2-8 自白
「おにーちゃん、朝だよー!お休みだからっていつまで寝ているのー!?」
アロンの部屋。
豪快にカーテンを開いた妹ララが、満面の笑みでアロンが寝るベッドへボディプレス如くダイブした。
『ボスッ』
「おぐっ!!」
腹の底から息が抜ける。
眠い目を擦り、布団の上に飛び込んできた妹の頭を掴む。
「……おはよう、ララ。」
「痛いっ! お兄ちゃん、痛い痛い! ごめんなさいぃぃ!」
謝罪の言葉が出たところで、掴んだ手を開き、今度は優しく撫でる。
「おはよう、ララ。起こしてくれてありがと。」
「えへへ。もうゴハン出来ているから、早く来てね!」
布団をよじ登るようにアロンの頭のところへ顔を出し、頬にキスをした。
ララは満面の笑みで、ダイニングへと小走りで向かう。
その後ろ姿を眺め、朝から柔らかい気持ちに包まれるアロン。
――昨夜、カイザーウルフとその配下を蹂躙した者の表情では、無かった。
(ステータスオープン)
アロンは、昨夜遅くまで考えに考え抜いたステータスポイントの振り分けを、再度確認した。
―――――
名前:アロン(Lv130)
性別:男
職業:剣 神
所属:帝国
反逆数:なし
HP:293,100/293,100
SP:112,700/112,700
STR:100 INT:100
VIT:280 MND:100
DEX:100 AGI:100
■付与可能ポイント:0
■次Lv要経験値:94,280
ATK:5,000
MATK:5,000
DEF:1,402
MDEF:500
CRI:14%
【装備品】
右手:なし
左手:なし
頭部:なし
胴体:布の寝間着(上)
両腕:なし
腰背:なし
両脚:布の寝間着(下)
【職業熟練度】
「剣士」“剣神(GM)”
「剣士」“修羅道(JM)” “剣聖(JM)”
「武闘士」“鬼忍(JM)” “武聖(JM)”
「僧侶」“魔神官(JM)” “聖者(JM)”
「魔法士」“冥導師(JM)” “魔聖(JM)”
「獣使士」“幻魔師(JM)” “聖獣師(JM)”
「戦士」“竜騎士(JM)” “聖騎士(JM)”
「重盾士」“金剛将(JM)” “聖将(JM)”
「薬士」“狂薬師(JM)” “聖医(JM)”
【所持スキル 72/72】(年齢補正中)
【内、使用可能スキル:23/72】
【剣士8/8】(表示OFF)
【剣闘士5/5】(表示OFF)
【剣豪5/5】(表示OFF)
【侍5/5】(表示OFF)
【書物スキル 4/4】
1 永劫の死
2 次元倉庫
3 装備換装
4 ディメンジョン・ムーブ
―――――
(ファントム・イシュバーンなら、上位職成り立てってステータスだな。)
“レベル130” と、振り分けたステータスポイントを眺めて、アロンは改めて自分の立ち位置を確認した。
まず、STRはじめ、今まで “1” であった5つの項目にそれぞれ、99ポイントずつ振り分けた。
これにより、VIT以外は100となり、その結果、スキル以外の項目の “年齢補正中” という制限が解除された。
結果、爆発的な力を得たアロン。
まず、攻撃力は素手でもレッドグリズリーをオーバーキル出来るほどとなった。
これで武器を携えれば、大体の敵にダメージを与えられるだろう。
反面、その腕力は特段私生活に影響を及ぼすものではなかった。
もし、この腕力がそのまま発揮されるとなると、先ほどアロンのベッドにダイブしたララの頭を掴んだ瞬間、簡単に握りつぶしてしまっただろう。
だが、それを無意識でもセーブできるようだ。
その凶悪な腕力や攻撃力は、意識しないと発動しないようなものであった。
これで、無闇に人を傷つけることも無く、また “11歳の子どもらしく” 振舞うことも出来る。
仮にそうで無ければ、アロンが持ち込んだ “初期化の書” という課金アイテムで、ステータスポイントを一旦ゼロに戻す必要もあった。
その必要も無くなったため、続けてアロンは残りのステータスポイントを全て “VIT” に振り分けた。
結果、HPは防具無しで29万越えとなった。
さらに防御力も5千。
これは、イシュバーンで主に流通している武器では、アロンの皮膚に掠り傷すら負わせられないほどである。
仮にこの防御力を突破したとしても、生半可な攻撃なら29万という驚異的なHPの影響で、まるでダメージが無いように錯覚するだろう。
(これで……ある程度は大丈夫だろうか。)
アロンが見据えるのは、ラープス村に出現した超越者。
クラスメイトの、メルティだ。
恐らく、彼女のステータも “年齢補正中” が掛かっているはず。
その影響で十分に力が震えず、ファントム・イシュバーンから持ち込んだ虎の子のスキルも殆どが扱えないだろう。
それでも、アロンには一抹の不安が過る。
メルティが超越者であるという事はもはや疑いようが無い。
しかし、アロンの不安。それは。
“年齢補正中” という制限は、全ての超越者に等しく適用されているという確証が無い事。
“装備換装” の発想が、アロンだけ、という確証が無い事。
アロンと同じく、不死である転生者を “殺す” ことが出来る書物スキル、“永劫の死” を持っていないと、言い切れない事。
――本当に、“永劫の死” が有効であるという確証が無いこと。
挙げたら、切りが無い。
何故なら、アロンがこのイシュバーンに再転生した時に持ち込んだスキルや武具などは、“やろうと思えば、ファントム・イシュバーンから転生する者なら誰でも出来る可能性があること” なのだから。
極僅かな可能性なのかもしれないが、メルティがそれらに “該当しない” とは絶対に、言い切れない。
つまり、該当者であれば “アロンを殺す” 事が出来る。
――ここで、返り討ちに遭う訳にはいかない。
そのため、現時点で考えうる最大限の準備を行った。
あとは、どんな状況だろうと対処するのみだ。
特に。
メルティの今までの言動。
一番、危険なのは誰か。
――ファナだ。
何故かアロンに固執して、ファナを嫌われ者に仕向けるような卑劣な手段を取るメルティ。
それが個人的な理由なのか、それとも “超越者同士という仲間意識” からなのか分からないが、確実に言えるのは、メルティはアロンに固執し、アロンと心通わせるファナを良く思っていないことだ。
(まずはファナに。そして、メルティだ。)
今日は、休日。
いつも通り、ファナと遊び、一緒に勉強をする。
もちろん妹のララも一緒だ。
――早ければ、メルティは今日にでも接触をしてくるだろう。
昨日、メルティにはディメンション・ムーブの瞬間を目撃された
黒装束で身を包んでいたとは言え、目が合ってしまった。
恐らく、“アロン” だと気付いただろう。
問い詰められれば一応は否定するつもりでいるアロンだが、メルティの出方次第では、そんな悠長な事を言ってもいられなくなる。
前世に出会った、理不尽の存在。
剣士レントール達のような、超越者。
もし、奴等と同じような人間なら、アロンは躊躇なく “殲滅” することを厭わない。
全ては、メルティ次第。
アロンは今世、初の “選別” となるのであった。
その時。
「おにーちゃーん!? ごはんー!!!」
ダイニングから響く、妹の怒声。
アロンはゆっくりと、“子ども” の表情に戻して「すぐ行くー!」と答えた。
◇
「ねぇ、ファナ。ララ。」
「なぁに?」
「どうしたの、お兄ちゃん?」
「……勉強し辛いんだけど。」
アロンの自宅の庭。
そこに生える樹の木陰に、木材で作られた机と椅子が置かれている。
季節は秋となったが、天気の良い日は心地よい学習環境となる、アロン達の遊び場兼勉強机だ。
大人が3人並び腰を掛けられる長椅子が対面となる机。
何故か、ファナとララがアロンを挟みこむように座るのであった。
それも、幅に余裕があるにも関わらずファナとララはピッタリとくっ付くように、アロンの両端を押さえている。
「狭いって言うの!?」
「失礼! レディに失礼だよ、お兄ちゃんっ!」
ぷんぷん起こるファナとララに挟まれ、アロンはそのまま何も言わず勉学に励むのであった。
昨日、鐘の音が鳴ったにも関わらず外へ飛び出したアロン。
ファナとララは、残された自分たちがどれほど心配したのか、二度とあのような真似はさせまい、と、アロンを囲むことで迂闊な行動をさせないようにしているのだ。
もちろん、二人の行動の意味が分かるアロン。
確かに、何も告げず飛び出した事には非がある。
その後の “言い訳” も、別にアロンが行う必要の無いものであった。
そこで取った二人の行動。
アロンを囲むことだったのだ。
◇
「もうすぐ冬休みだねー。」
勉強もひと段落して、アロンとララの母、リーシャが持ってきたドリンクを飲みながらファナが口を開いた。
ストローに息を吹き込んで、ドリンクをプクプクしていたララも、満面の笑みとなる。
「お兄ちゃん! 私、紅葉狩りに行きたい!」
「そうだね、今年も行こう。」
ラープス村の脇にある小川の畔。
秋には赤や黄色に色付く広葉樹林が広がっている。
夏は、小川で川遊びに魚とり。
秋は紅葉広がる森でかくれんぼに追いかけっこ。
“邪龍の森” とは面していないためモンスターは生息せず、子どもたちの絶好の遊び場だ。
「私、お弁当作るね!」
もちろん、ファナも一緒だ。
最近、料理を始めて見る見るその腕前が上達している。
「うん、楽しみにしているよ、ファナ。」
「えへへ。アロンの大好きなアップルパイも作るね。」
思わず言葉が詰まる、アロン。
前世も今世も、アロンはアップルパイが大好物だ。
――特に、ファナの作ったものは、絶品だ。
一度は全てを失ったアロン。
今世、再びそれを味わえると思うと、こみ上げるものがあった。
「お、お兄ちゃん? なんで、泣いているの?」
「……え?」
妹に指摘されて気付いた。
両の眼から、大粒の涙が零れていたのだ。
「どうしたのアロン!?」
顔を顰め、アロンの顔を覗き込むファナ。
アロンは慌てて袖で涙を拭い、笑顔を取り繕う。
「何でもない! 目に、ゴミが入ったみたい。」
「そ、そう……。」
心配している最愛の人、ファナ。
そして大切な家族の、妹のララ。
今度こそ、守り抜くと心に誓った二人。
そんな二人に囲まれ、失ったはずの未来を取り戻すために舞い戻ってきたアロンにとって、二人の表情や何気ない気遣いが、心の奥底に燻っている後悔をソッと撫でてくれるようだった。
本来なら、もう二度と会えなかったはずの二人。
もう二度と、味わうことのなかったファナのアップルパイ。
悲しみと後悔、喜びと慈しみが同時にこみ上げてきたアロンは、自然にその瞳から涙が零れてしまった。
「……ファナ、アップルパイ、楽しみにしているね。」
「うん……。」
まだ涙の跡があるアロンの瞳を眺め、ファナは不安そうに頷くのであった。
そこに、ヒュウッ、と冷たい風が過る。
「うー、何か寒くなってきたね。」
「天気は良いのに……、っ!?」
風が吹いた、後方を振り向くファナは言葉を詰まらせた。
不自然な様子、アロンも後ろを振り向いた、その先。
「……メルティ。」
アロンの家の庭の先、村の路地にメルティがアロン達を眺めて立っていた。
両手で籠バッグを掴み、妖艶な笑みを浮かべていた。
「……珍しいじゃない、メルティ。私たちに何か御用?」
メルティの自宅は、学校を挟んで反対方向だ。
アロン達の家まで、子どもの足では20分は掛かる。
うふふ、と笑いながらメルティは3人の許へ近づいてきた。
その異様な雰囲気と張り付いたような笑顔に、思わず背筋を凍らせるファナとララであった。
「アロン君に、食べてもらおうと思って持ってきたんだ♪」
両手で掴んでいた籠バッグをテーブルに置いて、中から包み紙に覆われたお皿を取り出すメルティ。
包み紙を丁寧に取り外すと、中はふんわりと香ばしい香りが漂う、柔らかな丸いパンのようなものであった。
それは、この世界には無いお菓子。
“シフォンケーキ”
別世界、ファントム・イシュバーンの世界では当然のように存在するケーキの一つであるが、科学や文明が遥かに遅れているイシュバーンには、こうしたスポンジのように柔らかなキーキを生み出す技術はまだ無い。
――一部、各国の上位貴族に召し抱えられている “超越者” の知識、技術によって門外不出としてされている事、以外は。
「わぁ! 凄い、何これ!?」
「初めて見た!」
余りに美味しそうな香りに、見た目柔らかなスポンジ状の菓子に目を奪われるファナとララだ。
その二人を、目を細めて一瞬見下すように眺めるメルティ。
だが、その視線はすぐアロンを見る。
シフォンケーキがこの世界に無い、という事は11年の転生生活で把握したメルティ。
だが “ファントム・イシュバーンの世界から来た” はずのアロンなら、これが一体何か分かるはずだが……。
アロンも、見たことも無いこの菓子に驚いた様子だ。
「切り分けるから、皆で食べましょ。」
「わぁ! メルティさんありがと! お皿とフォーク持ってくるね!」
食べる事が大好きのララは、目の前のお菓子に夢中だ。
すぐさま自宅へ走り、食器を取に向かった。
メルティは籠バッグからナイフを取り出し、丁寧に切り分ける。
ナイフを当てた箇所が柔らかに沈み、弾力と共にナイフを受け入れ切られる。
その断面は、空気を一緒に包み込んだような生地に見えた。
「凄い……。こんなフワフワなの、初めて見た。」
料理上手なファナも思わず感嘆の声を上げる。
ニコリ、と笑うメルティだが、その目線はアロンだ。
「美味しそうでしょ? アロン君は、食べたことないのかな?」
「食べたことないというか……見るのも初めてだよ。」
“やはり、本当に知らないみたいだ”
昨日、向こうの世界の言葉で話しかけたが、まるで無反応であったアロン。
それが転生者として割れないようにわざとそうしているのか、それともメルティの思い違いであったのか、と、もがき苦しんだ。
(……でも。)
またも、狂喜の笑みが漏れそうになる。
下唇を噛み、平常心を保つ。
昨日、見たのだ。
アロンが、“ディメンション・ムーブ” を使ったところを。
ファントム・イシュバーンの、書物スキル。
ディメンション・ムーブの存在は、もちろんメルティも知っている。
そして、以前ギルドの仲間から教えてもらった【暴虐のアロン】の力量と所持スキル。
確かその中で、三つまで所持できる書物スキルは “永劫の死” と “次元倉庫” の二つだけであったはずだ。
最後の、三つ目。
それが “ディメンション・ムーブ” だ、と確信したメルティ。
では、昨日のアロンはディメンション・ムーブで何処へ向かったのか?
――決まっている。あの “鐘の音” だ。
メルティは、村の護衛隊でもある父から “巨大なウルフのモンスターが、ブルーウルフを引き連れて現れた”と聞かされた。
ファントム・イシュバーンで、“邪龍の森” に生息する狼系は、ブルーウルフくらいしか知らない。
それを引き連れるなど、より上位なモンスターで無ければ不可能だ。
可能性として考えられるのは、危険度Cランクのラージウルフか、危険度Bランクのカイザーウルフか。
――ブルーウルフを集団で眷属化できるとなると、考えたくはないが、カイザーウルフが最も可能性が最も高い。
そして、父曰く “国母神様の御力によって奴等は退いた”
この話を聞いて、“そんな馬鹿な” と思った。
ファントム・イシュバーンの帝国でも、国神と信仰の対象として女神こと、<国母神>を祀っている。
帝国旗も、この女神がモチーフだ。
だが、ファントム・イシュバーンではあくまでも “設定” でしかなかった。
だから、存在しないはず。
――もしかすると、この世界に転生させてくれた “白い女神様” がそうなのかも! と思ったメルティだが、あの女神がわざわざ、田舎村に現れたカイザーウルフを追い払うような真似をするとは到底思えなかった。
やはり、一番高い可能性として、アロンの介入だ。
カイザーウルフたちを退いた “謎の轟音と閃光”
ウルフ系は “土属性” であるから、“雷属性” が最も効果的。
あり得るなら、“サンダーシェル” だろう。
だが、ファントム・イシュバーンからアイテムを持ち込むことは不可能だ。
転生した時、全て、没収されるから。
そこでメルティが出した、結論。
“アロンが、作った”
ファントム・イシュバーンでも、素材さえ集めれば “合成” でシェル系アイテムは全て作成可能だ。
その知識を活かし、作り出したのだろう。
だが、その素材はどうやって手に入れたのか?
“ライシンジュウ” と言う一角馬のようなモンスターの “電撃角” に、“火薬”、“イエロースライムの粘液” が必要となるアイテムだが、火薬は別として、後はこの周囲には存在しないモンスターからでしか採取出来ない。
最終的なメルティの結論。
――“アロン様だから”、だ。
つまり盲目的な崇拝による、思考の停止であった。
「ねぇ、アロン君。昨日は森で何をしたの?」
ケーキを半分ほど切り分けたところで、なまめかしい瞳を向けるメルティ。
思わずファナはアロンの袖を掴んだ。
その行動が気に入らないメルティであるが、表情は崩さない。
「何って……? 森になんか行っていないよ。あの警鐘が鳴っていたのに、森になんて行くわけないじゃないか。」
“メルティにディメンション・ムーブを見られた”
だが、あくまでも白を切るアロン。
ふふふふ、と笑いが漏れる。
「嘘つき。私、見たよ?」
カタリ、とテーブルにナイフを置いてアロンを見つめる。
口元は緩むが、表情が崩れるのを必死で抑える。
「アロン君。隠している事があるでしょ?――私もなんだ。」
ピクリ、と顔が強張るアロン。
つまりメルティは、転生者であることを隠し通すつもりは無い、と言っているのだ。
それに対する、アロンの答え。
「……意味が分からないな。ボクは何も隠し事なんてしていないよ?」
平然と答えるアロンが、滑稽にも、もどかしくも感じるメルティ。
今度は、ファナを見る。
「ファナちゃんは、どう思うかしら?」
突然、水を向けられたファナ。
アロンが隠し事、そんなの無い、と口を開こうとするが。
「……。」
言葉が出ない。
幼い頃から妙に大人っぽく、ファナにとって兄のような、恋人のアロン。
だがその言動の裏に、何か秘められた決意のような、深い闇のような想いがあることは、薄々感じていた。
メルティは、私でも分からないようなアロンの事を、知っている?
薄暗い、醜い感情が心からジワリと滲みだす。
震えるファナに、追い打ちをかけるようなメルティの、一言。
「ねぇ、ファナちゃん。私、アロン君が好きなの。誰よりも、世界で、一番好きなの。」
口元は嗤う。
だが、目は笑っていない。
射抜くような、冷たい目線が、ファナを凍り付かせる。
身も、心も。
「メ、メ、メルティ、ちゃん、も?」
「も、って。心外だわ。私ほど、アロン様の事を想っている女は居ないって自負しているのよ?」
“目の前の小娘なんかよりも”
顔を真っ青にさせて目を俯かせるファナ。
勝ち誇ったように、メルティはアロンを見る。
「ねぇ、アロン様。私は貴方の事なら何でも知っていますわ。私も、貴方と、同じなのですから。」
“同じ、転生者”
心は、大人。
そしてファントム・イシュバーンで持ち得たスキルと、死なぬ身体を代表とした数々の恩恵を得てイシュバーンという異世界へ転生した、同士。
同じ境遇。
同じ理不尽の存在。
“そんなNPCは放っておいて、私と合理的な生き方をしましょう”
言外にそう伝える、メルティ。
目の前の少年が、憧れ、焦がれた【暴虐のアロン】なら。
この “メルティ” の美しい身も心も、全て捧げる。
――いずれ、この美貌で完全に心を掌握し、私無くては生きられない身体にしてあげる。
憧れの人だけど、顔は、平凡。
いずれ世のイケメン達との “逆ハーレム” を達成させるため、それでも構わない、と心底骨抜きにする。
かつて、毛嫌いしていたスクールカースト上位の派手な女たちの立ち位置が、このメルティに代わるだけなのだ。
最強の戦力。
そして異世界の美男子たちに囲まれる、華やかな人生。
(ああっ! 何て今世は素敵なのかしら!)
“女神様、ありがとう!”
にこやかに、だが内心はドロドロと、アロンをも手玉に取る算段を付けるメルティ。
その目線の先のアロンは、ふぅ、と一つため息を吐き出して。
「キャッ!」
震えながらアロンの袖を掴むファナを身体に引き寄せ、その手を握った。
「メルティ、ごめんね。ボクはファナが好きなんだ。まだ皆には言っていなかったけど。……その、将来を、誓い合ったんだ。」
初めて、他者に伝えるファナとの関係。
中身が “大人” でも、こうしてはっきりと口にするのはさすがに恥ずかしいアロンであった。
身体を引き寄せられ、手をしっかりと握られるファナ。
顔は耳まで真っ赤に染め、潤んだ瞳でアロンをポーッと見るしか出来ない。
「ギリッ」
響く、音。
音が響くほど、メルティは歯を食いしばった。
先ほどの余裕のある艶やかな笑みとは打って変わって、表情は般若のように歪んでいた。
「……なんで、よ。」
辛うじて出た言葉が、それであった。
「何で、何でよ! 何でそんな女が良いのよ!?」
続いて出てきたのは、罵声だ。
余りの変貌ぶり、しかも “アロンを巡るライバル” だと薄々感じていたが、それでも “友達” だと信じていたメルティに、ファナは愕然となる。
だが、アロンは毅然として、メルティを見据える。
「何で、も何も。ボクはファナが好きだ。そしてボクの婚約者であり、未来の奥さんなんだ。誰がどう思おうと、何があろうと、ボクのファナへの気持ちは変わらない。」
メルティはさらに歯を食いしばり、両手で美しく巻き上げた灰色の長い髪を掴む。
醜い感情が彼女を包み、それは怒りになって声に出る。
「意味が分からない! その女はっ! NPCじゃない!」
そして、その言葉は。
アロンにとって禁句だった。
「あ?」
「ひっ!?」
今度は、メルティが身も心も凍り付かせた。
アロンの全身から迸る、禍々しい殺意で。
アロンの所持スキル。
剣士系上位職 “侍” の、【侍の威圧】
『常時発動能力。剣を装備すると、自分自身よりレベル値の低いモンスターや敵対者に対して威圧効果と怯み効果を一定時間与える。レベル値の高いモンスターや敵対者に対しては、攻撃を与えた時に、低確率で威圧効果と怯み効果を一定時間与える。』
『威圧』
・状態異常
・ATK、MATK、CRIが10%減少
『怯み』
・状態異常
・DEF、MDEFが10%減少。AGIが0になる
アロンは、腰に吊り下げていた護身用のナイフの柄を握り、少しだけ抜いた。
それにより装備判定となり、【侍の威圧】が発動したのだ。
その対象は、敵対する者――つまり、メルティに対してだ。
当然、レベル130もあるアロンに対して、レベル6のメルティは抵抗することが出来なかった。
ガタガタ震え、油断すると股間から尿を漏らしてしまいそうになるメルティ。
エメラルドのような瞳から涙が滲み、呼吸が荒くなる。
「……アロン。」
アロンの手をギュッ、と強く握るファナ。
その横顔は、先ほどアロンに強い想いを告げて貰えて真っ赤になっていたファナでは無かった。
真剣に、そして悲しそうにアロンを見る。
「メルティちゃんが、可哀想だよ。」
あれだけ、メルティに蔑んだ言葉を投げかけられたというにも関わらず、ファナは目の前で震えるメルティの心配をしていたのだ。
アロンは、ごめん、と呟き、反対の手で握っていたナイフを鞘に納めた。
急激に圧が下がり、解放されたメルティは、膝を折ってテーブルにもたれ掛かった。
「だ、大丈夫!? メルティちゃん!」
「うるさいっ!!」
駆け寄ったファナの手を弾き返すメルティ。
じわり、と痛みが広がる手を押さえ、涙目でメルティを見るファナであった。
「モブのくせに! 良い子ぶらないで!」
顔を真っ赤にして怒声を上げるメルティ。
その瞳からは、涙。
ギリッ、とアロンを睨み、メルティは叫ぶ。
「諦めないから! 私は、貴方を、諦めない!」
そして、怒りの形相から突然、フッ、と表情を落とした。
まるで能面のような、冷たい表情だ。
「……どうせ、すぐに分かるわ。あと、半年。私達皆が受けるっていう、鑑定。そこで、貴方も私も、はっきりと皆に知らしめるのよ。」
氷のような表情のまま、口元が欠けた月のように、歪む。
「貴方の剣 神。私の魔 聖。貴方と私は、共に祝福されるの。」
ザザザザッ、と冷たい風が過る。
そして、メルティは自分の運命を決定づける、一言を告げた。
「そう。祝福されるの。この “ゲームの世界” で、ね。」
それだけ伝え、メルティは踝を返した。
◇
「あれ? メルティさんは? どうしたの、お兄ちゃん、ファナちゃん?」
目の前のふわふわしたお菓子の事しか考えていない妹のララが、お皿とフォークを持って呑気に戻ってきた。
辺りをキョロキョロと見渡すが、フワフワお菓子を作ってきてくれたメルティはもう居ない。
代わりに。
俯き、泣きそうな表情のファナ。
そして。
(……残念だよ、メルティ。)
冷たい表情をした、兄、アロンが立ち尽くしていたのだった。