5-2 秋風と共に
アロン達が【プルソンの迷宮】へと潜り込んでいると同時刻。
ラープス村、商店街。
「へいっ、らっしゃい!」
ねじり鉢巻きをした初老の男が、訪れた買い物客に笑顔を振りまいていた。
男の視線の先は、この村の住人ではない女性。
恐らく、たまたま立ち寄った貴婦人なのであろう。
長い銀髪に、黄色の釣り目。
少しくすんだ藍色のタイトなドレスが、その女性の肢体を露わにする。
初めて目にする者は、その煽情的な姿に目を逸らすか、劣情を抱きながら見つめてしまうかのどちらかであろう。
ちなみに店主は、後者だ。
ニコニコしながらも、女性の胸元や足腰を、なるべく悟られないようにと舐め回すように目線を飛ばす。
尤も、彼女がこうしてラープス村の商店街に現れることは偶にあることであり、ある意味店主としては見慣れた客であった。
しばらく女性は商店の品々を眺め、店主に告げる。
「この茶葉全部と、そこの菓子。あと奥に吊るしてある干し肉もいただく。」
淡々とした口調。
だが、毎回このようなやり取りだ。
「分かりました。奥の干し肉は、全部かい?」
「全部いただく。」
――毎回、妙な買い方だな。
店主はそう思いながらも口にはしない。
この女性はここ数年、数か月に一度、店に訪れては必ず高級茶葉と何かしらの菓子類、そして決まって、大量の干し肉を購入していくのだ。
干し肉は、この店の看板商品だ。
遠い町からの輸入品である茶葉も一級品であるが、それ以上にこの店独自で作っている干し肉を目当てにするこの女性は、もしかしたら冒険者相手の行商人かもしれない。
それだけ、冒険者にとって干し肉はメジャーな携帯食料であり、同時にこの店で作りあげた物は帝都で売ればそれなりの価格で売れるほど上質な物なのだ。
ある意味、横流しのようにも思えるが、イシュバーンの世界では当たり前の光景だ。
各地の物流は行商人頼りであり、当然ながらその地で手に入りにくい物や上質な物は、購入価格より格段に高く売れる。
ここラープス村は、背にしている恵みの森こと、通称 “邪龍の森” で採れる山菜やキノコ類、さらには多種多様な農産・畜産業が盛んであるため、食品物に関しては帝国中でも有数の産地である。
もちろん生鮮品も高く売れるが、やはり物持ちの良い保存品、特に干し肉を始めとした携帯食料は村の特産品の中でもかなり高額で取引がされる。
そういう意味で、この女性が干し肉を求めるのも、他の行商人と同様に各地で売りさばくのが目的であろう、というのが店主の考えだ。
だが。
見るからに若く、華奢な女性。
少し違和感もあるが、どこぞの貴族令嬢と言われても不思議ではない見た目に、装い。
そんな女性が、この大荷物を毎回背負って行く。
この女性が最初に店に訪れた時は、それは驚き、心配した。
だが、彼女は平然とこの大荷物を背負って行く。
「はいよ。今回もだが包み布はサービスだよ。」
「助かる。」
女性に言われた茶葉や菓子類を頑丈な箱に入れ、包みの一番上に置いた。
包みの大半が、重量で50kgはあるだろう、干し肉だ。
それらを包み布で巻いて、背負えるように施した。
店主は、代金として女性から大銀貨3枚を貰う。
本当はお釣りがあるのだが、何故か女性は “お釣り” という概念が理解出来ない様子であり、初回以来、ありがたく頂戴しているのだ。
何となく常識を知らないような素振り。
だが、金銭を騙し取ろうとは思わない。
数か月に一度きりだが、店としてはかなりの上客だ。
何かのはずみで騙した事がバレたら一大事。
だから、お釣りが最小限となるよう店主としても調整している。
尤も、それ以上に大きな金額、例えば金貨など渡されたら、ちゃんと釣りは返そうとも心に決めているのであった。
「まいどありっ! それにしてもお嬢さん、相変わらず力持ちだね。」
笑顔で伝える店主に、女性は冷たく睨み、ボソリと呟く。
「これくらいどうってことないわ。脆弱な者と一緒にするな。」
“これは失礼な事を言ってしまったか” と焦る店主だが、女性は気にした素振りも無く、
「では、また来る。」
と、告げて店を出るのであった。
「お待ちしています!」
焦りながらも頭を下げる店主。
失言だったが、どうやらまた来てくれる様子で、安堵の溜息を吐き出すのであった。
◇
「姫にも困ったもんだ。」
大きな荷物を背負った女性は、呆れるように小声で呟いた。
「あの小僧や小娘たちが来るようになってから消費が激しい。こうして人間の里に足を運ぶ妾の身になって欲しいものだ。」
女性の正体。
それは、“邪龍の森” の最奥の番人、邪龍マガロ・デステーアの住処を守護するカイザーウルフ達の生き字引にして長の母親である、婆。
通称 “橋渡しの娘” であった。
人間の姿をしているのは、マガロの魔術の一つである “人化” を施しているからだ。
カイザーウルフとしての力や魔力を極端に抑える代わりに、人間の里へと忍び込め、こうして買い出しに来ることが出来るのだ。
だが、彼女にとって屈辱でしかない。
毛嫌いする人間の姿に変えられるというのも嫌々なのだが、ましてや人間の里で、よく分からない “通貨” なるものと、姫ことマガロが所望する茶葉や菓子類とを交換する文化が、彼女には未だに理解出来ないものであった。
それを強制させられるのは、本当に耐え難い。
以前は、数十年に一度で済んでいた。
だから、耐えられた。
しかし、ここ数年。
主であるマガロの許に、人間の雄と番である雌、そして雄の妹と名乗る雌がやって来てからは主は人が変わったかのように人間たちの相手をし、同時に今までそんなに消費していなかった茶葉や菓子類を頻繁に食するようになってしまった。
そのしわ寄せが、カイザーウルフの婆にきたのだ。
消費し、無くなれば補充をしなければならない。
カイザーウルフの中でマガロの嗜好を理解しているのは、マガロを “姫” と慕い、長い年月の付き合いのある “橋渡しの娘” である彼女だけであった。
だからこそ、“橋渡しの娘”
憎き女神の計略で薄暗い森の奥へ押し込まれ、偉大な主であるマガロが “旦那様” と呼ぶアレの守護と管理を強いられてしまってから、孤独と絶望を味わうマガロの苦しみを少しでも和らげるのが、彼女の役目なのだ。
しかし、こうして人間の嗜好品を買い出すことが、果たして役目なのかどうか、甚だ疑問である。
再び溜息を吐き出す、が。
「……まぁ、人間の作る干し肉は、それなりだがな。」
マガロも、タダで人間の里へ買い出しに行け、とは言わない。
その役目の対価として、彼女に “気に入った物があれば、買っても良い” と許可を得ていた。
つまり、荷物の大部分である重い干し肉は、“橋渡しの娘” 自身の対価であったのだ。
ブツクサと文句を言うが、実は楽しみであったりもする。
森の中で摂れる魔物の肉も旨いが、それ以上に、燻されたこの干し肉はまさに絶品であったのだ。
生まれて初めて口にした時は、三日間は興奮で眠れなかった。
それほど、彼女にとって感動的な出会いだった。
人間の身に変化させられ、人間の商いに手を伸ばす屈辱。
人間が生み出した英知の結晶とも言うべき干し肉を独占できる悦び。
今日も彼女は、一人で悶々とするのであった。
◇
「間もなく夕暮れか。早く戻るかの。」
彼女の帰りを今か今かと待ち続けているだろう、主の姿を思い浮かべる。
やや呆れ顔のまま、荷物を背負いながら邪龍の森へと向かう。
その時。
「やぁ、お嬢さん。大きな荷物だね?」
不意に声を掛けられた。
こうして大荷物を持ち歩くことで、人間に声を掛けられることもある。
人間の美醜は全く理解できないが、どうも主マガロから掛けられた人化の魔術で化けた姿は、人間の雄が劣情を抱くほど煽情的かつ性的なものだと薄々理解している。
だが、人間の姿とは言え、本性は凶悪なカイザーウルフだ。
しかも、800年は生きるカイザーウルフの生き字引。
今更、求愛を迫られたとしてもすでに枯れ果てた身であり、ましてや人間など憎悪はあっても劣情を抱くような対象ではない。
こういう時は、無視をするのが一番だ。
男の声が聞こえなかったような素振りのまま、森へと向かう。
だが。
「おいおい。お嬢さんよぉ。その荷物、オレ達が持ってやろうか!?」
大声で迫る、別の男の声。
先ほど、声を掛けてきた男以上に品が無い。
このまま無視をするのが一番だが、老獪な彼女だ。
振り向き、ニコリと笑う。
「いいえ。大丈夫です。ご主人様がお待ちですので、これで失礼しますわ。」
上品に応えた。
内心、反吐が出る思いだ。
だが、これで良い。
しかし、相手も相手だった。
「まぁ、そう言いなさんな。」
「オレ達に任せろよ。」
いつの間にか、白の法衣を着た僧侶の男が隣に立ち、婆の肩に手を置いた。
そして正反対のような黒装束の男が、無理矢理に婆の荷物を持とうと強引に手を掛けてきたのだ。
「触るなっ!」
それらの手を振りほどき、数歩下がって距離を置く。
婆の目線の先には、驚き戸惑う白法衣の男と、徐々に怒りに顔を染め上げる黒装束の男。
そして、最初に声を掛けてきたであろう、白で統一された豪奢な鎧と金の刺繍が施された白の外套を纏った長い金髪の優男が立っていた。
「て、てめぇ……。」
「まった、ブルザキ。」
黒装束の男を制したのは、優男。
「今、騒ぎを起こすのは良くない……だろ?」
「ぐっ。そう、だな。」
優男に諭され、ブルザキと呼ばれた黒装束の男が渋々と拳を下げた。
「驚かせてごめんね、お嬢さん。ボク達は今日この村に着いたんだけど、この村の村長に用事があるんだが、場所が分からなくてね。案内してくれると助かるんだけど?」
金髪の優男が、髪をかき分けて婆の手を取る。
そのまま跪き、優男は婆の目を見つめた。
背筋が冷える、婆であった。
「……わら、いや、私もこの村の者では、ありません。」
優男の手を振りほどき、答える。
その様子と言葉に一瞬キョトンとするが、優男はすぐに笑みを浮かべて立ち上がった。
「それは失礼しました。なら、別の人に聞いてみるよ。急に声を掛けて申し訳なかったね、お嬢さん。」
それだけ告げ、背を向ける優男。
だが、黒装束の男と白法衣の男が食い下がるように優男へ告げる。
(おい、レントール。いいのかよ!)
(村の女じゃなけれな、犯してもいいじゃねぇか?)
婆に聞こえないような小声で話し掛けたのだろう。
しかし、力の大半が封じられているとは言え、元は凶悪なカイザーウルフの婆だ。
聴力はそのままであり、男たちの会話は丸聞こえだ。
(待て待て、落ち着け。ソリトにブルザキ。これから噂の美人村長へ交渉するだろ? もし承諾されれば、今夜にはしっぽりと、だ。もし拒絶されれば…………だろ?)
優男の言葉で、厭らしい笑みを浮かべる黒と白の男。
……聞こえてないつもりだろうが、丸聞こえだ。
もう、用が無いと悟り、森へと向かう婆。
――恐らく、この3人は “神の使徒”
人間曰く、“超越者”
だが、婆には興味が無い。
その言葉から、この村を襲いに来たと察するが、どうでも良い。
人間の営みや劣情など、好きにすれば良い。
“もし拒絶されれば、制圧だ。抑え込んで、村の若い女を手あたり次第犯せる事になる、だろ?”
あの優男も、紳士に見え大概だった。
“まぁ、それが人間という種族だ”
すでに、3人の人間への興味が無くなった婆は、真っ直ぐ森へと向かう。
が。
「娘。無事?」
「マ、マ、マガロ様っ!?」
3人の男や村人の気配が薄くなった隙を狙って、婆の隣に突如現れたのは、人化した主、邪龍マガロ・デステーアであった。
(この場で、名で呼ばないで?)
(も、申し訳ございません! ですが、姫! 何故このような人里へ!?)
マガロは人化した時、黒色の布切れを身体に巻いただけどの姿か、黒と紫のドレス姿を好んでいたが、人里という事もあり、良く会いに来る小娘たち……ファナとかララとかいう女が着ていたような服装であった。
マガロは、三つ編みにした長い髪を触りながら、小声で婆に告げる。
「恐らく、あの三人が……アロン殿が言っていた連中よ? 彼の表層心理や会話から察していた人物像と、見事に合致しているわ。面白いわね。」
薄く口元だけ笑うマガロに、震えながら婆は告げる。
「あの小僧が、向こうの世界へ渡った原因を作った者たちが、アレですか?」
「ええ。恐らくね。でも、少々訪れるのが早い気がするわ。彼の行動で、少し歯車が狂ったのかもしれない。あの道化がどこまで読んでいるか知らないけど、これは一大事ね。」
人の姿でありながら、グルル、と唸る婆。
「なら、一想いに頭を潰してきましょうか? あの程度なら妾一匹でも雑作も無いでしょう。」
そんな婆に、クスクス笑うマガロ。
目を細め、婆にだけ感じるように、小さく悍ましい気配を立ち昇らせた。
「それは、ダメよ?」
「ひっ。」
思わず縮こまる婆。
だが、マガロは安心させるように婆の頭をソッと一撫でした。
「アレは、アロン殿の獲物よ? 今、彼は出掛けている。もしアロン殿が間に合わず、アレらが何か事を仕出かすなら、彼との盟約に従い私が直々に手を下すけど……。」
ザアッ、と秋特有の冷たい風が走り抜けた。
マガロは口元だけを歪め、静かに呟いた。
「間に合わないはずがない。彼の憎悪、絶望を生み出した元凶を、彼がその手で切り刻めないなんて、あり得ないわ?」
それに……、とマガロは続ける。
「あの道化に、茶番劇の片棒を担ぐ哀れな天使様が仕組んだアロン殿という存在が、これから世界を圧巻していくには、必要な儀式だから。」
震える婆を宥めるように、マガロは背中をさする。
「姫……。」
「うふふ。ごめんなさいね、娘よ。柄にもなく興奮してしまっているわ。」
婆が震えている理由。
それは、マガロが抑えようと必死で蓋をしている感情に、力が原因だった。
マガロは、遠く、天を見つめる。
(きっと、あの方も絡んでいるのでしょうね。)
マガロが見据える先。
それは、かつての悲願。
かつての想い。
全ての盤上をひっくり返す程の、カード。
「ここから始まるのね。期待しているわ、アロン殿。……いえ。」
(グロリアスグロウの神子よ。)
秋の風音と共に。
姿を消す、二人の女性であった。
次回、10月11日(金)更新予定です。