5-12 踏み出す一歩
ラープス村、南東。
【プルソンの迷宮】 “入口前”
「さて、準備はいいかい?」
「おう!」
「ばっちり!」
「大丈夫!」
黒銀の全身鎧を纏うアロンの言葉に、それぞれ笑顔で応えた。
「こんなに少ない荷物で、ダンジョンの最奥まで向かうのは何か違和感があるわ……。」
紫色の魔導士ローブを身に纏ったアケラが、小さめのリュックを背負って呆れ顔で呟いた。
「“次元倉庫” 持ちですからね。私も、アロンさんも。」
同じようにリュックを背負いながらセイルが照れくさそうに答える。
それでも……、と真剣な表情で続ける。
「回数制限の事はご存知ですよね。便利なスキルではありますが、いつでも無制限に出し入れできるものではありません。なので……。」
「“いざという時は、自分で身を守る。これがダンジョンに入る冒険者の鉄則。回復ポーションとマジックポーション、最低限の携帯食料などは個々で持ち運ぶ” 耳蛸だぜ、セイル。」
アケラやセイルよりも二回りほど大きなリュックを背負うガレットが、豪快に笑いながら嫌味を告げた。
メンバーの中で一番、頭の出来の悪いガレットが覚えられるほど、何度も何度も繰り返しアケラやセイルが告げた結果だ。
そんなガレットに対して頬を膨らせるセイル。
「耳蛸って。何度も言わなきゃ忘れる自分の所為でしょ、ガレット君!」
「あはははは! そうだっけ?」
わざとらしくお道化るガレットだが、誰がどう見ても気分が高揚しているのが分かる。
何故なら、前回は仕事で多忙だったアケラの護衛として村に残り、プルソンの迷宮に潜れなかったからだ。
聞けば、リーズル、オズロン、そしてセイルの3人掛かりでも、自分の体躯よりも巨大なオークジェネラルという凶悪なモンスターに手こずったとのこと。
『やっぱりオレが居ないとダメだなー!』と馬鹿にし、リーズルとあわや殴り合いの大喧嘩になりそうになったのを、アケラとセイルが必死で止めたのが、一昨日の話だ。
「ったく。鳥頭かよ。お前は。」
「なんだと、リーズル!」
未だ引きずるリーズル。
呟いた悪態に、ガレットが憤る、が。
「ストップ! 貴方たちはいつまでそう言い合っているのですか! 二人は我が村の護衛隊副隊長でしょ? いい加減にしなさいっ!」
自分たちの恩師であり、現村長であるアケラの雷が落ちた。
「ひぃっ!」と身震いし、これまたわざとらしく二人で身体を寄せて怯える振りをする、リーズルとガレットであった。
「はぁ。村長……こういう奴らなんですよ。喧嘩といってもじゃれ合うだけ。」
「「オズロン! てめぇ!」」
頭を抱えて呆れるオズロンに、筋肉隆々の二人が囲む。
「やめろ! 暑苦しい!」とインテリ魔法士といったオズロンが顔を青褪めながら逃げようとするが、腕力では叶わぬ二人に、ガッチリとホールドされるのであった。
「ボクたち、仲良しですよ~! 先生―!」
「やめろー! 離せー!」
「テンション、高いな~。」
「これだから、男の子は……。」
そんな様子を眺め、呆れるララとファナ。
「あははは。ダンジョン踏破なんていう偉業、冒険者にとって憧れだからね。さて。」
笑うアロンは、“パンパン” と手を叩いて全員の注目を集めた。
「準備は整ったみたいだから、早速 “プルソンの迷宮” へ潜ろうと思う。今一度確認だけど……。」
鉄仮面の目元を隠すバイザーだけを上げて、アロンはメンバーの表情を見渡す。
偉大な師匠が話し始めることで、ふざけていたリーズルとガレットも、オズロンを離して背筋を伸ばした。
「少なくとも今日と明日はダンジョン内で夜営をすることとなる。夜営道具一式と食材関係は、ボクとセイルさんがそれぞれ分けて、十分な量を持ち込んでいるが……何があるか分からないのがダンジョンだ。」
ゴクッ、と誰かが固唾を飲み込んだ音が響いた。
「基本はこの8人が一丸となって行動をする。だが、戦闘時やもしかするとダンジョンの罠に掛かり、全員が離れ離れになる可能性もある。」
えっ、と不安感が過る。
だが、アロンは目元を柔らかくして「大丈夫」と呟いた。
「ボクの記憶が確かなら、プルソンの迷宮には落とし穴や転移系の罠は無かったと思う。その代わり、中層以下から毒矢や落石といったトラップが仕組まれていたはずだ。それは注意すればやり過ごせるが……。」
一呼吸置き、アロンは続ける。
「まず、ツーマンセル。自分が守り、守られるサポート役だ。昨日決めた通り、ボクとファナ、アケラ先生とガレット、セイルさんとオズロン、そしてリーズルとララがペアだ。」
この言葉に真面目に頷く者、顔を赤らめる者と三者三様の反応が現れた。
――思い起こされる、昨日の騒動。
アロンとファナの二人がマガロの元から戻り、このプルソンの迷宮攻略の打ち合わせに村の集会場へ訪れた時だ。
喧嘩しそうだったリーズルとガレットを改めて宥めながら、“ペア” について伝えた。
当初、アロンは戦力バランスを考え、
アロンと、アケラ。
ファナと、ガレット。
ララと、オズロン。
セイルと、リーズル。
このペア案を考えていた。
理由としては、まず8人の中で一番弱いアケラを、一番強いアロンが守る中で安全にレベリングを図ろうということ。
リーズルとガレットの二人は前線維持のため、どうしても怪我を負いやすいのですぐ治癒が出来るようにと僧侶系のファナとセイルとを組ませるのがベスト。
ララは薬士系のため、魔法士系のオズロンとも相性が良い。
アイテム生成を可能とするクリエイトアイテムスキルでポーション不要であり、戦力として申し分のないララがオズロンを守りつつ、オズロン自身のレベリングを図るというものだ。
だが、この案に賛成したのはアケラとオズロンのみ。
リーズル、ガレット、そして残りのファナにララに、あろうことかセイルまで異を唱えたのだ。
まず、ファナが『私はアロンと組む』と、頑なに譲らなかった。
8人パーティーの中で最強の2人がペアを組むなどアロンには到底理解出来なかったが、ファナ曰く『暗いダンジョンで怖い』『アロンの傍を離れたくない』『基本、皆一緒なんでしょ!? じゃあいいじゃない!』と物凄い剣幕で詰め寄ったこと、またセイルを始め女性陣、当初の相方であったガレットにすら『奥様は師匠と組むのが当然!』と告げられたので、渋々了承した。
そうなると、必然的に空いたガレットとアケラが組むこととなる。
未だにアケラへの想いを滾らせながらも、その想いを伝えられていないガレットは、溢れる喜びを抑えきれていなかったが、意外やアケラ自身が『ベストですね』と告げたことだ。
普段から村の護衛だけでなく、村長専属の護衛ともなっているガレットだからこそ、その動きや戦い方を熟知しているのがアケラだ。
時間が空けば、二人の修行、“アケラが放った魔法をガレットが防ぐ” を続けていたことも功を奏している。
ただしこのペアが逸れた場合、回復手段が無いため、ガレットに多めの回復ポーションを持たせることで最終的にアロンは了承するのであった。
そして、ララとオズロン、セイルとリーズルのペアだ。
まさかこのペア案も異を唱えられるとは思ってもいなかった。
それも、セイルに。
セイル曰く『オズロン君とはアケラさんの元で補佐をやっている仲だし、この村に来て一番多く組んでダンジョン攻略しているから、アケラさんとガレット君みたいにお互い動きが分かりやすい』だった。
そこにはリーズルもいたのだが……。
と、言おうとしたアロンだったが、セイルが満面の笑みでオズロンに『ね! オズロン君!』と告げ、当のオズロンも引きつりながら『そ、そうですね……』と了承したから、結果的にセイルとオズロンがペアとなり、残ったララとリーズルが組むこととなった。
その時、ララが小声で、
『ファナちゃん、セイルさん。ありがとう!』
と言っていたのを聞き逃さなかったアロン。
そして、気付いた。
決まったこのペア。
つまり、そういう意味があったと。
……兄としては、物凄く微妙。
嬉しそうなララの表情を見て、さらに複雑な想いとなるアロンであったのだ。
「次にチームだ。これはフォーマンセルとなる。」
モンスターが現れた時、当然ながら全員で対処する。
だが、モンスターと戦っている間に別のモンスターが現れ、その対処に戸惑わないようにするために、最初から2チームに分けておく考えだ。
他にも、夜営の番など基本はチームで回していく。
「これは次元倉庫を持つボクとセイルさんが分かれる。いざという時のためにね。」
2ペアを組んでの、4人体制。
アロンとファナ、アケラとガレット。
セイルとオズロン、ララとリーズル。
近接系のガレットとリーズル、そして魔法士系のアケラとオズロンを分けた。
これは当初のアロンのペア案だったとしても、4人チームは結果的にはこのように組むこととなっていたため、多少留飲を下げたアロンであった。
「15階層までの基本的な戦闘はボクとファナ、ララを除いた5人で対処してもらうからそのつもりで。皆のレベルアップも目的の一つだからね。」
「「「はーい。」」」
「さぁ、最下層目指して頑張ろう!」
期待と不安を背負い、8人のパーティーはプルソンの迷宮へと入る。
(さて、転職の書は幾つ手に入るのかな。)
一人、思いにふけるアロン。
ファントム・イシュバーンでは最大6人が1パーティーとなるが、現実世界のイシュバーンでは、こうした人数制限は無い。
だが、プルソンの迷宮の特殊報酬。
“6人1組で最深部のボスを倒すと、全員に1冊ずつ転職の書が手に入る”
(運が良ければ、8冊。普通に考えれば6冊。……ファントム・イシュバーン通りにならなければ、特殊報酬は無し、か。)
事前の打ち合わせで、もし6冊なら全てアロンが預かることとなっている。
――超越者のセイルには申し訳なかったが、彼女自身、それで良いと承諾した。
8冊なら基本はアロンが預かるが、セイルが手にした1冊はセイルの物だ。
それをどうするかは、セイル次第。
もし、ゼロなら?
(憂いが一つ無くなると喜ぼう。)
それは世界に散らばる72の迷宮のうち、プルソンの迷宮含めた6箇所のダンジョンに “転職の書” がおまけとして設定されている。
もし、ここで手に入らなければ、イシュバーンには “転職の書” が存在しないという可能性が極めて高くなる。
つまり、アロンの手持ちがこの世界に存在するだけで、他の超越者がさらなる高みに辿り着く可能性を極めてゼロとなるという事と同義だからだ。
「よし、行こう!」
改めてアロンは声を張り上げた。
イシュバーンに戻り、前世、今世で初となるダンジョンの完全踏破。
ファントム・イシュバーンでは望めなかった、望まなかった、心強い味方と共に一歩踏み出すのであった。
◇
同時刻。
イースタリ帝国 “帝都” 中央区。
【帝国城塞6階】
「見て! あの方々ですわ。」
「はああ~。絵になりますわ~。」
うっとりと頬を赤らめる、女性執務官たち。
彼女らも貴族令嬢なのだが、その目線の先に居る麗しい女性は自分たちの頂点だ。
帝国の経済と流通を司る公爵家。
“ビッヅレーゼ家” 長女ローア。
宝石のように輝く青い髪。
女性なら誰もが羨む美貌と肢体。
“天は二物も三物も与えた”
その、体現者だ。
そしてその隣を歩く者。
8人いる帝国軍最高位 “輝天八将” の中で、生ける伝説たる “大帝将” ハイデンに次ぐ、有名かつ人気の高い将軍。
“黒鎧将” レイザー
真っ黒の細身の全身鎧に黒の鉄仮面。
そして帝国章たる<国母神>の紋章が刻まれた真っ赤な外套。
見た目のおどろおどろしさとは裏腹に、振舞いは非常にスマート。
特に彼は “超越者” であるにも関わらず、他の者も分け隔てなく接することで有名だ。
“超越者以外の者に、分け隔てなく接するのはレイザー将軍か、癒しの黒天使セイルくらい”
片や、若さと実力の低さから “偽善者” と罵られる。
しかしレイザーに対してはそういう陰口は一切無い。
何故なら、強いから。
“強い”
ただ、その一点。
その事実は、彼の生き様や態度の全てを肯定する。
加えて、彼自身の強さ以上にレイザーが有名である理由。
それは、軍師としても優れているからだ。
戦場では敵の陣形から戦力を読み取り、適切な采配を行う。
さらに、自ら率先して最前線に斬り込む姿。
“不死” である超越者だろうが、彼を倒せるような者が、この世界にどれほど存在しているのだろうか。
まるで無傷で、敵を切り倒す。
かの世界での通り名は、【軍鬼】
まさに、戦場に降り立った “鬼” だ。
しかし、戦場を離れれば、ぶっきらぼうではあるがところどころに気遣いや優しさが垣間見られる人格者なのである。
“皇帝の前でも面を取らない”
それはポリシーなのか。
普通なら不敬罪に該当するが、皇帝もそのことを指図することは無い。
誰も、彼の素顔を見た事が無い。
だがそれでも、帝国城塞に勤める貴族令嬢たちの人気は絶大。
『同じ超越者、“陰湿かつ陰険、気分で言っていることがコロコロ変わる眼鏡将軍” は、レイザー様の爪の垢でも煎じて毎日飲むべきですわ。』
貴族令嬢たちの、いつもの会話。
同じ超越者、同じ将軍でも、レイザーとノーザンの評価は天と地ほどかけ離れているのであった。
「今日も凛々しいですわ、レイザー様。」
「そのお隣を歩かれるローア様もお美しい……。」
「「やはり、あのお二人は……!」」
「うふふ。噂されておりますよ。レイザー卿。」
回廊を歩くローアが、くすくすと笑う。
やや斜め前を歩く黒の全身鎧のレイザーは、まるで興味が無いと言わんばかりに無言だ。
目の前から、3人の貴族令嬢、もとい執務官が向かってくる。
彼女たちはレイザーとローアの姿を見て、その場で立ち止まり、頭を下げる。
「ご苦労様です。」
横切ると同時に、ローアは会釈をした。
だが、レイザーは真っ直ぐ前を向いたまま、通り過ぎようとする。
「レイザー卿。彼女たちに労いは? ただでさえ、そのお面で怖がられているのですから。」
笑みを浮かべて告げるローアの言葉に、彼女たちは肝が冷える思いだ。
相手は最大権力者の一人、将軍。
いくら上級執務官で公爵令嬢とは言え、この場では将軍位の方が身分は上だ。
だが、レイザーは「ふん」と鼻で笑い、そのまま歩き出した。
「あらあら。気分を害されたならごめんなさいね。後で言っておくので。」
手を唇に当てながら申し訳なさそうに告げるローアに、執務官たちは恐縮するばかりだ。
「い、いえ! 大丈夫ですわ、ローア様! 私たちのことはお気にならさず……。」
一人の執務官が慌てて取り繕う。
――だが、彼女たちは少し胸が高鳴っている。
レイザー将軍は、時折別人かと思うくらい冷たい態度になるが、決まって後に会えば『あの時は悪かった』と謝罪されるのだ。
理由は考え事をしていた、など。
だが将軍位、しかも超越者である彼がわざわざ一般の執務官の顔を覚えていて、謝罪までしてくれるのは心臓が飛び出そうなほど驚愕し、同時に恐縮し、そして、胸が高鳴る。
――お顔を、拝見したい。
心無い者は “人に見せられない程、醜い容姿” だと罵ることもあったが、それは無いと考える。
あれだけ権力を持つ超越者が、こんなに優しいのだから。
そんな人が、醜い容姿なはずがない。
貴族令嬢特有の、身勝手な妄想である。
しかし。
「こうなると、どういう顔をしているか俄然気になりますわね。」
悪戯な笑みを浮かべ、ローアがコソッと呟いた。
その言葉にギョッとする3人の執務官。
「ロ、ローア様もお顔を……。」
「ええ、お見せいただいた事はありませんわ。」
小声で伝え、ローアは急ぎ足で先へ歩くレイザーを追う。
その様子に、ポカンとなる女性陣であった。
「ローア様にもお顔をお見せにならないなんて。」
「……きっと、ローア様の美しさに気圧されているのですわ。」
「「「初心なレイザー様も……素敵。」」」
◇
『ドンドン』
レイザーとローアが着いたのは、大きな観音扉の前。
建て看板には “財務大臣執務室” と書かれている。
「失礼します。」
ローアは声を掛け、扉を開ける。
先にレイザーが入室し、続いてローアが入る。
「……お留守かしら? ビッヅレーゼ公爵。」
部屋は、もぬけの殻。
時刻は10時を回ったところ。
冬間近の低い日差しが、執務室を照らす。
財務大臣執務室。
ここの主、財務大臣こそローアの3つ下の弟である現ビッヅレーゼ公爵なのだ。
弟に会いに来た姉。
そして、偉大な将軍。
だが、部屋には大臣も居なければ、執務官も居ない。
――尤も、ここの専属執務官こそ、ローアなのだが。
『カチャッ』
ローアは扉を背にしたまま、鍵を掛けた。
誰も居なかった部屋。
そこには、レイザーとローアだけ。
「ふふ。やっと二人きりになれましたね。」
顔を赤らめるローアが、レイザーに近寄る。
そのまま、胸の黒鎧に右手を添えて、優しく微笑む。
カチャッ、と物音を立て、レイザーはその手を優しく掴んだ。
「……なんの冗談ですか?」
呆れ声のレイザー。
そしてあからさまに、大きな溜息を吐き出した。
「うふふふふ。誰かが見ていれば面白いかなって。」
「そんな訳有るはずが無いじゃないですか。」
さらに、深い溜息。
そしてレイザーは、ローアの手を解いて、尋ねる。
「……もうよろしいですか? 姉上。」
その声に合わせ、口元を緩めるローア。
「ええ、お疲れ様。ロベルト。」
はぁ、とまた一つ溜息を吐き出すレイザー。
徐に、両手で黒の鉄仮面に手を掛け、
外した。
その素顔は、青髪短髪の端正な青年。
涼し気な黒の瞳は、多くの女性を虜にしてきた。
だが彼は目の前の女性、実姉のローアには何一つ頭が上がらない。
レイザーの仮面を脱いだ青年。
“ロベルト・フォン・ビッヅレーゼ”
彼こそ、帝都の屋台骨。
財務庁のトップ、若き財務大臣であった。
ロベルトは仮面に続き、黒の全身鎧を脱ぐ。
丁寧に外すこの黒の鎧一式は、彼のために用意された特注品。
似せて作られた、偽物。
「焦りましたよ、姉上。このまままた軍法会議へ出ろと言われたら敵いませんでした。」
ロベルトこと、ビッヅレーゼ公爵は財務大臣の執務机の腰を掛けて苦々しく告げる。
その言葉に、ローアはクスクスと笑う。
「今日の議題は聖国と覇国の対処だからね。さすがの貴方でも荷が勝ちすぎる。」
「周囲を欺くためとは言え、こうも何度も頼られると……公務に差支えが出るのですが。」
「あら? 優秀な部下が多く大臣は重要決済の承認印を押すだけの簡単な仕事だって豪語していたのは、誰だったかしら?」
「うぐっ」とビッヅレーゼ公爵は言葉を詰まらせた。
かつての失言とは言え、一枚どころか何十枚も上手なのが、この姉だ。
“さすがは超越者”
逆らうなど、当の昔に諦めが付いている。
「冗談はさておき。アイラ将軍は気付いている素振りでしたね。どうするのですか?」
ビッヅレーゼ公爵は執務机に忍ばせた、高級葉巻を取り出して先端を切る。
そのまま火を着け、パッパッ、と数回口に含んだ。
立ち昇る煙と共に、甘ったるい香りが充満する。
「あの娘は勘が良過ぎる。だが、正体が私というところには辿り着いていないはず。今まで通りで行こう。」
そう言い、ローアは応接テーブルに置かれたビッヅレーゼ公爵が纏っていた黒鎧一式を、次元倉庫内に仕舞う。
それと合わせ、今度は同じような黒鎧一式を取り出した。
見た目はまるで一緒。
だが、性能は全くの別物。
何故なら、向こうの世界の物だから。
伝説級防具 “黒冥陽” シリーズ。
女性としてはやや背が高いローアにぴったりなサイズ。
唯一、両脚の靴底だけ、上げている。
小柄、だが “男性” に見せるために。
「まだ公にはなっていませんが、まさか聖国と覇国の主戦力を全て帝国に向けてくるとはね……。どちらの戦場も真逆。同時に大規模な攻防戦に入るなど前代未聞では?」
葉巻を吸いながら、ビッヅレーゼ公爵はまたも苦々しく紡ぐ。
黒鎧を身に着けながらローアは、クスリと笑った。
「総戦力になる。まぁ、それを想定して準備はしてきたんだ。目に物を見せてやるよ。」
すでに、言葉遣いが貴族令嬢のそれではない。
その姿と言葉が頼もしく、“この人が自分の姉である” という事が誇らしくなるビッヅレーゼ公爵だった。
「姉上。……いえ。」
ビッヅレーゼ公爵の前に立つ人物。
それは、先ほどまで麗しい姉だった者。
黒光りする全身鎧に、鉄仮面。
赤の帝国章入り外套。
“アーティファクト” に身を包む、帝国最強の将軍。
「頼みましたよ、レイザー卿。」
「お任せください。ビッヅレーゼ公爵。」
――誰も知らない。
――誰も把握していない。
唯一、皇帝と “大帝将” だけが知る真実。
“レイザーは、正体を隠すため、弟と入れ替わっている”
その真の正体。
麗しい公爵令嬢ローアこそ “黒鎧将” レイザーだった。
帝国史有数の激戦となる戦争に向け、【軍鬼】は一歩踏み出すのであった。
次回、11月6日(水)更新予定です。