4-2 手紙の中身
「ただいま。」
野太く、しかしながら呟くような疲弊した声が玄関から響いた。
その声と同時に、アロン達はダイニングテーブルの椅子から立ち上がりぞろぞろと歩き出した。
玄関には、母リーシャと共に憔悴しきった顔の父、ルーディンが立っていた。
「おかえり、父さん。」
明るく出迎えるアロン。
しかし、後ろのファナとララは今にも泣きそうだ。
顔色が悪く、見える腕や肩などに、包帯が巻きつけられている。
その姿は、戦争での惨状を大いに物語っていた。
「……アロン、すまない。」
玄関に立ったまま、頭を下げる父。
その姿は、前世でも見ていた。
――そして、次に続く言葉もだ。
「いいさ、父さん。」
言葉を遮るアロン。
この後、寡黙な父が涙ながらに謝罪の言葉を並べ、そのまま父は伏せるように自室へ籠ってしまうのだ。
帝国兵として名を挙げて、家族を支えていきたかった。
祖父母を襲った賊たちを駆逐し、安心して暮らせる帝国にしたかった。
自分がこの呪いの所為で、アロンが村に残る理由を作ってしまったこと。
これらを涙ながら、謝罪したのだ。
前世では、アロンも父の姿に驚愕し、共に涙を流してしまった。
しかし、それだとせっかくファナやララと用意した御馳走が台無しになる。
笑顔で出迎え、そして共に食事を摂る。
そして、父を蝕む “呪怨” をエクスキュアポーションで一刻も早く癒すのだ。
「父さんは立派に役目を果たしたよ。ボクは父さんを誇りに思う。」
「あ、ああ……アロン……。」
ボロボロと涙する母に代わって、アロンは父の肩に手を回した。
「さぁ、今日は父さんの凱旋パーティーだ。可愛いボクの婚約者と妹が腕によりをかけて作った御馳走に、父さんの大好きなお酒に合うつまみも用意してくれたんだ。一緒に、食べよう。」
笑顔で紡ぐアロンに、寡黙で厳格な父の目からも、涙が零れる。
「……ありが、とう、アロン。」
◇
「うん、うまい。……アロンは幸せ者だ。こんな料理上手で器量良しのファナちゃんがお嫁さんになってくれるんだから。」
ファナの作ったミートローフを頬張りながら、しみじみと呟く父ルーディン。
「やだっ、お義父様ったら。お上手ですね。」
顔を真っ赤に染めて照れるファナ。
幼い頃からアロン一筋だったファナが、アロンと婚約を結び、こうして家族のように一緒になって食事を摂る日が来ることを楽しみにしていた父であった。
「ほら、父さん。私が作ったシチューも食べて!」
義姉に負けじと具沢山のクリームシチューを差し出すララ。
湯気が立ち上るシチューを一口啜り、頷く。
「うん、うまい。ララも料理上手になったな。」
「えへへー、そうでしょ。ファナちゃんと一緒に頑張っているんだ。」
柔らかな笑みを浮かべた父の表情で、ララも満足そうだ。
「可愛い娘たちがこんなに料理上手になるなんて。これもアロンのおかげかな?」
「母さん、ボクは何もしていないよ?」
アロン達の父こと、呪怨を受けた夫を途中の町まで迎えに行き、それからずっと心を痛めていた母リーシャにも笑顔が戻った。
前世では、呪怨の所為で突然苦しみ悶える父を献身的に支えていたが、次第に心が病んでいき、母も病気がちになっていった。
今世とは違い、頼りになる祖父母も他界しており、その孤独な苦しみを抱えながら辛うじて生にしがみ付いているようにも見えた。
苦しむ父と母にとって、アロンが村に残ってくれたこと、そして一番の器量良しであるファナと結ばれた事が、どんなに救いになったか。
だが、そうした苦しみや救いすら、まるで気まぐれのように襲撃してきた超越者レントール達の手によって、理不尽に奪われたのだ。
今世、いずれ襲撃してくるだろうレントール達を迎え撃つ。
それだけでなく、ラープス村に降りかかる火の粉を全て払う。
その前に、父と母の苦しみを取り除く。
◇
「父さん、ちょっといいかい?」
食事も終わりファナとララが洗い物をしている中、食後の蒸留酒を味わう、父ルーディンにアロンは静かに語り掛けた。
「なんだ、アロン。」
「これを飲んで欲しい。」
それは、先ほど取り出したエクスキュアポーションだった。
ルーディンの大きな手の平にスッポリと包まれてしまう程の、小さな小瓶。
「……これは、何だ? 見たところポーションのようだが。」
「二日酔い止めだよ。父さん、食事中もずっとお酒を飲んでいたから。」
ルーディンは、大の酒好きだ。
だが、決して強いわけでなく、時々深酒しては昼過ぎまで寝こけてしまうこともあった。
照れくさそうに頭を掻くルーディン。
「そんなには飲んでいないが。」
「そう思うのは自分だけだよ。お酒もここまでにしておいて、それを飲んで早く休んだ方が良い。疲れているでしょ?」
失意の中での退任後、碌に眠れずそのままラープス村に帰ってきた。
そんな父を迎えに行った母も、気疲れかすでに就寝している。
ルーディンの身体は確かに疲弊している。
しかも、時折思い出したように全身を襲う呪怨が蝕んでいる。
「……そうだな。これを飲んだら休ませてもらうよ。」
そう言い、ルーディンは小瓶の先端に取り付けられた蓋を外し、そのまま一気にコクリと飲み干した。
その姿を、固唾を飲んで見守る片付け中のファナとララ。
「どう? 父さん。」
「……旨いな、これ。」
僅かな量だったが、瑞々しい甘みに鼻を突き抜ける華やかな香りが癖になりそうだった。
「欲を言えばもっと量があると良いな……って、どうしたんだい、ララ、ファナちゃん?」
何故か、目を丸くして見つめるララとファナであった。
片付けも途中だというのに、どうしてか、震えながら2人とも目に涙を溜めている。
何故なら、ルーディンがエクスキュアポーションを飲み干した瞬間、全身が淡く青い光に包まれて、顔色や身体の血色が、見違えるほど良くなったからだ。
「あ、うん、何でもないよね、ファナちゃん!」
「うん! さあ、早く休んでくださいな、お義父様!」
慌てて片付けの続きを始めるファナとララ。
首を傾げるルーディンは、「そうするよ」と呟き、立ち上がる。
「おっ。」
立ち上がったルーディンは、不思議そうに全身を眺めた。
「どうしたの、父さん?」
「あ、いや。何か……調子が良くなったな、と思って。」
“敵の魔法士から攻撃を受けてから続いていた、気怠さが無い”
しかも、散々飲んだにも関わらず真っ直ぐ立てたことに、逆に違和感を覚えたのだ。
酔いは回っていたはずだが、何故かスッキリとしている。
「早速、薬の効果が現れたのかな? でも飲み過ぎたんだから、早く寝てね。」
「それもそうだな。じゃあ、先に休ませてもらう。ファナちゃん、今日はありがとう。」
「いえいえ。こちらこそお邪魔しました!」
ファナに頭を下げるルーディンに、笑顔で答える。
早速自室へ向かおうとするルーディンだったが。
「そうだ、アロン。」
ルーディンは、徐に上着の内ポケットをまさぐる。
中から、一通の便箋を取り出した。
「お前宛の手紙を預かっていた。帝都に行った、クラスメイトのメルティって子からだ。」
目を見開く、アロン。
強張る笑顔のまま、ありがとう、と呟いて受け取った。
「じゃあ、おやすみ。」
アロン達の間に流れる微妙な空気に気付かないまま、ルーディンは自室へと向かった。
◇
「“呪怨” は消えた。」
ルーディンが自室に入ったのを確認して、アロンは呟くように言った。
エクスキュアポーションであるから、確実に消えるのは分かっていたが、念のため薬士系覚醒職 “狂薬師” のクリエイトアイテムスキル “愚者の石” でルーディンのステータスを確認したのだ。
ほっ、とした空気が流れる。
しかし。
「来ない、来ないと思っていたら、やっぱり寄越してきたね。」
片付けが終わり、3人分の紅茶を淹れるララが呆れたように呟いた。
それに、少し苛立ったような表情のファナも、アロンが手に取る手紙を苦々しく睨みながら呟いた。
「もしかしてどこかで見ているんじゃないかな、あの子。」
アロンとララの両親が戻る前に話題に出したばかりだ。
タイミングが良すぎる。
「やだっ、止めてよファナちゃん!」
ゾゾゾ~、と鳥肌が立つ両腕をさすり、お盆に乗せた紅茶を持ってダイニングテーブルに腰を掛けるララ。
その隣にファナも座った。
「どうしたのアロン。中身見ないの?」
便箋をまじまじと眺めるアロンにファナは首を傾げる。
いつもなら、すぐに開封して必要な情報を読み上げ、後に続くメルティの愚痴やらアロンへの愛の言葉なんかは破り捨てているのだ。
メルティは嫌いだが、好意を寄せる子の手紙をそんな扱いにするのは少し酷いのでは、と思う反面、アロンがそういう行動を取るのは全てファナを想ってのことだと理解するため、嬉しさも半分ある。
しかし、当のアロンは便箋を眺めるだけで一向に開かない。
しばらくして、ようやく口を開いた。
「どうして、父さんを使ったんだ?」
アロンの疑問。
普段なら、帝都と各市街や町村を結ぶ定期便を使って送り届けられていた手紙。
それが今回、帝国軍を退任して故郷ラープス村に戻ってきた父ルーディンに手紙を託したのだ。
もちろん、ルーディンもメルティとは面識がある。
年数回の里帰りの時に、授業参観や学校訪問といった保護者向けの行事で、メルティだけでなくアロンのクラスメイト達とも会ってはいるのだ。
メルティが12歳で帝都入りした理由も、ルーディンはもちろん知っている。
そういう意味で、ルーディンがメルティに一目置くのは理解できる。
しかし、メルティはどうなのか。
憧れるアロンの父とは言え、超越者だからとは言え、そう簡単には会える状況では無いはずだ。
父ルーディンは、帝国軍の百人隊長。
その住処は、帝都の西区となる。
そしてメルティは、超越者として貴族街こと、東区に住まいがある。
父は、帝国兵として西区から、戦場への往復が殆どだ。
対してメルティは、東区から高等教育学院のある中央区までの往復が殆どの生活だ。
一介の兵士と、一介の学生。
親子でもない限り、広大な帝都で2人が接点を持つ事など無い。
さらに、タイミングもおかしい。
今まで送られてきた手紙は全て定期便で送られてきたにも関わらず、今回で帝都を去る父ルーディンに手紙を託したのは、果たしてたまたまなのだろうか。
季節も初夏であり、普段よりも遅れての手紙。
ここまで、たまたまが続くのは異常だ。
(毒とか罠は……無いな。)
まだ “愚者の石” の鑑定眼効果が発揮されていたため、念のため手紙の状態も調べてみた。
古典的な方法だが、手紙に毒を仕込ませる手口もあるからだ。
アロンはペーパーナイフを取り出し、便箋を開封した。
すると、中からもう一つ便箋が出てきた。
それを目にして、アロンは驚愕した。
「アロンッ、そ、そ、それって……。」
両手で口を押え、震えあがるファナ。
ララには、便箋の中からさらに出てきた便箋を見ても、特段その意味に気付かなかった。
便箋の封蝋。
そこに押された、印璽の紋様。
イースタリ帝国章。
麗しい女神、<国母神>を横顔であった。
「兄さん、ファナちゃん、どうしたの?」
「ララ……。この手紙は、皇帝陛下の一族……つまり、皇族からの勅書だ。」
驚愕するララ。
勢いで思わず茶器を倒してしまった。
「キャッ!」
「大丈夫!?」
あたふたするファナとララを尻目に、アロンは差出人覧を見る。
「……ジークノート・フォン・イースタリ。」
テーブルに零した紅茶を拭くファナとララは、さらに絶句する。
さすがのララも、その名は知っていた。
現皇帝イースタリ138世の第一皇子。
皇帝継承権第一位。
現在、次期皇帝に最も近い人物だ。
「な、な、なんで、皇太子殿下が?」
「なんで、メルティちゃんの便箋の中に?」
そう、それが問題だ。
表の便箋は、確かにいつも送られてくるメルティの手書きのものだ。
だがその中には、さらに便箋が入っており、差出人が皇太子のものであった。
それが意味することは、二つ。
一つ、メルティと皇太子が顔見知りだという事だ。
確か、第一皇太子の年齢はアロン達と変わらないくらいだったはず。
つまり、高等教育学院でメルティは皇太子と接点を持つ可能性が極めて高いのだ。
だが、今までの手紙にはそのような事が一切書かれていなかった。
自己肯定感と自己顕示欲の高いメルティのことだ、皇族との繋がりが少しでも出来れば、いつもの愚痴に見せかけた自慢話としてアロンに告げてくるはずだ。
それが無かったということは、最近になり知り合ったか接点を持ったという事ではないか、とアロンは予測した。
そして二つ目。
“メルティが裏切った” という事だ。
まず、メルティがアロンに手紙を送る理由。
それは、高等教育学院や帝都に住む超越者の情報の横流しだ。
機密情報に該当する内容であるから、メルティは手紙の書き方に工夫をしており、学校生活における取り留めのない話のような体裁を取りつつ、超越者の名前や職業を書いていたのだ。
例え検閲を受けても、“故郷に残した好きな人へのラブレター” にしか見えない。
尤も、メルティが書きしたためた手紙内容の3割が完全にアロンへのラブコールなので、ラブレターには間違いはないのだが。
今回、そのラブレター風の超越者情報でなく、皇太子からの勅書が入っていた。
即ち、メルティはアロンへ超越者の情報を流していることを皇太子が知った、もしくは聞かされたということだ。
状況から判断するに、後者。
前者、“皇太子が知った” となると、メルティが自主的にその情報を話したという事ではなく、何かしらのトラブルで知られてしまったということだ。
だが、そういう状況であるならば、メルティがアロンに手紙を送る事自体禁止されるだろう。
ましてや、父ルーディンに手紙を託すなど、不可能だ。
このように皇太子直々の手紙でなく、何かしらの言いがかりや罰則付きで、帝都の憲兵がぞろぞろとラープス村にやってきただろう。
それが無く、皇太子の手紙が入っていたということは、つまり “メルティは自主的にアロンの事を皇太子に告げた” 、即ちメルティの裏切り行為ということだ。
「ボクの事を、皇太子殿下に話したとしか思えないね。」
アロンの言葉に、震えあがるファナ。
「そ、それじゃあ、アロンは……。」
“超越者だけど、超越者を敵視している”
“そのためにメルティを利用して情報を得ていた”
心証は、最悪だ。
アロン含め、一家郎党処刑すると書かれていても不思議ではない。
「兄さん……。」
その意味を感じ取り、青ざめて涙を流すララに、アロンはほほ笑む。
「大丈夫だよ、ララ。」
――仮に、帝国軍が押し寄せてきたとしても、今のアロンなら追い返すことも可能だ。
もしその場に、超越者が紛れ込んできたら更に話は早い。
ラープス村を危険に冒す真似は極力取りたくないが、“ラープス村やアロンの関係者に手を出したらどういう目に遭うか” を知らしめるためには、一度は危機を潜り抜ける必要もあるとアロンは考える。
“一家郎党処刑だ” などと言われ、はいそうですか、と受け入れるはずが無い。
それこそ、御使いの天命に背く行為だ。
相手が、大国 “イースタリ帝国” であろうとも。
一歩も引くつもりは、無い。
『ビッ』
アロンは封蜜を取り外し、便箋を開いた。
中から出てきたのは、2枚の高級洋紙。
そこに書いてあった内容を、じっくりと眺める。
アロンは、目を見開く驚愕する。
そして。
「ダメだ、コイツ。」
呆れるように呟き、手紙をテーブルに置いた。
「ちょ、ちょっと! 皇太子殿下のお手紙をそんなぞんざいに……。」
「しかも、コイツ呼ばわりなんて、不敬罪になるよ!」
アロンの態度を諫めるファナとララ。
するとアロンは投げ置いた手紙を手に取り、ファナに手渡した。
「読んでごらん?」
「う、うん。」
手紙を持つファナと、横なら覗くララ。
そこに記されていた、内容。
■■■■■■■■■■■■■■■
親愛なる、アロン殿へ。
突然のことで驚き、戸惑わせてしまっていると思います。
まずはお詫び申し上げます。
私はイースタリ帝国皇帝ペルトリカの第一子としてこの世に生を受けた、転生者です。
貴方やメルティさん達と同じ、向こうの世界の者です。
単刀直入に申し上げます。
貴方はメルティさんを脅迫し、転生者たちの名前や職業を得ているそうですが、一体何を考えているのでしょうか。
私達転生者を全て相手取り、戦うつもりなのでしょうか。
全くもって無駄なことです。
馬鹿な真似はお止めなさい。
ご存知のとおり、転生者は死なぬ身体なのです。
貴方自身が脅したメルティさんも例外ではありません。
もしかすると、貴方自身はデスワープが本当に発動するかどうか目の当たりにしたことがないのでしょうか。
私は、何度もこの目で確かめました。
老衰や自然死以外、攻撃や状態異常などで死んでも、翌朝には復活するのです。
殺し、殺されても死なぬ転生者同士。
それが国内はおろか、三大国の戦争に駆り出されて争い続けることに何の意味があるのでしょうか。
私は、イースタリ帝国皇帝ペルトリカの第一子として生を授かった事に、女神様からの天命を感じ取りました。
それは即ち、戦争の終結です。
この世界で死なぬ身体の絶対的強者たる私たち転生者は、手を取り合い、この醜い血みどろの争いを無血で終わりに導く存在ではないでしょうか?
貴方の事は、メルティさんから散々聞かされました。
貴方に憧れていたそうですが、今では掌を返したように、鬼だ悪魔だの散々罵っています。
ですが、私自身、貴方に憧れているのも事実です。
そして彼女の話を一方的に鵜呑みにするなど毛頭にはございません。
ぜひ、一度帝都でお話しをしませんか?
どうやら貴方は何かしらの事情と手法を用いて、職業を偽り、故郷の村で過ごしているそうですね。
その話もぜひ伺いたいのです。
もちろん、貴方の事は他の者には内密にします。
皇太子としてではなく、一個人として、同じ転生者として、貴方に興味があります。
話を伺い、納得できることがあれば協力も惜しみません。
だから、私達と手を取り合いましょう。
この終わらない戦争を、終えるために。
お返事は、メルティさん宛へお願いします。
お返事は一月お待ちします。
色良いお返事が聞けることを、楽しみにしております。
イースタリ帝国
ジークノート・フォン・イースタリ
■■■■■■■■■■■■■■■
「戦争を、止める……。」
目を丸くさせるファナ。
その表情は、喜色が見られる。
戦争が当たり前の、世界。
もしその戦争が無くなれば。
考えもした事の無い、壮大な話に心をときめかせた。
隣に座るララも同じだ。
しかし。
「超越者が手を取り合って、戦争を終える。それがこの世界でどれほど危険な事か、コイツは分かっていない。」
冷酷に、現実を突きつけるアロン。
「アロン、そんな。皇太子殿下はきっと真剣に……。」
「コイツは、超越者だ。」
ビクッと身体を震わせるファナとララ。
「向こうの世界の知識と、ファントム・イシュバーンの世界で得た職業とスキルを持つ者。皇太子という立場を得たから、自分の理想が叶うはずだと妄信しているんだ。」
「そんな……こんな立派な考えのお方なのに、そんな言い方って。」
「ファナ。戦争の元凶の話。マガロは何て言っていた?」
あっ、と声を上げるファナ。
両手で口を押え、震えあがる。
“終わらない三大国の戦争は、三大国の大神が関わっている”
“世界を舞台にした、神々の遊戯”
そして。
“超越者はゲームを激しくさせるための、駒”
「どういう事?」
未だ、その話を聞かされていないララは怪訝顔だ。
「ララ、それは今度マガロの所へ行ったときに教える。どうやら、普通に話をして良い事ではないみたいだからね。」
マガロの名を出され、渋々了承する。
踏ん反り返るララとは対照的に手紙を持ってガタガタ震えるファナであった。
「それに。」
アロンは続ける。
「超越者は、言うならばこの世界では余所者だ。前世の知識が大きく影響し、このイシュバーンをまるで “遊戯” だと宣う。そんな奴等が、一時手を組んで戦争を止めたとしても、それは新たな戦争の火種になるのは避けられない。」
「それは、どうして?」
「超越者は、元より住む者を圧倒できる力を持っているんだ。平和な人生を望む者ならともかく、他者を虐げ、自ら甘い汁を啜りたいと欲求に駆られる者が殆どだろう。」
あの、レントール達のように。
多くの子分を引き連れ、村や町を拠点にしようと強奪するだろう。
ファントム・イシュバーンの世界では、当たり前の光景だった。
ギルドが自らの拠点づくりで、市街や町村を占拠するシステムがあった。
大抵はイベントで、住人の要望や依頼をこなすことと、多額の金銭を支払うことで拠点として使うことが出来る。
拠点にした街からは、定期的に金銭や貴重なアイテムが献上されるようになる。
また、自ら投資することで街の “格” を上げることが出来た。
もちろん、別のギルドが街を奪う事も可能だった。
ギルド戦を仕掛け、相手を圧倒する力量で討伐した時の成功報酬として、拠点を奪えるのだ。
ファントム・イシュバーンでは、ただのゲームシステム。
だが現実世界に置き換えれば、そんなシステムが働くわけがない。
実力行使で奪う。
それが、最も簡単な拠点づくりだ。
前世、レントール達がそうしたように。
そして街を拠点にすることのメリットは他にもある。
ファントム・イシュバーンでも、イシュバーンでも存在する、ダンジョンの踏破だ。
死ねばデスワープが働くが、拠点にあるマイルームへ飛ばされる。
これがスタート地点のままだと、遥か遠くにあるダンジョンへ戻るのに相当の時間と労力が必要となるのだ。
それを解消するのが、この拠点システム。
潜り込もうとするダンジョン近くの街を拠点とすれば、仮に死んでも低リスクでやり直しが利くからだ。
ファントム・イシュバーン同様、イシュバーンにも同じだけダンジョンが存在する。
そのダンジョンには、屈強な武具や貴重なアイテム、貴金属に宝石までも得られる可能性があるのだ。
“甘い汁” を啜るため、超越者はこぞってダンジョンへ潜り込む。
そして、その時のリスク軽減のため、市街や町村を傘下に収めようと、躍起になるに違いない。
そんな世界で、剣を捨てのどかに暮らす超越者が、果たしてどれくらい存在するか。
「極論だが、一人でも “争い” を好む超越者が居れば、一時の平和などすぐ瓦解する。そいつが指摘している通り、超越者は死なないんだ。乱暴な超越者を殺しても殺しても、復活し、また悪事を働く。……そんな事を繰り返していると、どうなるか。」
「争いは……被害は……大きくなっていく。」
「そうだよ、ファナ。そして犠牲になるのは、小さな町や村だ。そこから争いが大きくなり、気が付けば内乱の嵐。低下した国力の中、同じように荒れる他国。こうした内乱と低下した国力をいち早く解消するために、国はどういう手段に出ると思う?」
青褪める、ファナとララ。
簡単に、想像がついてしまった。
「戦争を、仕掛ける……。」
「そうなるだろうね。むしろ、超越者の手が加わっているんだ。今よりももっと厄介に、そして激しい戦争になるだろう。」
ファントム・イシュバーンで、帝国だけでなく敵対する聖国や覇国の陣営に加わり、その内情を見てきたアロン。
仮初の世界とは言え、基本はイシュバーンと同じである。
この三大国を内側から眺め、そして再度イシュバーンに転生してきた世界唯一の存在であるアロンが出した結論。
「つまり、この戦争を止めるのに超越者の手は不要なんだ。元よりイシュバーンに住む、ボク等の手で何とかしなければ、より激しく、より多くの死者が出る。」
拳を握り、怒りを露わにする。
“より多くの死者”
それは、元よりイシュバーンに住む者たちのことだ。
「……超越者が動けば動くほど、一般の人が、犠牲になる。」
呟くララ。
アロンの意図を汲み取り、悍ましい思いと共に吐き出した。
「ララの言う通りだ。……だが、コイツは分かっていない。」
テーブルに置かれた、皇太子ジークノートの手紙を指さす。
「あくまで、コイツの頭にあるのは “転生者という選民意識” だ。特にコイツは、皇太子。自分は選ばれし者という意識が他の奴よりも強いだろうね。」
何故なら、手紙にはこう記されていたからだ。
“女神様からの天命を感じ取りました”
皇帝の第一子として生を授かった転生者。
“選ばれし者” としての意識が、強すぎるのだ。
「善人ぶっているが、選民意識の塊。そして持ち出した理想は、お花畑丸出しの夢想論。下手をすれば、頭の切れる超越者や権力者に利用されるだけされて、破滅を迎えるだろうな。」
「……そうだとすると、アロン。この人、このままだと不味いんじゃ?」
不安そうに紡ぐファナ。
手紙の差出人は、次期皇帝。
転生者として、前世の知識を有する。
そのため、基本的には他の者よりも多くの知識を持つはずだ。
だが、それと頭の良し悪しは別だ。
むしろ、メルティのように前世の記憶と知識が、却って無謀かつ見境なしの行動を取ることにも繋がる危険性がある。
ファントム・イシュバーンの存在する世界に、ただひたすら “強くなる” ためだけに、僅か5年で最強の座についたアロン。
元より持ち得た知識は、前世の17年間。
それも、イシュバーンの知識だ。
そして今世、再び同じ人生をなぞる。
“異世界転生” に、夢や希望を抱いていない。
それが、アロンと他の超越者との大きな差だ。
アロンの心にあるもの。
愛するファナや家族、村を守るという決意。
そして、超越者に対する深い憎悪だ。
「確かに……次期皇帝陛下が、こんなお花畑思考では困るね。」
“それに、超越者なら会って確かめなければならない”
“選別” と “殲滅”
それは、一国の皇太子だろうと変わらない。
むしろ害意が無くても “殲滅” の対象となる。
“無能な皇帝の下につく臣民は、不幸でしかない”
歴史、神学で学んだ、かつての皇帝の言葉だ。
「一か月後ね。よし……。」
アロンは、決意を固めた。
「帝都に行き、コイツに会ってみる。」
手紙に記された、思想の危険性。
それを理解し、賢王となるなら良し。
そうでなければ……。
(国家反逆罪になろうと、ボクには関係ない。)
それは、絶対者としての決意。
決して傲りもせず、侮りもしない。
例え相手が帝国の次期皇帝だろうと、関係無いのだ。
アロンが成し得ようとすること。
“守ること”、そして “殺すこと”
「それまでにやらなくちゃいけないことが沢山ある。協力してくれるか、ファナ。ララ。」
“前世で殺害されても、婚約者と妹を守るために、舞い戻ってきた”
誰よりも意志が強く、優しいアロン。
そんなアロンからの願い。
「もちろん!」
「任せて、兄さん!」
“そんなアロンの心を守る”
そう決意した、アロン最愛の婚約者と妹は、笑顔で応えるのであった。