4-14 ”信じる”
昼下がり。
アロンの自宅。
「どうぞ、セイルさん。」
「あ、ありがとうございます……。」
セイルの目の前には、料理の数々。
焼き立てのパンと野菜たっぷりのクリームシチュー、それに香ばしく焼いたベーコンとチーズをまぶした特製サラダ。
さらに今だジュウジュウと焼ける音と香辛料の良い香りを漂わせるブルタボンという猪型モンスターの肉を丁寧に焼き上げた、所謂ポークソテーだ。
変哲の無い、ランチ。
しかし、色とりどりの瑞々しい野菜が宝石のように美しく輝き、音を立てるポークソテーの香辛料の香りが鼻腔をくすぐり、食欲を掻き立てる。
――アロンの畑の近くで泣いていたセイル。
たまたま声を掛けたのが、アロンの妻ファナであり、そして迂闊にもセイルに “アロン” の名を告げてしまった。
焦るアロンと、驚愕するセイル。
しかし、アロンから見たセイルという人物。
それは、超越者の中でも異質というか、このイシュバーンの民を思っての行動が目立ち、また超越者に対する思惑も見えた。
その真意、何を思ってこのイシュバーンに転生したのか。
アロンは、セイルに対する “選別” を試みる。
丁昼時というのもあり、アロンの自宅へ招いたのであった。
「さあ、遠慮せず召し上がってください。」
セイルの対面に座るアロンが笑顔で進める。
ふわふわっとした金髪は猫の毛のように細く輝き、優しげな紺の瞳は、とても同じ年の少年とは思えぬほど幼く見える。
初めて出会った時は黒銀の全身鎧と鉄仮面を纏っていたからか、溢れる強者の雰囲気で “同じ年” であることを失念するほど気圧された。
しかし今、目の前に座る少年は、優しいと言うよりもどちらかといえば気弱そうな、それこそ虫一匹潰すのに躊躇しそうにも見えるほどだ。
だが、彼こそセイルが想い焦がれたアロンだ。
かつてファントム・イシュバーンで【暴虐のアロン】として名を馳せ、敵対していた聖国陣営と覇国陣営に恐れられていた、誰しもが認める最強プレイヤー。
セイルが、無気力な日々をファントム・イシュバーンで何とか潰していた日に、ギルド戦でギリギリのところを救いだしてくれた、憧れの人。
“いつか彼のように、誰かを救いたい”
一度は萎えたファントム・イシュバーンへの気持ちが高まり、アロンという孤高の存在に一歩でも近づくよう、真剣にゲームに打ち込んだ。
――徐々に、壊れた心は癒され、それがきっかけともなり、このイシュバーンへの転生を決めた理由にもなった存在。
しかし。
素顔を見ると、今まで描いていたイメージが崩れる。
強面か、クールなイケメンを想像していたからだ。
実物のアロンは、顔は確かに悪くない。
しかし、イケメンと言えるかというと “?” だ。
少し頼りなさそうで、“守ってあげたい!” という男子が好みな女性にはウケそう、と少し失礼な事も思ってしまった。
「どうしました、セイルさん?」
セイルに出したのと同じ料理をテーブルに並べてから、アロンの隣に座る女性。
こちらは100人中、99人は “美人!” という評価を下すだろう絶世の美少女が尋ねてきた。
「あ、いえ! ……いただきます。」
慌てて手を合わせ、ペコリと頭を下げるセイル。
その姿に、キョトンとする2人。
「セイルさん、今のは?」
美少女こと、ファナが再び尋ねてくる。
どうやら、今、セイルがした “いただきます” の動作が見慣れていなかった様子だ。
「あ、今のは……何て説明したら良いのかな? 私が元々住んでいた国の風習、ですね。出された食事に手を合わせて、“いただきます” というのです。」
「へー! “いただきます” を言うのは同じだけど、手を合わせてお辞儀するのは初めて見ました! 何か良いね、アロン!」
「そうだね、ウチでもやる?」
「あ、あと同じように “ごちそうさま” も手を合わせます。」
再び手を合わせ軽く会釈するセイルに、二人はさらに “へー!” と感心する。
にこにこ笑いながら手を合わせて「いただきます」と声を合わせて頭を下げる、この二人は “夫婦” だというのだ。
……正直、今日一番の驚きだった。
憧れの【暴虐のアロン】の素顔を見た時も驚いたが、それ以上に童顔気弱少年といったアロンの妻が、着飾ればそこら辺にいる貴族令嬢すら裸足で逃げだしそうな程の麗しい美少女ファナなのだ。
釣り合わない、とまでは言わないが……。
どうやってアロンが、この絶世の美少女ファナのハートを射止めたのか、気になる。
気になる、が。
「うん、やっぱファナの料理は最高だ。凄く美味しいよ。」
「えへへ。ありがと、アロン♪」
目の前の仲睦まじい夫婦のやり取りに、乾いた笑みがこみ上げるセイル。
同じ年、ということは帝国で認められている婚礼が16歳になる年からなので、間違いなく新婚ほやほやだ。
だからこそ仲睦まじいのは分かるが、何となく、この二人の間柄は夫婦になる以前からこんな感じだったと見て取れる。
それにしても、仲が良い。
“いいなぁ” とセイルが思っていると、
「食べないのですか、セイルさん?」
「もしかして、苦手な物がありましたか!?」
二人は、料理に手を付けないセイルを心底心配したように尋ねてきた。
――あの出会いの所為で、まるで腫物を触れるかのように二人は事あるごとにセイルへ気遣う。
「す、すみません! いただきます!」
精一杯の笑みを浮かべ、新鮮な野菜がごろごろ入ったクリームシチューをスプーンで掬い、口に運ぶ。
程よい甘みと塩気に、凝縮された野菜と鶏肉の旨味。
セイルは思わず、
「おいしいっ!」
と、瞳を真ん丸に輝かせて思わず声を上げた。
にっこりと笑うアロンとファナの表情を見て、「あ。」と呟き、顔を真っ赤に染めるセイル。
朝食が早かったこと、時刻はすでに午後2時頃と遅めの昼食であったことで確かにお腹は空いていたが、そうでなくとも今、口に運んだシチューは声を漏らす程の絶品だった。
「おいしいでしょ。ファナは料理が凄く上手なんです。そちらのパンも、彼女の手作りですよ。」
笑みを浮かべながら勧めるアロン。
焼き立てのパンを見て、さらにセイルの目が丸くなる。
「え、これもファナさんが焼いたの!? 凄い!」
「あ、いえっ! その、パンやパイを焼くのが趣味でして……その、将来、アロンと一緒にパン屋さんを開くのが夢なので……。お、お口に合うか分かりませんが、良かったら召し上がって、感想を教えてください!」
恥ずかしそうに告げるファナから、パンへと目線を移す。
大きめのロールパンといったところか。
ふっくらと焼き上げ、とても香ばしい香りが漂っている。
手を伸ばし、掴むとフワリと柔らかな感触が指に伝わる。
両手を使い一口大に千切ると、中からさらにふわふわの白い内相が露わになり、パン特有の香ばしい香りがさらに広がった。
「……いただきます。」
ジャムやバターを付けずに、そのまま口へ運ぶ。
すると。
「……っ!!」
絶句する、セイル。
想像以上に美味だった。
口に入れた瞬間、広がる小麦の香りと程よい甘み。
微かに感じる塩味、そして練り込まれたバターの風味が舌を優しく撫でる。
――前世、わずかにあったセイルの未練。
実は彼女、大のパン好き。
自分の味覚に合うパンを求め食べ歩き、ついに見つけた最高のパン屋の近くのアパートを借りて暮らすほどの、筋金入りだったりする。
ちなみにそのパン屋は評判が評判を呼び、いつしか雑誌やTVでも取り上げられるほどの超有名店にまでなった。
その事実が嬉しくも、有名になればなるほど買い物客が押し寄せ、中々食べたいパンが買えないといった憂き目にもあったりした。
セイルの未練の一つが、現世のパンだった。
だからこそか、今世もセイルは大のパン好きであり、帝都に移り住んでからは各区を巡り、自分の好みに合うパン屋探しに没頭した。
しかし、帝都で一番と噂されるパン屋も、確かに美味しかったが、かつてのあのパン屋に比べると遥かに見劣りしてしまうのだった。
そして冒険者となり、そのパン屋にも中々通えなくなった。
一応、居住先であるお屋敷の使用人に頼み込み、そのパンを用意して貰うこともあったが、お屋敷の料理人に良い顔をされないから、たまにしか味わえなかった。
だが、今、口に入れたファナのパンは、帝都で見つけたパンを遥かに凌駕する。
むしろ、その味は……。
「え、セ、セイルさん、どうしたの!?」
青褪めて慌てるファナと、同じくアロン。
何故なら、目の前のセイルがパンを口にして黙ったと思いきや、突然、両目から大粒の涙をボロボロと零し始めたからだ。
溢れる涙を拭おうともせず、セイルはパンを千切り、口に放り込む。
また、涙が溢れる。
「ご、ごめんなさい……。凄く美味しくて……。」
「あ、ありがとうございます……。」
セイルの様子に驚くアロンとファナだが、二人は当然ながら知らない。
――セイルの心は壊れかけており、情緒が不安定であることなど。
だが、壊れかけた心が少しずつ満たされていく。
ファナが焼いたこのパンは、何十、いや百店舗を超えるパン屋行脚で見つけたあのパン屋のものと、遜色の無いほどの絶品であったからだ。
辛かった前世で、辛うじて心をつなぎ留めてくれたあの味が、思い起こされる。
自然と溢れる涙は、再び絶望の淵に立たされていたセイルの、心からの歓喜であったのだ。
◇
「お見苦しところ、申し訳ありません……。」
両目を涙で腫らし、顔を真っ赤に染めて顔を俯かせるセイルは何度もアロンとファナに頭を下げた。
「いやいや。涙するほど美味しい料理だったと言ってもらえて嬉しいですよ。」
「そ、そんな大した料理じゃ無かったのですが……。」
愛するファナの料理を涙を流してまで “美味しい” と表現してくれたセイルに笑顔を向けるアロンだが、当のファナは “そこまで!?” と半信半疑、むしろ恥ずかしいくらいだった。
だが、ファナの謙遜を受けてセイルはガッと頭を上げる。
その目は、真剣そのもの。
「いえっ! ファナさんのお料理は帝都の一等地のレストランにも引けを取りません! そして貴女の焼いたパン! 前世でも今の人生でも、今まで食べたパンの中で一番です!」
さすがに前世含めて、は言いすぎなのかもしれない。
しかし、食事でここまで心を満たされた経験が前世でも今世でも無かったセイルは “命の恩人” レベルでファナを立てる。
その言葉と意味に、さらに真っ赤になり両手で顔を覆うファナだった。
「帝都で暮らすセイルさんがそう言ってくれるなら、この村でパン屋を開いても大丈夫そうだね、ファナ。」
食後の紅茶を飲みながら、笑顔を向けるアロン。
うう、と唸りながらも小さくコクリと頭を下げるファナであった。
“ファナの夢は、夫アロンとこの村でパン屋を営むこと”
その話を聞いていたセイルの表情が、暗く落ちる。
「……アロンさん。」
「はい。」
「私、アロンさんに謝らなければいけません。」
顔を真下に向け、長い黒髪が彼女の顔を覆う。
それほどまでに、落ち込むセイル。
「謝らなければならない? 何か、されましたっけ?」
「……昨日の、カイエン団長の件です。」
ああ、と声を上げるアロン。
「その事ですか。別に貴女が謝ることじゃない。むしろ、貴女は “言い過ぎ” だと咎めてくれましたから。問題があるとすれば、ノーザン将軍の差し金であるカイエンや神官長殿、長官殿ですね。」
恐る恐る顔をあげる、セイル。
目の前に座るアロンとファナは、どちらも穏やかな表情だった。
――いや、妻のファナは若干不安げな顔だ。
「セイルさんにお尋ねします。」
にこやかに、アロンが紡ぐ。
「は、はい……。」
「ボクの事は、すでに帝都の偉い方や、大勢の超越者たちに知られているのですか?」
一瞬、キョトンとするセイル。
だが、すぐ首を横に振る。
「いえ。まだ一部の人しか知らないはずです。以前、帝都に来てくれた時に一緒だったジークノートさん……いえ、殿下とレオナ様、そして同じ超越者のジンさんと、メルティさん。あとは、輝天八将の将軍たちくらいかと。団長は、ノーザン将軍から秘密裏にと聞かされていたので、あとは今回の視察団のメンバーくらいしか知らないと思います。」
その理由は、単純。
【暴虐のアロン】だからだ。
そのビッグネームがまさか転生していると伝われば、当然ながら帝国の超越者たちは大騒ぎだろう。
いくら緘口令を出したところで、意味が無い。
そして、その情報は恐らく敵国の聖国と覇国に伝わる。
現在の戦況は、近年不作で足並みが揃わない聖国に対し、これ幸いと覇国が集中的に聖国へ襲撃を掛けているのだ。
もちろん、それを黙っている聖国では無く、国内でも有力な超越者や軍部最高位である12人の “聖天騎士爵” が侵略を阻止しているのだ。
帝国とすれば、聖国と覇国が激しい争いの末に、共倒れになれば良い。
即ち、漁夫の利を狙う。
だが、聖国も覇国も当然ながらそれを理解している。
激しい争いを繰り広げる中でも、帝国の侵略を許してはいない。
そんな微妙な戦況の中、帝国にかの【暴虐のアロン】が転生したなどという情報が漏れたら、一気に状況が変貌する。
最悪は、申し合わせをしたかのように聖国と覇国が同時に帝国へ特攻を仕掛けてくることだ。
その混乱の中、超越者が恐れる【暴虐のアロン】の情報を仕入れては何とか抑え込もう、もしくは引き入れようと躍起になるのが想像できる。
それこそノーザン達、超越者である3人の将軍が最も恐れていることだ。
だからこそ、カイエンはもとより村への視察団のメンバーとなったセイルに、アロンの勧誘に合わせてその情報が漏れぬよう細心の注意を払うよう申し伝えられたのだった。
淡々と、その事を伝えるセイル。
すると、アロンは目を細めて嗤う。
「なるほど。予想通りだ。」
「え?」
「過剰なまでに、ボクを恐れているね。」
ゾクッ、と震えあがるセイル。
今、相対するのは虫も殺せぬような幼顔の少年アロン。
しかし、その少年は間違いなく “アロン” だった。
黒銀の鉄仮面で表情は分からなかったが、その下ではこのような笑みを浮かべていたのだろう。
深淵の闇。
灼熱の怒り。
そして、奈落の憎悪。
紺の瞳が、それらを宿し雄弁に語る。
メルティから聞いた、冗談めいた言葉。
『何故か、転生者を “害虫” って言っていたのよ。』
それは冗談では、無かった。
その目線の先は、セイル含め、全ての超越者を見据えるようだ。
「セイルさん。もう一つお尋ねしても良いですか?」
「は、はい。」
「貴女は、どうしてこの世界へ転生したのですか?」
ひゅっ、と息を飲むセイル。
顔は青褪め、小刻みに身体を震わせる。
「……お答えし辛いなら、答えなくても良いですよ。」
アロンの疑問。
超越者という絶大な力を持って転生した割には、“癒しの黒天使” という二つ名が示すように傷付いた冒険者や帝国兵を治療して回る聖人のような人物が、セイルだ。
皇太子ジークノート達と出会った時も、真っ先に告げられたのはファントム・イシュバーンのギルド戦で助けたこと。
彼女がどのタイミングで転生したか分からないが、少なくともアロンがイシュバーンに舞い戻ってきた時以上に、ファントム・イシュバーンの世界で過ごし、そしてアロンと同じく16年はこのイシュバーンで過ごしてきたはずだ。
そんな昔の事を、それもゲームの世界で起きた事を、未だに恩に感じるほど義理堅い人物。
さらに、昨日に至ってはアロンを勧誘に来たメンバーの一人であったにも関わらず、視察団の団長カイエンの言葉や手法を咎めたほどだ。
そして、畑の前で出会った時。
脇の大木の真下で、彼女は泣いていた。
ファナがこっそりと耳打ちしてくれたが、『何かに謝っていた』とのことだ。
それはもしかしてでもなく、アロンに対してだろう。
現に、先ほど謝罪された。
「……一つは、貴方がいるかもしれないという、期待からです。」
顔を俯かせ答えるセイル。
“もしや、またライバル出現!?” と焦るファナは反射的にアロンに寄り添って腕を掴む。
その様子に気付いたセイルは慌てて顔をあげて両手を振る。
「あ、ファナさん! 私、そういう気はありません! そういう意味ではないのです!」
「え、あ、そのっ。……すみません。」
顔を真っ赤にしてアロンの腕から離れるファナ。
恋敵を前にした時と同じような反応をしてしまった自分が恥ずかしい。
「一つは、という事は他にも理由が?」
「……私、逃げてきたんです。」
意外な言葉。
そして、淡々と語られるセイルの前世。
人の喜ぶ顔が見たい、良い世界になって欲しいという願いを思いつつ、結果が伴わなければ簡単に掌を返してきた自分。
“偽善者”
それが、前世のセイルだという。
「そんな……偽善者だなんて。セイルさんは一生懸命してきただけなのに。」
涙ぐみながらファナが紡ぐが、セイルは首を横に振る。
「いえ……。私の行動そのものが偽善なのです。今も、昔も。」
“今も”
その言葉に引っ掛かりを覚えるアロン。
「今も? 貴女は傷付いた冒険者や帝国兵を癒し、その慈悲の心と姿勢から “癒しの黒天使” と呼ばれているではないですか。」
「……その二つ名も、今の私にとっては重荷でしかありません。」
この世界の住人。
イシュバーンの民を “NPC” と呼ぶ。
そしてこの世界を “ゲーム” だと言う。
そんな大嫌いな転生者たちに後ろ指を刺されながらも一生懸命、自分のやるべきことを続けるセイルだった。
そのことを、不器用ながら語る。
……今、思えばどうしてこの話をしてしまったのか。
話し終えてセイルが見たもの。
青褪めて震えるファナに、静かに拳を作るアロン。
感じるのは、二人の怒りだ。
「セイルさん。……実は、貴女に伝えていなかったことがあります。」
両手を組みながら、アロンはしっかりとセイルを見据える。
「はい。」
「貴女が救おうとしてくださった元百人隊長のルーディンは、ボクの父です。」
「ええっ!?」
セイルは冒険者でありながら、帝国軍の治療部隊として戦争で傷付いた者たちの傷を癒していた。
もちろん、遥か後方部隊として戦場に立ったこともある。
“ルーディン”
それは、治療部隊の護衛でもある、帝国軍第5部隊第3団4小隊の隊長。
治療部隊を守護する過程で、侵略してきた聖国の斥候部隊から治療部隊の仲間を身を挺して守った時、魔法士のスキルによって “呪怨” となり、敢え無く退任となってしまった勇者だ。
僧侶系上位職であったセイルには呪怨を治療する術がなく、何度も力不足であったことを謝罪した相手であった。
それでも彼は、寡黙で気難しい性格ながらも、笑顔でセイルに別れの言葉を告げてくれた。
――ルーディンの、セイルと同じ年という息子の名が “アロン” だったということで、そのルーディンに対し相当な思い入れをしていたのも事実。
だが、その息子アロンの適正職業は “剣士” であるという事で、セイルが再会を望んだ【暴虐のアロン】では無いと判断した。
だが。
「父は、ボクが超越者であることを知りません。」
その言葉で、納得するセイル。
どうやって儀式を欺いたのかは理解出来ないが、アロンが “剣士” であると信じていたのだ。
恐らく、それは今も――
「父は超越者でなく、そして父もボクが超越者であることを知りません。ですが、貴女はそんな父を癒そうとし、最後まで気を遣っていただいた。そしてボクにも。貴女は、他の超越者とは違うと信じます。」
“信じます”
まだその意味が良く分からないが、憧れたアロンから信頼を得られたという事実。
嬉しくないわけがない。
「ありがとう、ございます!」
「貴女にお礼を言われる筋合いはないのですが。……貴女はこれからどうするのです?」
「私は……。」
前世も、今世も後悔してきた。
誰かの為に、そう思いながら、矛盾した心。
それは、何かに、流されてきたからだ。
「もう、流されたくありません。」
セイルは、真っ直ぐ、アロンとファナを見据える。
「私、ギルドを抜けます。」
誰かの為になるように。
その足掛かりが、冒険者でありギルドであった。
しかし、“超越者” を至高とするギルドや世界の在り方に、はっきりと拒絶を示す。
信念や理想を持ちながらも周囲に流されてきたセイルは、生まれて初めて自らの意志を貫く決意をした。
“ギルドを抜ける”
それは即ち、戦場で傷付いた者たちの治療を放棄することでもあり、責任感の強いセイルは、今も心が迷う。
しかし、超越者たちは自らの特質性や優位性を盾に、この世界の住人を見下す。
セイルがギルドを抜け、戦場から離れるのは、そういった心無い言葉を飛ばす彼らの責任としたい。
その戦犯こそ、ギルマスのカイエン。
彼の心無い一言が、セイルを決心させてしまったのだ。
「アロンさん、お願いがあります!」
そして、唐突に頭を下げる。
決意が漲るその両目に、思わずアロンもファナもたじろいでしまう。
「は、はい!」
「私がアロンさんやファナさん、そしてこの村のために出来ることをさせてください!」
それは贖罪かもしれない。
だが、自分が癒せなかった百人隊長ルーディンと、その息子であり、セイルが憧れたアロン。
こうして顔を突き合わせて出会えたことは偶然かもしれない。
だが、ギルドを抜けると宣言した今。
それに見合うだけの働きを、この迷惑をかけてしまったラープス村やアロン達に示さなければ、それこそセイルは自分が許せなくなる。
目を閉じて考えるアロン。
しばしの沈黙の後。
「わかりました。」
笑みを浮かべ、セイルに告げる。
その言葉に喜色を示したのはセイルだけでなく、ずっと苦しんできた彼女を “憎しみ溢れる他の超越者” たちと混同せずアロンは受け入れる意思を示したため、ファナも笑顔で頷くのであった。
「ギルドを抜ける。その時点で、貴女の覚悟は相当のものだと判断します。ならば、中途半端は一番よくありません。」
「ええ、それは分かっています。」
満足そうに頷く、アロン。
「早速ですが、これから村長のアケラ先生に会っていただきます。貴女の口から、昨日の交渉の場でどういった発言があったのか、ぜひご報告ください。」
ギルマスであるカイエンの顔が過るセイル。
一瞬、身体が強張るが。
「はい。全てをお伝えしましょう。」
了承する。
アロンという当事者でなく、セイルという同席者が語ることで、その場であった事の信ぴょう性が高まる。
カイエンは、セイルに告げていた。
『本来、アロンの勧誘と村の財務調査は別である』と。
それを合わせたことは、アロンへ脅しをかけるカードにするため、とはっきりと認めていたのだ。
いくら帝国からの正式な視察団と言え、“脅迫した” と明るみに出れば、その立場は一転するからだ。
元より、その脅迫含めた勧誘でアロンが承諾することを信じて疑っていなかった。
ファントム・イシュバーンの世界でも、帝国のために敵対する聖国と覇国をなぎ倒していたアロンだ、イシュバーンでも生まれが帝国となれば帝国のために働くのは当然という、ある種の先入観こそが、“脅迫” という短慮な手段を含んだ勧誘となった一因だ。
これを当事者たるアロンが一人でその事実を訴えたところで、意味が無い。“勧誘側” であるセイルの言葉添えがあるからこそ、大きな意味があるのだ。
「ありがとうございます。その後ですが……。」
アロンは、アケラに会ってからのこと。
その後に行うこと。
視察団訪問の最終日である明日に、事を起こすこと。
これらを全て聞かされた、セイルは青褪める。
しかし。
「どうしました? 怖気づいたなら……。」
アロンの言葉に、引いた感情を振り払うように首を横に振る。
「いえ。望むところです。」
セイルの決意は固い。
「わかりました。なら、早速村長の許へ行きましょう。」
丁度、昼食の片付けも終わったところだ。
アロンとファナ、そしてセイルは集会場へと向かうのであった。
その、道すがら。
アロンは一人、思案する。
(高等教育学院に在学するセイル。しかも冒険者として顔も広い。メルティが使えなくなった今、このセイルを利用するしか無いと思っていたが……まさか、彼女からこちらへ友好的に接触をしてくるとは。良い流れだ。)
“あくまでも、超越者”
“選別” の結果で言えば、セイルはまだ “殲滅” する相手ではない。
だが、それはあくまでも先日と昨日、そして今日接触しての感触だ。
その本心は、分からない。
だからこそ、信じない。
“信じる”
その言葉を信じたセイル。
それは、“カイエンよりは” という枕詞があったことなど、当のセイルは知る由もなかったのだ。