5-10 噂話
『……ナイ……。……リナイ……。』
――誰?
『ワタシ…………、私デ……セ。』
――誰だ?
『……ナイ……。足リナイ……。』
『……クイ……。憎イ……。』
『……セナイ……。赦セナイ……。』
――誰だっ!?
『タスケテ……。アロ、ン……。』
――!?
『ア…………、ヲ、ハコニワ、カラ……。』
――誰なんだっ!? どこにいる!
『ダカラ……ロセ。』
『 殺 セ 』
「うわあああああっ!?」
叫び、飛び起きるアロン。
そこは、見慣れた自室と、ベッドの上だった。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ。」
動悸と、滲む汗。
間もなく冬で、部屋も肌寒いというのに寝汗でぐっしょりと濡れている。
「何だ……今のは。」
“夢”
だが、とても鮮明だった。
何も無い、暗闇よりも深い闇の世界。
そこに響く、アロンを呼ぶ声。
不鮮明ながらも、アロンに語りかけてきた。
その声は、何かを憎んでいる。
その声は、何かを赦せないでいる。
その声は、救いを求めている。
そして。
“ 殺セ ”
「……超越者に殺された者たちの、怨嗟の声か。」
手汗を拭おうともせず、拳を作るアロン。
昨夜、初めて “超越者” を殺した。
それも、アロンが別世界に渡り【暴虐のアロン】と呼ばれるほどの絶大な力と技術、そして不可能とされたファントム・イシュバーンの数々の武具を持ち込み、再びこのイシュバーンへと転生する切っ掛けとなった、怨敵レントール達だ。
復讐は果たした。
同時にそれは、アロンが想像したようにファントム・イシュバーンの書物スキル “永劫の死” は不死たる超越者を “殲滅” 出来る証明となった。
「これで……。」
アロンが呟こうとした、その時。
「アロンッ!?」
寝室に飛び込んできたのは、妻のファナだった。
朝方、共に一つのベッドで眠りに付いた彼女は、アロンが目覚める前に起きたのだった。
徹夜明けであるから農作業はお休み、とは言え、家事はそれなりにある。
先に目覚めた彼女は、熟睡するアロンに一つ口付けをした後、洗濯と夕食の下拵えを行っていた。
その最中、突然聞こえたアロンの叫び声。
何事か、と慌てて寝室へ駆け出したのであった。
「あ、ああ。ファナ、おはよう。」
「おはよう、って言ってももうお昼過ぎだけどね。」
いつもの笑みを浮かべるアロンの表情にホッとしたのか、同じように笑みを返すファナだった。
セイルが、ファナの誕生日に贈ったプレゼントである可愛いフリル付きのエプロンの皺を伸ばしながら、窓に掛かるカーテンを開けた。
「本当だ。もうこんな時間なんだね。」
間もなく冬となるこの季節、
太陽の位置がやや南側に傾いている。
窓から見えるその高さと位置で、凡そ今が昼過ぎの2時頃だと把握した。
「ふふ。お腹空いているでしょ。さっきパンを焼いたから、アロンに食べて欲しいな。」
ベッドで上半身だけ起こすアロンに近づき、はにかむファナ。
「ありがとう、ファナ。すぐ起きるよ。」
「えへへ。じゃあ用意して待っているね!」
頬を赤らめたファナは、アロンと口付けを交わす。
一つ、二つと唇を交わし、うっとりとした表情のファナは小声で「愛しているよ、アロン」と告げ、逃げるように台所へと向かった。
「ありがとう、ファナ。」
にこやかに、彼女の後姿を見て呟くアロン。
――ファナは、酷く心配してくれている。
以前から伝えていた、レントール達を討ち取った。
つまり、“人を殺した” ということだ。
帝国で、殺人は重罪。
理不尽に人の命を殺めようものなら極刑は免れない。
それは神から賜る “適正職業” の力の、誤った使い方だからだ。
だが、相手が例えば盗賊行為などの、それこそ神の顔に泥を塗る蛮行を仕出かした相手なら話が変わる。
つまり、専守防衛であるなら罪に問われない。
今回、“拠点化” という大義名分のもと、暴力でラープス村を支配しようと試みた超越者レントール達を殺害したのだ。
“強引な拠点化”
多大な権力を有する超越者率いる冒険者ギルドが、こうした行為を仕出かした場合、冒険者連合体は付与さする功罪ポイントの多寡によって “盗賊行為” と見るか “やむを得ない行動” と見るかを決定する。
つまり、“盗賊行為として裁くことで、帝国にとって不利益となる” と判断された場合のみ、功罪ポイントの大幅な削減のみでお咎め無しとなる。
だが、これはあくまで超越者率いるギルドにだけ適用される優遇措置に過ぎない。
超越者が率いていない一般的なギルドが同じ事をしたとしても、それは盗賊行為に他ならないからだ。
そして襲撃される町や村からすれば相手が超法規的に優遇される超越者率いるギルドだろうと、一般的なギルドだろうと、賊に襲撃されることには変わらない。
戦える者は殺され、男は斬られ、女は慰み者となり、子は奴隷として売られる。
そんな理不尽を甘んじて受け入れるはずがない。
これらの場合、町や村は当然ながら専守防衛、つまり “迎撃” を認められている。
だが、相手が超越者だと、勝てる見込みが低い。
しかし、甘んじて受け入れれば地獄でしかない。
だから、抵抗する。
無駄だとしても、抵抗する。
滅多に無い超越者の襲撃。
それは町や村にとって、凶悪なモンスターの襲撃と何ら変わりが無かった。
(しかし……自分でも驚くほど忌避感が無いな。)
人を殺めた。
しかし、アロンの心には罪悪感も忌避感も無い。
――かつて、祖父母を救うため転生後3歳という幼き頃に、盗賊のリーダーを殺めた時もそうだった。
(ファントム・イシュバーンで、敵対者を数えきれないくらい倒してきたからか?)
現実世界と見紛うほどリアルなゲームの世界、ファントム・イシュバーンで、アロンはプレイヤー間バトルのギルド戦で数十万のアバターを屠ってきた。
ゲームの世界であるから、血飛沫や臓物が飛び交うようなグロテスクな描写は無かったが、アロンにとってその世界のプレイヤーは、“超越者の卵” でしかない。
いずれイシュバーンに舞い戻った時に躊躇せず超越者を殺せるよう、惨く、無慈悲に敵対者を倒したのだ。
その経験が、活きているのか。
人を殺めたという事実に、感傷は無い。
むしろ、理不尽な存在を殺せたという達成感がある。
「いよいよ、ここからだな。」
アロンに与えられた天命。
超越者の “選別” と “殲滅”
血塗られしイシュバーンで繰り広げられる太古からの戦争に介入する、不死たる超越者を間引きする。
何故なら、イシュバーンの民よりも圧倒的戦力を有する超越者が戦争や世界に介入することによって、犠牲となるのはイシュバーンの民であるからだ。
それは帝国だけではない。
敵性国家の聖国と覇国も、同じだろう。
邪神や悪神に唆され、帝国の領地奪取を狙う憎くき両国と言えど、帝国と同様に超越者の手によって犠牲者を多く積み上げているはずだ。
「……手始めは、帝国からだな。」
アロンはかつて手紙を送ってくれたメルティの情報を元に、仲間となったセイルの情報を合わせ凡そ7割、帝国在住の超越者の情報を得ている。
その中でも、強力な超越者。
最強職である極醒職。
“神獣師” ニーティこと、第一皇子のジークノート。
ジークノートの婚約者で帝国宰相の二女である “神拳” レイジェルトこと、公爵令嬢レオナ。
次いで、ファントム・イシュバーンでも辿り着ければ上級プレイヤーの仲間入りであり、あえて極醒職にならず転職を繰り返してはスキル数を稼いでいる “隠れ強者” の多い、覚醒職。
同じラープス村の出身者、“魔聖” メルティも覚醒職ではあるが、以前戦った感触ではさほど脅威では無いとアロンは考えている。
問題なのは、把握出来た6人の覚醒職だ。
まず、帝国軍最高位 “輝天八将” の内の、3人。
“魔戦将” を冠する “魔神官” ノーザン。
“黒鎧将” を冠する “剣聖” レイザー。
“白金将” を冠する “聖騎士” アイラ。
そして、帝国の要人。
皇帝専属の医師であり、教会本部の枢機卿でもある “聖者” ライモス。
帝国軍の万人隊長筆頭で、ギルド “大鷲の巨木” を率いる “鬼忍” オルト。
同じく帝国軍の万人隊長で副筆頭者の一人、ギルド “白翼騎士団” を率いる “修羅道” ノブツナ。
(要注意なのがこの6人。特に、将軍の3人は納得が出来る強者が揃っているな。)
まず、ファントム・イシュバーン帝国陣営の “嫌われ者” ノーザンだ。
アロンはその過程ややり取りに興味は無かったが、ノーザンは“遊戯の世界” にも関わらず、他者を口撃し、誹謗中傷を繰り返しては相手の感情を逆なでさせるような、非常に非生産的な理解不能の行動を取ることで有名なプレイヤーだった。
だが、実力は非常に高い。
僧侶系覚醒職 “魔神官” であるが、魔法士系、獣使士系の2職をジョブコンプリートしており、同じ僧侶系覚醒職 “聖者” もジョブマスターにしている。
状況だけを見れば、他を1職だけジョブコンプリートさせて極醒職になった者よりも強い。
次に、同じく “嫌われ者” のアイラ。
覇国陣営でトップギルド、ファントム・イシュバーンでギルドランキング2位 “アヌビスの棺” の上位メンバーの一人だった人物。
だが帝国の【暴虐のアロン】、聖国の【殲滅天使ミリアータ】の両者に負け続けた事に嫌気が差したこと、別のギルドであったが覇国の狂気 “魔聖” サブリナとの確執により、双方のギルドを巻き込んだ大問題へと発展した末に、アイラは無責任にもギルドを飛び出した挙句、あろうかとか覇国を裏切りアロンのいる帝国陣営へと鞍替えした。
こうした彼女自身の行動だけでなく、アバター同士が設定した音声でコミニュケーションが取れ会話モードでは非常に馴れ馴れしく、人を馬鹿にしたような数々の言葉遣いも相まり、アイラも非常に嫌悪されるプレイヤーとなった。
しかし、帝国陣営に鞍替えしたため、スパイ嫌疑もかけられたにも関わらず、帝国陣営の多くのギルドから勧誘を受けた。
事実、アイラも非常に高い実力者であったからだ。
彼女は金に糸目を付けぬことで有名であり、新しいアバター装備が出る度に全てを揃えるほどの廃課金者で、同時に溢れる資金力に物を言わせたような屈強な武具を纏っていた。
それだけ見ればいわば金に物を言わせた成金アバターなのだが、プレイヤースキルも高く、戦場で出会えば手が付けられないほど強いほどだった。
戦士系覚醒職 “聖騎士” だが、彼女もまた剣士系、武闘士系の2職をジョブコンプリートしており、同じ戦士系覚醒職 “竜騎士” もジョブマスターである。
ファントム・イシュバーンの一般プレイヤーから見れば鼻つまみ者と言っても過言でないノーザンとアイラの2人だが、アロンにとって感情的な評価には興味が無く、あくまでも “イシュバーンに転生してきたらどう立ち向かうか” という対象として見る相手に過ぎなかった。
逆に言えば、アロンが興味を持つほどに、この2人は強かった。
だが、それ以上に厄介な相手が転生している。
「問題は、レイザーだ。」
“剣聖” レイザー
帝国陣営最古参にして最強ギルド、ファントム・イシュバーンのギルドランキング3位 “フリーダムキャット”、現在アロンの仲間となった超越者セイルが、ファントム・イシュバーン内で加入していたギルドの、サブギルドマスターだった者だ。
ギルドマスターはアロンと同じ “剣神” オーディス。
だが、ギルドマスターよりも下であるはずのサブギルドマスターのレイザーの方が、聖国・覇国陣営には有名だったのだ。
大人数ギルド戦 “攻城戦” の帝国陣営の司令塔。
敵対陣営の戦力を迅速に把握、分析をして的確な指示を飛ばし、アロン不在であったとしても帝国陣営に多くの勝利をもたらしてきた存在。
それが、レイザーだ。
普通、最大30ギルド、最大人数1,500人集まって敵対陣営と争う攻城戦で、他ギルドのサブギルドマスターの指示など聞くはずがない。
しかし、彼が飛ばす指示があまりに的確で勝利を齎してきたため、次第に帝国陣営内で『レイザーの指示には必ず従うこと』という暗黙の了解が出来上がった。
そして付いた二つ名が、【軍鬼レイザー】
その名を有名にしたのは、帝国、聖国の両陣営に壊滅的大ダメージを与えてきた、覇国陣営のサブリナとバーモンドのコンビ技 “ディメンション・ムーブで戦場ど真ん中に現れてからの威力補助ましまし奥義・ミーティア発動” を、クレバーな立ち回りと配置で対処し、最初に打ち破ったことだ。
“超越者候補” であり、他者に決して心を開かなかったアロンにとって、ある意味リスペクトをしていた3人のプレイヤー。
硬派な “神拳” レイジェルト。
同じ “剣神” オーディス。
そして、軍鬼 “剣聖” レイザー。
“彼らは、イシュバーンに転生しないで欲しい”
そう願っていたアロン。
だが、3人の内、2人が転生している。
「レイザーが、レントール達と同じとは思いたくないけどね。」
それも、願い。
クレバーな闘い方に、作戦立案。
やりにくい相手。
そして、レイザー自身も非常に強い。
たった他の1職をジョブコンプリートさせて極醒職 “剣神” になったオーディスとは違い、レイザーのジョブコンプリート職。
武闘士系、僧侶系、戦士系、重盾士系、薬士系。
その数、5職。
帝国陣営で “アロンを除く最強は誰か?” と問われれば、それは【軍鬼レイザー】と答えるだろう。
事実、他の “極醒職” よりも、彼は強かった。
厄介な相手には違いない。
だが。
「もし、この世界に害を成すならば……。」
拳を握るアロン。
例え相手がやりにくい者だとしても、イシュバーンに害を成す “害虫” ならば、容赦はしない。
かつて憧れた帝国軍の最高位 “輝天八将” に名を連ねていたとしても、決意は揺るがないのであった。
「あとは例の人をどうやって調べるかだな。」
着替えを終えたアロンは、姿見を眺めながら呟いた。
例の人。
それは、セイルから聞かされた “超越者ではないか?“ と疑わしい人物。
帝国の経済の根幹。
三公爵家の一つ、“ビッヅレーゼ家” で、先代より家督を譲られた若きビッヅレーゼ公爵の、実姉。
ビッヅレーゼ公爵令嬢。
ローア・フォン・ビッヅレーゼ
帝国の上級執務官である彼女が “超越者ではないか?” という噂がある、という話だ。
その噂の出所は、セイルが退学した高等教育学院。
10数年前の卒院生であるローアが、学院の女性たちに強姦を繰り返していたとある超越者たちを圧倒し、退学処分にまで追い込んだという噂話だ。
しかし、真偽は確かでない。
その話を聞いた時は、むしろ “その許し難い超越者の名を知りたい” と思ったアロン。
そんな害虫は、問答無用で “殲滅” の対象だ。
だが、この噂話は真実味があるとアロンは考える。
公爵令嬢とは言え、自身が超越者でも無い限り超越者を断罪することは難しいからだ。
「レイジェルト、じゃなかった、同じ公爵令嬢のレオナ嬢を頼れば分かるかもしれないが……。」
その方法は、難しい。
ノーザンと、カイエンの一件で、皇太子ジークノート含めその婚約者のレオナにまで啖呵を切ったのだから、彼女のアロンに対する心証は最悪だろう。
「後は……帝国城塞に入り込んで、“愚者の石” で鑑定するかどうかだな。」
“他の超越者の情報も得られるかもしれない”
そう考えたアロンの耳に、
「アロンー! スープ冷めちゃうー!」
愛する妻、ファナの声が響く。
「ごめんごめん。今行くよ。」
“まずは腹ごしらえ”
アロンはファナの待つダイニングへと足早に向かうのであった。
◇
一方、その頃。
【イースタリ帝国 “帝都”】
“東区” 貴族街、最上等級地。
“ビッヅレーゼ家 屋敷内”
「お待たせしました、レオナ様。」
「ローア様!」
豪華な調度品の並ぶ応接室に腰を掛ける、超越者 “神拳” レイジェルトこと、公爵令嬢レオナ・フォン・マキャベルの前に、一人の女性が入室してきた。
見た目は黒、だが光を浴びると青く輝く長い髪。
明るい碧の瞳はやや垂れ目で、彼女の物腰の柔らかさ、そして優しさを現しているようだ。
背丈はレオナよりも少し高く、前世と今世を通しても見た事の無いほどスタイル抜群の美しい女性。
その女性こそ、レオナが今世で最も信頼を寄せている公爵令嬢、ローア・フォン・ビッヅレーゼであった。
「立たなくても良いですわ。お掛けください。」
垂れ目を細め、優しくほほ笑むローア。
そんなローアに立ち上がったまま、頭を下げる。
「お忙しいのにお時間を頂き申し訳ございません。」
「いえいえ。大丈夫ですわ。」
微笑んだまま、ローアは再度レオナに座るよう促す。
頭を上げ、「失礼します」と呟き、レオナはソファに腰を掛けた。
「私に会いに来られたのは……。例の件ですか?」
人払いは済んでいる。
ローアは慣れた手付きでポットから茶を注ぎ、レオナに差し出した。
「はい。お耳に挟んでいらっしゃると思いますが。」
「ええ。先日、貴女が皇太子殿下との婚約を解消されたこと。その件で貴女がお家を飛び出したこと。城塞内も大騒ぎですよ?」
まるで咎める気が無いとばかりに、クスクスと笑うローアの様子に多少ホッとするも、逆に内心でどう思われているのか不安になるレオナであった。
「その事ですが……本来なら、殿下に対する不敬として斬首もあり得たのですが、私が超越者であるため処刑は不可能。その代わり、その責任は父に及ぶと思います。」
不安そうに告げるレオナに、にこりと笑うローア。
「ご心配なく。貴方のお父様は帝国で皇帝陛下に次ぐ宰相職です。お父様の地位を狙う者や敵対派閥が罷免を唱え始めていますが……それこそ、超越者として大きな可能性を持つ貴女様の気分を損ねる事になるだろうと、差し出がましかったかもしれませんが、陛下には具申しております。」
そう伝え、お茶を啜るローアに目を丸くするレオナ。
すでに目の前の公爵令嬢は、そこまで予想して動いていたのだった。
今回、レオナがローアを尋ねた理由。
“罪” を問えない超越者であるレオナが仕出かした、皇太子ジークノートとの婚約解消の責任は、本来は家長である父、マキャベル公爵が負う事になる。
しかし、本来望まぬ婚約であったこと、そして婚約解消はそもそもジークノートが発端となっている。
それにも関わらず、帝国の重鎮である父を巻き込んでしまうのは忍びなかった。
そのため幼少期から親しく、今世のレオナにとって実の姉以上に “姉” と慕っている公爵令嬢ローアを頼ることとした。
彼女は帝国の上級執務官であり、多方面に顔が利く。
特に、“黒鎧将” レイザーと親密との噂もあり、数多にいる貴族令嬢の中でも “最も権力を持っている” 人物なのである。
だが、これも賭けだ。
婚約解消で憤る父や悲しむ今世の母に別れを告げ、家出同然で飛び出してきたレオナ。
今現在、公爵令嬢としての立場は皆無。
あるのは、“神拳” という絶大な適正職業のみ。
断腸の思いで、“転生者” という立場を利用することだけだった。
もしもローアが、親しいレオナとは言え次期皇帝の第一候補であるジークノートとの婚約を一方的に解消したこと、公爵家を飛び出したことを咎め、その責を父にまで負わせると公言したらそこまでだった。
だが、レオナは許せなかった。
アロン獲得のため、人格破綻者のノーザンを利用したこと、その結果、一つの村と帝都との間に禍根を残したこと。
ファントム・イシュバーンで “最強”、それも次点で最強と呼ばれる聖国の【殲滅天使ミリアータ】を遥かに超える強さを持っている【暴虐のアロン】に、最悪な心証を与えたこと。
まるで、“神に選ばれた” と振舞い、この “ゲームのような世界” をゲームのように攻略しようと考えるジークノートと共にいることが、許せなかったのだ。
「陛下御自身も、マキャベル公爵を心底ご信頼されていますからね。むしろ、殿下が貴女様に不快な想いをさせてしまった事を嘆いておられましたよ。」
「ありがとうございます……ローア様。」
「ですが……聞けば、貴女様と殿下は向こうの世界での同胞とのこと。互いに良く知り、かつ、前世の記憶を持ったまま生まれ、幼少期から共に過ごされた殿下に、情はございませんか?」
にこやかに、しかし淡々と尋ねるローア。
一呼吸置いて、レオナはきっぱりと答えた。
「ありません。」
「あらら。可哀想な殿下。」
クスクス笑い、再度お茶を啜る。
「いずれにせよ、貴女様の行動は不問となるでしょう。むしろ、貴女様の御気持ちを損ねてしまう事の方が、帝国にとって損失ですから。」
“さすがは帝国の経済を握るビッヅレーゼ家の女”
感情抜きにして損得含め物事や状況を俯瞰するローアは、前世の知識、記憶を持つレオナですら敵わないと思うほどだった。
「ですが。陛下が漏らしていたのですが……。殿下は貴女様に見限られたことが相当堪えたみたいですよ? “戻る” とおっしゃれば、喜んで迎えてくれると思うのですが。」
「あり得ませんね。」
即答。
益々目を細めて笑うローアだった。
「可哀想な殿下ですわ。」
「いいえ、ローア様。彼はむしろ私という目の上のタンコブが消えて清々していることでしょう。言葉を選ばずに申し上げるなら、あれほどの粗忽者の伴侶になりたいという奇特な御夫人がいらっしゃれば、熨斗を付けて差し出したいくらいです。」
「あらあら。じゃあ、私が立候補しようかしら。彼は年上は好みかしらね?」
「……本気ですか? ローア様。」
呆れるレオナに、ローアはふふ、と笑う。
「まさか。冗談ですよ? さすがにこんな行き遅れの年増女など、殿下が可哀想すぎますわ。」
「い、行き遅れなど……ローア様はそんなにお美しいじゃありませんか!」
“それに”、という言葉を飲み込むレオナ。
危うく、失言をしかけた。
しかし、ローアは察する。
「ふふふ。レイザー卿の事ですか?」
うっ、と言葉が詰まる。
そんなレオナを見て、益々満足そうに笑った。
「皆さんが噂されていますからね。私と、レイザー卿がただならぬ関係と。ですが……。」
ローアは茶器をテーブルに置いて、告げる。
「彼、未だ私にも素顔を見せてくださらないのよ?」
「えっ? 嘘……。」
思わず口を押えるレオナ。
“黒鎧将” レイザーは、かの【暴虐のアロン】同様に、このイシュバーンでは黒い鉄仮面を被っており、どんな場でも――、皇帝の前でも仮面を脱ごうとしない。
ファントム・イシュバーンでは、特段、仮面を被って素顔を隠すような事は無かったと記憶する、レオナ。
では、何故にイシュバーンの世界ではそのような真似をするのか?
「何でも、憧れている人が居て、その人の真似だとか。これだから殿方って分からないのよね。」
「憧れ……。」
そんな対象、一人しか思い付かない。
【暴虐のアロン】だ。
「何でも最近、その憧れの人が穢されたと憤っておりましたわ。」
「そのような事も、お話しされるのですね。」
思わず口にしてしまったレオナ。
父に責任の類が及ばないように具申してくれた、という安心感からか、失言が多いと自身を叱咤する。
――貴族令嬢たちが囁く、噂。
一つ、ローア嬢の恋模様。
“黒鎧将” レイザーとただならぬ関係。
つまり、恋仲ではないか? という噂だ。
現在28歳という年齢だが、さきほどローアが自虐した “行き遅れ” というにはまだ早い。
このイシュバーンでは、成人を迎える16歳になる年から婚姻が結べる。
これは貴族も同様で、二女、三女ともなると他家の跡取りの婚約者となり、16になれば嫁ぐこともある。
だが、公爵家の長女となると話は別だ。
男児が居ない場合、長女に家督を譲る場合もある。
その時に婿を招き入れるのだが、若い内から婚約者が決まる二女以降とは違い、家督を相続した場合、もしくは次期当主が内定してからの婚姻が主流となる。
このため、上級貴族は20代後半から30代、中には40代で婚姻する場合が多い。
ビッヅレーゼ家は去年、ローアの3つ下の弟である長男が次期当主として家督を相続したため、いよいよ彼女自身も婚姻に向けて話が具体的に……、という段階なのだが、ローアにはそのような話が無い。
そこで噂されるのが、レイザーとの仲だ。
上級執務官は、将軍位ともコンタクトを多く取る役職であるが、ローアは特にレイザーと会う回数が多い。
しかも、上級執務官だけでなく部下である執務官2~3人を随伴させて将軍位や上位職と面会するのが主流だが、ローアがレイザーと会う時は、決まって一人。
“つまり、そういう事では?”
これが、貴族令嬢たちの間に流れる噂話だ。
「まぁ、それなりの仲ですからね。彼とは。」
ですが、と続けるローア。
「彼とはそのような関係ではありません。」
「失礼……しました。」
頭を下げるレオナに、笑みを零す。
「何も謝ることではありません。貴族の娘たるもの、他人の噂話や陰口は嗜むものですからね。私がそのような対象であることも、重々承知しておりますよ? ですが、それはそれ。これはこれ、ですわ。」
「それは……私も同感ですね。」
“私は、私”
他人がどう評価しようとも、誹謗中傷を浴びせられようとも、自分の生き方や考え方は自分だけのもの。
その結果、前世で辛い想いをしたレオナだが、今世こそ、その生き様を貫こうと決意している。
それを体現する、この世界の住人。
前世を含めれば年下であるローア。
だからこそ最も信頼し、憧れるのだ。
「本当に、ローア様は年下とは思えませんわ。」
あえて、そう口にするレオナ。
その言葉の真意を感じ取り、再び口元を緩めるローアだった。
「酸いも甘いも知る、公爵家の者ですから。」
そんなローアに、レオナはもう一つの噂話が頭に過ぎるのであった。
――貴族令嬢たちが囁く、もう一つの噂。
“ローア様は、超越者ではないか?”
それは、高等教育学院で半ば “伝説” となっている噂が元となっている。
加えて、年相応でない物腰と落ち着きを持つローアという女性。
今でこそ28歳という年齢であるが、幼い頃から仲が良かったレオナからして見ても、ローアも異様なほど落ち着いており、頭の回転が速かった。
それこそ、前世の記憶でもあるのではと思えるほど。
だが。
ローアの適正職業は “剣士” だ。
いくら公爵家の者であろうとも、適正職業を偽ることは出来ない。
それだけこのイシュバーンでは “適正職業” は絶対視されており、それを偽ったり疑義を持ちかけたりすることは、神への冒涜だからだ。
その結果は覆らない。
尤も、ローアが貴族令嬢随一の剣の使い手である、という事もその噂に拍車を掛ける一つでもある。
だが、噂はあくまでも噂。
少し、ホッとするレオナであった。
◇
「ローア様、今日はありがとうございました!」
話し込み、ふと窓の外を眺めるともう夕方。
慌てて立ち上がり、頭を下げるレオナ。
「いえいえ。私も久々にレオナ様とおしゃべりが出来て楽しかったですわ。ところで……。」
目を細めるローア。
「レオナ様、ご宿泊はどちらで?」
「へっ?」
焦り、目が泳ぐ。
レオナは、先日、家を飛び出した。
その時、自身に与えられていた貯金と着ていたドレスだけを持ち、帝都の町へと繰り出して冒険者の装備を整え、身分を隠して西区の宿に泊まったのだ。
今着ているドレスは、その時に持ち出したもの。
ビッヅレーゼ家を出たら、近くの物陰で “次元倉庫” に仕舞っている装備を取り出して着替えるつもりだ。
“身分を隠し、冒険者として生きる”
ところが。
「これは、なりませんね。」
立ち上がったローアは、手をパンパンと叩く。
すると、応接室にノック音が響き、ビッヅレーゼ家の執事が3人のメイドを連れて入室してきた。
「お呼びですか、ローア様。」
「レオナ様が我が家にご宿泊なされますので、盛大に持て成すように。後、この件は公爵たちには内密でお願いいたします。」
「ちょ、ちょっと待ってください、ローア様!」
焦るレオナに、ローアは満面の笑みを向けた。
「いいじゃないですか。私も今日の公務を切り上げて久々に我が家に戻ったのです。前みたいに、夜通し語り合いましょうね、レオナ様。」
「う……ぐ……。」
「さぁ、まずは入浴からですね。御案内を。」
手をかざすローアに合わせ、執事は一礼。
「レオナ様、お部屋へ案内をさせていただきます。こちらへどうぞ。」
震えるレオナは、はぁ、と溜息を吐き出し、
「お世話に……なります……。」
と呟いて執事たちに着いていった。
その後ろ姿をニコニコと眺めるローア。
応接室に、一人となった。
「……これも、ニーティとノーザンが仕出かした事の皺寄せか。せめてレイジェルトが敵対しないよう、面倒を見よう。」
穏やかな笑みを落とし、能面のように表情を固まらせたローアが、呟く。
「アロンに加え、レイジェルトにまで敵対されたら、それこそ帝国が終わる。それに……。」
ローアは、応接室に来る前に手渡された一通の報告書を取り出し、眺める。
「いよいよ矛先を帝国に向けてくるか。ミリアータに、サブリナめ。」
報告書を握りつぶし、苦々しく呟く。
そのローアの脳裏に浮かぶは、かつて、ファントム・イシュバーンの攻城戦で散々やり合った、好敵手たちの姿。
「この世界は、ゲームとは違う。この世界の住人の命を悪戯に奪う真似は、絶対に許さない。」
――誰も知らない。
――誰も把握していない。
唯一、皇帝と “大帝将” だけが知る真実。
――かつて、その本人に斬られたレントール達ですら、確信の無かった真実。
ローアは、超越者。
それも、“覚醒職”
一部の者しか、知らない真実。
それを隠す、理由。
その一つ。
ローアもまた、転生者に疑問を持つ者だからだ。
次回、10月31日(金)更新予定です。
……本業の都合で執筆時間が削られてしまうため、次回の水曜日更新はお休みさせていただきます。御容赦ください。