヘンリーって名前はさあ……正直フツーだよね」
「お前が突然名前をつけろなんて言うからだろう」
「ソレって何も考えずにつけたってこと!? 俺らにとって名前ってかなり重要なモノなんですケド!!」
「知るか、大した説明もせずに甘い蜜だけ貰おうなんて出来ると思うなこのウスノロ」
「罵倒の仕方がえぐい、おれ生まれたてダヨ!」
「生まれたてはそんな気に障る喋り方はしない」
袖口で目尻を拭う振りをするヘンリーを腹から乱暴に退かす。頭の中に聞こえる声も、それ以外の周囲の音も全部、コレが来ると途端に黙ってしまって、何も聞こえなくなる。これがまた、癖になるほど心地良い。
こればっかりは本人の性格どうこうではない。こいつの甘ったるい匂いも好きではないし、寧ろ相性で言えば最悪で、嫌いかと問われれば即座に嫌いと返せる程度には嫌いなのだ。しかし環境の問題ともなると話は別になってしまう。我ながら現金ではある。
「まあま、仲良くしてよダディ」
勝手に父と呼ばれた。俺の子供ではないのに、俺の血縁者でもないやつにダディとか言う狂った呼び方をされた。俺はおかしな呼び方をされるのが死ぬほど嫌いだ、殺してやりたくなる。
言いながらへらへらと砕けた笑い顔を晒すヘンリーに対して、頭の血管が何本か切れる音がした。訂正、環境だけでは人間誰しも許せる訳ではない。神もそれはお許しくださると思う。
「誰がダディだ! 俺は貴様のような奴が世界で一番嫌いなんだ二度と話しかけるなこの屑!!」
「嘘でしょそんなキレる?」
世界で一番嫌いは嘘だが、同じくらい嫌いにはなりそうだった。
✾❁✾
(こっから途中だから注意)
「なんだ、誰かいるのか」
「ミシェル様……御体の具合は如何ですか」
「エスターか。ああ、悪くないな、平気だ」
「痛み止めは要りませんか? 点滴変えますね」
「そんなに痛くないからいい。もうそんな時間か」
「はい! そろそろ夕食のじか……あ、ミシェル様は食べられないんでした。すみません」
「構わない、いつもみたいに腹も減ってないし……寧ろ久々に空腹感がない」
「え、最近はあんなに何かしら食べないと倒れてたのに、ですか!?」
「ああ」
「で、でも、急になんて変ですよ。ミシェル様どうかしたんですか、お腹痛いですか? 医療係の人呼びますか?」
「エスター」
「はい」
「お前は本当に前途有望だな」
「…………えっ、と。そのお言葉に、なんと返していいかわかりません」
「返すべきはない、流してくれて結構だ」
「そうなんですか? うわ、やっぱり熱でもあるんじゃ……それともやっぱり痛みでおかしくなってます?」
「ぷっく……おかしくだって…っ…くくっ…」
「え」
「よう坊っちゃん、可愛い見た目してんねえ。俺のスイーツにならないか?」
「ぎゃーーーーーーーーーーーーー!!!!!」
「だ、だ、だだだだれですかその人!!!」
「……エスター……傷に響く」
「す、すみません!でも、でもでも!」
「まあまあ落ち着けよ、スイーティ」
「誰がスイーティだ!! 貴様のような変態の恋人など持ったことないわこの下郎が!!!」
「エスター? お前本当にエスターか?」
「キレ方おそろっちでワロス」
「で、誰なんですか」
「此奴は「俺はダディの子供だよ! ほらほらようく見てみて俺の顔! ダディにクリソツ! これで親子じゃないなんて嘘でしょ!」勝手に話すな」
「こ、こど……も?」
エスターは話を飲み込もうと、一旦落ち着いて二人を交互に見てみた。どう見ても年上の変態か、明らかに疲れている主か、答えは最早明確で疑う余地はない。
「やっぱり、へ、へんた……変態じゃないか!!」
「待て待て待って!!そのよく磨がれたダガーナイフを置け!危なッ!?どっから出したそれ!」
「護衛と護身用にいつも持ってますけど」
「ダディーーー!?スイーティにこんなもん持たせていいんすかねえー!?」
「持たせてるのは俺だ、いいに決まってる。ダディと呼ぶな殺すぞ」
「やだこの主従滅茶苦茶似てる」
そう言いながら、ヘンリーは今度こそ冗談ではなく本気で口元を手で覆いながら震えていた。悪魔は心の強い子供に弱いらしいので、それも道理かと思う。
「だってほら、俺って顔が綺麗だろ?」
「まあ俺と一緒だからな」
「でしょー?だ・か・ら!皆を魅了しちゃうのは仕方ないと思うんだよねえ」
「死んでくれ」
「酷い!俺を生んだのはアンタだろ!」
「勝手に生まれてきたんだろ」
「俺のダディだって認めてくれないの?」
「絶対に嫌だね」
「認知して♡」
「死んだらな」
「冷たいなあ、願いを叶えてあげられなかったのはごめんってば。俺嘘吐けないから、ダディが彼奴本当に殺せるまでは側から離れてあげないよ」
「……別に、仕事に支障がないなら構わん」
「え?ア、いいんだ?へえ、い、意外~」
「なんだよ」
「だァってさ!ダディって人のこと嫌いじゃん?他人に自分の生活犯されるの嫌いそうッテいうか……傍に置くのも、気に入った奴以外あンまりしないし」
「お前は自分と同じ顔をしてる、自分の腹から出てきた奴が他人に見えるのか」
「え?いや……そんなわけないデショ」
「そういうことだ。いいか?大人しくしてろ、特に俺の好きじゃない奴等の前ではな」
「あー…まあ、アンタがいいなら。了解、ダディ」
「その呼び方、不愉快だから改めておけ」
「…………わっかんねえなァ。ツイ先日まで彼奴の胎の中に居たって?アリエネー……出なきゃ良かった。そうすりゃあ、もっとマシに殺してやれたのにナー」
ヘンリー
金髪紫目、異常種・蛸目/オクトパスアイ
〝誘惑〟の悪魔。良くも悪くも献身的、父親の嫌いを煮詰めた彼からはいつも酷く甘い匂いがする。乱し乱され陥落情事、誰彼構わず愛の味。食事をすることが大好き。人間も天使も神様も、時には同朋であって尚、彼にとっては等しく愛しい食事なのだから。
蝶のような羽を持っているが、実は蜘蛛足も持っていたし、最初はもっと悪魔らしい見た目をしていた。父親が嫌がるので泣く泣く他の部位を斬り落として来た。名前を貰う為に死ぬ気で人型に化けるのを覚え、どうにかこうにか成功させた。
中級順位成長型
名前の由来:ヘリオトロープ