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4-13 癒しの黒天使

カイエンがアロンからの手紙を受け取る日の、前日。



「はぁーー。昨日は生きた心地がしなかったぜー。」


視察団のラープス村訪問2日目。

カイエンは、村の集会場に隣接する豪華な宿泊施設のラウンジで、昼間から蒸留酒を煽る。


思い起こすは、昨日出会ったアロンという男。


アロンが発したあの圧は、恐らく何等かのスキルだ。

上位職の中でも上位に位置していたカイエンでさえ防ぐことの出来なかったあのスキルの正体は分からないが、結果的には、自分は【暴虐のアロン】だと自白しているようなものだった。


それにしても恐ろしい気迫だったと未だ肝が冷える。

冷えた身体を温めるかのように、蒸留酒をがんがん煽るカイエンだった。



「団長……。他の皆さんが働いているのに、私達は良いのでしょうか?」


出されたフレッシュジュースに手を付けず、ポツリとセイルが呟く。

そのセイルを苦々しく長め、さらに蒸留酒を煽る。


「真面目だな、セイル。今回のオレ達の役割はアロンの勧誘だ。本来、勧誘と教会の再鑑定や村の財務調査なんかは合わせるもんじゃねぇが……切れるカードは多い方が良いと、ノーザンの糞野郎が今回のためにお膳立てしてくれたんだ。ま、おかげでアロンの奴も黙りこくったじゃないか。どのみち、あいつに選べる道は無い。」


カイエンはすでに “完勝” と考えている。


“悪魔” と教会に断定されれば、一気にお尋ね者だ。

しかも本人だけでなく、家族や匿った村にもその類が及ぶ。


恐らく、アロンは責任感が強い。

昨日の態度や様子から、それが見て取れた。


自身は死ぬことの無い転生者だが、村や家族に被害が及ぶとなれば大人しく従うだろうと踏んでいる。

あとはこうして、悠々とアロンが頭を垂れてくるのを待つばかりだ。


そんなカイエンに対し、セイルは俯いたまま。

だが突然、意を決し立ち上がる。



「本当にそうでしょうか!?」


「あ?」


「私は、あれでアロンさんが折れるとは思えません! それに、やはり一生懸命生きるこの村の人たちを人質にするような真似は、納得できません!」


叫ぶセイル。

だが、冷たく睨むカイエンだった。


セイルは“蒼天団” だけでなく、他のギルドや帝国軍で人気の高い女性冒険者。

司祭として高い癒しのスキルに、本人の物腰や見た目から、“癒しの黒天使” という二つ名が通る有名人だ。


しかし、転生者間では “NPC(モブ)も癒す、偽善者” と蔑む声もあるのも事実。


実際、よく面倒を見ているつもりのギルドマスターであるカイエン自身も、セイルのその無駄に思える行動には、些か理解が出来ないのであった。


わざとらしく、はぁ、と深い溜息を吐き出し、


「そっか。分かった。じゃあお前さんがアロンを説得してこいよ。尤も、すでに散々脅し掛けた後だからなー。聞く耳あるかどうか。それにその状況で、どう伝えるか。よぉく考えて行ってこいよ?」


手をひらひらさせて、セイルに告げた。

その馬鹿にしたような態度に怒りがこみ上げ、顔を真っ赤にさせるセイルだった。


「わたっ、私っ! 貴方のこと尊敬していました。受ける依頼は慈善活動ばかりで、ギルドの皆も心優しい人ばかりで……それを率いる貴方が “冷刀” なんて呼ばれるの、きっと妬みか何かだろう、間違いだろうって思っていました……。」


「でも。」という声を上げて言い淀むセイルに、カイエンはギロリと睨む。


「ああ、そうさ。オレは自分や仲間には甘ちゃんだが、敵となる奴には容赦しない “冷刀” カイエン様だ。それにセイルさぁ、お前さん、何か勘違いしていないか?」


思わず、全身が強張る。

それでもセイルは真っ直ぐカイエンを睨み、尋ねる。


「勘違い、ですか?」


「応よ。確かに蒼天団の方針は、人様の役立つクエストを達成する、を掲げている。だがなぁ、皆分かっているぜ? いわゆるギルドの “功罪ポイント” だ。ファントム・イシュバーンでもあったの、知っているだろ? 良い行いをすれば上がり、陣営の害成す行動を取ったり、盗賊まがいの行為を行って冒険者連合体にバレた時に下がるっていう、アレだ。」


「そ、それは……、そんな、はずは。」


「それが事実だ。ここは所詮ゲームの世界だぞ? 何が悲しくて、モブ共の御機嫌取りをしていると思った? そうしないと、出るイベントも出ないだろ?」


カイエンの冷たい言葉に、愕然となるセイル。


――――


『入るなら、蒼天団だよ。あそこは良いギルドだ。』


『団長は “冷刀” なんて呼ばれて気難しそうな風貌しているけど、気さくで良い人だよ。ちょっと抜けているところも人間味があって面白いっていうか。』


『メンバーも良い人ばかりだね。超越者優遇の嫌いもあるけど、全体的にはまとまっていて良いギルドだと思うよ。』


――――


僧侶系上位職の転生者として。

その才能を請われ、戦争で傷付いた者を癒すため。


学生の身であったセイルは、冒険者に登録をした上でギルドに加盟しなければ戦場に立てなかったため、高等教育学院で相談できる教員や、冒険者連合体の職員からの話を聞き、帝都本部上位ギルド “蒼天団” の門を叩いたのだ。


噂に違わぬ、良いギルド。

“弱気を助け、強気を挫く”

その姿勢が、好印象だった。


だが、本質は “功罪ポイント”


ファントム・イシュバーンのギルドに課せられたシステムの一つで、これが高ければ高い程、ギルド戦や依頼達成時の時に入るギルド報酬の質や量が良くなるというものだ。


だが、そえはあくまでもゲームでの話。

現実の世界であるイシュバーンにおいて、それを意識する意味があるのか。


――現に、慈善活動に精を出す蒼天団であるため、結果的には善い行いを積み重ねていると言えよう。


だが、その姿勢は?

あくまでも打算的に、依頼をこなすその姿勢はどうなのか。


団員たちの中にはセイルのようにギルドの姿勢に心動かされ、真っ当に励む者もいる。

だが、団長(ギルマス)のカイエンはそうではない。

少なくとも、この世界に生きる住人をNPC(モブ)と呼ぶ。



――それは、セイルが心底毛嫌いする転生者たちと同じだ。




「……最低。」


「応、何とでも言え。」


見下すように笑い、カイエンは再び蒸留酒を煽る。

その姿を一瞥し、セイルはすぐさま背を向けて小走りで外へと飛び出した。


その後ろ姿を面白おかしく眺め、カイエンは空になったグラスに蒸留酒を注ぐ。



「どこまでも甘ちゃんだね。偽善者(セイル)は。」





「……許せない。許せない、許せないっ!」



昨日と打って変わって好天に恵まれたラープス村の土道をガツガツと早歩きで進むセイル。


自分なりに信念を持って、蒼天団の一員として戦っていたつもりだ。

しかし、その信念を穢された。


だが、カイエンの冷徹な考えを知らなかったとは言え、その姿勢に賛同し、ギルドの貢献となるよう励んできてしまった。


“許せない”


それは、今まで気付かず、まるで自分もカイエンや毛嫌いする転生者たちのように、この世界で生き抜く人々をNPC(モブ)だと蔑んでいた片棒を担いでしまった、自分自身に対する罵倒だ。


気付くと、村の外れにある大木の許へ辿り着いた。

セイルはそのまま木に腕と顔を突っ伏す。



「……ごめんなさい。……ごめんな、さい。」



それは知らず知らずに蔑んでしまっていただろうこの世界の人々への謝罪と、昨日、交渉側として散々脅迫してしまったアロンに対する謝罪だった。



溢れる涙が、止まらない。



――――



セイルが転生を選択した理由。

それは、二つに分かれる。



一つは、ファントム・イシュバーンで自分自身が奮い立つきっかけとなった、【暴虐のアロン】もその世界に居るかもしれない、という淡い期待もあったからだ。


だが、それ以上に。

“誰かを守れるような人になりたい”


現実世界のセイルは、“己は無力だ” と何度も壁に当たり、その都度自己嫌悪に陥っていた。


しかしファントム・イシュバーンの中で、間もなく上級者の仲間入りを果たせそうだった “セイル” になれるのなら、己の無力を嘆くことなく、沢山の人を癒して守れるかもしれない。


そう思えたからこそ、彼女はイシュバーンへの転生の道を選んだ。



そして、もう一つの理由。


現実世界のセイルの心は壊れ、絶望していたからだ。



現実世界のセイルは、大手金融機関の若きエースだった。

彼女の主な仕事は、中小企業を相手とする融資の受付に関する一切の手続きや伴う事務、返済相談など。

――そして、取り立てであった。


“世のため人のために、会社を興す”

そういった信念や希望、または野望を持った未来の社長から事業計画を提示され、希望された融資額は事業に見合った融資額かどうか、そして想定される収益から中・長期に亘る返済計画を稟議(りんぎ)した上で、融資額を決定する。


そして、ただ融資の希望を受け付けるだけでなく、融資した取引先へ訪問をして、業務実態や操業状態をチェックするのも彼女の仕事であった。


融資が受けられ、そして順風満帆な取引先の社長たちはセイルの訪問を心より歓迎し、そしてセイル自身も積極的に社長や社員たちから業績や懸念事項を確認して回り、そして今後のビジョンや展開、夢なども共有してきた。


それはとても楽しく、やりがいがあった。

社長や社員から、“ありがとう” の言葉を掛けられることが、何よりも励みになった。


だが、その逆も然り。

業績が振るわず、当初提示した返済計画に沿った返済がままならない取引先の対応だ。

“金が無い” と嘆き、憔悴しきる社長や社員、中にはあからさまに害意を向けてくる取引先もあった。


セイルはそこで冷静に、時に冷酷に査定をする。

その査定において融資増額や返済計画の見直しの稟議が通れば、良い。

結果、持ち直す取引先もあるからだ。


問題は、それ以外の取引先。

追加で融資をしても業績の回復は望めず、返済計画を見直しても融資金の回収が見込めないところだ。


淡々と、決算書や取引状況を掴み準備をする。


――準備。

それは、債権の強制回収。


――かつて、目を輝かせて事業計画書を持ち込んだ熱意溢れる社長に、笑顔で出迎えてくれた社員。


いつしか笑顔が消え、悪態をつかれる。

酷いところは訪問した瞬間、罵倒を浴びさせてきた。


“また返済のことか!”

“あんたらは血も涙も無い!”

“社員や家族を露頭に迷わせるつもりか!”


“鬼め! 悪魔め!”


「融資をしてください」と頭を下げられ、事業計画を穴が開くのでは無いかというほど中身を読みふけり、寝る間も惜しんで精査に精査を重ねて稟議書を作成した。

融資計画が通り、満面の笑みで「ありがとうございます」とお礼を告げられたのは、何だったのか。


楽しかったころ、良い関係を築けていたころを思い出し、それでも淡々と自分のやるべき仕事をこなす。


そして、資金ショートによる事実上の倒産。

融資した債権者として、法に則って債務整理を進めさせては債権を回収するのだ。

事前に準備を積み重ねていたからこそ、より多く、より確実に回収できる。


そういう意味でも、セイルは敏腕だった。

社内での評価は高く、誰もがセイルを認めていた。



“違う”



決定的になったのは、家族同然に出迎えてくれた取引先の倒産案件だった。


セイルは、よく部下に “取引先に深く関わらないこと”、“感情移入をしないこと” を、事あるごとに次げていた。

だが、当のセイル自身が、最も深くかかわり、最も感情移入をしてしまった企業の倒産案件に着手するのは、何の因果だったのか。


そして、最後の訪問。

翌日の決済で資金ショートするだろうと判明した、昼下がり。

恐らく社長は社員に心配掛けまいと、笑顔で資金繰りに奔走しているのだろう。


訪問したところ、どうやら社長室に籠っているそうだ。

セイルは、社員の案内で部屋に訪れ、意を決しドアをノックした。


居るはずなのに、返事が無かった。

嫌な予感がして、大声で「失礼します!」と告げて、入室した。



目の前に飛び込んできたのは、首を吊る社長の姿。



それからのことは、あまり覚えていない。

警察の事情聴取を受けたことも、社長の家族に謝られたことも、勤務先の上司や部下に労いの言葉を掛けてもらったことも。


首を吊る社長の足元にあった遺書に、セイルに対する謝罪とお礼の言葉が載っていたことも。



“違う”



セイルは、心が壊れた。




セイルは、自己矛盾にずっと苦しんでいた。


人助け、人の為になること。

その手段として、夢を語る者へ、その夢の手助けとなる資金を出来る限り希望に沿う形で、渡したかった。


しかし、それは慈善事業ではない。

貸した以上、回収せねばならない。


仕事として、割り切りたかった。

割り切るべきだった。


部下や後輩には、散々、割り切れと言ってきたつもりだった。



“割り切れなかった”



しばらく自宅療養を言い渡されたセイルは、元々趣味にしていたVRMMO【ファントム・イシュバーン】に没頭するようになった。


しかし、無気力な日々。

上位職に辿り着いたが、伸び悩む毎日。


“もう、やめよう”


そう考えていた時に参加した、ギルド攻城戦。

後方支援で仲間の回復に励んでいたセイルに、恐ろしく速く、そして強い敵が数人掛かりで襲撃してきた。


“もうダメだ!”


相手は明らかに格上。

上位職成り立てのセイルに立ち向かうなど出来るわけがなかった。


その時。

横から素早く駆け寄り、襲い掛かってくる敵の攻撃を見事裁き、同時に切り伏せる。

まるで未来視でも備わっているかのように敵の攻撃を全て避け、逆に敵には確実に攻撃を当てる。


神如き、腕前。


その様子に圧倒された、セイル。

頭に取り付けたVRゴーグルが映し出す世界は、現実世界のようなリアルさに溢れているが、今目の前で起きたことは、そのリアルを超越していた。


その神々しいまでのプレイヤースキルと、寸前で助けて貰えたという喜び。

しかもその相手は、自分(セイル)のような格下は絶対に相手にしないだろうと思い込んでいた、ファントム・イシュバーンで最も有名な最強アバター、【暴虐のアロン】だった。


この出来事は、セイルの中でのファントム・イシュバーンの価値がひっくり返った瞬間だった。


少しでもアロンのように強く、そして誰かを守れるようになりたい。

その一心で、益々ファントム・イシュバーンにのめり込むようになった。



それからしばらくしての、女神からの勧誘。


ファントム・イシュバーンのような世界で、育て上げたセイルなら現実世界とは違い、癒し手として沢山の人を救えるはず。


一つ、アロンとの再会を夢見て。

一つ、絶望した現実世界でなく、異世界で今度こそ誰かを守れるような人になることを夢見て。


未練が無い、と言えば嘘になる。

しかし、壊れた心の癒しに繋がっていたファントム・イシュバーンの世界への憧れや、現実世界よりも確実に、誰かの為になれるかもしれないという希望を持って。


セイルは、イシュバーンへの転生を選んだ。



――――



(私は、この世界でも変わっていない……。)



大木に突っ伏すセイルは、自己嫌悪に陥っていた。


傷付いた多くの人を治し、救う。

それこそが、セイルが転生した役目だと考えている。


だが、現実はどうか。


力不足で治せなかった者もいる。

傷が深く、治療速度が間に合わず目の前で息を引き取った者もいる。

そして遺体にしがみ付き、泣き叫ぶ者もいる。


――葬儀の日、自害した社長の遺体にしがみ付き、泣きじゃくる家族と社員たち。



「う、ぐっ。」


吐き気がこみ上げ、嗚咽をあげる。


“誰かを救いたい”、“誰かを守りたい”

その一心は、この身には分相応の想いとも理解する。


現実のイシュバーンでも救えない者がいるのも確かだ。


昨日まで笑顔で一緒に談笑していた帝国兵が、戦争で傷付き倒れる。

上位職では治せない “呪怨” に苦しむ者もいる。


“治せない”

“間に合わない”


掌から零れ落ちる砂のように、掴めない、癒せない。

同時に、セイルの心は徐々に崩れ落ちていった。


向こうの現実世界でも、イシュバーンという現実世界でも、その本質は何一つ変わっていなかったのだ。


治療できた時の喜び。

治療出来なかった時の悲しみ。


――いや、この世界の方が酷いのかもしれない。

治そうとも、治せなくとも、心無い一言を浴びせられることが多いからだ。


その多くが、同じ転生者。

この世界を、“ゲーム” と宣う者たち。


NPC(モブ)を治して何になる”

“無駄にSPをばら撒くんじゃねぇよ”

“結局、自己満足じゃないの?”


“偽善者が!”


直接的でも、間接的でも。

セイルが良かれと思って行う行為を指して、辛辣な言葉が浴びさせられる。


“癒しの黒天使”

そんな大層な二つ名を付けられた当初は、自分の働きが認められたと喜びと誇りに満ち溢れていた。


それが今ではどうだろう。

その二つ名が、重く圧し掛かる。


何をしても、否定と批判がある。


喜びや感謝の声よりも、薄黒い声が突き刺さる。

それは心を蝕み、抉る。


セイルは、まだ気付いていない。

いや、気付きかけているが、気付いていない振りをしていた。


今世も、心の限界が近いことを。



そしてそれは、心から信頼を寄せていたギルドマスターが、先ほど何気なく伝えた言葉が、彼女の壊れかけた心をいとも簡単に打ち砕いてしまった。




「うぐっ、う、うううう……。」


吐き気と共に、溢れる涙。


思い起こされるのは、昨日の有り様。

この世界に転生してきた理由の一つに、やっと会えて舞い上がり、再び話がしたいという欲求だけでこのラープス村に訪れてしまったことを、セイルはとても後悔する。


舞い上がっていた、自分が恥ずかしい。


“たぶん、アロンさんは帝都に来ることは無いだろうな”

超越者の帝都勧誘の任とは言え、以前会った時に「その気は無い」ことを言外に告げていたからだ。

それが将軍ノーザンの知るところとなり、勧誘と説得のため誰かどうか転生者が訪問するという話を耳にしたが、その話が自分のところに舞い込んだ時は、年甲斐も無くはしゃいでしまった。


――前世と今世の合計年齢を考えると、年甲斐も無く、と思えてしまうのだ。


視察団の団長は、加入ギルド蒼天団のギルマス、気の知れたカイエンだった。

帝都からラープス村までの1週間の旅は、期待に溢れ楽しいものだった。



だが、今になって激しく後悔している。


この1週間、カイエン達がどうアロンと接するのか、どういう方針で勧誘するのか、その詳細については聞かされていなかった。


――いや、聞こうとしなかった。


――分かっていたから。


皇太子であるジークノートの誘い、そして帝国軍の将軍であるノーザンの誘いに乗って来なかった時点で、分かりきっていた。


アロンは富や名声に興味が無い。

そして、帝都の暮らしに関心が無い。


ならば、多少心証が悪くなろうと強引に呼び寄せるまで。

それが視察団の役割だと、分かり切っていたはずだ。


――心が、それを否定していた。


楽観視してしまった。



視察団の役割。強引な勧誘。

それは、この世界の社会の仕組みなのかもしれない。


社会である以上、仕組みやルールが存在する。


だが、その仕組みやルールに捉われた結果、追い詰められる人がいるのも事実。

かつて現実世界で “資金ショート” という枠組みによって敢え無く倒産した取引先のように。


四方八方手を打ち、抗う事が出来ず、最期に自ら命を絶ってしまったあの優しい社長さんのように。


当然、そうなる前に手を打つのが常識だ。

尤も、さらにそれ以前に、対策を講じるべきなのだ。


だが、皆が皆、そうできるわけではない。


それもまた、社会の仕組みだから。



誰かが儲ければ、誰かが搾取される。



資本主義であったセイルの国では、それが日常だ。

一見平和に見える社会だが、裏を返せば資本という名のシーソーゲームによって生き残る者、淘汰される者に振り分けられ、社会はその上澄みを啜り、肥大化していく。


その扇動者こそ、前世のセイルだと自らを責める。



“違う”


“私は、逃げただけだ”



“……今も”




「わたっ、私はっ。何も変わって、いない。」


止めどなく流れる涙。

だが、この涙すら流す価値も無いと、セイルは自身を責め立てる。


もし、カイエンのやり方が気に入らないというなら、抗えば良い。

それすら出来ず、ただ流されながら感情を溢れさせる自分自身が、許せない。


自暴自棄になりかけるセイル。

ずるずると、大木の根本に膝を着き、静かに泣く。


その時。



「あ、あのぉ。大丈夫ですか?」


突然、声を掛けられた。

はっ、として涙も拭わずそのまま顔をあげる。


そこに居たのは、少女と呼ぶには躊躇いを感じる、美しい女性だった。


日の光を受けて輝くサラサラな茶色の髪。

透きとおる、サファイアのような青い瞳。


今世、出会った者の中で、同じ年の転生者である公爵令嬢レオナこそ一番の美女と思っていたが、目の前の女性はレオナに負けず劣らず、いや、スタイルの良さや柔らかな物腰などを勘案すれば、この女性に軍配が上がるだろうと思えるほどの、美少女。


同性のセイルですら息を飲み、思わず呆然と見惚れてしまうほどだ。



「あ、あの、大丈夫ですか!?」


恐らく、年はセイルと変わらない頃だろう。

不安げに尋ねる女性に、セイルは慌てて立ち上がり、


「大丈夫です!」


涙を強引にふき取って笑顔で答えた。


だが、客観的に見れば大丈夫なはずがない。

“しまったー!” と後悔するセイルだが、時遅しだ。


人気が無いと油断していたが、見ればこの大木周辺はラープス村の主要産業である農業、その畑やらが広がっていた。

まばらだが、雑草取りや鍬で耕す人が見えた。


顔を真っ赤にして俯くセイル。

そんな彼女に、女性はソッとハンカチを差し出した。


「見慣れない方ですが、冒険者様ですか?」


女性は、それでも心底心配するような表情で尋ねてくる。

これで逃げだしたら、本当に不審者になってしまう。


「あ、はい! 私、冒険者です!」


精一杯の笑顔で答えた。

名も名乗らず、そのまま、冒険者、と答えたのは怪しさ満点だろう。

その証拠に、キョトンとして固まる女性。


“また、やっちゃったー!”

今更後悔しても、遅い。


その時。


「どうしたの、ファナ?」


大木の裏側から、タオルで汗を拭く少年が現れた。

麦わら帽子を被り、手には鍬も持つ姿から、先ほどから畑を耕していた村人だろう。


ファナと呼ばれた女性、そしてこの少年。

ふと見ると、二人とも左手薬指に同じ指輪が嵌められていた。

……どうやら、二人は夫婦のようだ。


前世、人の出で立ちから人間関係や背景をある程度予測する癖のあったセイルは、今世でもその観察眼は生かされていた。


女性が次に発する言葉の前に、そこまで見抜いた。

それも相まってか、セイルはこの後、気を失いかけるほど驚愕するのであった。


「ああ、アロン(・・・)。今、ここに冒険者様が。」


「……アロン??」


ファナと呼ばれた女性から、ハンカチを受け取りつつ、目を見開いて麦わら帽子の男を見る。

その男は、


「あっ。」


と短く、小さく声を出した。

その表情が、物語っている。


“しまった” 、と。



「え? 知り合いなの……、て、あっ!」


ファナも気付いた。

自身の迂闊な発言を後悔するように、顔を青褪めていく。


このタイミングで村に居る冒険者。

そして、アロンを知る素振り。


心当たりは、一つしかない。



「アロン……って、貴方が、アロンさん?」


「あ、あはははははは……。」



「えええええええええええええー!?」




セイルの驚愕も無理はない。

何故なら、帝都で会った時も、昨日再開した時も、アロンは黒銀の全身鎧に鉄仮面を被り、その顔と表情が一切割れないようにしていたからだ。


ファントム・イシュバーン最強の男

【暴虐のアロン】


まさか、そんな絶対者たるアロンが、普通の農民と混じって爽やかに畑を耕しているなど想像できるわけがなかった。



幸か不幸か。


この場でアロンと出会った事により、“癒しの黒天使” セイルの未来が、大きく変わるのであった。



次回、9月6日(金)更新予定です。

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