6-1 雪舞う日の来訪者
長らくお休みを頂きありがとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
「……雪、積もりそうだね。」
ダイニングの椅子に腰を掛け、身体を温める生姜湯に口を付けたファナが、窓の外を眺めて呟いた。
冬特有の薄暗い曇り空から、雪が舞う。
雪の粒は細かな粉雪から湿った牡丹雪へと大きさを変え、しんしんと降り続いている。
ファナは、降り積もる雪を家の中から見上げることが好きだ。
窓の外には、遮る物が無い。
厚い雲と舞う雪が窓の外を白く染め、落ちる雪を眺め続けることで、自分が、家が、まるで空を飛んでいるような錯覚に包まれる。
その浮遊感が、小さい頃から好きだ。
それに――。
「ファナ、寒くない?」
正面には、愛する夫。
大好きな光景に、大好きな彼が傍に居ることが、彼女が何よりも嬉しかった。
「うん。大丈夫。アロンは?」
「ボクも大丈夫。」
何気ない、夫婦の会話。
それでもファナは愛おしそうにアロンを眺め、柔らかな笑みを浮かべた。
「ど、どうしたの?」
「ううん。……幸せだなって思って。」
アロンも顔を赤く染め、頷くのであった。
夫婦になって、初めて迎えた冬。
春も、夏も、秋も。
この冬を乗り越えるために一生懸命働いてきた。
忙しない日々を終え、短い冬は休息期。
その幸福をしみじみ噛みしめ過ごす。
帝都での決闘を終え、2週間。
いよいよ、ラープス村も本格的な冬の訪れとなった。
イースタリ帝国の冬は、短い。
芽吹きの春、天より恵みの雨を降らす初夏、作物が実りはじめる夏や初秋を経て、収穫の秋を迎える。そうして得た食料や燃料を備蓄し、2か月ほどの冬を乗り越えるのが一般的な村の在り方だ。
アロンが住むラープス村もその在り方から外れない。
村はここ数年続く好景気で、どの家庭も備蓄した食料は豊富であるため2か月程度の冬が3回続いたとしても誰一人として欠けること無く乗り切れるだろう。
それでも、釜土の火熾しや暖を取るための燃料や薪は限られている。
足りなくなった場合は、村の集会場や学校の倉庫に保管された薪を村長の判断で放出することもあるが、基本は蓄えた分でやりくりをするのだ。
そうした事情から、冬の間は学校も休校となる。
加えて、緊急時以外は村の運営業も休み。
短い冬は、新婚夫婦にとって初めて迎える蜜月だ。
「それ、大分進んだね。」
ファナは、アロンが進めている作業を指して告げた。
アロンの前に置かれる、括られた大量の藁半紙。
すでに劣化が進んでいて、気を付けて触れないと、藁半紙の外側からパリパリと砕け落ちてしまうほどボロボロだ。
アロンは、帝都で仕入れた高級洋紙に、その藁半紙に書かれた大量の文字を一字一句漏らさず書き写す作業を、村に戻ってきてからずっと行っている。
「うん。冬の間にしか出来ない作業だからね。それでも予定よりも大分早く進んでいるよ。」
両手を組み、一度伸びる。
高いVITとMNDのおかげか、集中しても余り疲れを感じることなく作業を進めることが出来ている。
アロンの作業。
それは幼き頃、VRMMOファントム・イシュバーンで経験した5年間と、向こうの世界で当たり前だった技術、“ウェブネット” から得たファントム・イシュバーン攻略情報を書きしたためたメモを、全て書き写すという作業だ。
イシュバーンに再び転生して、間もなく17年。
復讐を遂げるために、御使いから与えられた天命である超越者の “選別” と “殲滅” を成すために、得てきた情報や記憶の風化を恐れ、覚えていることを全て記録したのだ。
だが、その藁半紙も経年劣化で限界が近い。
レントール達への “復讐” を成し遂げたこの年の冬、書き写すには丁度良いタイミングと考えたのだった。
「それにしても……。」
ファナは少し顔を赤らめ、アロンが書き写し終えた藁半紙へと目線を送る。その藁半紙は裏返しになっているのだが……。
「……恥ずかしい。」
「そう言わないでよ。子どもだったボクが自由に出来る紙って、これしかなかったんだから。」
藁半紙の、裏側。
落書きのような、絵や文字が描かれている。
実はこの藁半紙、幼き頃にアロンやファナがお絵かきで使った物の裏紙だったのだ。
学校で使用するものや、こうした幼児の遊戯に使われる藁半紙は値段も安く手に入りやすい。それでも幼児だったアロンが自然に紙を手に入れる方法は、お絵かきなどで遊んだ後の裏紙くらいしかない。
遊んだ後、『宝物にする!』などアレコレ言ってはアロンが大切に持ち帰ったのが、この大量の裏紙という訳なのだ。
「ううー。何となくだけど、小さい時にアロンとの遊びって、こうしたお絵かきが多かった気がしていたけど……このためだったのね。」
アロンが書き写しの作業を行うということで、ファナも編み物をしながら一緒に居たのであったが、書き写しが終わる度に幼い頃に描いた絵や文字が見せつけられるという羞恥に晒される。
頬を膨らませてジト目で睨むファナ。
その表情にアロンは苦笑いする他無かった。
「当時はボクも恥ずかしかったんだよ? だって実際は17歳プラス5歳プラス、2、3歳だったから。」
“確かに、それは恥ずかしいかも!”
少し笑いかけたファナだったが、
「……でも必要な事だった。それ以上に、二度と会えないと思っていたファナとまた会えた嬉しさや有難さの方が、ずっと勝っていたから。」
恥ずかしそうに頬を掻くアロンの言葉に胸が高鳴る。
彼は前世でも、孤独な向こうの世界でも、そして生まれ変わり再びこの世界に戻った今でも。
想うのは、“ファナの事”
「それに向こうの知識を書く度、ファナを守らなければならない、ファナを幸せに導かなければならない、と決意を強くさせてくれたんだ。」
その藁半紙には色とりどりの絵の具が使われ、辛うじて “人” だと分かる絵が2人描かれていた。絵の下には、母から教えて貰ったのかたどたどしく “アロン”、“ファナ” と名前が書かれ、さらにその横には “けっこんしき” とまで書かれている。
「アロン、ありがとう。」
羞恥よりも愛おしさが強くなる。
顔を赤らめながら立ち上がり、アロンの唇に口付けをした。
「こちらこそ、ありがとう。」
アロンもまた、お礼とばかりにファナへと口付けを交わすのであった。
「……。」
「……。」
照れを隠すように、沈黙が続く。
最初に口を開くのは、ファナ。
「ララちゃん達……この雪でも大丈夫なのかな?」
再び、窓の外を眺める。
ああ、と頷くアロンもまた、ファナと同じ生姜湯を口に含んだ。
「ダンジョン内は外よりは温かいはずだよ。それにセイルさんもアケラ先生も一緒なんだ。無理は絶対にしない……と思う。」
ララは現在、修行のため【プルソンの迷宮】へ籠っている。
同行者はリーズル、ガレット、そしてオズロン。
それに村長アケラに、“次元倉庫” を有する荷物持ちとしても、回復役としてもメンバーの要となる超越者セイルも一緒だ。
――――
アロンとファナの二人は決闘を終え、帝国軍輝天八将筆頭 “大帝将” ハイデンの屋敷で一泊した後にすぐさまラープス村に戻ってきた。
決闘の前日含め、3日も帝都に滞在してしまった。
僅かな隙を狙ってアロンだけディメンション・ムーブでラープス村に戻り、セイルに帰れなくなったアロンとファナの代わりにララの面倒を頼みはしたが、当のララは通学中であったため会えず仕舞い。
コッテリと叱られるだろうと覚悟して戻ったアロンとファナを出迎えたララは、意外や怒っていなかった。
―― いや、多少は怒っていた。
それ以上に、兄と兄嫁に相談したい事、いや、何が何でも首を縦に振ってもらおうという決意を告げるのであった。
『私も、リーズルさん達も、兄さんの足手纏いにはなりたくない!』
『だから、私とリーズルさん達で、修行してくる!』
パーティーで最強の二人――、アロンとファナ抜きで、ララ含め6人だけでプルソンの迷宮に籠り、武者修行をしてくるという話であった。
季節は、冬。
ちょうど学校も休みに入り、村長アケラが主たる村の運営業も殆どが休業となるこの時期でしか出来ない武者修行。
だが、この話を聞いた時アロンは猛反対した。
超越者であり、レベル680の絶対強者となったアロンが同行するなら兎も角、“死ねば終わり” のただのイシュバーンの民であるララ達だけを送り出すなど、アロンには到底考えられなかった。
しかし、それを諭すのは同じ超越者のセイル。
セイル自身も超越者であり、“次元倉庫” 持ち。
だから大量の食料や夜営の道具などは幾らでも持ち込める。
しかもセイルは、僧侶系。
回復はお手の物。
―― 考えたくはないが、万が一の時は “蘇生魔法” がある。アロンもセイルも未だ、その魔法が “実際に人を生き返らせる” ところを見た事が無かったため、それに頼るという選択肢はアロンにもセイルにも無い。
さらに言えば、一度は完全攻略した迷宮である。
どこにどういうギミックが潜んでいるのか、マメなセイルは全てメモしていたため危険は最小限に抑えられると言うのだ。
何よりも、パーティーの平均レベルは250。
“邪龍” マガロ・デステーアとの修行と迷宮攻略でレベルが493となったララが頭一つ飛び抜けているが、それでも全員が連携取れれば下層まで問題なく進められるほどだ。
それこそ、最下層の地下30階にいる迷宮のボス “キュクロープス” も倒そうと思えば、倒せる。
だが、前回その直後に凶悪な天使系モンスター “ドミニオン” が出現した事を考慮し、最下層までは絶対に進まない。
“危険だと判断したら、すぐに引き返す”
“リーズル君たちには、絶対に無茶はさせない”
『この中で一番怖がりで弱い私が先導するんだから、行けても中層までです!』
“超越者” でも、同じギルドの仲間となり村の発展のために誠心誠意・全身全霊を以て働くセイルは、アロンにとって心底信頼できる相手。
決定的になったのは、プルソンの迷宮でドミニオンの死に際の一撃を、身を挺してファナを守ってくれたことだ。
いくら死なない超越者とは言え、咄嗟にそのような行動を取れるはずがない。
ギルドの仲間としても、村の仲間としても、セイルは無くてならない存在となった。
―― そうでなければ、アロンとファナ不在中に、ララの面倒を見てくれなどという頼み事など、出来るはずがない。
……それでも渋ったアロン。
踏ん切りの付かない過保護な兄にいよいよララも激怒しそうになったが……。
決め手は、ファナだった。
アロンの足手纏いになるという苦痛、不甲斐なさはファナが一番痛感している。
マガロに言われた言葉、そしてプルソンの迷宮や先日の決闘においても、ファナはアロンに迷惑を掛けっぱなしだった。
負担を軽くさせるつもりが、アロンの負担となる。
妻として、仲間としても耐えられなかった。
それでも、決闘したメルティやジンの卑劣な一手によって斃されることがなかったのは、一重にファナ自身が強くなった結果でもある。
文字通り、マガロとの命懸けの特訓の成果。
“強くなればなるほど、危険は避けられる”
理不尽な死神の気紛れすら、跳ねのけられる。
そのことを身を持って体感したファナの言葉には、得も言えぬ説得力と気迫があり、そもそも妻に若干ながら尻に引かれているアロンは、最終的にララ達の申し出を了承するのであった。
――――
ララ達が出発して10日目に当たる、今日。
「約束だと、そろそろだね。」
「そうだね。」
無事を確認するため、10日後の正午までには迷宮の外に出て、アロンと会う事が条件となっている。
間もなく、正午。
アロンは藁半紙を片付け、残りの生姜湯を飲み干し立ち上がった。
「行くの?」
「うん。きっと一緒には帰ってこないだろうから、無事を確認出来たらすぐ戻ってくるよ。ファナは?」
「私はお昼ご飯の用意をして待っているね。」
「もし入口に居なければ、ボクはそのまま迷宮に潜ることになっているけど……。」
不安そうに告げるアロンに、アハハ、と笑う。
「それは無い。絶対に無いよ。セイルが一緒なんだよ? 荷物全部セイルが持っているんだし、リーズル君たちが我儘言って迷宮に籠ろうとしてもセイルやララちゃんに逆らうなんて無理でしょ?」
「それもそうだね!」
ファナと一緒に笑いあうアロンだった。
そのままファナはアロンの正面に立ち、ギュッと抱き着く。
「……気を付けてね、アロン。」
「大丈夫だよ、すぐ帰って来る。」
自然と、唇を……。
「あらら! やだわぁ!」
そこに響く、甲高い声。
すぐさまアロンとファナはバッと身体を離した。
ダイニングの入口に立っていたのは、アロンの母。
リーシャだった。
「か、母さん!?」
「お義母様、いつお帰りで!?」
真っ赤に染まるアロンとファナを茶化すようにリーシャはフフフ、と笑う。
「えー? ちゃんと玄関をノックして、ただいま、って言ったんだけどなぁ。」
嘘である。
家に残した若夫婦の二人がアレコレしていることを期待して、出歯亀しようと悪巧みしていたのだ。
「ん? どうした、みんな。」
その後ろから声を掛けてきたのはアロンの父。
ルーディン。
頭髪は白髪が増えてきたが、元帝国軍百人隊長を歴任した強靭な肉体は未だ衰えを知らない。
そんなルーディンに、リーシャはフフフと厭らしい笑みを浮かべる。
「聞いてよ。アロンとファナちゃんったら……。」
「母さん!!」
「お義母様!」
慌てて止める、二人だった。
父ルーディンと母リーシャは、老いた祖父母の跡を継いで行商人として帝国内を行脚している。
元百人隊長であった父は寡黙ながらも腕っぷしは確かであり、護衛である冒険者を随伴させても実力は彼の方が高いため、休憩中や夜営の空いた時間に彼らの特訓に付き合うなどしている。
また母リーシャもまた、護衛の冒険者へ食事を振舞うという “特典” を付けている。これはリーシャの父母、アロンにとって祖父母が行商人時代から続けていたサービスだ。
本来、護衛とは言え冒険者は自分たちの食事は自分たちで用意するのが常識。
それを加味した報酬が支払われるから、当然である。
それでも “どうせ食事を摂るから同じ事” と振舞うリーシャ達。
その食事は、乾パン、干し肉、干し果実、そして水で薄めた果実酒といった携帯食料がメインである冒険者たちの胃袋を鷲掴みにしたのは言うまでも無い。
元百人隊長が修行を付けくれて、旨い食事まで付く。
得られる報酬は、正規の護衛と同じ。
ルーディン達の行商護衛は、ラープス村近隣の町村だけでなく帝都でも人気が高く冒険者内で取り合いになるほどであったのだ。
ただし家族経営の行商人も冬の間は事業を行わない。
それに、行商の馬はリーシャの生まれ故郷である隣町の住む祖父母の所有であり、また大切な馬を冬の季節に無理を強いる事は出来ないといった理由から、彼らもまたこの季節は休業だ。
約2か月の間はルーディンもリーシャも、自宅でゆっくりと過ごせる。
―― 嫁であるファナからすると、義理の父と母であるルーディンとリーシャは幼い頃から良く知るアロンの両親であり、行商という何時盗賊やモンスターに襲撃されるか分からない危険が付き物の生業から、気が気でならない。
だからこうして冬の間に戻って一緒に過ごせることは、嬉しくもある。
だけど……。
ちょうど今、義妹のララは迷宮に籠っている。
もしこれが冬の間でなければ、家にはアロンとファナの二人きり。
まさに、蜜月だったはず!
嬉しい反面、微妙な気分。
しかも義母リーシャは、時折こうしてアロンとファナを茶化してくる始末。
「お義母様は、本当に意地悪です!」
「怒った顔も可愛いわねぇ、ファナちゃんは。」
「もぉ!!」
拗ねるファナを眺め、アロンは愛する妻と無事に戻ってきた両親と過ごせる冬に幸せを噛みしめるのであった。
◇
「あ、来た来た! おーい、兄さんー!」
“プルソンの迷宮” 入口前
ディメンション・ムーブで移動してきた、いつもの黒銀全身鎧に身を包んだアロンに大声で呼びかけるは、妹のララだ。
バチバチッ、と音を立てる焚火を囲み暖を取るララ達の無事な姿を見て、アロンはホッと息を漏らした。
「みんな、無事で良かった!」
「言ったでしょー。心配し過ぎなのよ!」
安堵するアロンの声に、ララがムスッとして答える。
「まぁまぁ、ララ。そうは言ってもダンジョンは危険が付き物だっていつも師匠が言っているだろ? 油断せずにまた頑張ろう。」
そんな憤りを見せるララに、隣に腰かけるリーズルが微笑みながら告げると、ララは顔を茹蛸のように真っ赤に染めあげ、モジモジしながら小さく「はい」と答えるのであった。
(……ん?)
―― 妙に、二人の距離が近い。
少しモヤモヤするアロン。
それだけでなく、同年代、年下の女性に対してはファナ以外には “ちゃん付け” を一貫していたリーズルが、ララを呼び捨てにしたことも何か引っかかる。
「アロンさん、次元倉庫に空きはありますか?」
そんなアロンに声を掛けるは、セイル。
「ん? ああ、十分余裕がありますよ。」
「良かった! じゃあこれ、お願い出来ますか?」
そう言い、セイルは空中に手を突っ込み、次元倉庫内から何かを取り出した。
それは……。
「げっ!?」
「すみません……ストック数も重量も、一杯になってしまったので。」
照れるセイルが引っ張り出したのは、大量のモンスターの素材。
シェルタイガー、パラライズエイプ。
それに集団で出会すと上位冒険者でも危険なミスリルアントに御馴染みオーガジェネラルなど、凶悪なモンスターのものばかりだ。
「これは……凄まじいですね。」
「す、すみません!」
その素材だけで、人の背丈ほどの山が出来た。
それだけ大量のモンスターをララ達が退治したことになる。
アロンは感心しながら次元倉庫を開き、一つずつ放り込み始めた。
その中に、一つ。
異質な光を放つ素材が……。
「これは! まさか、シュテンドウジ!?」
“シュテンドウジ”
オーガジェネラルの変異種、レアモンスターだ。
先日プルソンの迷宮に挑んだ時にも遭遇し、リーズル達が連携の末に辛うじて倒した相手。それがここにあるという事は、リーズル達だけで再び倒し切ったという意味でもある。
それだけでなく滅多に遭遇することが無いレアモンスターに、二回立て続けに相まみえたリーズル達の運の良さ……むしろ、運の悪さに愕然となった。
―― 滅多に遭遇しないとは言え、出現する可能性はゼロではない。そのことを考慮し、アロンはララ達に “遭遇したらララのスキルで足止めして、なるべく撤退するように” と告げていた。
それがまさか、再び遭遇しただけでなく倒したという事実に、驚きと感動を覚えた。
「あいつ、モンスターのくせに喋るしスキル放つし大変だったけど、妹様の足止めが効いてからは余裕だったなぁ。」
「よく言うぜ。ララが飛び出さなきゃお前がやられていたんだぜ、ガレット。」
「な、なにおぅ!? そういうお前も妹様が飛び出した時、アホ丸出しで慌ててたじゃねーか。」
「だ、誰がアホ丸出しだ!」
言い合い、掴み合うリーズルとガレット。
『ゴゴンッ』
「あだっ!」
「いてっ!」
ちょうど、ガレットの隣に座っていたアケラが立ち上がり、掴み合う二人の頭を小突いた。
「貴方たちは本当に成長しませんね! アロンさんに連れて帰ってもらいましょうか!?」
「「す、すみません、先生―!」」
怒声を上げるアケラに、土下座の勢いで謝る二人。
そんな二人を、ククク、と嗤うオズロン。
「ダンジョン内でもこんな調子だったんですよ、アロン様。この10日間、本当に苦労しましたよ……。」
「「オズロン、てめぇ!」」
「いい加減にしなさいっ!」
見慣れたやり取り。
苦笑いしながらも、全員が身体だけでなく、精神も無事であることに胸を撫でおろすアロンであった。
◇
「じゃあ、まだ潜る予定なんだね。」
セイルが出した素材を引き取ったアロンは、ファナから託された料理や食材、ポーションなどをセイルに渡しながら尋ねた。
その言葉に頷く、リーズル。
「ああ。せっかくの機会なんだ。出来る限り強くなってから帰りたい。」
先ほどアロンが “愚者の石” で鑑定したところ、リーズル、オズロンの2人はレベル300にまで達し、ガレットとアケラは280、セイルは270であった。
―― ララは一人だけ高レベルということもあり、2しか上がって居なかったがそれは仕方が無いことだ。
それに、アロン式の鍛錬も同時に行っている様子。
そのためステータスの振り分けも上手く行っている。
この中で一番成長したのは、セイルだ。
超越者は、他の者と違ってステータスの振り分けが自由に行える。つまり、ステータスポイントを無駄にストックし続けることが無い。
今回、迷宮に潜る前のセイルのレベルは190だった。
たった1週間で、80も増やしたことになる。
得られたステータスポイントは、480にも達する。
セイルが、急激に強くなれた理由――。
「アロンさんのおかげです。」
「いやいや、セイルさん自身の実力と努力です。」
前回、装備出来なかったナックルをグッと握りしめて笑顔で告げるセイルに、これまた笑顔で応えるアロン。
セイルは、転職をした。
僧侶系上位職 “武僧”
この世界では望むことが出来ないと諦めていた転職をセイルは遂げたのだ。
後方支援がメインとなる僧侶系は、他職に比べてレベリングが難しい。
攻撃手段が限られているため、他職とパーティーを組んで経験値の共有をしなければ満足にレベルアップなど出来ないのだ。
ダメージソースとして期待出来ない=モンスターの撃退に時間が掛かり、結果としてパーティー全体のレベリングにも支障をきたす。
“僧侶系が強くなければ、パーティーも弱い”
貴重な回復役。
僧侶系の強化はそのままパーティーの生存率にも繋がり、ダンジョン攻略にもギルド戦にも、その勝敗を分ける重大なキーマンとなってくる。
“それは分かっている”
分かっているからこそ、何とも歯がゆいジレンマが他職にはあるのだ。
―― だが、それも僧侶系が “武僧” になるまでの話。
武僧に転職すれば、武闘士系と薬士系しか装備出来なかったナックルが装備可能となり、通常攻撃や得られるスキルによって十分なダメージソースが期待できるため、パーティー全体の戦力増強に大きく貢献できるようになるのだ。
もちろん、回復役としても……INTを上げられる杖やロッドを装備しない代わりに回復量は下がってしまうが、それでも十分にその任を果たせる。
攻守共に優れ自身や味方に強化魔法まで掛けられるようになり、回復役も十分に果たせる。
全8種の基本職の内、24種の上位職。
その中で “最強” と呼ばれる理由が、そこにあった。
「まだまだファナには追い付きませんが、精一杯頑張ります!」
「……セイルは十分強くなったと思うけどね。」
アロンに力強く宣言する横で、オズロンがボソリと零した。
セイルはそんな彼をジト目で睨む。
「……まだまだ、です。」
「はぁ、いつまで引っ張っているのやら。」
オズロンが言わんとしているのは、前回のプルソンの迷宮での失態。
だが、それは責めているのではなく、“いつまでも引き摺らないで前を向け” というオズロンなりの励ましでもある。
だが皮肉にしか聞こえないのは、オズロンの言い方の所為だ。
「……私、は。」
「そこまでです。そういうつもりで言ったわけじゃありません。」
落ち込みそうになったセイルに、すかさずフォローするオズロンであった。
その姿を見たアロンは、
(この二人も……なんか、変わったな。)
アロンやファナにしか見せない弱音をオズロンに吐くセイルに、他人を見下しがちな皮肉屋のオズロンがその彼女をフォローする姿に新鮮味を覚えるアロンであった。
◇
「あと1週間籠ったら自力でラープス村に戻るから、心配しないでね!」
「……本当に大丈夫?」
焚火を片付け、再び迷宮内へと潜ろうとするララ達。
“1週間後の同じ時間帯に向かえに来ようか?” というアロンの提案に、ララが首を横に振った。
「まぁ、本来は徒歩や馬車の移動が基本ですからね。いつまでもアロンさんに頼り切るという訳にはいきませんし。」
アケラも自力で戻ることに肯定的だ。
―― アロンのディメンション・ムーブで移動することが異常であり、移動に時間が掛かるのは常識なのだ。
アロンに頼り切ることは、いざと言う時に自分たちが困る事に繋がる。本職は冒険者では無いとは言え、通常の移動手段でラープス村を離れることも大いに考えられるのだ。
その時に当たり前になるのが、野宿であり夜営だ。
その感覚を、経験を、積まねばならない。
「季節は冬ですからね。怖いのは盗賊やモンスターだけではありませんよ?」
「もちろん分かっていますよ。ちょっと外れますが、途中、町へ立ち寄るつもりいます。」
ただ、何が何でも野宿に拘るわけではない。
冬――、特に雪が降るこの季節のため、馬車は本数が限られており徒歩が強いられる。そのため、馬車で3日の行程が倍以上になり、雪の所為でさらに掛かるかもしれない。
アケラとしてはその見極めの訓練にもなるし、途中に立ち寄った町で補充がてら休息することも織り込み済みだ。
それを聞いて多少安心するアロン。
黒銀の鉄仮面を被り、頷いた。
「分かりました。油断せず気を付けてください。」
「「はいっ!!」」
「あと、先ほど言った通り預かった素材は集会場の倉庫に保管しておきます。ある程度は仕分けをしておきますが、扱いはセイルさんを中心にみんなで考えてください。」
「ありがとうございます、アロンさん。」
それだけ確認し、アロンは手を振りながらディメンション・ムーブでラープス村へと戻るのであった。
「さぁて、迷宮攻略、行ってみましょう!」
「「「おおおお!」」」
―― アロンには、内緒にしている。
ララ達は、中間地点である15階層から遥かに進み、実は25階層まで辿り着いたことを。
“最下層まで行かなければOK”
彼との約束を、拡大解釈して限界まで挑戦しようとする面々であった。
◇
「アロン! あんた今までどこへ行っていたの!?」
ディメンション・ムーブで自室に戻り、“装備換装” で普段着に着替えたアロン。
部屋を出るや否や、母リーシャに声を掛けられた。
「ちょっと散歩に。さっき戻ってきたんだけど?」
「ただいま、くらい言いなさいよ!」
「……母さんに言われたく無いなぁ。」
ジト目で睨むアロンに、横を向いて口笛を吹いて誤魔化す母。だが、「それよりも!」と慌てて切り出す。
「あ、あんたに、お、お、お客様と、手紙が!」
「お客様と、手紙?」
廊下で騒ぐリーシャの声に気付き、小走りでファナも近づいてきた。
「アロン! 大変なの!」
「どうしたの、ファナ!?」
青褪めて近づくファナの様子に、ただ事ではないと身構えるアロン。
―― ファナの手には、一通の手紙が握られていた。
「それは?」
「いいから! すぐこっちに来て!」
ファナに手を掴まれ、引っ張られる。
向かう先は、ダイニング。
そこに居たのは――。
「やぁ、アロン殿。お邪魔しているよ。」
「バ、バ、バルト将軍!?」
腰を掛けて優雅に茶を啜るは、ちょび髭の紳士。
帝国軍輝天八将 “蒼槍将” バルトであった。
すぐさま跪くアロン。
「お待たせしてしまい大変申し訳ございません、バルト将軍!」
慌てて取り繕うが、バルトは笑いながらアロンを立つよう促した。
「突然押しかけたのは私の方だ。本来なら訪問の旨を伝えてから伺うのが筋だが、急を要してね。」
そのままアロンを、正面に座る父ルーディンの隣に座らせた。父は――、元百人隊長の猛者である父は、完全に硬直している。
一介の百人隊長が将軍との謁見するなど夢のまた夢。
それがどうしてか、この真冬の雪積もる田舎村に、それも我が家の息子に会いに来るのか全く理解が出来ず思考停止に陥ってしまっているのだった。
「早速だが、君に令状を携えて馳せ参じた。奥方にお渡ししたが……。」
バルトは、アロンの隣に立つファナを見た。
ファナは「ひゃい!」と噛みながら、手に握っていた手紙をアロンへと渡した。
「これは……!」
その手紙の封蝋に刻まれた、印璽。
アルマディート侯爵家の紋様。
つまり。
「ハイデン様からの……。」
「左様。」
茶を啜り、バルトは目を細めて頷いた。
固唾を飲みこみ、アロンは、
「失礼、します。」
そう断り、丁寧に手紙を開いた。
その内容を読み、アロンは驚愕し。
――― そして、怒りに顔を歪めた。
「……サブリナ。」
「そうだ。」
苦々しく伝えるバルトの表情からも、その手紙に書かれている事が事実であると訴えていた。
「ハイデン様も私も、対処できるのは君しか居ないと考える。どうか手を貸してくれないだろうか。」
そう言い、深々と頭を下げた。
「バルト将軍!?」
その光景に驚愕するは、父ルーディン。
あり得ない状況に、半分、気を失ってしまった。
「頭をお上げください、バルト将軍!」
呆ける父は放って置きアロンはバルトに頭を下げた。
「では……。」
恐る恐る、といったバルト。
―― かつて、皇太子ジークノートや魔戦将ノーザンの誘いにも頑なに乗らなかった変わり者、それがアロンという男だ。
それが偶然、帝都の冒険者連合体でジークノート達と出くわし、決闘にまで発展。その結果、前代未聞の “超越者殺し” を為した男。
ハイデン曰く、『アロンはこちらの味方』だ。
彼がハイデンに語った話。
“イシュバーンから向こうの世界へ転生し、再びこのイシュバーンへと舞い戻った”
“超越者によって蹂躙された家族や村を守るため、御使いから与えられし天命を全うするため”
アロンの、天命。
超越者の “選別” と “殲滅”
その話を聞かされたバルトは、涙を流し神に祈りを捧げた。
それは、彼だけでない。
同じ将軍位のライザースも、メッサーラも、あの飄々としているタチーナも、同じように身を震わせながら歓喜を露わにした。
傍若無人、放辟邪侈、傲岸不遜。
そんな言葉が当てはまる不死の存在、超越者。
それを殺害できる存在。
それが、アロンだ。
だが、それは同時に脅威でもある。
超越者が優遇される背景は、三大国の戦争だ。
もしアロンが徒に帝国の超越者だけを “殲滅” してしまうと、あっと言う間に帝国は聖国・覇国に蹂躙されてしまうだろう。
超越者がいるからこそ。
超越者同士が争うからこそ。
互いの陣営が奇妙なバランスを保っている事は、否定できない。
しかし、ハイデンはアロンの危険性についてはかなり楽観視している様子だった。
アロンという男の、本質。
“守る者がいるために、その剣を揮う”
信念や決意を強く宿し、世界に害を成す超越者だけを駆逐すると確信する。
その結果で帝国だけ被害を受けるなど無い、とハイデンは強く伝えた。
それほど、英雄ハイデンはアロンという男に全幅の信頼を寄せている。
―― バルトはかつて、現皇帝と共にハイデンのギルドに所属し、冒険者としても帝国の万人隊長としても武勇馳せた。
“蒼槍将” となった今でも “大帝将の懐刀” と称される彼は、ハイデンに対して崇拝と言っても過言でないほどの信頼と尊敬の念を抱いている。
その崇拝するハイデンが “養子に迎え、いずれ大帝将の座を譲り渡したい” とまで真剣に考える、男。
超越者曰く、【暴虐のアロン】
その男の真価は、バルトも実際に目撃した。
あの決闘の日。
例え超越者だろうと、絶命必至のジンの一撃。
さらに骨すら残さないだろうメルティの獄炎魔法。
それらを受けても致命傷に至らず、立ち上がった。
その圧倒的な姿と実力。
まさに、以前レイザー達から語られた存在だ。
“向こうの世界で、最強と呼ばれた存在”
―― それが、アロンという男だ。
「どうだろうか?」
一抹の不安。
そして期待をかけるバルトに、アロンは静かに頷きつつも、力強く告げた。
「お任せください。」
季節は、冬。
世界は、“最強” と呼ばれた存在を知る。
次回、1月9日(木)掲載予定です。