3-10 神々の遊戯
「三大国の戦争の元凶が、女神様だって!?」
邪龍マガロ・デステーアが生み出した空間の中で叫ぶ、アロン。
“女神”
それは、アロン達が住むイースタリ帝国が信仰する国母神を指す言葉だ。
その美しい女神の姿は、帝国章にもなっている。
その名も、暁陽大神ミーアレティーアファッシュ。
伝説通り、遥か太古に邪龍マガロ・デステーアが牙を剥いた女神。
マガロは敗北後、“邪龍の森” に閉じ込められ、女神と人々に対する謝罪と忠誠を、延々と繰り返す ”嘆きの龍“ ”誠実の邪龍“ などと呼ばれるようになったのだ。
その背景は、VRMMO【ファントム・イシュバーン】でも踏襲されていた。
しかしながら、邪龍マガロ・デステーアは、目の前の病的な程痩せ細った少女の姿でなく邪龍そのものだった。
見上げる程の禍々しい黒と紫の巨躰。
そそり立つ四本の角。
蝙蝠を彷彿させる四枚の禍々しい翼。
それが、“邪龍の森” こと【ルシフェルの大迷宮】の終盤に現れる最後の門番、邪龍マガロ・デステーアだ。
しかし、現実のマガロはまるで改心などしておらず、力を溜めた後に国母神である女神、暁陽大神ミーアレティーアファッシュに復讐する素振りも感じられた。
それを軽く諫めたアロンとファナに告げられた、言葉。
“ミーアレティーアファッシュの方がずっと邪悪”
“人間たちの終わりない戦争を続けさせている元凶の一人”
唖然とするアロンとファナ。
叫び声をあげた事を少し自己嫌悪に陥りながら、アロンは再び椅子に座って、静かに口を開いた。
「それこそ、信じられないな。」
“疑え”
目の前の、邪龍によって気付かされた思考の一つ。
疑う事で一旦心の中に留め、熟考することが出来る。
だからこそ、マガロの言葉をそのまま受け止めはしない。
尤も、そう仕向けた張本人であるし、疑われる事態も織り込み済みなのであろう。
口元を緩め、茶器の淵を指先でなぞりながらアロン、そしてファナを見つめるマガロであった。
「信じる、信じないは貴方たち次第よ? ただ、私は事実を伝えるのみ。それこそ、アロン殿が知りたがっていた超越者どもの役割に繋がる話だからね。」
なぞっていた茶器を指に引っ掛け、一口お茶を飲む。
湿らせた唇が、ゆるやかに開いた。
「そもそも疑問に思わないのかしら? たった三つの国が数千年も変わりなく争い続けているのよ? 併合されることも、和睦されることもなく、延々と当たり前のように三つの国が絶妙なバランスを保ちながら戦い続けていることに。」
まるでアロンとファナの反応を試すように、尋ねるマガロ。
その言葉に、アロンの全身に電流が走ったかのような錯覚さえ覚えた。
それは、先日森の中の特訓から帰る時、教員のアケラとの会話から抱いた疑問。
“何故、太古の昔から戦争が繰り広げられ、終わらないのか”
「それは……どうしてですか?」
どうやらファナもアロンと同じ疑問を抱いた様子。
むしろ、元より戦争に対して疑問を持っていたのだ。
茶器をテーブルに置いて、改めてアロンとファナを見つめるマガロ。
一つ頷き、答えた。
「ゲームよ。」
「ゲーム?」
「帝国の “暁陽大神ミーアレティーアファッシュ”」
マガロは人差し指を立てて紡いだ。
続いて、中指を立てる。
「聖国の “瞬星大神サティースジュゼッテ”」
そして、最後に薬指を立てた。
「覇国の “蓬月大神アスマサリバザザ”」
立てた三本の指。
手の平をひっくり返し、広げた手から黒い炎を出した。
「この “三大神” が画策した、世界を盤上として人々に争わせるゲーム。それが遥か数千年続く、この戦争の正体よ?」
黒い炎を握りつぶし、笑みを浮かべて伝えた。
震えるアロンとファナ。
あり得ない話だと切り捨てることも出来ただろう。
しかし、目の前の邪龍は冗談を告げているようには見えなかった。
「せ、世界の戦争は……女神様と、聖国の “邪神” と覇国の “悪神” が企てた、ゲーム?」
確認するように呟くファナに、マガロは一つ息を吐いて訂正する。
「サティースジュゼッテも、アスマサリバザザも、邪神や悪神では無いわ。そもそも世界に邪神や悪神など自称する神は居ない。尤も、聖国や覇国でも、他国の神を邪神・悪神だと言っているから、御相子かもね。……まぁ、そんな神々の事は置いておいて。」
マガロは再び、アロンへ目線を送る。
「戦争をより激しく、より刺激的にするために、神々は別世界で異質の力を身に着けた超越者を転生させて、戦争に加えさせているのよ。」
それが、超越者が存在する理由。
「そ、そんなくだらない理由で……?」
唖然とするアロンに、マガロはまたも息を吐き出して答える。
「貴方が言ったとおり、最初はイシュバーンの救済という大義名分があったと聞いているわ。それを理由にエンジェドラス様を別世界から超越者を転送するための橋渡しとして送り出し、彼女は救済を信じてせっせと超越者どもを転生させているらしいの。滑稽よね?」
別世界の御使いこと、“女神”
その正体は、人々に適正職業を与える存在だと言い伝えのある、善神エンジェドラスであった。
そしてそのエンジェドラスは、三柱の “大神” の命によって、別世界からこのイシュバーンへ超越者を送り出す橋渡しの役割を持っているというのだ。
「基本的に、超越者は何者にも縛られない、はず。だけど、彼らから見てイシュバーンは、ファントム・イシュバーンの世界そのもの。同じ世界観に、同じ三大国の戦争。自ら得た絶大な力を持ってこの世界を見てしまえば、その瞳にはどう映るかしらね?」
マガロの言葉で、アロンの脳裏に浮かんだのはただ一つ。
“遊戯の世界”
「この世界で、他者に殺害されない身体を持って、さらに普通の人間とはかけ離れた力まで持っている。大神どもに唆されるまでも無く、この戦争に身を投じるようになるでしょうね。世界が、そうなるべく造られてしまっているから。」
その結果、純粋なイシュバーンの人々が犠牲になる。
――終わらない戦争によって、死なない超越者の手によって。
「彼らは生まれてから自由に動けるまでの間に、貴方たち人間社会の仕組みやこの世界のことを知るのだと思うけど、やはり、前世の知識に絶大な力があれば他の者とは異なるでしょうね。この森はまだ影響は無いけど、以前、彼らの手によって蹂躙された場所があり、そこを守護していた守り手……貴方たちから見ればモンスターが、根絶やしにされたという話も聞いたわ。」
残念そうに呟くマガロ。
やるせない気持ちがあるのだろう。
それを、黙って耳を傾けるアロンとファナであった。
「もちろん、この森のように住み着く者たちだけでなく、そういった場所は貴方たち人間にも恵みを与える。弱肉強食ではあるけど互いに共生する中で、生命を、未来に繋げていく。我ら森の民も、貴方たちイシュバーンの人間も、それを理解して営んできているはず。そういった営みを破壊するのが、超越者という存在よ?」
「ならば……本来超越者などは、必要ないのでは?」
「そうよ? だけど、存在してしまっている。貴方たち人間にとっても、私達モンスターにとっても、害でしかない存在。それが、“超越者” よ?」
前世で感じた時と似たような感情。
それは、絶望であり怒りであった。
震えるアロンの手を、そっと握るファナ。
ファナも、カクカクと震えている。
「超越者の役割は神々の使徒として戦争に介入すること。死なぬ兵よ? イシュバーンの人々がいくら死のうとも蹂躙されようとも、神も、彼らも、何も変わらない。ただただ、争いを激しくするだけ。」
男の御使い――、アモシュラッテから伝えられた、アロンの天命、超越者たちの “選別” と “殲滅”
それこそが、イシュバーンの救済に繋がるのだと、その意味を知った。
ジッとアロンの目を見て、マガロは口元を歪めて呟いた。
「アロン殿。貴方が与えられた役割は……超越者を葬ることでしょ? それを可能とする手段を持っているのなら、私や私の眷属が、貴方や貴方の大切な物に危害を加えないようにする。もちろん、先日お約束した、貴方の代わりに集落を守るという約束も果たすわ。」
震えていたアロンは顔をあげ、マガロを見る。
「そのためにも……この場の木を切り取って……。」
「そう。集落をぐるりと囲んでね?」
アロンとマガロの間に交わされた約束。
首を傾げるファナに、アロンはその時の事を伝えた。
◇
「村をここの木で囲む……防護策を作り直すということ?」
アロンの説明に、顎に手を当てて呟くファナ。
ラープス村は、村と言っても相当広い。
“邪龍の森” での接地面積も広いが、東西、そして北側に大きく広がっているのだ。
「いや、どうやらここの霊木を繋いで囲めば良いみたいなんだ。今ある柵に取り付ければ可能だと思う。」
何も、この森の奥深くで育つ樹木で全ての柵を更新する話ではない。
村の木柵に、この場にある “霊木” を切り取って、板と板を繋ぐように囲んでいけば良いというのだ。
「それでも、その柵が脆く崩れされば意味が無いわよ? ここの樹木はいくらでも切り取っても良い。ただし……。」
マガロはそう言いながら、次元倉庫から布袋を取り出した。
「霊木の種。切り株に植え付け新鮮な水を与えて貰えればよい。百年程でほぼ元通りになるわ。」
布袋は、ファナが預かった。
大事そうに抱え、頷く。
「まずは帰ったら、村長やガゾットさん達に相談だな。」
ガゾットは、村一番の腕利き大工だ。
学友であるガレットの叔父でもあり、前世のアロンにとって森の仕事での親方的存在だった。
もちろん、ガレットと仲良くしているおかげで、まだ学生である今世のアロンもガゾットとは面識もあり、それなりに可愛がってもらっている。
しかし。
「でも……。そのためにも。」
“アロンの秘密を明かす必要がある”
村の柵を補強するのではなく、持ち帰った霊木を加工して繋ぐのか、説明する必要がある。
まだ学生であるアロンやファナの思い付きや戯れでなく、伝説の邪龍が庇護下に置いてくれるという話も、荒唐無稽であるからだ。
「それは……まずは皆に相談してからだね。」
今は、心強い味方がいる。
リーズルとガレット、オズロン、そして教員アケラ。
まずは彼らにアロンの正体を明かし、物事を進める必要がある。
頷く、ファナ。
「でも、天命以外にも秘密があった、と知ったら皆怒らないかな?」
「そこは……正直に話してみるしかないよね。」
多少の不安はある。
だが、“超越者が存在する理由” を知った今、超越者を葬り去る手段を持ち得るアロンが存在する今、アロンにとって “弱点” にもなり得るラープス村の守りを固めるのは、必須条件だ。
心強い味方の彼らを説得できなければ、恐らく不可能だ。
「なるほど。人間の社会はなかなか面倒臭いのね? ただ少なくとも3年後には超越者が貴方たちの集落を襲いに来るのでしょ? それまでに囲むか、別の手立てを考えるか決めてね。」
『ズリュッ』
髪を解き、空間を解除するマガロ。
周囲を見渡すアロンとファナ。
森の合間から見える空は、夕暮れに染まっていた。
「あと、アロン殿とファナ殿は強くなりたければ私の許へ来ることね。5日に一回、私はこの場でお茶をしている。先刻のように、使い魔を相手にしてもらうわ? ただし……。」
夕暮れ、そして森の影に照らされ益々薄暗さが際立つマガロ。
その口元が、歪む。
「ただ単に倒させる、何て甘い真似はしないわよ? アロン殿もファナ殿も、本気になって掛かってこなければ……怪我だけじゃ済まないかもね?」
ゾクリ、と身を震わすアロンとファナ。
アロンは思わずファナを気遣うが……。
「望むところです!」
真っ直ぐ、ファナはマガロに答えた。
両手も、身体も震えるが、先ほどアロンに守られていた時の自分の無力さを恥じ、自分自身に怒りが湧いたからだ。
“アロンの隣に立つのに相応しくなりたい”
例えアロンが “最強” だろうと。
神から授かった武具を持っていようと。
自分が、ただの人であろうとも。
それだけは、譲れない。
「貴方たち二人を鍛えること。森の一部として貴方たちの集落を守ること。これに対して私が貴方たちに望む対価は、これよ?」
ファナの言葉に満足したマガロは、テーブルの上にあった、残り一切れとなったファナ特製アップルパイを指さした。
思わず、笑いがこみ上げるアロンとファナ。
「分かりました! こちらに来る度に、お持ちします。」
「ふふ。ありがとう。楽しみにしているわ。」
それだけ伝え、マガロはテーブルの上にあった物、椅子、テーブルを次元倉庫へと片付けた。
「さぁ、そろそろお帰りなさい? 私も住処に戻らなければ、旦那様に叱られてしまうわ?」
「ああ。今日は色々と知ることが出来た。感謝します、マガロ。」
頭を下げるアロン。
同じく、隣のファナも一緒に頭を下げた。
「いいの。私も知りたかった事を知れたから。今後も良い取引相手として関係が続けられそうね?」
相変わらず目元は笑っていないが、僅かに口角だけを上げたマガロが、手を軽く振った。
「ぜひ、よろしく頼みます。」
アロンとファナは手を繋ぎ、ディメンション・ムーブで村に戻った。
二人が消えた場所をジッと見つめ、マガロは呟いた。
「……そう、それで良いの。神々の本当の目的と、超越者が存在する本当の理由など、貴方たちには関係の無い事なのだから。」
夕暮れに染まる空を見上げ、マガロは祈る。
「糞女神、首を洗ってまっていろ。」
――そう、まだマガロは全てを語っていない。
だが語らずとも、アロンとマガロの利害は一致しているのだ。
祈りを終え、マガロは目線を住処の方角へと向ける。
(楽しみね。アロン殿に始末される大量の超越者たちと、その事実に気付き慌てふためくあの三馬鹿の姿が。)
溢れる、邪気。
憎悪と、怒り。
ギシギシ、と軋む音を立てる森の中。
邪龍は一人、嗤うのであった。