~二人乗り~
放課後の体育館。今日は体育館を半分に仕切ってバレー部とバスケ部が練習していた。
「香澄? どうしたの何か変よ。」
「え? ううん、大丈夫だよ、ミキ。そんな風に見える?」
二人組んでストレッチをしているチームメイトの松本美樹は、朝練とはテンションの全く違う香澄にささやいた。
「何か悩みごと?」
「え、まぁ、そう大した事じゃないから、気にしないで。」
「普段そういう乾いた笑顔しない人が、そういう顔すると気になるわよ。良かったら相談に乗るわよ。」
「うん、ありがと。でもホント大丈夫だから。」
二人は開脚前屈の背中を押すパートを交替した。
「うーん。ミキはまだ硬いね~。」
「いたたた。もっとそっとやってよ~。」
「ダメだよ。ちゃんと伸ばしとかないとケガしちゃうんだから。」
容赦無くぐいぐいと背中を押している香澄の目に、渡り廊下を並んで歩いている頼光と美幸の姿が飛び込んできた。
頼光とほとんど同じぐらいの身長の彼女は、少し微妙な距離を取ってちらちらと頼光を見ながら恥ずかしそうに微笑んでいる。
(あ~。有松さん、結構本気なんだ・・・)
香澄は体育館の壁に遮られて二人の姿が見えなくなるまで凝視していた。
「いたたたた。かすみ~もう勘弁して~。」
「あ、ごめん。」
結局練習に集中出来ない香澄は顧問やチームメイトの勧めも有り、部活を早退して帰されることになった。
とぼとぼと歩いてバス停の待合所の時刻表を覗いた。
クリーム色のプリント材の内壁に囲まれた、四×二メートルの待合ボックスの中は利用者もおらず、がらんとしている。
「あ~、やっぱりこんな中途半端な時間にはバスは来ないわよね。」
ふぅとため息をついて通学カバンを肩にかつぎ、学校の塀に沿って人気の無い下り坂を力無く歩き出した。
その香澄の後ろから、自転車の近づいて来る音が聞こえてきた。
「やぁ、お姉さん乗ってかない?」
「え? ライコウ?」
聞きなれた声に驚いて振り向くと、すぐ間近に頼光の顔が迫っていた。
「ど、どうしたのよ。部活は?」
あまりの近さにのけ反りながら香澄は通学カバンを抱えた。
「それはこっちのセリフだよ。頭にケガしてるヤツは組手なんか出来ないから帰れってさ。本番までに完治させろって。香澄はどうしたの? 調子悪いのか?」
頼光は自転車を停めて香澄の方へ降り立った。
悪くさせたのは誰よと思いつつ、軽く咳払いをしてカバンを後ろ手に回した。
「うん、ちょっとさ、カゼ気味かふらついてさ。勉強のし過ぎだな。」
冗談口をたたいてにかっと笑って顔を上げた香澄の額に頼光の額が触れた。
「!」
香澄の足元に、ぼとりとカバンが落ちる音がした。
「う~ん。俺よりかは熱いみたいだな。」
額を離して頼光は真顔で答えた。
「ちょっと顔も赤いみたいだし、ムリはするなよ。」
(そりゃ、赤くもなるわよ。)
生唾を飲み込んだ香澄は頼光に背を向け、制服の衿元をぱたぱたさせて、こもった熱を逃がした。
「あ、えっと、有松さんと一緒じゃなかったの。」
気を取り直して振り向いた香澄は、取り落とした香澄のカバンを自転車の前カゴに積み込んでいる頼光に早口で聞いた。
「うん?良く知ってるな。美幸ちゃんなら今日は小林さんと一緒に買い物があるって。」
「そうなの。」
二人は並んで学校前の下り坂を歩き始めた。
「ちょうどメールしようと思ってたんだ、早く帰る破目になったって。」
「じゃぁ、タイミングが良かったわけね。」
「ああ、一緒に帰ろうって言い出しっぺが、早速反故にしたんじゃ申し訳が立たないよ。」
「ライコウってば変に律儀なんだから。自分の都合があるんなら優先させたらいいじゃん。その、ほら、例えば、気になる娘が出来たからその娘と帰るとか・・・」
「うん? まぁ、そんな事はしばらく無いだろうから気にすんなよ。僕はモテないからな。まあ・・・香澄が僕と一緒に帰るのが嫌とか言うんなら、仕方ないけど。」
「そんな事言う訳無い、・・じゃん。」
頼光の寂しそうな顔を振り向きざまにまともに見た香澄は、一瞬息が止まった。
「なぜ、どもる。」
「へへ~。」
表情を見られないよう数歩前に進んで、Y字交差路に車とかが居ないか確認して見せた。
「そういえば、今日は何でチャリなの?」
「昨日、バス代とか試算してみたら結構かかるからさ。」
「そうか、不景気でお賽銭の額も減ってるだろうしね。」
「待て、香澄。神社の収入がお賽銭箱だけと思ってないか?」
「違うの?」
「違うよ。ご祈祷、お清め、地鎮祭、起工式、結婚式、神事はいろいろ有るだろ。」
「ああ、そうか。結婚式と言えば二月だったっけ、ライコウんトコで神前式やってたよね。」
「うん。受験勉強の息抜きに見たいって香澄が言うから社務所あたりから見せてもらったよな。香澄、花嫁さんガン見してたし。」
「別にいいじゃん。けど、白無垢って新鮮よね。ほら、ほとんどがウエディングドレスだから。」
そう言って、自分と頼光の姿を重ね合わせていた事を思い出して、妙に恥ずかしくなってきた。
「香澄は、ちなみに、白無垢派? ドレス派?」
「え、あ、白無垢って良いかな。ライコウはどうよ?」
「僕? 僕がするならウチだろうから、衣冠束帯だな。」
「う~ん十二単か・・・」
「うん? 何か言った?」
「いやっ、何でもない。」
坂道を下りきって駅方向に向かう平坦な道に交わる交差路に出た。
「それじゃ、香澄。後ろ乗って。」
「え?」
「さすがに坂道で二人乗りは危ないからさ。平地に出たから、はいどうぞ。」
頼光はサドルに跨るとぽんぽんと後ろの荷台を叩いた。
「あ、おじゃましま~す。」
「そのセリフは何か変だな。行くよ。」
おずおずと香澄が腰かけたのを確認すると、頼光はゆっくりと漕ぎ出した。
「二人乗りなんかめったにやったことないから、ちゃんと掴まってな。」
手を添える場所をしばらく迷って、とりあえず腰にそっと手を添えた。初夏の風が髪や頬を撫でて火照った顔を冷やしてくれていた。
(やっぱり小学校の時よりもがっちりしてきてるんだ。)
まじまじと頼光の背中を見て、小学五年生の林間学校で足を挫いておんぶしてもらった事を思い出した。
(あの時からかな、ライコウが気になりだしたのは。)
淡い思い出に浸っているうちに自転車は大鳥居前の公園に入って来た。
「はい、ご乗車ありがとうございます。」
「いえいえ、運転手さんごくろうさま。」
にかっと笑って自転車を降りると、大鳥居まで自転車を押して並んで歩いて行った。
「そうだ、香澄。ちょっとお願いされてくれるかな。」
「なに?」
「こんな包帯頭で帰ったら何言われるか分からないから、これ捨てて欲しいんだ。」
「え? 外したら傷口開いちゃうわよ。どうせケンカしたんでしょ。この際お父さんに怒られた方が良いんじゃない?」
「ひどいこと言うなぁ。今回は・・・いや、今回も正当防衛だよ。」
そう言ってくるくると包帯を外し、当ててあった医療用ガーゼをペリペリと剥がした。
ガーゼには赤黒くなった血液跡が染みついている。
「ほら、傷なんか塞がってるだろ。」
「ホントだ。あの状態でこんなに早く治るものなの?」
ガーゼと包帯で乱れまくった髪を掻き分けて、香澄に傷を見せた頼光は髪をなでつけながら軽く頭を振った。
「最近、傷の治りがめちゃくちゃ早いんだ。『通常の三倍の早さ』な感覚かな。」
「赤い人っ?!」
得意そうに言う頼光に呆れた口調で香澄は返した。
「それじゃ、頼むよ。」
コンビニ袋に包帯一式を詰め込むと済まなそうに手渡した。
「しょうがないわね。」
「サンキュ、今度何かおごるよ。」
「あ、それじゃ『雪月花』で何か作ってよ。」
「来てくれるんだ。それじゃ、来週の試合がおわったらオツカレ会って事でごちこうするね。」
「へへ~。楽しみが増えちゃった。」
大鳥居のふもとまで着くと頼光は前カゴの香澄のカバンを取り出した。
「ライコウ自転車はどうするの?」
「この丘の西側に車参拝客用の坂道があるだろ。そこから家の前に押して行く。」
「結構な急な坂じゃない? 大丈夫?」
「うん、ちょっと後悔してる。」
「はは、じゃぁ、チャリ通も定着しないわね。送ってくれてありがと。また明日ね~。」
「ああ、じゃあな。香澄も早く治せよ。ばいばい。」
笑顔で手を振って、二人は西と東にそれぞれ歩き出した。
満足げに歩いていた香澄は、自分の家の屋根が見える所まで来て、ふと足を止めて振り返った。
「あ、しまった。ライコウに有松さんとのデートについて聞くの忘れてた。」
頼光は大鳥居の前を通り過ぎて、西側の丘の斜面に向かって歩いていた。
その丘の脇には市道が走っており、その市道に面した一角に『源綴宮』と彫り込まれた御影石の石柱が立っている。
その石柱の脇から伸びる舗装道路が頂上へと続いている。
木立ちを伐採してそのまま舗装した造りの道路は車両参拝者が毎回肝を冷やすほどの急斜面である。
頼光が自転車を押しながら道の中程あたりを過ぎようとした時、斜面側の木の枝ががさりと鳴って白い狩衣が目の前に降って来た。
「玄昭さんの式だな。また何か用か。」
狩衣は袖の中からA四サイズのクリップボードを差し出した。
受け取ってみるとそこには達筆な筆文字が躍っていた。
『計画遂行の日取りを教えていただきたい。こちらもそれに合わせて準備を行う。』
クリップボードにサインペンが挟んであるので、頼光は用紙下半分の空白に今週の土曜日の午前10時開場と同時に柳町の教会に行く旨を書きつけた。
クリップボードを狩衣に返すと、それは丁寧におじぎをして飛び上がり、木々の間に姿を消して行った。