第5章幕間(2-1) 黒鎧の将は苦労を重ねる
【お知らせ】
「幕間」なのに長くなってしまったので2話に分けました。
続きは明後日(25日)に掲載いたします。
“アガレス平原” の悲劇から、2日後。
イースタリ帝国とウェスリク聖国との境界線。
“ウァサゴ渓谷”
赤茶色の風化した岩肌。
その隙間を縫うように毒水――、多くの鉱物を含んだ赤茶の鉱泉があちこちから湧き出てる、作物も木々も育たない不毛な大地。
ここもまた、大迷宮を除くと “最難関” とされる3つの迷宮の内の一つ、帝国側に存在する “ウァサゴの迷宮” に近いため、そのような名前が付けられた。
―― 元々 “ウァサゴの迷宮” は聖国に存在した。
5年前に発生した “聖国の大飢饉” を契機に侵攻を強めた帝国によって簒奪された、元は聖国領地であった場所だ。
本当の境界線はこの渓谷よりもまだ東側、“グシオン湿原” と呼ばれる肥沃なエリアであり、帝国と聖国の戦争は、まさにその湿原を巡っての戦いとも言えた。
そこに、“聖国の大飢饉” が発生。
人でも糧秣も満足に確保することができず、また帝国との戦線よりも、覇国との戦線が “狂人” サブリナの手によって甚大な被害を被ったことを受け、聖国軍を覇国との境界線 “ガミジン渓谷” へと集中せざるを得なかった。
その結果、グシオン湿原の境界線は聖国側――、西へと追いやられ、帝国にグシオン湿原付近の町村を併呑されたうえに “ウァサゴ渓谷” まで押されてしまった。
“ウァサゴ渓谷” は、聖国側へと長く伸びる。
だが、その広大な大地の土と水は鉱物を多く含むため作付けすることが出来ず、日照りの続く聖国の中で湧き水があっても、何の足しにもならない。
皮肉なことに帝国にとってもその不毛なウァサゴ渓谷は奪っても旨味があまり無かったため、そこで侵攻を止めた。
戦略的な側面で言えば、ウァサゴ渓谷全域を押さえてしまえば聖国の中枢である都市部への侵攻の拠点ともなるため、むしろ積極的に攻めるべきだった。
―― だが、それでも侵攻は止まった。
“もちろん、時期が来たら侵攻を強める”
その決定は、現皇帝が下した。
聖国への侵攻を一旦止め、奪った聖国領地、特に肥沃なグシオン湿原周辺の安定政策を最優先としたのだ。
この決定に、将軍位や部隊長といった帝国軍将校たちからは異論が多数噴出したのも無理はない。
それでも皇帝の決定に最後まで異を唱えることは叶わず、結果、ウァサゴ渓谷を聖国との新たな境界線として陣を構えることになってしまったのだ。
『不毛な大地とは言え、聖国陥落にはむしろ重要な地点では無いか。』
『ウァサゴ渓谷を超えれば海に面した町もある。海産物拠点の一つを押さえれば戦略的にも有利になるだけでなく、帝国内の食料事情も潤うはずなのに。』
『領地を簒奪すればするほど、反対側の覇国との争いも有利に進む。』
『勇猛馳せる陛下の判断とは、とても思えない。』
かつて、英雄ハイデンと共に冒険者として世界を駆け巡った偉大な現皇帝は、“武人皇帝” として帝国兵だけでなく荒くれ者の冒険者にも慕う者が多い。
――ある、皇族の一人は言う。
『それは陛下の判断では無い。』
『神託が、下ったのだ。』
真相は、謎に包まれている。
◆
「お機嫌は麗しゅうございますか、殿下。」
“ウァサゴ渓谷” 対聖国本陣営。
数々の帝国兵たちが休む天幕が立ち並ぶ中、一番豪勢で大きな天幕の中。
手揉みしながらニコニコと笑うは、多くのギルドを取りまとめる冒険者連合体の中で、最も威厳と規模を誇る帝都本部の、連合長だ。
かつて “Aランク” の冒険者だった彼。
その当時の姿は、今や見る影もない。
真っ白のチョビ髭を生やし、頭皮は薄く輝いている。
胴回りは樽のようにでっぷりとしており、着飾る豪華な装いがまるで成金のようにも見えてしまう。
そんな彼が遜る相手。
テーブルに肘を着き、合わせた両手に額を付けて項垂れる茶髪の端正な青年だ。
明日、激突する聖国の蛮族共との戦闘を指揮し、また自身も “超越者” として、その秘められた絶対的能力で蛮族共を蹴散らすだろう、ということが期待される、次期皇帝と呼び名の高い男。
第一皇太子ジークノートだった。
「あ、ああ。問題ありません、連合長さん。」
ジークノートは顔を上げ、口元を緩めた。
――だが、目は笑っていない。
まるで、痩せ我慢している様子だ。
連合長として海千山千の相手をこなす彼にとって、いくら前世と今世合わせて長い年月を生きる超越者と言っても、まだまだ若造。
(緊張しておいでか。)
恵比須顔のまま、連合長は静かに頷く。
「殿下は明日、初陣を飾られます。些か肩に力が入っておいでかな? どうでしょう。よろしければ将校たちの会議が終わり次第、一席設けましょうぞ。」
そして、ススス、とジークノートに寄る。
(よろしければ、綺麗どころもご用意しますぞ。)
その囁きにジークノートは身体をビクッと震わせた。
「いや、いい。」
再び項垂れるようテーブルに目線を下げ、呟いた。
その様子に、“しまった” と内心焦る連合長。
「や、まぁ殿下! 冒険者たちも殿下と共に戦える事を心待ちにしております! 特に、超越者である冒険者たちは殿下に羨望を抱いている様子ですぞ!」
精一杯、取り繕うが……それでも顔を上げないジークノートに、益々焦燥する。
コホン、と一つ咳払いをして笑みを深めた。
「冒険者と言えば……。殿下はご存知ですか?」
その言葉に、ジークノートは顔を上げた。
多くの冒険者を、ギルドを束ねる連合長が何を知っているのか。
不安と焦りがジークノートを包むが、連合長は気付かず続ける。
「殿下らを指して人は “黄金世代” と呼びますぞ。」
「黄金……世代?」
初耳である。
ジークノートの反応があり、嬉しそうな連合長。
「左様ですぞ、殿下。貴方様の世代は長い帝国の歴史でも類を見ないほど、神々の使い……即ち、我らの希望である超越者が多く生まれ、しかも優秀な方が揃っております。」
“超越者” は、人口規模から見ると極僅かしかいない。
帝国の超越者優遇制度によって各地に誕生した超越者は帝都へ移住させられるのだが、その人数は年間2人から3人。
少ない時は1人、中にはゼロという年もある。
だが、ジークノートの世代は前代未聞の5人。
次期皇帝の第一継承権を持つ第一皇太子が超越者、しかも “神” の名を冠する職業を有するという奇跡。
しかも、帝国の実質No.2である宰相ことマキャベル公爵の第二令嬢も、ジークノートと同じ年に生まれた超越者であり、その職業も “神” の名を冠していた。
“国母神が遣わした、神の子ら”
ほどなくして、二人は婚約者として結ばされた。
「殿下に、御婚約されましたレオナ様。それに、御学友であるジン殿にメルティ殿!」
連合長は自分の事のように嬉しそうに語る。
「さらに、我が帝都本部に加盟しているギルドの冒険者、“癒しの黒天使” ことセイル嬢もおりますな。最近は各地を放浪され修行中との噂ですが、セイル嬢の活躍は私も鼻が高くなりましたぞ。確か彼女も殿下の御学友でしたな。いやはや、あれだけの美女揃い。殿下が羨ましい……、おっと、失言でしたな。」
お茶目に片目を瞑り、ニッと笑う。
褒め称えただけでなくジョークも交える。
これで “少し女癖が悪い” と噂される年頃の皇太子も乗ってくるはずだ、と考える連合長だったが……。
「……。」
ジークノートは塞ぎこんだままだ。
グッ、と一瞬顔を顰めるが、すぐさま笑みを戻し連合長は続ける。
「御学友と言えば、ジン殿も冒険者登録をなされましたな。帝国軍万人隊長を率いるオルト殿の “巨木の大鷲” に加入なされたのは流石、超越者の中でも将来有望だからかと。そう言えば、ジン殿もメルティ殿も、殿下直属の補佐官に内定されたそうですな!」
“ジン” 、そして “メルティ”
「レオナ様も以前、冒険者登録なされましたが……、あのお美しいレオナ様と御婚姻される殿下の将来は盤石ですな。もちろん、我ら帝国の臣民一同も着いてまいりますぞ!」
“レオナ”
「連合長……。」
か細い、ジークノートの呟き。
「すまないが……。一人にさせてくれないか。」
「へっ、えっ? 殿下??」
そう、連合長が。多くの帝国民が知るわけ無い。
ジークノートとレオナが、婚約を解消した事を。
レオナは、公爵家と絶縁し姿を晦ました事を。
セイルは、アロン獲得の諍いで “蒼天団” を脱退した挙句、高等教育学院も退学してどこかへ旅立ってしまった事を。
メルティは、気を狂わせ閉じ籠っている事を。
ジンは、すでに帰らぬ人となった事を。
知るわけが、無い。
(何が……盤石だ。)
“黄金世代” などと呼ばれるのは皮肉でしかない。
今や、その世代はジークノートただ一人。
(どうして……こうなった。)
“決まっている”
――― 全ては、【暴虐のアロン】の所為だ。
『ガンガン』
突如、天幕の外に吊るされた呼び板が叩かれた。
「……殿下、私が出ましょうぞ。」
“一人にしてくれ” と突然告げられ、あたふたしていた連合長は襟を正して入口へと歩みを進めた。
(先ほどのおしゃべりで、気分を害されたのかもしれない。)
連合長は、この来客で有耶無耶に出来るだろうと考え、天幕に付けられたドアに近づき「どなたかね?」と尋ねる。
すると。
『俺だ。』
短い言葉。
しかも、無礼極まりない。
眉を顰め、一瞬躊躇する連合長。
もう一度 “誰かね?” と尋ねようとするが……。
天啓のように、尋ねてきた人物が浮かんだ。
“ここは、皇太子殿下の天幕”
“幕僚や将校が詰める可能性もある”
それにも関わらず、『俺だ』と名乗る者。
つまり、それが許され、もっと言えば “この場で、それで通じる者” が訪れたという証拠だ。
連合長は慌ててドアを開いた。
そこに立っていた人物を目にして、自分の予想が正しかったと安堵すると同時に、深々と頭を下げた。
「遠路お疲れ様でございます、レイザー将軍!」
ドア越しに立っていた人物。
全身を艶やかな黒一色で覆われた鎧を纏う者。
曰く、“帝国最強の男”
帝国軍輝天八将 “黒鎧将” レイザーであった。
「これは帝都本部の連合長殿。貴殿の迅速な手配による冒険者の参集に心より感謝を申し上げる。」
レイザーは丁寧に述べ、片手を出した。
慌ててその手を両手で握る、連合長。
「も、勿体なきお言葉! 戦時となれば帝国のために参集するのが我ら冒険者の勤め!」
「冒険者もまた、帝国兵。貴方達の働きには期待している。もちろん、十分な見返りは用意するつもりだ。頼むぞ、連合長殿。」
そう言い、レイザーはジークノートの前に立った。
「殿下。遅くなりましたが到着いたしました。」
「あ、ああ……。」
顔を上げ、引きつるように呟くジークノート。
するとレイザーは、後ろに立つ連合長へと顔を向けた。
「連合長殿。これより少々込み入った話をする。すまないが席を外して欲しい。」
「は、ははっ!」
目一杯、頭を下げてから「失礼します!」と大声で延べ、慌てて天幕の外へと飛び出す連合長であった。
「ふぅ。」
満天の星空を眺め、連合長は一人ぼやく。
「初陣というのに、心非ずの殿下には困ったものだ。まぁ、それでも……。」
“尊大な態度を取る超越者よりは幾分マシ”
レイザーは人格者だが、同じ将のノーザンやアイラは人格破綻者。
帝国軍や冒険者にもそれなりに居る超越者も、大抵が優れた人格者とは言い難い、どれもこれも “ならず者” と評しても可笑しくない社会不適合者ばかりが揃う。
―― 連合長は、明日の戦闘には参加はしない。
それでも早く寝よう、と考えるのであった。
◇
「まだ落ち込んでいるのか、お前は。」
連合長が退出した途端、普段の態度となるレイザー。
その言葉に、はぁ、と溜息を漏らすジークノートだ。
「レイザーさん……。ジンが、殺されたんだぞ?」
苦々しく顔を上げ、呟く。
今度はレイザーが溜息を吐き出した。
「そうなってしまった原因は、俺もお前も、ジンもメルティも想像力が乏しかったとしか言いようが無い。……ジンには悪いが、決闘を言い出したのは奴だ。自業自得でもある。」
辛辣なレイザーの言葉に、思わず立ち上がる。
しかし。
「ここで俺と言い争っても何にもならんだろ? それよりも、ジンの件はしばらく伏せておく事で決定した。アロンの真意や処遇含め、あらゆる配慮をしなければならないからな。」
「あんな奴、裁けば良いじゃないか!」
言い争いを諫められた直後だというのに、激高するジークノート。
しかし、レイザーは首を傾げ、冷静に告げる。
「裁く? ……理由がない。むしろ、それで下手を打って殺されるのは御免だな。それにアロンは超越者を殺せるだけじゃないぞ? ジンの一撃、メルティの一撃を生身で耐え抜くほど、異常に強い。」
その言葉に、ジークノートは両手をテーブルに着いて伏せた。
「だが……ノーザンさんは……。」
「ノーザンの馬鹿とはもう関わるな。奴が向こうの世界でどういう人物だったか、そしてこの世界でもどういう事を仕出かしているか、知らんわけではないだろ?」
ノーザンの悪名。
それは知っている。
そして、どうしてか自分を毛嫌いしていることも知っている。
“嫌われたくない”
“嫌われてはいけない”
“何故なら”
“自分は、次期皇帝だから”
「……分かった。」
顔を伏せながら、返事をするジークノート。
安心したように、レイザーは一つ頷いた。
「さて、俺としてはゆっくり休みたいのだがな。明日はもう聖国の連中とやり合う。兵力は互いに6万だそうだ。率いる将は、“聖天十二騎士爵” の第一歩兵隊長クラークと、重盾隊長イセリアの2名だ。」
「クラークと、イセリア……!?」
目を見開き、顔を上げるジークノート。
ふぅ、と息を吐き出しレイザーは首肯した。
「そう。あのクラークと、あのイセリアだ。」
「まさか……奴等も、転生していたのか!?」
VRMMOファントム・イシュバーン
聖国陣営、最強ギルド。
全ギルドランキング “1位”
【ヴァルハラ】
サブギルドマスター。
戦士系覚醒職 “竜騎士” クラーク
そして、“ヴァルハラ” と絶えず首位争いをしていた、聖国陣営のもう一つの最高峰ギルド。
全ギルドランキング “4位”
【ネバーアイランド】
ギルドマスター。
重盾士系極醒職 “神剛将” イセリア
“最強” を率いていた一人と、その好敵手。
ギルド戦である、攻城戦で何度も闘い、互いに辛酸を舐めさせられた強敵たち。
「今……どれほど強いんだろう?」
思わず呟くジークノート。
「知らん……が、一つだけ言えることがある。」
レイザーは深い溜息を吐き出し、告げた。
「聖天十二騎士爵に選ばれるような奴等だぞ。弱いわけがない。」
グッ、と拳を作るジークノート。
その目は、少し輝きを取り戻したかのようだ。
「レイザーさん。先日、私に言いましたよね。戦争を止める夢は、相手に届かなければ妄言だと。」
「ああ、そうだったな。」
“世界中の転生者たちが手を取り合い、古来より続くこの戦争を止める”
“そのために、女神に選ばれこの世界へ転生してきた”
未だ、それを信じ抜くジークノート。
その瞳を見て、レイザーは察した。
「おい。まさか……説得するわけじゃ無いよな?」
「説得します。彼らも向こうの世界を……平和な世界を知った転生者。この血みどろの戦争が異常だと理解できるはずです。だから……。」
「説得に応じなかったら?」
冷たく言い放つレイザーに、ジークノートはしっかり答える。
「力で、抑えます。」
“自分には、それが出来る”
ジンとメルティと共に、帝都近くのダンジョンで鍛え、現時点でジークノートのレベルは245もある。
そして、魔法系の基本であるINTにステータスの多くを振り分け、現在、数値は600。
SPは627,200もある。
―― その気になれば、“秘奥義” も発動可能だ。
「力で、ねぇ。」
レイザーは肩をすくめた。
「力で従わせるというのは悪手だ。相手は死なない超越者だぞ?」
「殺すつもりはありません。私の、召喚魔法で戦意を失わせるだけです。」
「……好きにしろ。」
“これ以上言っても無駄だ”
レイザーは諦め、背を向けた。
「俺は明日に備えてもう寝る。お前も早く寝ろ。」
「そのつもりです、レイザーさん。」
自分のやるべきことを、改めて決意する。
ジークノートは、そうする中でいつかメルティが正気を戻し、レオナもセイルも戻ってくると確信する。
―― アロンやレイザー達に “お花畑” と称される思考回路と、本人だけが気付いていないのだ。
「あ、そうだ。」
ドアの前でレイザーは立ち止まり、ジークノートへと顔を向けた。
「殿下。アイラに慰められたみたいだな?」
その言葉に、ジークノートは全身をビクッと震わせ、みるみる顔を赤く染め上げた。
「なっ、ぜ、いや、それ、は。」
“何故知っている!?”
“アイラがしゃべったのか!?”
“否定しなければ!”
突然のことで、頭が混乱するジークノート。
その様子に、レイザーは再度「はぁ」と溜息を吐き出した。
「節操が無いのはどうかと思うぞ? しかもお前には立場がある。レオナならレオナ。メルティならメルティと、貫き通せ。“ゲームの世界へイケメンに転生” とか調子に乗っていると、身を亡ぼすぞ。……それに。」
レイザーは腕組みをして、ジークノートを睨む。
――仮面のため表情は見えない。
だが、その中身。
前世も女であり、今世、公爵令嬢として転生し、公爵令嬢に相応しい淑女としてあらゆる礼節を叩きこまれたローアだ。
眉間に皺を寄せ、こめかみに青筋を立て、まるで汚物を眺めるようにジークノートを睨むのであった。
「アイラだけには手を出さないでいただきたかった。……最悪ですよ、全く。」
声は低く、レイザーのものだが。
言葉は “ローア” が出てしまった。
「それは……まさか、レイザーさんは……。」
「は?」
「アイラのことを……。」
ジークノートの盛大な勘違いに、がっくりと項垂れるレイザー。
「冗談じゃない!」
「いや、でも……。」
「殿下。俺はアイラの事などどうでも良い。ただ、アイツは手練手管の百戦錬磨だ。もう金輪際手を出さないと誓うなら、一夜の過ちとして目を瞑ろう。だが、それでも手を出すと言うなら……。」
レイザーから、悍ましい気配が立ち上る。
思わず青褪めてしまう、ジークノートだった。
「ハイデン殿、そして皇帝に、お前とアイラを排除するよう申し伝えるぞ!」
怒声を上げ、乱暴にドアを開けて外へと出た。
―― レイザーは、ジークノートが誰と結ばれようが興味はない。
“ただ、アイラだけはダメだ”
“奴は、ジークノートを利用して帝国を乗っ取るぞ!”
その危惧が、果たして伝わったか、否か。
(何で、私がそんなことの心配まで……。)
レイザー、もといローアは、頭を抱えて自分の天幕へと戻るのであった。
◆
翌日。
“ウァサゴ渓谷”
陣を構え、あちこちで小競り合いをし始めた帝国軍と聖国軍。
それを、岩場の高台に構えた本陣営から眺めるジークノートがぼやく。
「……私も出た方が良いんじゃないか?」
逸る気持ちを抑え、隣に立つレイザーに声を掛けた。
だが、レイザーは首を横に振る。
「殿下。地の利はこちらにあります。この戦場の目的は、境界線の維持。領地を奪取されないためにも、こちらは防衛に徹するべきです。……それでも。」
レイザーは、遠くに見える聖国本陣営を指さした。
そして、小声で伝える。
(クラークやイセリアが出てきたら、俺達の出番だ。それ以外の超越者は、こちらの超越者を当てている。問題は、その2人だ。)
その時。
「ててて、敵襲―――!!」
怒声を上げる、隊長格の一人。
「敵襲!?」
「こっちに向かっているのか!」
慌てざわめく、他の兵たち。
「レイザーさん!」
「落ち着け、殿下。こちらの罠だ。」
平然と告げるレイザーに「は?」と怪訝になる。
「気付かなかったか? こちらの配置は、わざと大回りして帝国本陣営に抜けられるようルートを生み出していた。そこを辿って、本陣営を直接叩こうと連中がやって来るかもな……と淡い期待を持っていたが。まさか、引っ掛かってくれるとは。」
そう言い、レイザーはざわめく兵たちの方へと歩く。
「想定通りだ! 全員、陣形を組め! 敵襲が一般兵ならば普段通り重盾士兵で防ぎ、魔法士兵で迎撃。あぶれた者は剣士、戦士たち歩兵隊で討て! そして超越者は、俺と殿下に任せろ!」
腰に吊るしていた赤黒の片手剣をスラリ抜き、大声を張り上げるレイザーの言葉に、兵たちは「うおおおおおおおおおおっ!」と勝鬨のように騒ぎ立てた。
「「「レイザー将軍、万歳!」」」
「「「ジークノート殿下、万歳!」」」
「来るぞ!」
帝国本陣営の高台に向けて、土煙を上げながら近づく聖国兵たち。
その数、千。
対して、帝国本陣営に配置されている軍兵。
1万5千。
まさに、決死の特攻に見えた。
「いくぞおおおお!」
「「「おおおうっ!!」」」
士気高く、帝国兵は陣を組んで叫ぶ。
その普段通りの動きに、レイザーはピタリと止まった。
「どうしたのですか?」
「……ここまで分かりやすい罠に引っ掛かった上に、あの程度の兵だけ送ってきてどうにかなると思ったのか? クラークやイセリアが居ながら、そんな馬鹿げた奇襲にゴーサインするか?」
感じたのは、違和感。
硬直状態、むしろ帝国が地の利を得て聖国軍を押している状態。
それを打破しようと、罠の可能性があっても本陣営まで兵を送ってくることはあると予想していた。
だが、数が少なすぎる。
まるで、聖国兵に被害が及ばないように。
小走りに近づく聖国兵たち。
そのどれも、奇襲や特攻に剥かない重盾士兵ばかり。
そして、帝国本陣営のわずか100m手前で、突然停止した。
その後方。
四頭の馬が引く、豪奢な戦闘馬車が土煙の中から姿を露わにした。
戦闘馬車の、騎手台のさらに上。
大きな聖国旗を持つ、人影。
それを見たレイザーの全身が、粟立つ。
「ジークノート!! 竜王召喚だ!!」
叫ぶ。
それは、本来、あり得ない指示だった。
「えっ。レイザーさん……それは。」
「いいから、あの馬車に向けて、放て!」
冷静沈着。
“軍鬼” と二つ名で呼ばれる智将の言葉。
驚愕するが、“何かある” と察し、ジークノートは全身に力を籠めた。
獣使士系覚醒職 “聖獣師” 奥義・バハムート
上位職スキル “幻獣師の旋律” による発動短縮効果があっても、出現まで30秒。
その時。
「召喚 “バハムート”」
戦闘馬車の台の聖国旗を持った女が静かに告げた。
その刹那。
『グオギャアアアアアアアアアアアアッ!!!』
奇襲してきた聖国兵たちの眼前に、巨大な深緑の魔法陣が空中に、それも縦に展開された。
魔法陣が揺らめき、まるで水面から浮き出るように姿を現すのは漆黒の巨体。
黒の鱗に、翼。
銀色に輝く爪と牙。
黄金の瞳は、眼前に並ぶ矮小な人間たちを憐れむよう細めた。
“絶対王者”
つい先ほどまで、帝国が誇る智将レイザーの策に引っ掛かり、無謀に僅かな兵のみで突撃してきた聖国兵を見下していた帝国兵たちは、逆に、絶望と恐怖に表情を歪めたのであった。
「ひっ……ばばばば、化け物……。」
「う、うわ、うわああああああっ!」
その絶望と恐怖は、陣を組む帝国兵を崩すにさほど時間が掛からなかった。
「じ、陣形を保て! こちらにも、レイザー将軍と殿下がおるのだぞ!」
隊長格の一人が叫ぶ。
だが、それでも混乱は収まらない。
そして、無情を告げる宣言。
馬車の上の女の口から、漏れた。
「やれ。バハムート。」
『グオギャアアアアアアッ!』
巨大な翼を一振り。
ぶわりと浮かび、そして僅か100mの距離を、一気に詰めんと飛翔した。
―― 無様に並ぶ、敵対者を蹂躙すべく。
「召喚っ! “バハムート” !!」
あと、僅か。
ジークノートのバハムートが、間に合った。
『ガウンッ!!』
帝国本陣営前にも、先ほどと同じように深緑の魔法陣が展開され、そこから姿形が全く同じの漆黒の竜が飛び出し、先ほど現れた竜とがぷり四つとなった。
「前進! 殿下が抑えている間、聖国兵を退くのだ!」
黒赤の剣を振り抜き、レイザーが叫ぶ。
「「「おおおおおおおおっ!!」」」
絶望と恐怖は、敵も同じだ。
ならば、数も地も有利な帝国兵が勝る。
組み合うバハムートを避けるように、帝国兵達は決死の表情で前進するのであった。
「ジークノート! 大丈夫か!?」
帝国兵が向かったのを確認し、レイザーは一度、ジークノートに尋ねた。
獣使士系のスキル “召喚” は、召喚を維持するために、毎秒、発動SPの1%を消費し続ける。
奥義であるバハムートを召喚するに必要となるSPは10万。つまり、ジークノートはバハムートを維持するために毎秒1,000ものSPを奪われ続けるのだ。
「まだ問題ありませんが、相手のSP次第ですね。」
汗を流して答えるジークノート。
獣使士は、毎秒SPを消費するが召喚さえしてしまえば、術者本人は自由である。
他のスキルも使えるし、武器を持って戦える。
ただし、他の召喚スキルだけは別。
上位職スキル “召喚師の心得” で2体、覚醒職スキル “幻魔解放” で3体まで同時召喚が可能となる。
だが、同時召喚は当然ながら毎秒消費するSPも加算されてしまう。
“基本は1体。後は他職のスキルを駆使して戦う”
それが、上位の獣使士のセオリーだ。
「あの馬車の上の奴も転生者。それもバハムートを出せるってことは、“聖獣師” か “幻魔師”、考えたくはないが、ジークノートと同じ “神獣師” か。……だが。」
“そんな奴、聖天十二騎士爵に居たか?”
他国の一般兵、もしくは冒険者に紛れる超越者の情報はそうは出回らない。
しかし、それが軍を預かる将校なら別だ。
(聖天十二騎士爵の超越者は、確か4人。クラークにイセリア。あとは上位職の “呪術師” リリアンと “剣豪” ダイアンだったはず。……獣使士系は、居ない。)
バハムートを召喚できるような上位者なら、まず間違いなく聖天十二騎士爵に名を連ねるはず。
考えられるのは、騎士爵の入れ替えがあったこと。
そこで、上位の獣使士系の転生者が新たな騎士爵となった。
―― もしくは。
「まさか! あの女か!?」
レイザーは叫び、すぐさま移動しようと、した。
「あの、女とは!?」
そこにジークノートが尋ねてくる。
焦るレイザーは、ジークノートの腕を掴み、答えた。
「ミリアータだ!!」
その言葉に、思わず息が止まる。
その名を持つ者は、一人しか思いつかない。
その存在は、名を聞いた直後に脳裏に浮かんだ。
ジークノートにとって。
いや、ニーティにとって。
天敵だった相手。
「【殲滅天使ミリアータ】までも居るのか!?」
それには、答えない。
いや、正確には答える暇が無い。
レイザーは、ジークノートの腕を掴み “縮地法” で一気に戦闘馬車までの距離を詰めるのであった。
次回(続き)12月25日掲載予定です。
-----------
【お知らせ】
私事ですが、年末年始を利用して実家へ里帰り+遠方へ旅立つ予定があり、その間の掲載が滞ってしまいます。
お楽しみいただいている方には大変申し訳ありませんが、どうか御容赦ください。
【休載期間】
2019.12.28sat - 2020.1.5sun (9days)
引き続き、【暴虐のアロン】をよろしくお願いいたします。