4-22 返事
『シュッ』
カイエンが “黒鎧将” レイザー達に拘束された前日。
つまり、カイエン自身が自刃した日。
時刻は、正午過ぎ。
帝都近くの森に、“ディメンション・ムーブ” で移動してきたのは、黒銀の全身鎧に身を包むアロンと、今回の視察団の一件について司法庁へ提訴する通達書を携えた使者役のオズロン、それにファナとセイルも同行している。
あと、一応不自然でないように、村の早馬も一緒だ。
ただ、ディメンション・ムーブで一瞬にして場所が移り変わったことで、早馬は酷く混乱し、興奮しはじめた。
「どうどう!」
それをアロンとオズロンが宥める。
「まさか団長が……いえ、カイエンが自分で自分の首を切る何て思いもしませんでした。」
未だ青褪め、震える身体をさするセイルがポツリと呟いた。
所属していた蒼天団を抜け縁を切ったつもりのセイルだが、顔を良く見知った人物が自ら命を絶つ行為は、前世の件もあり、相当根深いトラウマになっている。
……それも、自分の所為なのでは。
「セイルさん、元々奴はデスワープも策の内だったと考えます。」
「え……。」
まだ興奮の収まらない馬を宥めつつも、アロンが告げる。
「ボクも初めてみましたが……デスワープ、奴は、自ら命を絶っても発動することを知っていました。それに、村の早馬を奪おうと画策した事が失敗したならば、自害して帝都に戻る予定だったのでしょうね。」
ますます顔色を悪くするセイルに、ファナが優しく背中をさする。
その様子を見て、アロンは続ける。
「セイルさん。カイエンにとってアケラ先生の通達書は不都合の塊のようなものです。奴が早馬を欲したのも、村からこの通達書が早馬で帝都へ向かっていると思い込んだからでしょう。それを追いかけ、強奪する。それが出来なかったとなれば、残された手段はただ一つ。」
「デスワープで、戻る。」
「そうです。死んだ翌朝にはマイホームで復活するのですから、ラープス村から帝都まで早馬で3日は掛かる事を考えれば、妨害するにはギリギリ間に合うとでも考えていたのでしょう。」
唖然とするセイル。
それよりも、アロンがそこまで予測していた事に驚きを隠せない。
「それにしても、カイエンの行動は全部裏目に出たね。さっき、集会場で全員の前で自害したのは失敗だったな。」
ようやく落ち着いてきた馬を撫でながら、オズロンが呟く。
「それは、どういう意味で。」
「これですよ。」
尋ねるセイルに、オズロンは荷物入れから煌びやかな筒を取り出した。
これは、市街や町村から帝都の省庁へ陳情したり、今回のように提訴したりする時に使う専用の上申筒だ。
これには帝国民証と同じ識別用の細かな魔石が散りばめられており、どの市街や町村からの通達であるか判別できるようになっている。
加えて、中に入っている洋紙も特殊なものであり、市街や町村の代表や領主が持つ専用印を押印した特殊用紙での通達書が上申筒に入っていなければ、無効と扱われてしまうのだ。
さらに、開封するための鍵も専用の物が必要であり、帝国全ての街の上申筒の鍵を扱う総務庁へまずは提出する必要がある。
そこで真贋鑑定と内容の確認が行われ、速やかに該当する省庁の担当官を呼びつけて対応させるのであった。
――超越者の間には余り知られていない、世界の仕組みの一つであった。
「村長さんの通達書です、よね?」
怪訝そうに首を傾げるセイルに、オズロンは至って真面目な顔で解説を始める。
「元々、村長が用意していた通達書は別にありました。ただ、カイエンがあの場で自害したことで、視察団の役人衆が今回の顛末を全て語ってくれました。……まぁ、全てがカイエンの独断であると保身に走ったからですが、結果的にはカイエンの行動が裏目に出たことになります。この筒の中には、彼らの証言も踏まえて、急いで作り直したものが入っていますよ。」
「なるほど……。」
今回の視察で、元ギルドマスターであったカイエンの冷徹な一面に酷く落胆し、裏切りとも取られる行動を、セイルは行い、さらにはギルドを抜けたのだ。
だが、裏目に出てしまったカイエンの行動は、皮肉にもセイルが知る “恰好付けだけど天然で何処か抜けているお茶目な団長” の姿であった。
「さて、馬も落ち着いた。……オズロン、予定通り頼む。」
「ああ、任せてくれ。あと……セイルさん、本当にいいのですか?」
冷静で真面目なオズロンだが、少し不安そうにセイルへ告げる。
セイルはピッと背筋を正し、頷く。
「はい。」
総務庁、そして司法庁への提訴はオズロンとセイルで行う。
本来はオズロン一人が使者として訪問する予定だったが、視察団の護衛として、そしてアロン説得役の超越者代表であったセイルが同行することで、通達書に書かれた内容に説得力が増すという事から、というアロンの提案であった。
これについてセイルは二つ返事で了承。
だが、オズロンは不安顔だ。
「オズロン君、どうしたの?」
その様子にファナが気付く。
「あ、いえ。何でもありません。」
「オズロン、ちょっといいかい?」
アロンはオズロンを連れて、女性陣たちから離れる。
「どうしたの、オズロン。らしくない。」
「……セイルさんは僧侶とは言え超越者だろ。もし、途中で裏切られたら。」
「それは大丈夫。彼女は信頼できる。」
だが、当のオズロンは顔色が益々悪くなる。
はぁ、と溜息を吐き出すアロンはオズロンの手を握る。
「な、なんだよアロン!」
「変な意味は無い。今、ボクはオズロンに “攻撃” を仕掛けた。これで君の様子をディメンション・ムーブの視覚効果で見続けることが出来る。もし万一、彼女が妙な行動を取ろうとしたら、即座に駆け付ける。」
顰めた顔を戻し、感心するオズロン。
「そ、そんな能力もあったんだな。」
「ああ。だから安心して行ってきてくれ。」
“別の者を攻撃したら効果が消える”
と、言うことを伝えるのは野暮である。
多少留飲の下がったオズロンを引き連れて、アロンは女性陣の許へと戻る。
「何を話していたのですか?」
「男の子2人で、怪しいなぁ。」
不安げなセイルに、ジト目のファナ。
あはは、とアロンは笑って誤魔化し、早馬の手綱を引く。
「さぁ、時間が惜しい。オズロン、セイルさん、後は頼みました。ボク等は予定通り、帝都で幾つか用事を済ませます。恐らく2時間もあれば終わりますので、冒険者連合体の帝都本部の入口で落ち合いましょう。」
「分かった。」
「任せてください。」
頷くオズロンとセイル。
オズロンは大人しくなった早馬の上に器用に乗り込み、騎座の上に座る。
そして「ん」と照れくさそうに手を差し伸べた。
「あ、ありがとうございます。」
セイルも少し照れながら、オズロンの手を取り、鐙に足を掛けてオズロンの前へ座る。
「じゃあ、行ってくるよ。」
「頼んだよ。」
パコパコと軽快な音を立てて西門へと向かう、オズロン達であった。
「さて。ボク達も帝都の中へ行こう。」
「うん!」
アロンの言葉に満面の笑みを浮かべ、ファナはアロンの腕にしがみ付く。
思わず「うえっ!?」という声を漏らしてしまう。
「どうしたの、アロン?」
「い、いや。その、ちょっと、恥ずかしくないか?」
仮面で表情は見えないが、恐らく赤面しているのだろう。
その様子が手に取るように分かるファナはクスクス笑いながらも、次には頬を膨らませる。
「何よアロン。貴方と私は夫婦でしょ? 別に変なことじゃないと思うけどなー。」
「う……。わ、わかったよ。ファナ。」
観念したアロンは、照れくさそうに鉄仮面をガチガチと掻きながら、嬉しそうに腕に絡みつくファナと共に西門へと向うのであった。
◇
(丁度、貴族専用門で手続きしているね、オズロン君たち。)
(そうだね。)
時刻は正午過ぎであるからか、西門に並ぶ冒険者や商人たちの列は短い。
それでも入場審査まで15分ほどは掛かるだろう。
「けっ。昼間からイチャつきやがって。」
ちょうど、アロン達の後方に並ぶ男の冒険者が悪態をついた。
並びながらも腕を組むアロンとファナの様子が気に入らないと言った様子だが、当の2人は無視をする。
まさに昨日、冒険者連合体の帝都本部で酔っ払った冒険者に絡まれたばかりだ。
絡まれればアロンもファナも負けることは無いが、もういざこざは勘弁、と黙ってやり過ごすこととした。
だが。
「お、おい。あの黒と銀の全身鎧野郎と、白の可愛い姉ちゃんは……。昨日、ルッケスの野郎の腕を潰した奴等じゃねぇのか?」
「え……、あ、本当だ! 間違いねぇ! オレ、昨日本部で見かけた奴だ!」
「おい、お前! 命が欲しかったら関わるな!」
「マ、マジかよ。あいつらが噂の……。」
「や、やべぇ。とんでも無いこと言っちまった!」
何と、昨日の惨劇を目的していた冒険者がいたのだ。
しかもすでに、噂話として冒険者たちに広まりつつあった。
何とも居たたまれなくなるアロンとファナ。
だがそれでも、今更腕を外すのも噂話に負けた気がしてならず、羞恥に耐えながらも列に並ぶのであった。
◇
「はぁ、何か凄く疲れた。」
帝都西区。
広がる煉瓦通りの隅でがっくりと頭を下げるファナ。
「大丈夫か、ファナ。もし疲れたなら……。」
「いいえ! 一緒に行きます!」
フンスと音を立てて鼻息を荒げる。
そんなファナにアロンはクスリと笑う。
「……今、笑った?」
「いいや。」
鉄仮面を被って表情が見えないが、アロンの事なら何でも分かるファナだ。
ムスッとしながらもまたもアロンの腕に絡みつく。
「罰として、目的地まで……いえ、目的地でもこのままね!」
「えっ。えええええ!?」
未だムスっと膨れるファナに、アロンは慌てふためく。
立派な黒銀の全身鎧が、どこぞの貴族令嬢かと思わずにはいられない可憐な女性に腕を組まれ大いに慌てふためく姿は、通り過ぎる人々の格好の注目の的だ。
だが、アロンはそれどころではない。
何故なら、2人の目的地。
もとい、本日の目的。
「メルティをどこまで煽るつもりだい。ファナ。」
「さぁ? あの子次第じゃないの?」
そう、今回の視察団騒動の発端。
ラープス村出身の超越者。
“魔聖” メルティに会いに来たのであった。
ただし、メルティと会うのは本来の目的ではない。
本来の目的。
それは、メルティの後ろに控えている、イースタリ帝国の次期皇帝。
“神獣師” ニーティこと、第一皇太子ジークノート、及び帝国軍輝天八将 “魔戦将” ノーザンへの、警告だ。
◇
「さぁ、メルティ! 今日も一緒に帰ろう!」
「お断りです!」
帝都中央区
高等教育学院、正門前。
今日の授業が終わり、続々と帰路につく院生たち。
その中で、かつて敵対していた貴族派閥の侯爵令息の熱烈なアプローチに、メルティは嫌悪感丸出しの顔で拒絶をする。
だが、そんな事でめげる彼ではない。
長い髪をかき分け、ふふふ、と不敵に笑う。
「自宅のある東区まで少々歩くだろ? そこに我が家の馬車を待たせているんだ。方向も一緒なんだ、どうだい? 良ければ途中にある最近出来た有名なカフェでお茶でも……。」
「結構、です!」
ナルシスト丸出しの侯爵令息を無視して、ズカズカと歩き出すメルティ。
長く巻かれた銀の髪がキラキラと輝く姿を見て、彼の心はさらに高鳴る。
「美しい……。やはりメルティが、一番美しい。」
もはや病的である。
かつて、“田舎者” と散々罵り、何かにつけて絡んできた男の変わりよう。
彼は、メルティの美しさだけでなくその強さ、凛とした佇まいに惚れ込んだのであった。
「なら、今日も徒歩で帰るか! 良ければ荷物を持つよ、マドモアゼル?」
笑みを浮かべ、前を歩くメルティを追いかける。
だが、突然ビタリとメルティが歩みを止めた。
もしや、考え直してくれた!?
「どうしたんだい、メルティ! やはり馬車に……。」
「あ……、あ……。」
そのメルティだが、口を手で押さえて震えている。
顔色も悪い。
「うん、どうしたんだい、メルティ?」
メルティの隣に立ち、彼女の顔をを覗き込みながらメルティの目線の先へと、目を向ける。
そこに居たのは……。
「わ、わぁ……。」
白いローブと金の髪飾りを付けた、天使。
長いさらさらの茶色の靡く髪は日の光に当たり輝き、皇族しか所持することの出来ないだろう純度の高いサファイアを想起させる透きとおる蒼い瞳を持つ、絶世の美女がそこに居たからだ。
メルティ一筋だった彼だが、目の前の女性に完全に心が奪われた。
「き、君! どこのお嬢様だね? 私は……。」
「どいて。」
目をハートにする男の頭を掴み、横へと吹き飛ばすメルティ。
『ドシャアアアアアッ』と横滑りして、うつ伏せに、しかしお尻だけが上がるという情けない姿のまま彼は意識を飛ばしてしまった。
「やぁ、メルティ。久しぶりだね。」
彼の目には映っていなかったが、その絶世の美女の隣に立っている黒銀の全身鎧の男が爽やかに声を掛けた。
隣の美女は、ジトッとメルティを睨む。
そんなチグハグな、2人。
メルティは、全身の悪寒と震えを抑え込み、声を辛うじて絞り出した。
「お、お久し振りですね。アロン……様。」
◇
「今更、私に何の用ですか?」
帝都東区一等地
メルティの屋敷
その応接間に案内されたアロンは仮面を外し、使用人が差し出したお茶を啜る。
「美味しいお茶だね。」
「……どうも。」
どういうつもりなのか。
未だ真意が掴めず混乱するメルティであった。
こうして実際に合うのは、4年振りだ。
しばらくは手紙を通して、高等教育学院と帝国軍に関わる超越者の情報を流していたが、皇太子ジークノートとの出会い以降、ぱったりとその手紙を止めてしまった。
それだけでなく、皇太子ジークノートに対してアロンの情報を売ったのだ。
その時点で、彼を裏切った事は明らか。
いくら “証拠が無い” とのらりくらりしたとしても、それを決めるのはアロンだ。
そのことを理解するメルティは、先ほどから身体の震えが止まらない。
それに加えて、心がぐちゃぐちゃにかき乱されている。
何故なら、アロンの隣の、女。
アロンを巡って火花を散らした、NPC。
何故、この場にファナが居るのか。
ファナはアロンとは対照的に差し出されたお茶や菓子には手を付けず、ずっとメルティを睨んでいる。
だが、メルティも負けていない。
同じようにジトッとファナを睨み返している。
「メルティ。そんな怖い顔でボクの奥さんを睨まないでよ。」
茶器をテーブルに置いて、にこやかにアロンが伝える。
思わず、ふぇっ、と声が漏れる。
「え。お、お、奥さん?」
「うん。今日はその報告もあってね。同郷でクラスメイトだった君に、ボクとファナが結婚した事を伝えようと思って。」
アロンの言葉に思わず両手で口を押え、震える。
その様子に、さっきまで睨んでいたファナが甲斐甲斐しく頭を下げる。
「その節は。連絡が遅くなりましたが、今年の春先にアロンと入籍をしました、ファナです。夫共々、今後もよろしくお願いします。」
何かしら言葉を発しようとするが、声を失う。
今はアロンでなく、皇太子であるジークノート一筋を貫いているメルティだが、かつて憧れたアロンが、最大の恋敵であったNPCに奪われたという事実が、彼女の心を更に更にかき乱すのであった。
「あ、そう。そ、それはおめでとうございます。」
精一杯の祝辞。
落ち着こうと紅茶に口に付けるが、味がしない。
何故こうなった?
その隣には、私が居たはず。
すでに吹っ切れた……とは言い切れないメルティの中に、憎悪という炎が燃え盛る。
だが、その炎は長く燃え続けることは無かった。
「聞いたよね? ボクがすでにジークノート達に会ったことを。」
ビクッと身体を震わせるメルティ。
その震えで、手に持つ茶器から紅茶を零してしまった。
「君は知らないかもしれないけど、ジークノートからこの帝都の将軍、超越者の一人であるノーザンに伝わってね。それは散々な目に遭ったよ。」
にこやかに紡がれる、アロンの言葉。
“ノーザン”
その人物は、メルティも知る。
もちろん、将軍であるという事も知っているが、それ以上に、ファントム・イシュバーンでの “悪名” が有名な人物だからだ。
気に入らないプレイヤーやギルドに執拗な口撃や誹謗中傷を繰り返してきたファントム・イシュバーン帝国陣営きっての嫌われ者、ノーザン。
そんな人物が帝国軍の将軍など、同名の別アバターの転生者だと信じていた。
だが、そいつの職業は “魔神官”
例のノーザンで間違いが無い。
ならば、極力関わらない方が良い。
そう思っていた矢先であった。
まさか、自分が伝えたアロンの情報が心寄せるジークノートから伝わっていたとは。
それに、“散々な目に遭った” ということは、すでにノーザンは何かしらの手段を用いてアロンに接触を図ったということだ。
ガタガタと震えるメルティは、絞り出すように声を出す。
「それ、で? 報復に私を斬りに来たのですか? わざわざ、奥様まで連れて?」
それでも嫌味は忘れない。
例えこの場で斬られても、かつての恋敵には負けない。
――尤も、斬られてもデスワープがあるのだ、死にはしない。
「いいや。今君を斬ってもこちらには何のメリットも無い。」
その言葉に憎々しく目を見開くメルティ。
“何のメリットも無い” ?
その言葉は、少なからず高等教育学院で築き上げた地位と数少ない覚醒職 “魔聖” メルティのプライドを抉るには、十分な言葉だった。
「頭に来ますね。一体、私に何の用事ですか!?」
それでもなるべく平静を装う。
ここで激高しても、意味が無い。
相手は、【暴虐のアロン】
しかも恋敵のモブ女の前だ。
ここで醜い女を晒すことは、身体や実力だけでなく、心までも負けを認めることに他ならない。
メルティの高いプライドが、辛うじて彼女を食い止めた。
そんなメルティの心境など知る由も無い。
あはは、と笑うアロンは背負っていたバッグから、一通の手紙を差し出した。
「気に障ったなら悪かった。実は、この手紙をジークノートに渡して欲しいんだ。」
「殿下に……ですか。」
怪訝そうに手紙を受け取る。
――かつて、一方的に、盲目的にアロンへ手紙を送っていたメルティは、一度もアロンから返事を貰ったことが無い。
それがまさか、自分を通り越して皇太子殿下への手紙を預かるなど、更に彼女の心の中が醜く荒れる。
「確実に渡してね。もし、それが彼の手に渡らなければ……もっと酷い事になる。」
アロンの全身から発する、悍ましい気配。
何かしらのスキルとは理解するが、それを防ぐことが出来ない。
メルティの現在のレベル、118
だが、アロンは600を超える化け物だ。
どうあっても、防げるはずがない。
「もっと、酷い事って? 何かしら?」
それでも精一杯、歯を食いしばって食らいつく。
その様子にアロンは一瞬感心したように声を漏らすが、すぐさま、圧を強めて伝える。
「知りたいなら、その手紙を破棄してみれば良い。……きっと後悔するだろうけどね。」
単純な脅しではないと理解する。
全身から溢れる殺意も、悍ましい気配も、そして紡いだ言葉も、全て本心なのだ。
それだけの意味が、この手紙にある。
もはや、メルティは頷くことしか出来なかった。
「ありがとう。頼むね、メルティ。」
「はぁっ、はぁっ。いま、さら。」
汗だくだが、嫌味は忘れない。
――そう、今更だ。
もっと早く、その言葉が欲しかった。
そうすれば、裏切らずに今も……。
だが、それは過ぎた話だ。
メルティはどうしても、自分を謀ったアロンと、アロンを奪った目の前のモブ女が許せないのだ。
「この手紙は、殿下に渡す。それは約束します。」
「それだけで十分だよ。」
アロンは再び黒銀の鉄仮面を被り、ファナと共に立ち上がった。
「君も学業で忙しいだろう。ボク等はこれで失礼する。突然にも関わらず持て成してくれてありがとう、メルティ。」
「ご馳走様でした。」
アロンとファナはそれぞれ礼を述べ、使用人の案内でメルティの屋敷を後にした。
「何が、持て成してくれてありがとう、よ。何が、ご馳走様、よ。」
2人が出た後、メルティは一人、応接室で怒りに震える。
持て成したつもりはない。
加えて、ご馳走様と言い放ったあの女は、紅茶もお菓子も一つも口にしていない。
「毒でも盛ったと思ったのかしら。……次があれば、盛ってやる。」
苦々しく。
憎々しく。
メルティは憎悪を燃やしながらも、アロンから預かった手紙は大切に掴むのであった。
◇
「お待たせしました、アロン様、奥様。」
「遅くなりました!」
帝都西区
冒険者連合体帝都本部前。
互いの要件を済ませたアロンとファナ、そしてオズロンとセイルは再び落ち合った。
「そっちはどうだったの?」
「ええ。予想以上の反応でした。セイルさんの口添えがあったのがより良かったと思います。今日中には司法庁からラープス村に向けて使者を送ると約束してくれました。それに、すぐさま人民庁と財務庁、それに教会本部まで今回の件を報告すると、相当憤慨なさっていましたよ。」
ファナの問いに珍しく笑みを浮かべ、答えるオズロン。
そのままセイルを見て、まるで立役者だと言わんばかりに手で差し伸べる。
「良かった。オズロンはもとより、セイルさん、本当に助かりました。」
アロンは大きく頭を下げる。
続けてファナも頭をペコリ。
「い、いえ! 私は、私の正義に従ったまでです!」
顔を真っ赤に染めて手をパタパタと振る。
その様子に、アロンもファナも笑みを深めるのであった。
「そっちはどうでした?」
今度はオズロン。
ああ、と頷くアロン。
「たぶん大丈夫だよ。」
“たぶん”
不確定な言葉はオズロンが嫌うものであるが、心底信頼するアロンが言うのだ。
「じゃあ、大丈夫ですね。」
笑顔でオズロンは頷く。
それにしても。
「何か、珍しくご機嫌だね。オズロン。」
失礼とは思いつつも、アロンは思わず尋ねてしまった。
その言葉を待ってました、と言わんばかり、オズロンはアロンの両肩をガッと掴む。
「ふふふ。これが笑わずにいられますか。」
「へ?」
オズロンの笑みがさらに深まる。
何やら、嫌な予感が……。
「聞きましたよ、アロン様。セイルさんが昨日、アロン様が造られたギルドに加盟されたそうじゃないですか。奥様と、妹様も一緒に。」
「あ、うん。」
「水臭いじゃないですか。それに、今、ちょうど冒険者連合体の前にいますよね?」
「あ、ああ……。」
白い歯を浮かべ、オズロンはにやりと笑う。
「じゃあ、ボクも加盟しますので手続きに行きましょう。何、すぐ終わりますよ!」
ガクッと頭を下げるアロン。
そう、オズロンは司法庁への提訴の道中、セイルから “昨日、元いたギルドを抜けてアロンさんのギルドに入らせてもらいました” という話を聞いたのだ!
「わ、私、悪気があったわけじゃありませんよ!」
「そう、ですよね。」
慌てるセイルにアロンは手を伸ばして制する。
まるで子供のように目を輝かせるオズロンは、
「さぁ、行きましょう!」
と、珍しく元気いっぱいにアロンを引っ張っていくのであった。
「ああ。これは明日にはリーズルとガレットも連れてこなくちゃ、うるさいだろうな。」
「でしょうね! しかし、家族と超越者であるセイルさんを除けば、次にギルド入りはこの私! アロン様の弟子1号という称号は、私のものですね! ふふふ、あいつらの悔しがる顔が目に浮かぶようだ。」
「頼むから、揉め事は勘弁してくれ……。」
そんなアロンとオズロンのやり取りを、お腹を抱えて笑うファナ。
そして自分が言った事が発端とは言え、ブツブツと文句を言いつつも何やら嬉しそうなアロンの様子に、自然と笑みが零れるのであった。
こうして、幾つかの運も絡んだがアロンは視察団による悪辣な勧誘を跳ねのけることに成功したのだ。
だがそれは、新たな運命の幕開けでもあった。
それは、まるで止められない奔流のように。
【暴虐のアロン】は、ついに動き出すのであった。
次回、9月25日(水)更新予定です。