2-3 小さな疑念
薄暗い、小雨降る森の中。
アロンはディメンション・ムーブで青ざめ、腰が抜けて一歩も動けないリーズルの近くへ瞬間移動した。
木の陰に隠れて様子を見る、アロン。
「あ……、あ……、あ……。」
目の前に現れたモンスターに、ただ震えることしか出来ないリーズル。
だが、そのモンスターも、突如受けた救援弾の衝撃に驚き、リーズルを警戒している。
大音量と、立ち込める狼煙。
それを受けてなお、逃げ出さない猛者。
(まさか……こんな浅い深度で、あんなモンスターが出てくるとはね。)
三歳の頃に、ナユの花畑で遭遇した討伐危険度Dランクのレッドグリズリーもだが、こうも森の浅い部分で危険なモンスターが徘徊するのは、もしや自分が転生した影響なのでは、と疑念すら思うアロンであった。
(次元倉庫。)
アロンは、空に手を添えて装備を取り出す。
防御力を底上げする “守眼シリーズ”
そして、一本のナイフを掴んだ。
(アレなら、これで十分だよな?)
―――
【シルフィングナイフ】
ランク:英雄級
形状:短剣
<上昇値>
ATK:3,000
MATK:1,000
DEF:0
MDEF:0
CRI:+10%
<属性>
・メイン:風
・サブ1:光
・サブ2:聖
<特殊効果>
・VIT貫通
・使用SP減少 2%
・無効:麻痺、咆哮
・半減:雷属性
・特攻:雷属性、闇属性、飛翔系
<スロット>
・暴風の刻印(雷属性特攻上昇)
・暴風の刻印(雷属性特攻上昇)
<装備可能職業>
剣士系覚醒、僧侶系覚醒、獣使士系覚醒
戦士系覚醒、薬師系覚醒
―――
風の精霊の加護があると謂われる、シルフィングナイフを右手に持ち、モンスターと震えるリーズルを見定める。
『ブルルルルル……。』
呻き声をあげるモンスター。
その名も、“ライトニングディア”
体長5m程の巨体を持つ、鹿の化け物。
雄々しくそそり立つ鋭い角は、パチパチ、と音を立てて青白い電撃を迸らせている。
“邪龍の森” で現れる、単騎なら上位に分類される危険なモンスターだ。
その討伐危険度は、C。
ブルーウルフの集団と同じランクに該当する、危険極まりない相手だ。
縄張り意識が高いため、決められた範囲外には滅多に出ないため、村近くに現れることは無い。
逆に言えば縄張りへの侵入者には、容赦ない。
震えるリーズルをしばし観察した後、鹿のものとは思えない鋭い牙を剥き出した。
本来、偶蹄目は草食で反芻性のものが多いが、このモンスターは肉食だ。
その大きな牙と口に咬まれたら、小さなリーズルなど一瞬で上半身が噛み切られてしまうだろう。
当初ライトニングディアは、目の前の小さな脆弱な人間が、大きな音と異様な煙を出すナニカを放ったことで警戒していた。
しかし、どうやら巨大な自分の四肢を前に怯え、震えあがっている様子。
即ち。
“餌だ”
横長の四角い黒目をさらに細め、口を開ける。
ダラダラと、涎が滴る。
「ひ、ひぃっ!」
動かない身体に鞭打ち、足と尻でずりずりと後退する。逃げ出したい。だが、身体が動かない。
リーズルは涙と汗でぐしゃぐしゃだ。
股間からは尿が漏れ、全身の震えも止まらない。
(……不味いな。)
一刻の猶予もない。
アロンの今の装備ならタイミングさえ合えば、たった一撃で討ち滅ぼせるだろう。
だが、リーズルの目の前。
これでは、アロンの力がバレてしまう。
――アロンの目的を達成するためには、この力が割れることを極力避ける必要がある。
訪れる理不尽を払い除け、失った未来を取り戻すためにこの世界に戻ってきた。
そのためにも、目的のためには手段は選ばない “覚悟” がアロンには備わっていた。
――はずだった。
その覚悟に殉ずるならば、目の前で震える幼子を見捨てて、捕食されるのを待ってからこの危険なモンスターをただ切り伏せれば良いのだ。
だが、果たしてそれで良いのか?
失った未来を取り戻すのは、何故か?
大切な村の皆を。
家族を。
愛するファナを。
理不尽から、守りたかったのではないか?
『ブラアアアアアアアッ!!』
“こいつは、脆弱な餌だ!”
そう判断した、ライトニングディアは大口を開けたまま、リーズルに飛び掛かった。
「ひ、ひぃぃぃぃぃぃ!!!!」
『ドジャシュッ!!』
「…………。え?」
両腕で顔を防いだリーズルは、恐る恐る、腕の隙間から前を覗く。
そこには、見慣れた背中。
その後ろ姿。
いつも憎らしく、羨ましく、眺めていた姿だった。
誰だ、何て問うまでもなかった。
誰の背か、すぐに理解できたからだ。
「ア、ア、アロン?」
震えながら尋ねる、リーズル。
すると、
『ドズゥゥゥンッ』
遥か巨体の、ライトニングディアが音を立てて崩れ落ちた。
倒れたライトニングディアの頭は、ひしゃげるように潰れ、原型を留めていなかった。
「……アロン?」
再度、リーズルは尋ねる。
はぁ、と溜息を吐き出す、その背中。
「……無事だった? リーズル。」
返り血も浴びず、綺麗な顔のアロン。
にこやかに、リーズルに尋ねた。
「あ、あ、あ……アロン、アロン!!」
「もう大丈夫だ。よく、耐えたな。リーズル。」
その言葉で、リーズルの何かが吹っ切れた。
「あ、あああ!! うわあああああああんっ!!」
リーズルはアロンに飛びつき、泣きじゃくった。
泣きじゃくるその頭を撫で、アロンは優しく呟く。
「よく頑張った。偉いぞ、リーズル。」
その言葉は、同じ8歳の少年ものではない。
憧れる、偉大な、帝都の有名ギルドを率いる勇敢なる冒険者の貫禄だ。
小雨が降る森の中、リーズルの泣き声だけが響いた。
◇
「アロンさん! リーズルさん! ……よかった、無事だったのね?」
アケラが聞かされたポイントと、ナユの花畑の丁度中間地点で、肩を組んでヨロヨロと歩くアロンとリーズルに出会った。
「先生、心配かけました。大丈夫ですが……リーズル君が足を挫いちゃって。」
少し疲れた表情のアロンが呟く。
見ると、確かにリーズルは足を引き擦るように歩いていた。
「見せて、リーズルさん。」
その場にリーズルを座らせ、足を見るアケラ。
足の付け根辺りが少し赤く膨らんでいる。
「捻っちゃったのね。マッケート先生に、ヒールを掛けてもらいましょう。」
マッケート先生とは、妹ララの担任だ。
適正職業は僧侶で、回復魔法のエキスパート。
教員業だけでなく、村の医師としても働いている。
「は、い。」
弱々しく答えるリーズル。
その様子に、はぁ、と溜息を吐き出すアケラ。
「何があったか、ちゃーんと聞かせてもらいますからね。アロン君も。」
「はい。」
アケラは再度溜息を吐き出し、リーズルを背負った。
「……二人とも無事で良かった。もう、奥深くへ行っちゃダメですからね?」
「はい。」
今度はリーズルが答えた。
アロンはともかく、“悪ガキ” の筆頭者であるリーズルが異様に大人しいのが気になる。
よほど、怖い目に遭ったのか。
いずれにせよ、学校に戻ってから聞き出そうと思うアケラであった。
――――
『もう大丈夫? リーズル。』
ライトニングディアを倒したアロン。
泣きじゃくるリーズルが落ち着いたところで、尋ねた。
『もう。大丈夫……。アロン……、こわ、こわかった……。でも、助かった……。』
また泣きそうなリーズルの頭を、ポン、と叩く。
『これに懲りたら、もう単独で動かないでよ?』
『もちろん。本当に、ありがとう、アロン。』
立ち上がろうとしたリーズルだが、右足に激痛が走り、立ち上がれなかった。
『挫いたか。仕方ないな。』
アロンはリーズルの腕を掴み、肩に掛けて立ち上がらせた。
『ありがとう、アロン……。』
『ファナも、メルティも無事に先生のところに辿り着いたみたいだ。ボク達も早く、ナユの花畑へ行こう。』
実は、アロンはファナ達に先生へ伝えに行ってくれと頼んだ時に、ファナの手を掴んだ。
それは、アロンの “攻撃” であった。
“攻撃を与えた人物の背後、真横に、距離無制限で瞬時に移動できる” というディメンション・ムーブの効果を、ファナに掛けた。
アロンはリーズルを助けるよりも、万が一、ナユの花畑へ向かうファナに何かあればそちらへ駆けつけるつもりだった。
ライトニングディアを倒すための装備を整える間、リーズルを助けようと駆けつける時、そしてライトニングディアを倒した時も、実は合間合間でファナの様子を見たのだ。
ライトニングディアに攻撃してしまったため、ファナに掛けたディメンション・ムーブの効果は消えてしまったが、元々備わるディメンション・ムーブの “一度訪れた場所への移動先選択” の効力で、ナユの花畑を見たところ、ファナ達が無事に辿り着いていたことを確認できた。
安堵するアロン。
あとは、一刻も早くこの現場から抜け出すことだ。
危険度Cランクのモンスターを8歳のアロンが倒したなどバレたら、一大事だ。
さっさと離れるに越したことはない。
しかし、“勿体ない” と思うアロン。
ファントム・イシュバーン内での経験だが、ライトニングディアから採れるドロップアイテムの “高級鹿肉” は良い値段で売れ、食堂へ持ち込むとステータスを増強される料理となって提供してくれたのだ。
ファントム・イシュバーンは、イシュバーンを模した偽りの世界。
ならば、この現実のイシュバーンでもライトニングディアの肉が美味であるのは間違いない。
だが、あんなところでリーズル尻目に解体するわけにはいかなかった。
それこそ、8歳児で出来る範囲を超えてしまう。
……ライトニングディアを一撃で倒してしまったので、今更と言えば、今更だが。
そんなわけで放置したライトニングディアの死骸。
一夜過ぎれば、森の奥から血の匂いに惹かれて様々なモンスターが喰いに来るだろう。
それこそ、臆病者で有名なブルーウルフの集団がやってきては骨ごと喰いつくしてくれるだろう。
跡など、残るはずもない。
『なぁ、アロン。』
涙を止め、リーズルは呟く。
『なんだい?』
『お前……すごい、強いんだな。』
ドキリ、とするアロン。
そう、アロンはリーズルの前でその力を揮ってしまった。
どう言い訳しようか、悩むアロン。
たまたまと言うか?
実はあいつ、見掛け倒しだったと言うか?
言い淀むアロンに、リーズルは、目を輝かせる。
『なぁ、アロン……いや、ししょう! オレを、弟子にしてくれないか!?』
『は、はいぃ!?』
まさかの、弟子発言であった。
『な、何言っているの、リーズル!?』
『オレ……アロンみたいに、ししょうみたいに、強くなりたい!』
雨に打たれたからか、汗なのか。
ぐっしょりと全身を濡らすアロン。
そんなアロンへ照れ臭そうに、オレさ、とリーズルは独白を続ける。
『お前とファナが仲良くしているの、何か、イヤだったんだ。オレ、ファナを前にすると、いつもイジワルなことしか言えなくて。でも、本当は、ファナとも……アロンとも、仲良くしたかったんだ。』
足を止め、静かに聞き入るアロン。
『オレ、ファナがアロンのこと、すごく好きなんだって事が分かった。こんなに強くて、やさしいんだから。さっき、すげぇ、かっこよかった!』
アロンのことを、まるで “ヒーロー” を見るように、目を輝かせるリーズル。
『オレ、もうアロンもファナも、他のやつも、バカにしたりイヤなこと言ったりしない! オレもアロンのように……ししょうのように、強くなりたいから!』
肩を組む相手に、ここまで言われるとは。
はぁーー、と深い溜息を吐き出すアロン。
『わかった。』
ぱぁ! と顔が輝くリーズル。
『だけど、条件がある。』
『じょうけん?』
真剣に、リーズルの目を見るアロン。
『さっき、あの化け物を倒せたのはたまたまだ。リーズルが危ない! と思って飛び出したら、ちょうど、アイツの角にあたって、パチパチ言っていたのが、爆発したんだ。』
嘘である。
“雷系” のモンスターは風属性が弱点であるため、最も雷の力の強い角と額に、弱点属性と雷属性に特攻効果のある英雄級 “シルフィングナイフ” をぶち当てれば、先ほどの結果は当然であった。
それを何とか、方便で言いくるめようとする。
『だけど、それには凄く勇気がいる。』
『勇気。』
アロンの言葉を、一句一句逃さぬよう聞き入る。
『ボクは、ファナや妹ララのためには、何でもするし、何だってなろうと思う。だけど、もしあの時、リーズルを見捨てたら、その覚悟を踏みにじる事になるんじゃないかって、思ったんだ。』
この手で守れる者には、限りがあるかもしれない。
大切な人を守るために、誰かを切り捨てることもあるかもしれない。
だけど、手を差し伸べられるなら。
差し伸べたい。
イシュバーンは、世界は、超越者に蹂躙されている。
その害虫共の毒牙に掛かり、不幸になる人を、減らしたい。
前世の自分のような。
村の皆や、ファナ達のような。
理不尽な不幸から、守り抜きたい。
先ほど、アロンの目に映ったリーズルは、まさに “理不尽の不幸” に陥るところであった。
彼が死んでしまえば、彼の両親は悲しみ、学校の先生も悲しみ、それに、クラスの皆だって悲しむ。
リーズルを毛嫌いしているファナだって、悲しむ。
もちろん、アロンもだ。
理不尽による悲しみの連鎖を、断ち切れるなら断ち切りたい。
それを、思い知らしめてくれたのは、まさに命が潰えようという危機に瀕していた、幼いリーズルだった。
『リーズル、これから言うことを、約束して。』
『ああ! ししょうとの男の約束だ、ぜったい、守るよ!』
『さっきのモンスターからは、ボクと一緒に逃げ切れたことにしてくれ。』
驚くリーズル。
先ほどの鹿の化け物は、誰がなんて言おうと、アロンが倒したのだ。
『なんで?』
『大人に言っても、信じてもらえないから。むしろ言えば、ボクら二人で嘘つき呼ばわりだ。森にだって入らしてくれなくなる。そんなの、嫌だろ?』
ぶんぶん、と首を縦に振るリーズル。
『そして、出会ったモンスターだけど、“でかい鹿” とだけ、言おう。』
『え?』
“角がバチバチしていた”
“牙が生えていた”
巨大な鹿以外の情報は、その二つだ。
それを伏せようという、アロンの提案。
『……なんで?』
『それこそ、大人が信じてくれるわけがない。言ったら最後、大嘘つきだ。』
あ、と声を漏らす。
確かに、あんなモンスターの話なんて聞いたことが無いと思う、リーズルであった。
『わかった? 大嘘つきになりたくなかったら、ボクらはあいつから一目散に逃げたってことさ。ちなみに……これは、二人だけの秘密だ!』
悪戯に笑うアロンの言葉に、先ほどの恐怖とは打って変わって、笑い出すリーズル。
『あははは! いいな、それ。オレとししょうの、二人のひみつ!』
『あと、“ししょう” は止めてくれ……。』
二人は “大人に内緒”、“二人だけの秘密”、と言い合いながら、ヨタヨタと進む。
そして、しばらく歩いた後。
『アロンさんー! リーズルさんー!』
アケラが、走ってやってきたのだった。
――――
「アロン! 無事でよかったぁ!!」
涙を流して喜ぶ、ファナ。
人の目も憚らず、アロンに抱き着く。
「わっぷ! だ、大丈夫だよ、ファナ! それより、リーズルが怪我したんだ!」
「別に。リーズル君の “じごうじとく” でしょ?」
冷たいファナの物言い。
その近くで腕を組んでメルティも呆れ顔だ。
そんな冷たいファナとメルティの前に、ひょこひょこと歩いて近づくリーズル。
嫌悪感たっぷりの表情で睨む二人を前にして、
「ファナ。メルティ。本当に、ごめん。オレが悪かった。」
頭を下げ、謝ったのだ。
その姿に、ええっ!? と驚くファナ達。
「ど、どうしたの、リーズル君?」
「頭でも打った?」
酷い言われようである。
周囲で心配していたクラスメイト達も、怪訝顔だ。
「いや。オレが勝手な行動したばかりに、みんなに、先生にも、めいわくをかけちゃった。」
もう一度、頭を下げるリーズル。
まるで、別人だ。
「ま、まぁ、ちゃんと、あやまったから。いいよ。」
「自分勝手な行動を慎むなら、私もいいわ。」
ファナとメルティも、笑顔を見せる。
頭を下げたまま、涙が零れるリーズルは、「ありがとう、ごめんね、ありがとう」と呟くのであった。
「さて! 全員揃ったところで帰りますよ! リーズルさんはマッケート先生に回復を施してもらってから、一緒に学校へ戻ってください。他の皆さんは、私についてきてください。」
「「「はーい。」」」
ぞろぞろと、アケラの後に続く8歳児たち。
◇
「ヒリン草、いっぱい採れたね!」
アロンと腕を組むファナが、嬉しそうに言う。
「うん。怪我しちゃったけど、リーズルが群生地を見つけてね。あいつのおかげだよ。」
笑顔で伝えるアロンの言葉に、ファナは複雑だ。
「それだけじゃなく、私達も頑張った結果よね。アロン君。」
その横、笑顔でメルティが紡ぐ。
アロンは頭を掻きながら「そうだね」と照れるように答えた。
若干、アロンは腕に痛みを覚えるのであった。
「それにしても……でっかい鹿かぁ。」
間もなく学校。
ファナとメルティは、アロンとリーズルは “デカイ鹿に会った” “一目散で逃げた” という事を聞かされた。
「あれ、食い出がありそうで勿体なかったかも。大人になったら、あいつにリベンジしたいな。」
お道化て答えるアロン。
「やめてよー!」とファナが泣きそうな顔で制する。
「大きい、鹿ね。」
メルティは、顎に手を当てて何やら思案顔。
ジッ、とアロンの顔を見つめる。
それが面白くないファナだが。
何か、普段のメルティとは様子がおかしい。
大人しく、一歩引いて皆をフォローする出来た少女。
それが、メルティだ。
そんなメルティが、思慮深く考え込んでいる。
その姿は、とても子どもらしくない。
「ねぇ、アロン君。」
何かを思いついたのか、アロンに尋ねる。
「なぁに?」
「その鹿、“角がバチバチ” していなかった?」
ドグンッ。
アロンの心臓が、大きく高鳴った。
目を見開き、思わず口までも開けてしまった。
「アロン君?」
「あ、いや、ううん! そんな変な鹿じゃなかったよ!?」
慌てて否定する。
すると、メルティは、
「そっかー。そうだよねー。そんなのに出くわしたら、命なんて無いもんねー。」
小声で、ブツブツ呟く。
ファナには聞こえていないのか。
だが、アロンの耳には、しっかりと聞こえた。
「ライトニングディアなわけ、ないか。」
アロンの額、そして背中から夥しい汗が滲む。
呼吸すら、荒くなった。
何故、そのモンスターをこの少女は知っている?
何故、その特徴を知っている?
村で確認された “災害級” は、フレムイーターのみ。
探索範囲で危険なモンスターと言えば、ブルーウルフか、ブルタボンという猪型のモンスターくらいだ。
ライトニングディアが “邪龍の森” に住み着いていたなど、確認されたなど、そんな情報は無い。
それを知っているのは、ファントム・イシュバーンで “邪龍の森” を攻略したアロンか、“何かあるかも” と言って奥地まで探索した一部のプレイヤーのみだ。
――――まさか。
「ねぇ、メルティ。角がバチバチするモンスターなんて、いるの?」
アロンは子どもらしい感じで、尋ねた。
一瞬、メルティの瞳が鋭く輝いたように見える。
だが、すぐさま、いつもの少女の笑みを浮かべた。
「夢で見たの! そんなのが居たら、怖いよね?」
無邪気な、それでいて艶やかな笑み。
8歳の少女に、そんな表情が出来るのか?
疑念を持つ、アロン。
疑念を、持ってしまったのだ。
前世、あまり絡みが無かった少女メルティ。
彼女は、12歳の適正職業の儀式直後に帝都へ引っ越してしまった。
何故か?
それが導く、一つの可能性。
“メルティは、超越者?”
同じ村、同じ年。
アロンは、“選別” と “殲滅” をしなければならない相手と、知らずに邂逅したのかと酷く狼狽する。
「どうしたの、アロン君?」
「アロン、大丈夫? どっか怪我したの!?」
「……大丈夫だよ。」
精一杯の笑み。
アロンは、“そんな訳ない” と言い聞かせる一方、その小さな疑念が晴れないことに、心が荒れる。
せめて、自分が “超越者” だと、バレないように。
そう願うのであった。
(……やっぱり。アロン君も、転生者なのかな。)
メルティは、鎌をかけたのだ。
“角がバチバチ” であれだけ驚いた表情を見せた。
それは、同じ子どもが “ライトニングディア” なるモンスターを知る由もない、という先入観からでは無いか? と予想した。
そして、極めつけ。
“そんなモンスター、いるの?” と尋ねられた時だ。
わざと、子どもらしく訪ねてきた。
今までの、学校でのアロンを見ていると、そんな子どもじみた質問などしてこなかった。
考えれば、逆なのだ。
元々、アロンは大人びていた。
そういう出来た子どもだと、思っていた。
実際は、逆ではないのか?
つまり、中身は “大人” なのではないか?
(――私と、同じ。)
緩む口元を隠し、メルティは嬉々とする。
まだ、確証は得られない。
だが、いずれ尻尾は掴めるはず。
――そうでなくとも、確実に判明する時がくる。
それは、女神様に教えられた、この世界の仕組み。
(12歳になれば、嫌でも判明するわ。)
儀式。
そこで割れる、適正職業。
そして、彼の名前。
(もしアロン君が……あの人なら、何て素敵な事なの!? これぞ、運命じゃない!)
あの人。
メルティが、憧れて止まない人物。
元より同じ名前で、興味は持っていた。
だから、今日の実地訓練で彼と同じチームになろうと、手を挙げたのだ。
(ファナちゃんには申し訳ないけど……本物なら、彼は、私が手にするわ。)
仲睦まじく腕を組み合う、愛らしい8歳児をにこやかに、そして冷たく見据える。
それは、幼い二人の愛くるしさ故か。
憧れた人なのかもしれない、その腕を、何も知らない小娘が組み合うことへの嫌悪感か。
(【暴虐のアロン様】なら、絶対にモノにしてみせる。)
未だ小さい身体のメルティは、この世界で初めて、欲しいものが見つかった。