~紗彩ちゃん ご来店~
午後三時半過ぎ。買い物帰りの奥様達のおやつタイムがひと段落ついた『雪月花』のカウンターで、涼子はシンクに貯まった洗い物のオブジェを見てふぅと大きく息をついた。
「ほら、涼子。呆けてないで、今の内に片づけてしまいましょ。」
淡い黄緑色の地に桜の花びらのプリントのある着物を着た日笠奈緒美が下げものを運んで来た。
「分かってるわよ、奈緒美。ちょっと気合い入れてただけじゃない。」
そんな時、格子の引き戸に取り付けたベルがからからと鳴り、お客の来店を知らせた。
「いらっしゃいませ~。」
「いらっしゃいませ。あら、紗彩ちゃん。」
「へへ~。こんにちは涼子さん、奈緒美さん。」
紗彩は子犬のように涼子の正面のカウンター席に座った。
「珍しいわね、今日は独り?」
生成り地に藤の花の模様の和服の袂を上げて、涼子はお冷を静かに差し出した。
澄んだ氷の音が心地よく響く。
「今日は、涼子さんとお話したくて。」
「あら、嬉しい。どんなご用なの?」
紗彩はお冷をひとくち飲んでカウンターに両手を組んだ。
「あのですね。この前紗彩と一緒に来た美幸先輩、覚えてます?」
「ええ。あの髪の長いきれいな子ね。」
「LINEで聞き出したんですけど、美幸先輩が皆本さんとデートするんですよ、この土曜日。」
「あら、そうなの。彼もなかなか隅に置けないわね。しばらく彼、バイト休みなのよ。このゴールデンウイークにご実家の神社の仕事とか部活の大会とかがあるって。」
「それでですね。美幸先輩、柳町にある教会のイベントに一緒に行くそうなんです。涼子さん、柳町の教会って知ってます?」
「う~ん。私、今年に入って、こちらに越して来たばかりだから、あんまり詳しくないのよ。」
「そうなんですか。以前はお化け屋敷みたいな感じだったんですけど、今は真っ白でキレイになってるんですよ。で、涼子さん。その日はお仕事なんですか?」
「土日、祝日はこういう飲食業はかき入れ時だから基本、仕事ね。どうしたの?」
「紗彩、涼子さんと一緒に行きたいなぁなんて思ってたんです。」
「え? 一緒に行くなら同級生の子とか、カレとか。」
目を泳がせた涼子は、慌てて手元の調理器具を片付け始めた。
「カレシなんて居ないですよぉ。それに同級生の子達と一緒だったら落ち着いて美幸先輩、観察出来ないじゃないですか。」
「あら、のぞきは良い趣味とは言えなくてよ。」
「そんなんじゃなくて。紗彩、先輩のこと、そっと草葉の陰から見守っていたいだけなんです。」
「それ、使い方間違っているわよ。」
「? まぁ、それはそれで置いておいて。紗彩、もっと涼子さんとお話とかしたいんです。紗彩とデートしてくれませんか?」
真っ直ぐ射る紗彩の視線に押されて涼子は隣の奈緒美の方に目を泳がせた。
「いいんじゃない? 涼子。」
「奈緒美。でも・・・」
「その日一日ぐらいは私がなんとかするわ。涼子も紗彩ちゃんと話してみたい事がたくさんあるんでしょ? それにお互い、夜の中州で修羅場を越えて来た仲じゃない。甘味処の混雑なんてかわいい方よ。」
奈緒美は洗った皿を食器乾燥機のスチールラックに並べてにっこりと笑った。
「ヨルノナカス?」
「そう、福岡にね・・・」
「ちょっと奈緒美っ。中学生に何吹き込んでいるのよ。紗彩ちゃんは知らなくても良いの。」
「は~い。何か涼子さん、お母さんみたい。」
「え、あ、そう・・・ その・・・それじゃ、甘えさせてもらうわ奈緒美。でも、ヤバくなったらLINE入れてね。」
「やった。で、美幸先輩、朝十時のスタートぐらいに行くそうなので紗彩、朝九時半にこの雪月花の前に来ます。ここで合流しましょう。」
「駅の噴水広場じゃだめなの?」
「だめですよぉ。先輩からはそっとしといてってクギ刺されてるんですから、乗っけから見つかっちゃマズいんです。」
「そうなの?」