1-4 偽りの世界
薄暗く、閉ざされた部屋。
アロンは、一人で佇む。
ここが、アロンの新たな住処だ。
凡そ六畳二間。
バス・トイレどころかキッチンすら無い。
最低限の設備さえ揃わない部屋に置いてあるもの。
無造作に置かれた謎の金属と謎の素材で作られたゴーグルと、同じ素材で出来た歪な手袋。
青と灰色の、奇妙な紋様が刻まれた装置。
これが、“VR” と呼ばれる世界への入口だという。
そして、同じく謎の素材で出来た、見た事も無いほど先鋭的で、今まで触れたことすら無いほど柔らかな椅子が置かれている。
いよいよ、アロンはこの別世界で人気を博する娯楽の世界、VRMMOと呼ばれる遊戯、異世界イシュバーンを模した【ファントム・イシュバーン】へと入っていく。
アロンは御使いの言葉と、授かった転生特典を思い出した。
――――
「別世界……、と言うより、“異世界” だ。異世界から異世界へ転生、もしくは転移する時、意識や記憶を持ったまま転移・転生すると、環境に適応できず早死にしちゃうケースが多いんだ。だから、その穴埋めとして “転生特典” ……能力を与えることになる。」
御使いの男から告げられる、転生特典。
「まず、基本的なものとして、異世界の文字や言語を理解できる能力だ。これが無くては、話にならない。」
頷くアロン。
イシュバーンの世界は、神が与えたとされる “共通言語” が主流である。
地方によっては独特の言語や方言もあるが、これが基本だ。
“異世界” ともなると、同じ言語が通用するとは思えない。
「そして、向こうの異世界からイシュバーンへ渡る際、【ファントム・イシュバーン】で得た絶大な力を持って生まれ変わるという膨大な転生特典があるにも関わらず、こちらの世界から、向こうの世界へ渡るに、それだけでは釣り合わないと思わないかい?」
“確かに”
超越者という、適正職を超える職業と力を有する絶対者。
それに比べて “言語理解” だけなのか、と。
「ちなみに、あちらから渡ってくる超越者にも、言語理解という能力は付与される。これは、基本的な力だからね。」
何たる不公平。
だが。
出会って間もないが、アロンは何となく御使いの性格を掴んだ。
アロンをいちいち試すような物言い。
反応を楽しんでいるようにも見える。
つまり、今告げられた “不公平感” に動揺するかと思ったのであろう。
だが、“それだけなはずが無い” と考えるアロン。
声には出さないが、御使いはアロンの思考を読んで、一言。
「なんだ、つまらない。」
そうぼやいた。
やはり、アロンの反応を楽しんでいたようだ。
「アロン君の考えのとおり、それだけなはずが無い。当然、君にも他の転生特典を授けるのがボクの役割だ。」
その言葉で、アロンは “別の可能性” を見出す。
『御使い様……。ボクがその力で、あちらの世界の住人を、【ファントム・イシュバーン】の奴等を、根絶やしにすることは可能ですか?』
そもそもの元凶を、絶つ。
そうすれば、イシュバーンの世界は……。
しかし、はぁ、とため息をついてアロンを見下すような目線を向ける御使い。
思わず背筋がびくりと震えるアロンであった。
「君ねぇ。イシュバーンにあの子たちが送り込まれるのは、そもそもイシュバーン救済のためだ。仮にそんな事が出来ても、許可できないね。」
超越者に対する憎悪で、失念していたアロン。
『す、すみません!』
「いいさ。それに、そんな事できっこないからね。そういう類の力は、僕からは与えられない。君に与えられるのは……。」
アロンの肩に手を置いたまま、御使いは目を見開く。
「いいねぇ。見込んだ通りだ。」
勝手に納得している。
いい加減、さっさと教えてくれと、急かしそうになる。
アロンの様子に気付き、御使いは両手を広げて頭を下げる。
「ごめんごめん。君に与えられる転生特典は、“不眠不休” と “代謝固定” の二つだ。まさに、あちらの世界で【ファントム・イシュバーン】に入り込むにはもってこいの能力だ!」
“不眠不休”
“代謝固定”
『それは、どういう……?』
アロンからの質問。
それに、“神の代行者” を名乗った者とは思えぬほど邪悪な笑みを浮かべて、御使いが答える。
「よぉく聞いてね、アロン君。君は……。」
――――
アロンは、御使いに教えられたとおりに『VR装置』を頭部に着け、ブローブ状のコントローラーを両手にはめ込む。
視界が、無機質な部屋から一瞬にして広大な世界へと飛び立つ。
震えあがる、アロン。
“この世界には、こんな技術があるのか”
剣も、魔法も無い異世界。
その代わり、発達したテクノロジーが支配する世界。
人々は娯楽に生き、その姿勢は退廃的と言える世界。
そこで、アロンは【ファントム・イシュバーン】で “アロン” として生きる。
御使い、そして超越者曰く、“ゲーム” の世界。
ここで得られた力が、条件と制限を除いて、そのままイシュバーンの世界で揮える。
ただ、誰でも彼でもイシュバーンへ渡れるわけではない。
その辺りのさじ加減は、御使いではなく、この世界の神、もしくは神の代行者の手によって選別されているというのだ。
アロンは、イシュバーンから渡ってきたイレギュラー。
そして、イシュバーンの “御使い” の権限で、いずれ元の世界に戻るのだ。
タイムリミットは、5年間。
それまでに、アロンは超越者を “選別” と “殲滅” が出来る力を、この【ファントム・イシュバーン】で得なければならない。
それも、ただ “力を得る” だけではダメだ。
何故なら、超越者は “不死” だからだ。
奴等を “殺せる方法” を見つけ出さなければならない。
ただ、強くなるだけでは意味がない。
“守る” そして “殺す”
この二つが、アロンの全てとなる。
アロンは御使いから授かった “転生特典” を思い出す。
「これさえあれば……辿り着けるはずだ。」
“不眠不休” と “代謝固定”
剣も魔法も無いこの世界で、この転生特典たる能力は、まさに絶大であった。
“不眠不休” はその名のとおり、休むことも眠ることも必要としない肉体となった。つまり、延々と【ファントム・イシュバーン】をプレイし続けることが出来る。
そして “代謝固定”
これは、言うならば “腹が減らない”、“排泄物を出さない”、“代謝しない” という、生物として遥かに異常な状態を生み出す能力であった。
休まず、合間も挟まず。
ただひたすら、【ファントム・イシュバーン】に没頭する。
そしてアロンは、御使いと、こちらの世界の “御使い” から、あるサービスを受けた。
すでに御使い同士で、アロンの処遇については話が詰めてあり、アロンは成人男性として転移したうえ、【ファントム・イシュバーン】を進める上で有利となる “課金” が出来るほどの資金が用意されていた。
最も、休むことも飲食も必要ない肉体だ。
手元にある資金は、全て【ファントム・イシュバーン】に費やせる。
当然、【ファントム・イシュバーン】に掛かる通信費や維持費、月々の登録費など諸経費は掛かるが、それを除いても莫大な資金が用意されていたのであった。
だが、今のアロンの肉体も、資金も、無限ではない。
御使いから告げられた、タイムリミットの5年間。
それを過ぎてしまうと、アロンの肉体に宿る “不眠不休” と “代謝固定” が限界を迎えてしまう。
この別世界では異質とされる力のため、限界を迎えるとそのツケが一気に襲いかかり、アロンの肉体は腐り落ちると言うのだ。
加えて、資金も追加されるわけでは無い。
使い切ってしまえば、そこまでだ。
つまり、アロンは5年間で成果を上げなければならない。
やるべきことは、二つ。
一つ、【超越者】以上の力を得て、転生後に自らを鍛えられるための下準備を行うこと。
二つ、“不死” である【超越者】を葬り去る方法を編み出すこと。
どちらも、鍵はこのゲームが握っている。
他にもいくつか、御使いから告げられた裏話もあるが、最低限この二つはクリアしなければ話にならない。
「さて。」
アロンは早速、装着したゴーグルに触れる。
すっぽりと頭を覆うようなゴーグルは少し大きめだ。
こちらの世界の御使いに教えてもらったとおり、側面についているスイッチをカチリと押してみる。
「うわっ!」
思わず声を漏らしてしまう。
突然、ギュッ、とゴーグルがアロンの頭のフィットしたのだ。
緩めであったゴーグルが丁度良く視界を覆う。
「これで、いいのか?」
アロンは慣れない手つきで両手にグローブ型のコントローラーを装着して、握って、開いて、感触を確かめる。
御使い曰く、このゴーグルとグローブ、そして五感を駆使して遊ぶのが “VR” というものらしい。
この部屋に置いてある柔らかな、深い椅子に腰を掛けてゴーグルの起動ボタンを押す。同時にゴーグルの視界が、殺風景な部屋から広大な大地を映し出す。
「う、うわあああああっ!!」
思わず絶叫を上げてしまうアロン。
『ドンッ!!』
勢いよく後ろへ飛び跳ねた反動で、椅子ごと倒れた。
背に感じる鈍い痛み。
だが、視界はこの世の風景とは思えないほど、神々しい空を映し出している。
『衝撃を感知したため、一時中断します』
突然響く、無機質な女の声。
すると、空、広大な大地が半透明となり、先ほどまで居た部屋を映し出した。
それは、見慣れた天井。
だが、うっすらと空も見える。
「なんだ、これ……。」
余りに非現実的な瞬間。
アロンの心臓が、爆音を響かせる。
ふと、イシュバーンの御使いの言葉を思い出した。
『この程度で驚いていちゃ、後々困るよ?』
御使いが見せてくれた、映し出す魔法。
あの光景と、同じ世界が目の前に広がった。
「こういう、事か……。」
よろよろと立ち上がり、椅子を元に戻す。
改めて腰を掛けて、ゴーグルに映し出される「OK」のボタンを押す。
「ぐっ……。」
再び、広がる広大な大地。
歯を食いしばり、不可思議な現象を全身で受け止める。
『ようこそ! ファントム・イシュバーンの世界へ!』
耳元に聞こえる、陽気な女の声。
アロンの正面に徐々に姿を現す、女。
明るい栗色のツインテールに、クリッとした大きな黒の瞳。
ブレザーのようなチェックの服に、ふわっとしたスカート。
思わず警戒するアロン。
だが、女はアロンを無視して続ける。
『貴方はこのファントム・イシュバーンの冒険者です。この世界は、“帝国”、“聖国”、“覇国” の三大国が太古より争いを繰り広げ、互いに領地を奪い、奪われ、終わりの見えない戦いを続けております!』
それは、“異世界” イシュバーンと同じ。
――本当に、イシュバーンと同じなんだ。
分かってはいたが、アロンは絶望する。
『――さぁ、まずは貴方を冒険者として登録します! こちらが貴方の “アバター” となりますので、性別、髪の型と色、顔付、目の色、肌の色を選び、その他メイクを施してください。』
女の隣に、無機質な男と女が現れた。
『さぁ、どっち!?』と陽気な女が急かす。
「……男、だ。」
アロンは、男を選ぶ。
すると、男の顔が近づく。
髪の形と色、顔付、目の色を選べという意味だ。
淡々と、アロンは操作する。
出来上がったのは、まるで鏡に映したような、アロンの姿。
ゴーグルの下に、涙が溜まる。
この世界でアロンとして駆け抜ける、その決意をもって。
◇
『貴方の名前は “アロン”、男性。最初の適正職業は “剣士”! 名前と性別は、“幻想結晶” と交換できるアイテムで変更可能だけど、適正職業はレベル50になるまでは、自由に変更可能! もちろんステータスも再設定できるから、色々と試して自分に合った適正職業を見つけてね!』
陽気な女がはしゃぎながら伝える。
そして。
『さぁ、最後の選択! これは、変更不可能だからよぉく考えて、選んでね!』
それは、三大国のどの陣営に与するかの選択だ。
◆
【帝国】イースタリ
大陸の東側に位置し、山間農林業が盛んな肥沃の大地。
皇帝を頂点とし、中央政権による政治と軍部によって支えられる。
軍部は8人の帝国将軍、通称 “輝天八将” が従える八つの将団に分かれ、それぞれ部隊長が3人、計24人で支える。
部隊長は別名 “万人隊長” と言われ、その名のとおり1万人の兵を従える。
その下には、“千人隊長”、“百人隊長”、“十人長” とランクがある。
冒険者の格付けとは別に、帝国で武勲を上げると皇帝から帝国軍の将官に任命され、定期的にギルド戦への参戦が義務付けられるが、勝敗関係なくアイテム(無料ガチャ確定)や給金を得られる。
<メリット>
将官任命によるギルド戦義務が生じるが、毎回、無料ガチャ券が配布される。
◆
【聖国】ウェスリク
大陸の西側に位置し、海産業が盛んな水の恵みの大地。
聖女を象徴として、“派閥” と呼ばれる評議会が政治と軍部を掌握する。
軍部は12人の “聖天騎士爵” が、それぞれ12に分かれた特色ある部隊を率いて、互いに連携を取り、部隊を選抜して敵対する二国と凌ぎを削る。
12の部隊は、「歩兵隊」「騎馬隊」「輜重隊」などに分かれている。冒険者は主に「歩兵隊」として徴兵されることがあり、武勲を上げると聖女から格付けポイントが付与され、一定ポイント達成で各隊からの褒章(アイテムか、“幻想結晶”)を得られる。
<メリット>
ギルド戦の勝敗結果によって得られる格付けポイント(積み上げ式)で、一定ポイント達成で必ずアイテムか課金アイテムである “幻想結晶” が無料で得られる。
◆
【覇国】サウシード
大陸の南側に位置し、鉱山業が盛んな物資の大地。
覇王を頂点とし、5人の大公を代表とする合議制議会によって政治、軍部が運営される。
軍部は5人の大公家それぞれが代表として選出した “五大傑” と呼ばれる豪傑がそれぞれの家に属する部隊を徴兵して、軍部を担う。その殆どが冒険者である。
国境の防衛部隊以外は常駐の軍部がほぼ無い代わりに、徴兵される冒険者への補償が手厚い。武勲を上げると覇王から給金、経験値、ジョブポイントが付与される。
<メリット>
ギルド戦への参戦に関わらず、給金(R)、経験値、ジョブポイントが付与される。ギルド戦の勝敗結果によって増減する。
◆
『途中、陣営を裏切ることも出来るけど、あまりお勧めしないわ! だって恨まれちゃうし、寝返った陣営からも、裏切った奴だ、って白い目で見られちゃうからね!』
これも、御使いから教えられたゲームシステムだ。
途中、陣営を裏切り、敵対国へ寝返ることが可能。
ただ、それをしてしまうと各国メリットの恩恵効果がある程度の武勲を上げないと通常払いの半分しか得られなくなる。
例えば、帝国だとギルド戦2回に1回しか、無料ガチャ券が配布されないといったところだ。
アロンは、イシュバーンで【帝国】出身者。
だからこそ、本来なら “帝国一択” なのだが……。
「“聖国” で。」
『はーい! では、剣士アロン様は、“聖国” 陣営ですのでよろしくお願いします!』
聖国を選んだ。
何故か。
アロンは、異世界出身者。
もちろん、この世界のテクノロジーの粋である “VRMMO” に触れるなど、初めてどころか未知の世界であった。
そういう意味でも、アロンは他者に比べて相当遅れていたため ”穴埋め” としてイシュバーンの御使いが、いくつか裏話をアロンに伝えた。
その一つ。
三大国の選択と裏切りについてだ。
それぞれの国に属することで、受けられる恩恵が違う話は聞いていた。
もし裏切った場合、寝返った先の国から得られる恩恵も “当面” は半分になる。
が、この当面の間を乗り越え、さらに武勲を上げると……。
裏システムが、発動される。
“裏切った国” の恩恵が、寝返った国からの恩恵でも得られるようになるのだ。
これは『優秀な人材(しかも裏切る可能性のある人材)を逃さないため』という裏設定で、国々独自の恩恵に加えて、裏切った国で与えていた恩恵まで与えられるようになる。
つまり、果てしなく膨大な時間と労力が必要となるが、最終的には
・無料ガチャ券と給金
・アイテムと幻想結晶
・給金と経験値とジョブポイント
これらをまとめて、一国の陣営から恩恵で得られるようになる。
“本当は、帝国に居たい”
それが、アロンの本心だ。
だが、これは遊戯。
偽りの世界。
元の世界に戻った際、狙うは超越者の命。
絶望的な力を有する彼らを “選別” と “殲滅” するには、割り切ってでも、自身の想いを殺してでも、力を得る必要がある。
何かを成すのではない。
何もかもしなければ、届かない。
さらに、敵対陣営に与するアロンには、もう一つ目的がある。
それは、この【ファントム・イシュバーン】の特性とも言えよう。
“イシュバーン” をそのまま模した、偽りの世界。
即ち、帝国が敵対する “聖国” と “覇国” の情報が溢れているのだ。
太古から延々と続く三大国の戦争。
この三大国が存在する大陸。
別名、“血塗られた大地”
そして、その戦争の裏。
イシュバーンの救済という大義名分がありながら、私利私欲でイシュバーンを我が物顔で蹂躙する害虫。
超越者こと、転生者。
――奴等は、帝国だけに存在するわけではない。
いずれアロンは帝国をだけでなく、“聖国” と “覇国” にも潜む超越者たちにも、牙を剥ける日が来る。
イシュバーンを救済する者の、選別を。
それ以外は、殲滅を。
「待っていて、ファナ。ボクは必ず戻る。」
後に【暴虐のアロン】と恐れられる男。
この日、VRMMO【ファントム・イシュバーン】の世界に降り立った。